79th Chart:致命の一撃


 ――やられた


 続けざまに届いた3回の衝撃音と、身体に走った2か所の激痛に、食いしばった歯の隙間から苦悶の声が漏れた。艦の中でも被弾時のダメージコントロールを任されている副長は、艦長や砲術長に比べ艦体の損傷によるフィードバックはより重い。故に、『サー・ベディヴィエール』を襲った凶弾がどのような被害を及ぼしたのかを感覚的に理解する。

 まず最初に飛び込んだ1発は、運よく舷側の主要装甲帯に命中し、辛くも弾き返した。だが、次の1発は左舷側最前部の2番中間砲の1番砲根元に着弾、砲身を吹き飛ばすと共に砲塔を断ち割り爆砕させる。内部に収められていた砲架や俯仰機が一瞬にしてその機能を失い、2番中間砲はどす黒い黒煙を噴き出し沈黙する。

 此処まではまだいい。中間砲1基を失ったが、まだ12インチの主砲は健在であるし10インチ連装中間砲も2基が健在だ。

 問題は3発目。これは、よりにもよって艦の首脳が詰める戦闘艦橋に直撃した。砲戦に備え、艦の水線部防御帯と同じく305㎜の鋼鉄で鎧われていた戦闘艦橋が衝撃により拉げ、外界を観測するために設けられた展視孔から破片混じりの爆風が吹き込んだ。

 戦闘艦橋に飛び込んだ破片は跳弾を繰り返し、艦全体の指揮を執っていた艦長と、主砲操作を担当していた砲術長以下ほぼ全員を切り刻み血の泥濘へと変えていった。

 たった一発の12インチ砲弾により、歴戦の艦長と砲術長と言う『サー・ベディヴィエール』の頭脳を一撃で奪い去られる。そうして、手元に残ったモノの存在をパッカーが理解するより早く、各部からの津波の様な被害報告絶叫が叩き付けられた。


「左舷下部中央より軽微な浸水発生!」

「2番中間砲沈黙!火災発生!」

「艦橋に直撃弾!連絡途絶!」

「こちら機関部!軽微な浸水有れど、航行に支障なし!」

「艦長、及び砲術長戦死!先任は副長です!指揮を!」」

「前部マスト倒壊しました!」

「敵艦更に近づく!距離7000ヤード!(約6400m)」

「『ナーガ2』沈黙!『ナーガ3』砲撃中!本艦を狙っています!」

「副砲長より艦橋!『ナーガ3』への目標変更を至当と認む!」

「戦隊旗艦より通信!【戦隊速力16ktニ増速】副長、速度変更願います」

「副長指示を――――副長!」


 後部艦橋に詰めていた分隊士の声に、情報の濁流へと飲み込まれていた意識が急速に形を成して浮上する。艦長と砲術長が深淵へと還っていったのは痛手だが、そういう時の為の副長予備だろうに。呆然自失となるとは何たる無様かと、内心で自分への罵倒を叩き付けつつ、懐中時計を握りしめた。


「全艦に達します!艦長、砲術長戦死により、副長がこれより本艦の指揮を執ります!Cチームは2番中間砲にて消火活動を開始!速力16ktに増速!全艦砲は『ナーガ3』を砲撃!医療班は前部艦橋へ、負傷者を収容してください!後部艦橋の測距儀は!?」

「展開完了!いつでもいけます!」

「主砲、砲撃を再開します。甲板作業者は爆風に注意!」


 自分の号令に、マヒしかけていた艦が息を吹き返したかのように感じられた。船精霊達が慌ただしく艦内を駆けずり回り、火炎の舌に舐められている損害箇所への対応と、血だまりに沈んだ負傷者の手当てに当たっていく。しばし沈黙していた2基の中間砲は、迫りくる『ナーガ3』めがけて復讐の砲火を迸らせた。

 パッカーも主砲に意識を繋ぎ、後部艦橋上に展開された予備の測距儀からの観測データとこれまでの砲撃諸元を照らし合わせ、砲身を俯仰させる。もともとこの艦に副長として乗り込む前は、同じ砲を乗せた『クイーン・メリー』で砲術長を務めていたのだ。主砲の操作に迷いはない。

 しばしの沈黙の後、イメージ上の引き金を引き絞ると2つの爆炎が左舷上に花開いた。







「『サー・ベディヴィエール』に直撃弾!火災発生!」


 見張り員の絶叫が総旗艦『キング・エドワード』の艦橋を駆け巡った時、前方に小さく見えていた明灰色の戦艦が悲鳴を上げる。王立海軍の主力として、王家と国民を守護する絶海の騎士として生を受けた2万トンに達する巨艦が、左舷側からどす黒い火災煙をたなびかせ始めた。

 これまで無数に発生した海神との生存競争の中で、1番艦の就役から現在に至るまで1隻の喪失艦も出さなかった王立海軍の力の象徴。その中の1隻が被弾に悶え、苦悶する姿は船精霊の間に動揺を走らせるのに十分な光景だった。


「狼狽えるな!」


 双眼鏡を用いて周囲の観測に当たっている末端の見張りから、艦全体へ動揺が駆け巡りそうになった瞬間、提督席に陣取った豪奢な軍服に身を包む海軍大将――グレゴリー5世の大喝が叩き付けられる。


「ラウンド・テーブル級は1発や2発の被弾では沈まぬ!既に戦況は我が方に有利だ!隊列を乱さず、先頭艦へ砲火を集中せよ!」


 贅肉の一切ついていない恵まれた肉体とゴツゴツとしたギリシャ彫刻の様な顔に、鬼神と見まごうような形相を浮かべた男は、連綿と続いてきた王家の貴人と言うよりも北海を統べるバイキングの親玉の様な勇壮さを感じさせる。そのある種の野蛮さすら引き連れた王の姿は、怯えかけていた船精霊達に活を入れる役割を十二分に果たした。

 さらにやや時間を要したが、被弾した『サー・ベディヴィエール』が轟然と砲火を吐き出し始めたのもプラスに働いた。左舷側から黒煙をたなびかせる騎士だが、これまでと同等以上に熾烈な砲撃を『ナーガ3』へと叩き込み始めている。

 主力である円卓の騎士の呻き声に一瞬動揺してしまったが、実際の所、『サーペント』の敵戦艦2隻を落伍させ、『ナーガ』の2番艦に命中弾を与えて火災を起こさせているのだ。航空騎の報告と合わせれば、無傷な艦の数は29対34から28対31になっており、その差は小さくなっている。更に味方はT字を描き続け、砲火の集中を継続しており、後続する艦も次々と砲門を開き始めた。


「第3戦艦戦隊、『サーペント』前方を通過中!」

「『サーペント2』に弾着多数!行き脚完全に停止の模様!脱落します!」

「『サー・ボールス』挟夾されました!」

「第11戦隊目標、『ナーガ3』砲撃開始!」

「測的良し!」

撃てshoot!」


 報告と命令が交錯し、時折艦橋に主砲発射の閃光が溢れ轟音が耳朶を打つ。

 総旗艦である『キング・エドワード』も、主砲の12インチ連装砲4門と左舷を指向できる10インチ連装中間砲2門を振りかざし、迫りくる敵へ向けて交互射撃を繰り返す。彼我の距離が近づいたからか敵後方の海神も砲撃を開始したらしく、味方の戦列に屹立する弾着の水柱は一撃ごとに多く、巨大になっていく。

 戦闘が秒刻みに激しさを増し、敵も味方も互いに譲らない砲撃戦が拡大し続けている中で、その時は唐突に訪れた。

 微かに響いた異音に、艦橋の最前部で双眼鏡を掲げていた船精霊が宙を見上げる。砲弾の飛翔音、にしては妙に腹に響く音に背筋を氷が伝ったかのような感覚に陥った瞬間だった。


 前方を進む第2艦隊の殿艦、『サー・アグラヴェイン』の艦上から何か黒っぽいものが飛び散ったかと思うと、無数の水柱に包み込まれた。一瞬遅れて、海水が力任せに叩き伏せられる轟音と、鋼鉄の構造物が力任せに断ち割られる重低音の絶叫が『キング・エドワード』の艦橋を打った。


 林立する純白の柱は、これまでのモノよりも幾分高く、太い様に見える。2万トンに達する大型戦艦は、硝煙をたっぷりと含んだ瀑布に丸ごと飲み込まれ、四方八方から迫りくる爆圧に揉みしだかれる。

 十数秒をかけ、艦首側の至近弾の奔騰を突き崩して現れた戦闘艦は、見るも無残なありさまとなっていた。


「な、あ……」


 見張り員の口から、報告の体をなしていない空気が漏れたのも無理はない。

 前後に屹立していたマストは根元から折れ飛び、後部のマストに至っては右舷側に引き倒され海面を数秒引きずられ、脱落する。

 つい先ほどまで迎撃の砲火を解き放っていた後部主砲塔は、上部装甲が乱雑に開けられた菓子箱の様にめくれ上がり、2門の砲身は古戦場に投げ捨てられた剣の様にうなだれてしまった。

 艦の中央部に設けられていた小口径速射砲は背後の煙突ごと瓦礫の山となり。唯一、煤やささくれに塗れた3基の10インチ連装中間砲が、反撃の意思は曲げぬとばかりに敵を睨み続けてはいたが、砲塔の電路が寸断されたのか報復の吐息をつく様子はない。

『ドレッドノート』の登場により、《連合王国》前ド級戦艦の決定版という評価を確定させた重厚な戦艦はそこには無く、ズタズタの艦体はいたるところから噴き出した黒煙に彩られ、落城寸前の様相を呈している。

 誰の目にも、『サー・アグラヴェイン』に真面な戦闘能力が残っていないのは明らかだった。


 しかし、彼の騎士にとっての受難は終わったわけではない。


 戦闘能力を根こそぎ奪い去った、敵海神の巨弾が息も絶え絶えとなった戦艦へ降り注ぐ。比較的高い放物線を描いた8発の砲弾は『サー・アグラヴェイン』の甲板へと襲い掛かり、2発が命中した。

 先の被弾により彼方此方の継ぎ目に歪みが出ていた装甲甲板は、新たに飛来した2発の【13.5インチ34.3㎝】砲弾に本来の防御能力を――そもそも急角度で飛来する砲弾への防御能力は極めて限定的であり、その上このような巨弾は想定外だった――発揮することはできなかった。

 音を置き去りにした砲弾は、『サー・アグラヴェイン』の甲板に張り巡らされた100㎜の装甲をその身に秘めた運動エネルギーによって力任せにぶち破り、艦内中枢――機関区画へと突入後、遅動信管を作動させた。

 炸裂した砲弾は先の被弾による被害を免れ、辛うじて艦を前進させていた6基の海油専燃式水管ボイラーを瞬時に吹き飛ばす。荒れ狂う衝撃波がボイラーを繋ぐ蒸気管を破壊し、途端に噴出した数百度の過熱水蒸気が、健気にも復旧を試みていた船精霊を悲鳴を上げる間もなく炎熱地獄へと叩き落としていく。

 行き場を失った爆風は砲弾が掘削した突入路を逆走し、最上甲板に散らばる瓦礫と炭化した有機物を拾い上げ、赤黒い爆煙と共に天高く吹き上げた。


 この損害により航行能力を根こそぎ奪われた騎士だったが、そのことを危惧する者は終ぞ現れなかった。


 命中した2発の内、もう1発は艦左舷の3番中間砲を襲った。正面こそ200㎜の装甲で防御されている中間砲だが、真正面からでは無く急角度で頭上から落下する砲弾を防ぐことはできない。

 着弾した砲弾は天蓋部分の薄い装甲版を貫き、揚弾機と砲尾の間で信管を作動させた。敵弾の炸裂は砲塔内部の砲弾や装薬に引火し、さらに揚弾機に並べられていた主砲弾や装薬が次々弾け、導火線のように終焉を弾薬庫へと持ち込んだ。

 遂に、王国に仇なす敵を葬り去るはずだった百数十発分の10インチ砲弾の装薬が誘爆を引き起こし、危機を悟った艦長の注水指示が効力を発揮する前に、破壊の奔流は前後の隔壁をぶち破り隣接する2基の中間砲弾薬庫に被害を波及させる。


 直後『サー・アグラヴェイン』が大きく身震いをしたかのように見えた。


 被弾によって沈黙していた3基の中間砲が、極太の火柱と共にかつて存在していたマストほども吹き上がる。6本の砲身が劫火から吐き出されるかのように、異音を発しながら宙を舞い左舷側の海へと突き刺さる。

周囲の海面を朱に染めつつ、『サー・アグラヴェイン』は巨大な火炎の槌を振り下ろされたかのように左舷側へと沈み込み、瞬く間に横転を始めた。

 赤い腹が海上へと顔を見せた瞬間、前後の主砲があったらしい艦底部が無数の鉄片をまき散らしながら大音響とともに爆ぜ、3つに別たれた艦体を黒煙と白煙が包み込む。視界が晴れた時には海面に残る油膜のみが、数分前まで存在して居た巨艦の姿をかろうじて伝えていた。


「さ、『サー・アグラヴェイン』……轟沈、しました」


 つい先ほど新王直々に叱咤され闘志を再燃させたはずの船精霊は、僚艦の壮絶極まりない最期に、呆然自失と言った風に報告を上げる。

 唖然としているのは彼の者だけではない。

 総旗艦を任された『キング・エドワード』の艦長も、旗艦の変更に伴い『ドレッドノート』から委乗してきた本国艦隊司令部の幕僚も――土壇場になって指揮権を掌握したグレゴリー5世に至っても、衝撃を隠しきれない。

 しかし、彼らが衝撃から立ち直るよりも早く、凶報が立て続けに舞い込んでくる。


「『サー・ケイ』より通信!『ワレ操舵不能』」

「『サー・ルーカン』より報告!『ライオネル、大破。沈黙セリ』」


 前方を見れば、艦尾から黒煙をたなびかせた『サー・ケイ』が隊列からはみ出し左舷側――敵の方へ向けて旋回を始めている。前後の主砲塔は健在だが、上部構造物の彼方此方に被弾しているらしく、いたるところから薄く黒煙を吹いていた。

 さらに向こう、先頭を航行する第3戦艦戦隊の方向には、巨大な黒煙を背負いながら、東へ向かいヨタヨタと避退していく艦の姿が見えた。艦前部に集中して被弾したせいか、艦首の甲板付近が海面に没しそうなほど前方へ傾斜してしまっている。

 艦首への被弾、浸水は戦闘艦艇にとっては致命傷だ。直ちに速度を減じなければ、艦の前進によって生じる圧力によって水密隔壁が破られてしまう。『サー・アグラヴェイン』に引き続き、王立海軍は立て続けに3隻の主力艦を沈黙させられたことになる。


 だが、王立海軍もやられっぱなしと言うわけでは無かった。


 既に離脱しつつある第3戦艦戦隊、第32戦艦隊の後方を守る2艦、『サー・ルーカン』と『サー・モードレッド』が目の前で大破させられた戦友の無念を晴らすかの如く、主砲と中間砲を咆哮させる。

 解き放たれた大小10発の砲弾は、沈黙した『サーペント2』を追い抜き先頭に立った『サーペント3』へと降り注ぎ、水柱の中へと包み込んだ。

 真っ白なヴェールに覆われること数秒、艦体の中央部から黒煙を噴き出しつつ現れた『サーペント3』は崩れ落ちる様に速度を失い、漂流を始める。どうやら、中枢炉か神経系にまともに12インチ対艦徹甲弾を受けたらしい。沈むかどうかは微妙だが、撃破と判定できた。


「陛下、そろそろ……」

「うむ、解っておる」


『ドレッドノート』から移譲した航海参謀が、伺うような言葉をグレゴリーへ投げる。探る様な視線を受けた新王は生返事を返し、顎髭を撫でつつ思案するようなそぶりを見せた。

 戦況は互角か、やや劣勢。味方は敵に対しT字を描き続けてはいるが、このまま放置しておけば味方は敵の眼前を通り過ぎ道を空けることとなる。そうなる前に、どちらかに一斉回頭――全艦が、その場で舵を切り新針路へ回頭する――を掛け、北進する必要が在った。

 戦艦はその場で回れ右をすることはできないから、舵を切った方向に大きな半円を描いて進行方向を変えることになる。今の状況だと、面舵ならば敵から遠ざかる方向。取り舵ならば敵へと近づくこととなる。

 彼我の距離は7000ヤードを切っている。ここで取り舵をきれば更に500ヤード(約460m)ほど接近することになるだろう。敵の速力を考えれば、6000ヤード(約5500m)を下回る。接近戦は彼我の命中率が上がり、戦果も損害も更に大きくなる。

 しかし、かといって安易に面舵をきってしまえば、敵を取り逃す恐れも出てくくる。『ドレッドノート』を有しているとはいえ、本隊の所属艦は20ktが精々だ。敵にも『インフレキシブル』の様な艦が有れば逃げ切られる恐れがある。決定には慎重な判断が要求された。

 しばし瞑目し、大きく目を見開いた王は通信機無しに全艦へ司令を届けようとするかのような、大号令を発する。


「全艦、左一斉回頭!新針路0-0-0!右砲戦用意!損傷艦は後方に避退せよ!」


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