78th Chart:開戦の轟砲


「なんですって?」


 トンデモない爆弾発言に、呆然とした風に自分の耳を疑いつつ王弟を見上げる。顎に手を当て、机上に目を落とす王族軍人の視線の先には、第1戦艦戦隊に所属する『キング・エドワード』の駒が置かれていた。


「し、しかし。総指揮官はジェリコー大将のはずでは?旗艦だって『ドレッドノート』ですし、将旗も掲げられてましたよ?というか、出航の時に『キング・エドワード』に王室旗は掲げられてませんでしたし、新王御自らが、出航に立ち会ってましたが」


 狼狽する海軍大佐の言の通り、迎撃艦隊は岸壁に居並んだ軍楽隊が奏でる「堅き艦にHeart of Ork」と喨々たる喇叭の音色、無数の観衆が見送る中慌ただしく出航していった。次々に錨を上げ白波を蹴立てて出港していく王立海軍を、特等席で見送るグレゴリー5世の姿を無数の人々が目にしている。


「艦隊を見送った後、龍を使って乗り込んだらしい」


 ため息交じりに、懐から取り出した手紙をモーズリー大佐へ放り投げた。

 その内容を要約すれば、出航後しばらくして、龍巡『テリブル』へグレゴリー5世座上の特別騎が着艦し、内火艇で『キング・エドワード』へ移動。其の後、国王大権を発動し艦隊の指揮権を掌握したというのだ。

 出来の悪い三文小説か、英雄譚の様な展開に大佐の顔が思いっきり引きつった。


「なーにを考えてやがるんですかあの髭モジャ達磨」

「不敬だな、モーズリー君」

「心配してるんですよ。それを言うなら国王陛下の勝利を信用なさっていない、閣下も同罪では?」

「ふん、失敬な。これでも王族だ、王位が目の前で揺れ始めれば、視線ぐらい向けるさ。――――あの兄の事だ。新王としてのリーダーシップを目に見える形で残したいのだろう。尊敬する人物にエドワード王を上げるぐらいだからな。ジェリコーも、愚かな新王相手に律儀なことだ」


 さも世間話かの様に王族にあるまじき発言が機関砲の様に飛び出していく。この男の事だから、人払いは完璧だろうが。大逆罪スレスレの爆弾発言をこうもポンポン吐かれると、聞いている方がおかしくなりそうだった。

 引きつった顔を向けるモーズリーを無視し、ギルフォードは机上の駒を移動させる際に使用する押し板付きの棒――参棒を手に取りバトンの様にクルクルと回した。


「先も言ったように、規模さえ考えなければこの策は悪くない。だが、こうも数が多いと、奇策一つで烏合の集へとなり果てかねん。良く言えば正道を旨とする、悪く言えば邪道に弱い兄が指揮を執るのであればなおさらだ」

「具体的には、どんな奇策です?」

「初歩的なことだ、モーズリー君」

「こんな邪悪な名探偵はいやナワケナイデスダイスキデスハイオールハイルユナイテッドキングダム」

「最も重要なのは、敵の目的だ。《帝国》風に言うのであれば重心と考えても良い。仮に、敵が我が国土に艦砲射撃を叩きこむことを目的とするのであれば、もしくは我が艦隊に打撃を与えることを目的としているのならば。一切合切に一撃で決着をつける、正面からの堂々とした艦隊決戦を挑んでも、問題は無い。だが、もし敵が」


 言葉を斬りつつ、参棒を伸ばし敵の先頭艦を押し板の内側へと引掻ける。その際に浮かんだ横顔は、世界最強の海上帝国の王族にふさわしい――――壮絶な冷笑だった。


「我が艦隊、我が国との心中を目的とするのであれば。――――生還度外視の自殺攻撃スーサイド・アタックであれば」


 力任せに右手が引かれると同時に、参棒によって引きずられたいくつかの赤い駒が味方の列の横腹に衝突し、青い駒とともに音を立てて弾け飛んだ。


「こちらの目論見は崩れかねん。混乱に乗じて大規模な煙幕でも展開されれば、後は血で血を洗う超近距離砲戦だ。何とも――――いや実に何とも」


 用は済んだとばかりに参棒を放り投げ踵を返し、出口へ向けて歩き始める。


「愉しい戦いになりそうじゃないか、ええ?」


 宙を舞った参棒は青と赤の群れへと着弾し、辛うじて秩序を保っていた陣形を、原形を止めぬ程に弾き散らした。二色の駒が横転し衝突し、中には机から床へと落ちていくものもある。


「モーズリー、貴様は通信局に友人がいたな?――――戦況は逐一私へ報告しろ。内密に、正確に、迅速にだ。良いな?」


 早口で命令を告げる背中に、「イエス、マイ・ロード」と鯱張ったしゃちほこばった敬礼を送る。内心では彼の御仁の任務を遂行するための考えを巡らせつつ、頭の片隅では歪んだ歓喜が滲み出てくるのを感じていた。



 ――なかなかどうして。見込み通り危険デンジャラスな御仁じゃあないか!











「敵艦隊見ユ!左舷30度!距離2万4000ヤード(22㎞)!」


 その報告に、後部指揮所で最終確認を行っていた副長以下十数名の船精霊が顔を見合わせる。誰の顔にも、緊張と高揚、そして一握りの不安が現れていた。


「来ましたね。では、皆さんのご武運を祈ります。大丈夫、いつも通りやれば勝利は我々の手に転がり込んできます」

「副長に敬礼!」


 分隊士の号令とともに、戦艦『サー・ベディヴィエール』の後部艦橋に集まっていた船精霊が見事な敬礼を送る。それを受ける副長――アンドリュー・パッカー少佐も、微笑を浮かべながら答礼を返した。

 戦闘中における副長の職務の一つが、被害個所の報告と対応だ。アンドリューもその例にもれず、自分の持ち場である後部指揮所に陣取り指揮にあたる。

 無論、海神との戦闘は初めてでは無いが、ここまで大規模な戦闘となると経験どころか想像したこともない。叶うのならば、『サー・ベディヴィエール』の艦長としてこの戦に参加したかったが、副長として参加するのも大変な名誉には違いなかった。


「旗艦より通信『新針路1-8-0、我ニ続ケ』!」

「面舵一杯、左砲戦用意!砲戦距離1万1000ヤード(約10㎞)!」


 艦橋に取り付けられた伝声管から、ホランド艦長の指示が矢継ぎ早に飛び、艦内が俄かに慌ただしくなる。パッカーのいる後部指揮所からは、後部に据えられた五〇口径 Mark.30 12 inch 連装砲が左舷側へと旋回していくのが見える。

 王立海軍において主力を張り続け、幾度となく外敵を打ち払ってきた砲塔が、緩やかに、しかし力強く旋回して行く。その様は、騎士の鞘からゆっくりと引き抜かれる聖剣を連想させた。

 ここからでは見えにくいが、左舷側の10インチ連装中間砲や3インチ単装速射砲も同じように旋回し、水平線に狙いを定めている事だろう。敵に向けられた大小の剣が、陽光を鈍く反射しながら発砲命令を今や遅しと待ち構える。

 不意に、足元がぐらついたかと思うと後続する『サー・ボールス』の姿が左へと流れていく。先ほどの指示から数十秒をかけてようやく舵が効き始めたのだ。

 2万トンを超える戦艦は、駆逐艦や水雷艇の様に舵を切っても直ぐには曲がらず、数十秒は直進してしまう。艦長はそのズレを見こして早めに舵を切らねばならない。巨大戦闘艦を操ると言う事は、回頭一つとっても並ではない技量を要求された。


「『サー・ボールス』面舵!続いて『サー・アグラヴェイン』面舵!本艦に後続します!」


『サー・パロミディス』率いる第2戦艦戦隊、第22戦艦隊の4隻は滞りなく回頭を完了したようだ。後続する各戦隊が回頭を完了すれば、本隊は第3、第2、第1、臨時、第6戦艦戦隊の順で単縦陣を描き、南進することになる。

 偵察騎の報告によれば、敵は34隻の戦艦を2列に配置し、西進を続けている。戦闘中は北側の列を『ナーガ』、北側の列を『サーペント』と呼称することになっていた。


「旗艦より通信!第22戦艦隊目標『ナーガ2』、射程に入り次第砲撃を開始せよ!」

「砲術、目標『ナーガ2』。測的開始!」

「測的開始します!」


 艦長と共に艦橋に陣取った砲術長の意気揚々とした声と共に、後部主砲の右側の砲身――1番砲がぐいと持ち上げられ砲口が空を睨む。司令部は、第22戦艦隊に所属する4隻のラウンド・テーブル級をもって、北側の列の2番艦に対し16門の12インチ砲と24門の10インチ砲の集中砲火を加える算段だ。『ナーガ1』に対しては、第2戦艦戦隊と第21戦艦隊旗艦を兼務する『サー・トリスタン』以下4隻が迎え撃つ形となる。

 後続する『サー・ボールス』と『サー・アグラヴェイン』も、本艦と同じように左舷側へ向けた各主砲塔の1番砲に目一杯仰角をかけ、その時を今や遅しと待ち構える。

 伝声管から逐次もたらされる彼我距離の報告に耳を傾けつつ、はやる気持ちを押さえつけようと双眼鏡を東の海へ向けた。

 丸く切り取られた世界には、鉛色の海と薄雲が微かにかかる青空が広がっており、薄ボンヤリとした境界線上に、ゴマ粒ほど小さな黒煙が徐々に見えてくる。


 大いなる海の魔物、海神。そして、今まさに祖国を蹂躙せんと迫りくる、敵の姿だった。


「遊撃隊、増速します!針路0-9-0!」


『サー・ベディヴィエール』が面舵を切って南へ転舵したことにより、北側の海域を東進する遊撃隊の姿が後部艦橋からも見えるようになっていた。

 双眼鏡を向ければ、鉛色の海を白波の飛沫をまき散らしながら疾駆する巨艦の姿が見える。その速度は巡洋艦どころか駆逐艦と見まごうばかりであり、最後尾の臨時水雷戦隊がわずかに出遅れているようにすら見えた。

 巡洋戦艦は敵本隊とすれ違いざまに主砲弾を叩きこむ。砲火を交えるのは戦艦では無く、護衛の巡洋艦や駆逐艦だ。護衛艦にとって、被弾即脱落となりうる巨砲を振りかざし、小口径砲の火力が通じない装甲と同等以上の速度に物を言わせ、敵の護衛に対し大穴をこじ開ける。

 遊撃隊の水雷戦隊は、その大穴から敵本陣へと浸透し必殺の魚雷を至近距離から叩き込むのが役割だ。


 ――幸運を祈ります、アリセ。そして『アヤカゼ』


 鉛色のうねりの向こうに、特徴的な丈高いマストが見えたような気がした瞬間。待ちに待ったその時が訪れる。敵が、司令部の示した決戦距離へと踏み込んだのだ。


「撃ち方始め!」

撃てShoot!」


 砲術長の絶叫が届くか届かないかの内に、『サー・ベディヴィエール』の前後で爆炎の華が咲いた。同時に、満載排水量2万トンに達する艦体が身震いし、大輪の華に押されるように右舷側へとわずかに傾斜する。2基搭載された各主砲塔の1番砲から迸った反動が艦を横殴りにするかのように走り抜け、砲口から漏れ出た衝撃波が物理的な圧力となって拡散していった。

 まるで、艦自体が敵に対して獅子吼ししくしているような衝撃を肌身に感じ、パッカーはゾクリと背筋を震わせた。

 表面も中身も紳士的には違いないが、それでも海軍を志した男であり、有瀬と同じく生粋の鉄砲屋だ。国家の存亡をかけた一大決戦において、戦艦の発砲を間近で体感し奮わぬ道理はない。


「『サー・ボールス』打ち方始めました」

「『サー・アグラヴェイン』打ち方始めました」


『サー・ベディヴィエール』の咆哮に続けとばかりに、10秒程度の時間差を置いて僚艦が相次いで発砲する。振り上げた砲身から黒褐色の砲煙が相次いで噴出し、若干の時間をおいて腹に響く間延びした砲声が木霊してくる。

 この会戦において、最初に砲門を開いたのは王立海軍最強を自負する第3、第2戦艦戦隊の16隻の円卓の騎士達だ。合計して32門の12インチ砲が、迫りくる敵へ向けて第1射を解き放つ。

 後部指揮所に居るパッカーからはその一部しか見えないが、彼の脳裏には鉛色の海に立ちはだかった、鋼鉄の防壁の姿が描き出されている。その光景は、頭上を旋回している機動遊撃戦隊の艦載騎のパイロットが目にしているものとそう変わらないだろう。

 とはいえ、生真面目な彼の理性は轟砲の余韻に浸ることを許さず、その責務へと意識を切り替えた。自分の仕事はすぐそこに迫っている。

 不意に、何か微かな音が響き、視線を左舷側へと向ける。遥か彼方を西進する敵艦の上には黒褐色の爆炎。まだ、こちらの砲弾は届いていない。考えられる原因は一つだった。

 空を圧する飛翔音が頭上を通り過ぎ、右舷側200m付近で大音響とともに巨大な水柱が吹き上がる。敵も、自分たちに若干遅れて砲門を開いたようだ。


 彼我の距離は凡そ10㎞、互いに有効射程ではあるが、鉄砲屋が理想とする初弾命中など早々出るものではない。大抵は各砲塔1門ずつの交互射撃を行いつつ、弾着の水柱を見て狙いを修正するのだ。なお、巨砲の反動を受け止める水圧式駐退機の諸問題により、各砲塔2門の全力斉射は不可能では無いが禁じられていた。


 屹立した水の巨木は2本。それぞれの距離はさらに100mほど離れている。至近弾とはお世辞にも言えない大外れだが、吹き上がる数百トンの海水の柱と全身を叩く着弾の轟音は、放たれる巨弾に秘められたエネルギーを感じさせる。

 ラウンド・テーブル級は舷側や主砲の防盾に最大305㎜の装甲を施しているが、その重装甲で艦全体を覆っているわけではない。当たり所が悪ければ、2万トンの海征く城塞が、あの水柱の様に一瞬にして崩れ去る可能性も確かに存在する。


「後部見張りより艦橋!先の砲撃は本艦右舷200m付近に着弾!」

「だんちゃーく!」


 見張りの声と入れ替わりに砲術長の声が響くと共に、彼方に浮かぶ海神の周囲に純白の柱が次々と林立し始めた。10秒おきに2本ずつ、遥か彼方に白い水柱が吹き上がっては崩れ去っていく。

 一度に撃てば乱立する水柱によって、どれが自艦の砲弾によるものか分からなくなるための時間差砲撃だ。とはいえ、その間隔は10秒と短く。見張りの練度と砲術長の腕が試される。


「観測騎より報告、ただ今の砲撃、全弾遠弾」


 今回はありがたいことに、各戦隊ごとに1騎の艦載騎が弾着観測騎として滞空している。合計で6騎の航空騎が敵の頭上を飛び回り、艦上からでは判断の難しい弾着による水柱の詳細な位置を、逐次報告してくれていた。


 だが、状況はそれ程良くもない。最初の一合で判明したことは、敵の発砲が我が方よりも遅かったのに、弾着は敵の方が早かったこと。つまり、砲弾の速度は海神側が勝っていると言う事だ。

 砲弾の破壊力の源泉は運動エネルギーに他ならない。このエネルギーは物体の質量との二乗に正比例するため、同程度の口径、質量の砲弾でも速度が大きい方がより巨大な破壊をもたらす。その点でいえば、攻撃能力は海神の方が若干勝っていると認識するべきだ。


 各所からの報告をもとに、射撃諸元を修正した第2射が先ほどと同様に吐き出される。最大戦速で接近する敵に向けて砲撃しているため、主砲の仰角は心持ち小さくなっている。同時に、それは主砲の精度にも大きな影響を及ぼし始めていた。

 整然と並び、修正射撃を繰り返す王立艦隊に対し、海神の群れは主砲を乱射しながら臆することなく突入を続ける。

 黒褐色の爆炎とともに、互いの間を巨弾が行き交い、真っ白な水柱が次々と吹き上がる。両者の周りに落ちる砲弾は1射ごとにその距離を着実に詰めており、騒々しい死神が足音高く迫りくるイメージを幻視させた。

『サー・ベディヴィエール』の周囲にも、弾着の水柱は迫りつつある。時を追うごとに、林立する水柱の数は2本から4本、6本、8本にまで増えている。神殿の柱を思わせる純白の塔が屹立するごとに、噴き上げられた飛沫が艦を濡らし、衝撃波が乗員を襲う。


「砲術!何をやっているか!?」


 焦りが多分に含まれた、ホランド艦長の切羽詰まった声が耳朶を打つ。

 こちらの砲撃の狙いは悪くない、第3射以降、1艦当たり6門の10インチ砲も射撃に加わり、既に挟夾弾――敵を包むような弾着すら得ている。

 敵を挟夾したと言う事は、射撃に用いた各種のパラメーターが現時点での正解を探り当てたことに等しく、命中弾が出るのは時間と確率の問題だ。

 しかし、第22戦艦隊は複数回の挟夾弾を与えてはいるが、未だに直撃弾は得られていない。現在進行形で猛烈な攻撃を受けている『サー・ベディヴィエール』にとっては、有効弾の有無は文字通りの死活問題だった。

 パッカーは明らかに複数隻からの集中砲火を浴びている現状に、自分の運の無さを嘆きそうになるが、その分味方の損害を減らせると無理やり納得させた。【撃たれずして何が戦艦か】と戦艦乗りだった叔父の言葉を反芻し、精神を落ち着ける。


 何度目か分からない敵弾が、大気を引き裂く音を引きずりながら迫りくる。次の瞬間には後部指揮所に直撃弾を受けて、痛みを感じる間もなく木っ端みじんに吹き飛ぶ想像を振り払い、胃の下を締め付ける恐怖を奥歯を噛んで押さえつける。

 直後、飛来する砲弾の雄たけびが周囲を取り巻いたかと思うと、両側の海面が上空へ吹き飛び『サー・ベディヴィエール』は巨大な手にひっくり返されたかと思うほど激しく揺さぶられた。


「両舷に至近弾!右舷側弾着近い!およそ30m!本艦挟夾されました!」

「各部異常はないですね!?」

「缶室異常なし!」

「機械室問題なし!」


 後部マスト最上部の見張り台からの報告を聞きつつ、反射的に機関科と連絡を取る。

 戦艦同士の砲撃戦の場合、直撃弾は勿論だが至近弾にも注意を払わねばならない。艦の至近に落ち、水中で炸裂する砲弾は艦底の機関部を痛めつける。高々数発ではびくともしないが、それが10発、20発と累積すれば機関を襲うダメージは侮れるものではない。


「艦橋より後部指揮所!各部損害知らせ!」

「後部指揮所より艦橋!各部異常なし!」


 ――落ち着け。と自分に言い聞かせるように言葉を繰り返し、艦が無事であることを艦長へと知らせる。艦と繋がった痛覚も、複数の圧を感じてはいたが決定的な損傷痛みはない。

 だが、直撃ではないが至近弾。それも挟夾されたことを肌身で感じ、戦慄するのは避けられない。次は、いつ直撃を受けてもおかしくはない。そう考えた時、事態は一気に好転する――様に見えた。


「『サーペント1』に火災確認!続いて『サーペント2』に複数発命中!落伍します!」


 見張り員の喜色に富んだ声に釣られとっさに双眼鏡を向ければ、第3戦艦戦隊が相手取っていた南側の列――『サーペント』の1番艦と2番艦が黒煙に包まれている。8隻の戦艦による集中砲火がようやく実を結んだ結果だろう。『サーペント』の周囲に落ちる水柱が一時消えているのを見るに、第3戦艦戦隊は後続する敵3番艦、4番艦に狙いを定めているのかもしれない。


 そして、待ちに待った報告もようやくもたらされる。


 第7射として『サー・ベディヴィエール』の後部主砲2番砲から解き放たれた12インチ砲弾が「、凡そ7500mの距離を駆け抜け、『ナーガ2』ことシャルル・マルテル級戦艦『ペパン・ル・ブレフ』の左舷側27㎝単装副砲を真正面から捉えたのだ。

 重量386㎏の砲弾は単装副砲を構成する装甲版を易々と食い破り、遅動信管を作動させた。途端、膨れ上がった爆圧は砲塔内に収められていた砲弾や装薬を誘爆させ、数百トンに上る砲塔を火柱の先端に乗せて天高く吹き上げた。赤熱した砲身が拉げながら十数m吹き飛び、飛沫を上げ乍ら海中へと沈んでいく。四方八方に飛び散った鋼材の欠片は、白煙と赤い軌跡を描き、林立した至近弾の水柱に飲まれていった。


「命中!命中です!」

「『ナーガ2』に命中弾1!次いで、火柱を確認!――――――続いて命中弾2!こちらは『サー・アグラヴェイン』の砲弾!目標左舷に火災発生!」


 砲術長の弾んだ声と見張りの絶叫染みた報告が伝わった瞬間、艦内各所で歓声が上がる。第22戦艦隊は、ここまでの不運を吹き払うかのように相次いで命中弾を得たのだ。


 双眼鏡を向ければ、シャルル・マルテル級らしき戦艦級海神の甲板からどす黒い煙が後方へ向けて靡いているのが見える。速度は落ちておらず、黒煙を吹き飛ばして発砲の光が見える以上、戦闘能力はまだ残っている。だが、あの分では相当の損傷を被っているのは間違いないだろう。

 このまま主砲と中間砲の集中砲火を加えてやれば、あと幾ばくも持つまい。目標を沈黙させた後は、更に近づいてきた『ナーガ3』以下の艦に照準を合わせるか、あるいは。

 そこまで思案したパッカーだったが、ふとあることに気が付く。


「おかしい」

「どうしました?副長」


 歓喜の余韻が残る後部指揮所の主を務める青年士官が、その端正な顔を引きつらせたことに気が付いた船精霊が怪訝そうな顔で見上げる。彼は船精霊の疑問に答えず、もう一度双眼鏡を覗き、己の疑念が確信に変わりつつあることを悟り、背筋を震わせた。


「何故だ?何故」


 喘ぐようなパッカーの言葉を掻き消すように、2基4門の12インチ砲と3基6門の10インチ砲が紅蓮の業火をへ吹き延ばす。砲口から噴き出した圧力が鉛色の海面を歪ませ、同心円状の飛沫が弾ける。

 直後、後部艦橋のパッカーを除く全員が弾かれたように左舷側を見る。コンマ1秒ごとに大きくなっていく、地鳴りのような轟音。速度超過の急行列車が突っ込んでくるかのような威圧感を孕んだ音の壁を、ほぼ全員が感じ取った時だった。


 赤熱した火の玉が3つ見えたかと思うと左舷側の窓が真っ赤に染まり、3回の衝撃音が連続して木霊する。鋼鉄が抉られる重低音と鋼板が吹き飛ぶ高温、膨れ上がった熱波を感じる間もなく、巨神に力任せに蹴飛ばされたかの如き激烈な衝撃が多くの乗員を力任せに突き飛ばし、壁や床へと叩き伏せた。


『サー・ベディヴィエール』が上げる鋼鉄の絶叫。それこそ、【海神帝の報復】以来の大規模海戦の開幕を告げる、鉄火によって彩られた轟砲だった。



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