Extra Chart:立見席の傍観者
雲一つなく群青色を呈する空の下で、数日続いた悪天候の名残か未だに母なる海は黒いウネリを身にまとい続けていた。西の空に傾いた月の光を鈍く反射させる様は、薄いシートの下を無数の蛇がのたくっているかのような不気味な印象を与える。
しかし、そんな海を見下ろす一対の瑠璃には、畏れどころか能天気とすら言える眠気が渦巻いていた。
「ふわぁぁ……あぁ。うーん、雲量は1、東の風、秒速5m。天気晴朗なれどウネリありってところかな?」
気の抜けるような欠伸とともに背伸びをした女性――ミラは、ついでに空模様と海況を読み取った。海風に青黒い髪が靡き、均整の取れた肢体に淡い色の軍服が張り付き体のラインを浮かび上がらせるが、その光景は特大の違和感を見る者に覚えさせた。
その理由の最たるものは、彼女が佇む場所だ。
背伸びをしたり、軽く上体を捻る美女がいるのは、海抜10m程度にぽっかりと浮かぶバルコニーの様な空間。縦横5m程度のそれは、あたかもこの空間に無理やり金属製の箱を絵筆で書き加えたかのような、観測者にシュルレアリスムを想起させる不条理さを帯びていた。
一通り体を解した後、手摺――と呼ぶべき境界線――の方へと歩みより紫紺と呼ぶには少々暗すぎる空を見上げた。瞬間、風を叩く音が聞こえたかと思うと、1頭の黒い龍がミラの直ぐ傍の手摺へと着地し羽を休める。
予定外の訪問者に特に驚く様子もなく、聖母の様な微笑を浮かべながら優しく喉を撫でるミラを、金色の瞳が不思議そうに見上げていた。
野生動物に手を、それも急所である喉に触れようとすればタダでは済まないのが常識ではあるが、どういうわけか黒き龍は大人しく彼女の愛撫を受け入れていた。
「やあ、おはよう。早起きをした君には耳寄りな話をして上げようか」
大人しくなでられていた龍に顔を近づけ何事かを呟いたかと思うと、一頭の龍は夜空を切り取ったかのような翼を広げ、手摺を蹴って空へと昇って行った。ミラの頭上で数度の旋回を続けた龍は、白み始めた空を背に紫紺の空へと消えていく。
竜が飛び去った空をミラの双眸は見つめていたが、その視線はさらに高い空の彼方へと向けられているように見えた。
「さて、君の望み通り、
虚空に向けて呟いているが、それは独り言などでは無い。確実に存在する相手へ向けての、明確な意思の伝達だった。事実、ミラは何かの返事を聞いているかのように、一時その口を閉ざし、しばし無言で空を見つめる。
「ボクかい?ボクはボクだ。面白ければ、それでいい。ボク自身の
一息に言い切り、指を鳴らす。とたん、彼女の佇むバルコニーはその存在を世界から拒絶されたかのように、奥から順に常識的な光景へと塗りつぶされ始める。その光景は、空間から飛び出した
「それが、ボクたち――――――なのだから」
ミラの言葉の一部が突風にさらわれると同時、彼女も、彼女が立っていたバルコニーも白昼夢の様に消え失せた。
後に残ったのはウネリの残る海面と、赤が混ざりつつある暗い空だけだった。
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