67th Chart:死線海域



 ――目標艦、カルデラ内部にて着底、擱座。浸水音らしき反応を探知

 ――貴艦は現位置を保持。聴音に努めよ、残りは我を中心とし、間隔150の単横陣と為せ


 了解。と無機質な返答とともに、眼下の狼を包囲下に置いていた残る4隻の猟犬達が、白波を蹴立てながら一斉に回頭を始めた。

 どの艦の後部背甲にも、既に次の――おそらくは最後の――爆雷がセットされ、敵艦を蹴り飛ばす時を今や遅しと待ち望んでいるかのようだった。

 最後の攻撃を仕掛けるため、自分の両側へと並ぶように淀みなく機動する僚艦を視界に入れつつ、意識の半分をこれから物量による制圧を行うと決めた海域へと向ける。

 千切れ雲の隙間から覗く鉛の様な海面に一か所、暗夜を切り取って浮かべたかのような、場違いなほどに暗い部分を確認することができた。

 前後左右から打ち寄せる白波に揉まれつつも四散することなく、不気味さすら感じるほどの存在感を放ちながら、染みが広がるようにその範囲を広げ続けている。

 光学的な観測でしか判断材料は無いが、敵艦から漏れ出た燃料で間違いない。恐らく、先ほどの爆雷か着底した際に燃料槽を損傷したのだろう。

 こうなってしまえば、どれほど息を潜めたところで関係ない。この油膜自体が、直下に自身が潜んでいることを声を大にして暴露していることに等しいのだから。

 窓のない潜水艦において、潜航中に燃料が漏れていることを知る術は限られているし。仮に知ったところで、外部構造材に空いた穴を艦内から修復する術を潜水艦は持たない。


 ――全艦、配置完了。攻撃準備完成

 ――艦隊針路、方位2-1-2。速力5kt。合図があり次第、調停深度190m、170m、パターンCで全弾連続投射せよ。


 両舷に突き出した鰭に力を籠め、海水を後方に押しやれば、胸部で弾き飛ばされた海が白波となって幅の広い航跡を形作る。横一列に並んだ5隻の護衛級海神が織りなす航跡波は、美しい幾何学模様となって戦場を彩っていく。


 ――敵艦に動き在り、ブロー音探知。速力ゼロ、ないし極めて微速。水深195m、浮上中。

 ――攻撃針路に変更なし。全艦、我に続け。聴音艦は対爆雷防御態勢に移行。


 眼下の敵が最後の抵抗を試みているようだが、間もなく全ては無駄となるだろう。

 背部に備えられた2基の爆雷投下軌条と片舷4基、合計8基にも及ぶ3発まで連続発射可能な対潜爆雷投射機。これらの即応弾全てを叩きこむパターンCでの攻撃では、5隻合わせて340発もの爆雷を一斉に投射する。

 爆雷の消費が激しい上、攻撃後しばらくは音響探知が不可能になる奥の手ではあるが、完全に位置が露見し死に体の敵を葬り去るには現状尤も確実な手だった。


 ――攻撃まで3、2、1、始め


 攻撃開始を告げる司令とともに、居並んだ猟犬達が最後の演目へと取り掛かる。

 艦尾に並んだ爆雷が一つ一つ数える様に白波の中に消えていき、小規模な炸裂音とともに打ち出された爆雷は月明かりを鈍く反射しながら僅かばかりの空中散歩を楽しんだのち、飛沫を上げて海中へと消えていく。整然と並びつつ爆雷を解き放っていく姿は、戦闘中だというのに何処か種まきの様な牧歌的な雰囲気を感じさせた。


 ――まもなく初弾炸裂。……今


 海に蒔かれた潜水艦にとっての災厄の種が、破壊と言うの名の開花に要した時間は凡そ1分と3秒。海に沈んだカルデラに手が届きそうなほどの深度に達した種は、信管を作動させると刹那の華を海中に咲かせ、同時に衝撃波の花弁を惜しげもなく開放する。

 整然と描かれた航跡が、数百トンの海水とともに次々に上空へと吹き飛ばされた。無数の飛沫が形作る天を貫く純白の柱は、海上に突如ギリシャ様式の神殿が出現したかのようなある種の荘厳さを伴っている。

 次々と林立し、一瞬の間をおいて重力に引かれ崩れ去る柱の中に、汚れの様な染みも垣間見える。恐らく海底近くで炸裂したことにより、堆積物も共に巻き上げた結果だろう。

 ひょっとすると、外輪山の一部が崩壊しているのかもしれない。加害半径10mに及ぶ爆雷の絨毯爆撃は、海中を阿鼻叫喚の地獄へと変貌させる力を十分に持っていた。



 永遠に思えるほど長く続いた爆雷の炸裂はまもなく、始まった時とは異なり乱立した瀑布の崩落と言う騒々しい終幕を迎えていた。最後の炸裂音の後には、第2楽章を始めるかの如く雪崩を打って崩壊する柱の轟音が続き、最後の柱が海に飲み込まれてようやく海鳴りの音が戻り始める。


 ――全艦、右16点回頭。前進最微速、海表面警戒厳と為せ


 攻撃海域を行き過ぎた海神達がくるりと向きを180度変え、注意深く攻撃による気泡が残る淡青色の海面へと櫂を進めていく。既に聴音器官を保護する甲殻は開かれ、無数の泡が乱舞する海中へと意識を集中する。

 一方、長大な首の先端では、高性能の光学観測器官がせわしなく海上を探査し、一片の痕跡すら見逃すまいとレンズを皿の様にして、泡立つ水面を見つめている。


 ――報告。正面、1時方向、距離200に油膜発見、徐々に広がる


 旗艦自分の隣を航行する僚艦からの報告を受け頭部をそちらへと向ける。確かに、白く濁った海面に墨汁をひっくり返したような黒い染みが急速に広がりつつある。その位置は最後に敵潜を捕捉した位置から若干ズレてはいるが、許容範囲内だ。

 試しに聴音器官をそちらの方角へと集中させてみるが、特に気泡が酷くまともな観測はできない。

 しかし、油膜が広がる速度は非常に早く、海中から夥しい量の油が放出されたことを暗示させていた。


 ――意見具申。敵潜は撃沈と認む。本隊との合流を推奨す


 先ほど油膜を発見した僚艦とは逆の位置についている海神が自分の方へと頭部を向け、急かすような通信を飛ばしてきた。確かに、それなりに長い間攻撃を続け、本隊との距離も随分と開いてしまった。

 ただでさえ少ない護衛艦の内、6隻もの艦が手練れとはいえたった1隻の敵に執着するのは合理的ではない。彼の僚艦の言ももっともであり、旗艦の演算領域もその解に是と言う結果を出力している。

 しかし、本当にそれでよいのだろうか?

 降ってわいた様な、バグに等しい思考が突如演算結果をかき乱した。この感覚は以前にも味わったことがある。


 数か月前、自分がまだ一回り小さかったころ、嵐の中で4隻の敵艦との遭遇戦闘に敗北し、命からがら撤退した時のことだ。

 幸いにも撤退を決断した時点では、4隻の敵の内2隻は大波に飲まれ、もう1隻は砲撃により大破。嵐の中で寒気がするほど正確無比な雷撃により僚艦を轟沈させ、自分にも手酷い傷を負わせた艦も、大波を真正面から受けて戦闘能力を失っていた。双方ともに被害甚大であり、3系統ある演算領域は全会一致で全力での撤退を決定し自らもそれに従ったはずだ。

 だというのに、あの時の己は何かに突き動かされるように稼働する砲塔を操作し、もはや息も絶え絶えとなった敵へと砲火を向けた。


 この敵は、此処で殺す必要が在る。


 そんな思いに突き動かされて発砲していることを自覚した瞬間、十数発目の砲弾は件の敵艦を命脈を断ち切っていた。業火に包まれ、瞬く間に波間に没していく敵の姿を見て、自分の不可解な動作に呆然としつつも、安堵とも言うべき感情が出力されたのだ。


 本来、それは自分たちには必要のないモノ。そればかりか備わっているはずのない機能だ。


 だが、現実はどうだろうか。考え直してみれば《大命》により不必要とされた海神の全てが、その”必要のない機能”をもつ艦が大半を占めている。また《大命》によって不必要の烙印を押されなかったモノの中で、この葬列に加わった艦も――自分を含め――大なり小なり”必要のない機能”を持っていた。


 これは、単なる偶然だろうか?


 ――再度具申す。もはやこの場に留まる必要性は有らず。決断せよ


 何処か苛立ちを含んだ――これもまた、不必要なモノだ――言葉に我に返った直後、ほとんど惰性で張り巡らせていた聴音器官が異音を捕捉する。本当に僅かな、金属同士が衝突した時に生じる、甲高い音。思考を切り替え、即座に警報を全艦へと発した。


 ――全艦、聴音器官、感度最大。探針音を打つ


 聴音器官を震わせ、海中に音の手を伸ばす。

 1回、2回、3回と短く鋭い探針音を解き放っていくが、結果は芳しくない。放たれた音が周囲に残る泡のカーテンによって乱反射してしまい、効力を著しく減じられているせいもあるだろう。

 角度や方向を変えて撃ち続けるが、返ってくるのは霞でも触っているかのような空虚な感触のみ。気のせいノイズかと結論付けようとした直後、前方に出現していた泡のカーテンが僅かな隙間を空け、運よくそこに滑り込んだ音の掌が海面下10mに潜む何かに触れた。

 そこに居るはずのない、ささくれ立った鉄塊。300発以上に上る爆雷を浴びせかけ、もはや沈んだと大半の神が判断した手練れの狼。海上に広がった油膜の直下に、見逃してはならない敵がジッと息を潜めていた。


 ――敵艦探知。一時方向、距離500。相対速度ゼロ

 ――同地点で注水音、及び推進機音確認。速度凡そ2kt、離脱中


 僚艦からの矢継ぎ早の報告の直後、目の前に広がり続けている油膜の向こう側、泡のカーテンの先に水を引き裂く音が混じり始めた。無数の鰭を無様に羽ばたかせているかのような、忙しない推進音。小さきモノ共が操る紛い物の鰭の音だ。

 その音は自分たちから離れる方角へ、ヨタヨタと移動し続けている。また推進音の他にも、金属同士がこすれ合うすすり泣きの様な音、隙間から噴出する激流の音、溺者が零す断末魔の様な阿波の音、小さきモノ共の怒り狂ったような鳴き声が入り混じっていた。

 あと一歩のところで、不用意な音を立ててしまった狼の末路だ。もはやここまでくれば、彼らは優秀な捕食者プレデターではなく。狩人によって駆逐される、程よくスリリングな的にすぎない。


 ――全艦、聴音器官、感度最大。探針音を打つ


 再び、探針音を発射。急速潜航の為に吐き出したメインタンクの空気のせいか、未だ残る爆雷の泡のせいか、酷くノイズ塗れの諸元しか得られない。しかし、重油の海の向こう側を深淵へと這いずっていく海狼へ止めを刺すには、十分なデータだった。


 ――敵艦探知、方位0-3-1、速力2kt、深度30m、沈降中

 ――全艦聴音器官格納。陣形このまま、前進。敵艦に止めを刺す。散布パターンA、弾数各5発。調停深度50m


 陣形を整え最後となる爆雷を用意しつつ、5隻の狩人が敵の流した重油を体に纏わりつかせながら、黒く染まった海を渡っていく。

 恐らく敵は、爆雷の着弾に合わせて重油を放出し緊急浮上を掛けたのだろう。爆雷の衝撃の多くは上部に集中するとはいえ、加害範囲にも限度がある。その加害範囲の外まで浮上してしまえば、損傷は受けても致命傷にはなりえない。

 海上に広がった重油の海と大量の気泡は、自分たちが敵を沈めたと誤認するには十分すぎる証拠だ。酒瓶や本など無数の雑貨が浮かんでいるのを見るに、空いている魚雷発射管にそれらを詰めて、偽装の足しにしたに違いない。

 そうして、自らの死を演出しつつ。自分は重油の膜の下で息をひそめ、海神が去るのを待って浮上する魂胆だったと見える。

 残念ながら、敵は最後の最後で音を立てるという対潜戦において最大のミスを犯した。その代償は大きく、重い。


【はたして、本当にそうだろうか?】


 再び、声なき声が結果を出力した演算領域に浮上し、思考にノイズを混ぜていく。3系統ある演算領域を光速で巡る信号が、粘着いたかのような錯覚に陥った。


【ここまで自分たちを翻弄した敵が、こうも間抜けなミスをするだろうか?】


 自己診断開始、思考領域を限定。自律思考系統の内50%を一時的に凍結。


【敵は我々の裏をかいているのではないか?】


 自律思考系統を80%凍結。駆動系統による代替航行開始。――黙れ。


【大きなミスを犯しているのは自分では無いだろうか?】


 自律思考系統、一時凍結。攻撃地点到達、投下開始。――――黙れ。


【我々はそもそも、なぜ彼らを敵と定めたのだろうか?】



 黙れ!



 傾いた月が浮かぶ空に、純白の柱が次々と吹き上がっていく。爆発の余波が艦体表面を撫で、水中衝撃波がビリビリと鰭を振動させる。

 己の思考に走り抜けたノイズを振り払うかのように、思考回路を一時的に閉鎖し、事前に入力した命令を実行する機械へと一旦自己を落とし込む。一つ、また一つと爆雷が花開いていき、先ほどと同じように騒々しい交響曲は瀑布の崩壊をもって終焉を迎える。




 ――爆雷の炸裂によりソナー効力低下中なれど、圧壊音らしき音を探知。撃沈確実と認む



 聴音役の最終報告を受け取った6隻の狩人は、主力と合流するために一斉に回頭し単縦陣を為した。後に残るのは夥しいまでの重油の膜と、まだ気泡が残る海面だけだった。











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