66th Chart:海色の棺


『U-109』が解き放った4本の魚雷。狭苦しい発射管から解き放たれ、海中を疾駆した鈍色の銛は、まず第1目標アントンに喰らいついた。


 時折水銀の様にぬらりと光る水面の下。狙われた獲物アントンが薄暗がりと闇の間を走り抜ける白き槍を発見したのは、直撃の僅かに20秒前。僚艦の警告に従って周辺を警戒した成果ではあるが、相対速度が50ktを超える魚雷の針路からその巨体を逸らすにはもはや手立てがなかった。


 巨大な鰭を波打たせ、海水をかき乱そうと藻掻く海神をあざ笑うかのように。わずかに開きながら迫るった2本の銛は、まず1発目が左舷最前部の鰭の前縁へと着弾。海流に押し流されて沈降して鰭の真下に流れたかと思うと、弾頭の280㎏の高性能炸薬を炸裂させた。

 その化学エネルギーが物理学に基づき熱と衝撃波に変換され、生じた破壊の奔流が鰭の先端から3分の2ほどを、跡形もなく吹き飛ばした。海上に紅蓮混じりの水柱が吹き上がり、飛沫とともに生体金属の細かな破片が四散する。

海神の絶叫と、引き裂かれ捻じ切られた金属の甲高い音が過ぎ去った後には、流麗且つ壮大な巨大推進器官はそこには無く。複雑骨折を起こしながらも辛うじて残った鰭の基部は、もはや焼け焦げた団扇も同然であった。さらに、4対ある鰭の内左舷側最前部の1枚が失われた結果、第1目標の船足は僅かながらも失われる結果となった。

 次の1発はこの銛を解き放った下手人の想定通り、胸部に位置する採餌器官へと突入したが、幸運にも――下手人にとっては不運にも――狙われた海神自身がとっさの判断で整流板を傾けたのが功を奏した。

 ドスンと鈍い音を響かせ開口部に設けられた整流板の前縁へと激突した魚雷は、スクリューを停止させ、起爆せずにそのまま器官内へと転がって行ってしまった。

 殆ど偶然に近い現象だったが、比較的信頼性の高い接触式の信管でも、衝突の角度が浅すぎては効力を発揮しない事もあるという好例だった。


 対照的に、第2目標ブルーノは『U-109』によって完全敗北を期したと表現できるだろう。

 警報を受け取ってから海面に対する警戒を始めるのは第1目標アントンよりも若干早いほどであり、こちらに攻撃を仕掛けてくる敵が自分の右舷前方に居るものだと看破し、魚雷回避のセオリー通り予めそちらに艦首を向けようとした。


それが、運の尽きだった。


 基本的に、魚雷の進行方向に対して平行に航行すれば被弾面積を最小に出来るという考え方は間違っていない。問題は『U-109』の舵輪を握る者が、ブルーノが取る操艦を見越し、本来の角度からやや浅く――右側を対向していく敵の艦尾側へ向けて――魚雷を放出したことにある。

 第2目標がようやく魚雷を発見したのは衝突の10秒前。右舷前方から目と鼻の先に迫った2本の槍に対し、守るべき採餌器官急所は必滅の銛を迎え入れるかのように右への回頭を続けていた。事ここに至って、この哀れな海神敗者に出来ることと言えば、己の不運を嘆きながら自分の体内へと突入していく魚雷の姿を睨みつけることだけだった。



 刹那、閃光が月明かりを呑み込み、荘厳なまでの静謐さを保っていた海面を轟音とともに薙ぎ払う。



 採餌器官に突入した魚雷が海神の中枢炉の真下で炸裂。

 合計560㎏の高性能炸薬が、絢爛たる剣の如く神を刺し、抉り、貫いた。

 想定外のエネルギーを撃ち込まれた中枢炉は崩壊と更に巨大な爆発を引き起こし、破壊の本流は体中に巡らされた循環器系を通じて全艦へと波及していく。

 中枢炉に送り込まれることを待っていた海油が貯蔵器に雪崩れ込んだ爆発によって発火、爆燃を始め、表皮装甲を火炎の拳で吹き飛ばして艦体のあちこちから外部へと噴出し、海を赤く染める。

 5基備えられた主砲塔の直下には、敵に向けて打ち込むはずの砲弾と爆発性の老廃物が貯蔵されていたが、配管から迸った炎神の手が一撫でするだけで、思い出したかのように自らに定められた運命に従った。

 耳を聾する爆音が響き渡ったかと思うと、5基の長大な連装砲塔が幼子に蹴り飛ばされた菓子箱の様に宙を舞い、弾き飛ばされた10本がねずみ花火の様に回転しつつ弧を描き、火炎の帯が赤黒く焼けただれた残骸の軌跡を夜空に残していく。爆発を繰り返しながら四方八方に赤き流星を広げていく様は、数百発の花火を艦上で炸裂されたかのようだった。

 腹どころか全身を揺さぶる轟音の中、弱弱しい汽笛にも似た音が微かに聞こえて来た。それは既に命運を断ち切られた海神の今際の際の遺言であり、我をこのような目に合わせた下手人を、必ず屠れという怨嗟の声であった。







「この轟音。どうやら、ブルーノの方は2発ともまともに食らったようですね」

「中枢炉の直下付近で魚雷2本分のアッパーカット。いくら新型の大型戦艦でも、轟沈は確実でしょうや。ですが」

「沈めた獲物の道案内は御免だな」


「違いない」とひきつった笑みを浮かべた先任と次席の顔を確認した瞬間、それまで不格好なBGMの様に鳴り響いていた海上からの探針音ピンガーがピタリとやみ、続いて聴音手からの切羽詰まった声が発令所に響いた。


爆雷着水!Wasserbombe !

「両舷前進一杯!面舵一杯!」


 間髪入れずヴェディゲンの指令が飛ぶと、『U-109』に備えられた2基の電動機は其れ迄の貞淑さをかなぐり捨て、傲然と電力を貪りスクリュープロペラを回転させた。

 艦首を暗黒の深海へ向けて12度傾けつつ、深度40mの海中をひた走っていた『U-109』の艦尾が、グイと左に揺らぐように突き出される。

 急転舵による負荷が艦体に不気味な悲鳴を上げさせた直後、頭上を通り抜けざまに放り投げられた十数発の爆雷が一定間隔を置いて順に炸裂し、爆圧の連打を小癪な鋼鉄の狼に叩き込んでいった。

 まるで巨人に蹴飛ばされたかのような衝撃が、1000トンにも満たない『U-109』を強かに打ち据えた。

 天井や配管に浮いた錆や剥がれかけた塗料が一斉に剥離し、乗員へと降り注ぐ。赤黒い夜間照明が明滅し、ランプがちぎれそうなほどに揺れ、数人が床や壁に悲鳴とともに叩き付けられた。

 幸いにもまだ距離があったためか、艦内の損害は数か所の漏水程度でありまだまだ軽微と言える。しかし、あまり状況は芳しくなかった。


「舵戻せ、両舷微速前進。――14秒か、悪くない腕だな」

「感心している場合ですか、艦長」

「敵を下に見て碌なことになった試しがあるか?先任」


 ストップウォッチをリセットしつつ、呆れた様な視線を向ける先任に肩を竦めて見せる。

 海神等の対潜爆雷の沈航速度は凡そ毎秒3m。最初の爆雷の投下から最初の炸裂迄の時間を計れば、敵の爆雷の信管が何mにセットされているのかを知ることができた。この場合だと、誤差もあるが40m強と言ったところだろう。

 対して『U-109』の現在深度はようやく40mに達しようかと言う所。爆雷の炸裂による爆圧は、下部よりも水圧の低い上部方向へ集中する傾向があることを考えれば、敵の深度調定は的確の一言に尽きた。


「次の敵近づく。艦首方位左20度、感4。いえ、感5。爆雷、来ます!」

「両舷前進一杯!面舵30度!」

「爆雷着水音多数!、広範囲です!」

「野郎、投下軌条だけでなく爆雷投射機まで持ってやがったか」


 思わず天井に向けて悪態をついたリュートをあざ笑うかの如く、投下された12発の爆雷は『U-109』を頭上から叩き付けるかのように相次いで炸裂した。

 轟音と絶叫が艦内を走り抜け、相次ぐ暴力に耐えきれなくなった配管の継ぎ目から圧縮された海水が絹糸の様に迸り始めた。ウエスや番線、角材を手にした補修班が無我夢中で取り付き、深淵へと引きずり込もうとする死神の指を剥がしにかかる。


「発令所漏水!」

「後部下士官室漏水!」

「前部魚雷発射管室下部浸水!」

「後部トリムタンクに300移せ!浮力タンクブロー!」


 噴き出す海水を反射的に手で押さえようとした水兵が突き飛ばされ、代わりに割って入った下士官が直ぐ近くにあったバルブを渾身の力をもって締め付ける。発射管室の床は力任せに引きはがされ、その下に溜まった汚水ビルジを電動ポンプの力を使って吸い上げていく。また艦首部に設けられた浮力タンクの海水が放出され、艦に極端な俯角に至ることを防ぐ。

 此処まで完璧にこなしたとしても、無数の爆雷攻撃を受ける潜水艦に予断は許されない。

 傷つきつつある海狼の耐圧殻に対し、複数の方向から来る探針音が執拗なほどにまとまりつき続けていた。












 ガラリ、ガラリ。と一定のテンポを保ちつつ己の後部から円筒形の対潜爆雷が海面へ向かって転がり落ちていく。後部背甲上に設けられた簡素な射出器官に力を籠めれば、主砲の射撃とは比べ物にならぬほどの軽い振動とともに、先端にセットされた爆雷が弧を描いて両舷80m程度の位置へと墜落し控えめな飛沫を噴き上げた。

 自分たちの警戒線に穴があったとは思わないが、現実は敵に艦隊の懐へと潜り込まれ、まんまと雷撃を許してしまった。今でも、目と鼻の先で松明の様に燃え盛っている賓客の姿を目にすることができる。

 背甲に備えられた補助脳のみならず、厳重な装甲板に防護された主脳へも遂に火が回ったのか、つい先ほどまでがなり立てていた怨嗟の声は、もはや意味を持たない音声の羅列へとなり果ててしまっている。あの分では、完全な機能停止に至るまでそう時間もかかるまい。


 ――第3波投射完了、僚艦は炸裂音に注意。炸裂まで3,2,


 耳をそばだてていた僚艦に向けた、爆発警告のカウントダウンがゼロを刻んだ瞬間、自分の後方の海が、くぐもった音とともに泡立ち、隆起し、爆音とともに爆雷投下時とは比べ物にならない巨大な飛沫を次々を噴き上げていく。

 投下軌条から12発、投射機から8発。合計20発の連鎖爆発は、自分の通った道に月まで届かんばかりの白壁を形作る。2隻以上の僚艦からの水中探信儀による諸元を元に、三角測量の要領ではじき出した位置と深度と方位のデータだ。そこまで大きな狂いは無いと判断できる。


 ――効果は?

 ――炸裂によりソナー効力低下。現時点で艦体破壊音、圧壊音いずれも確認できず

 ――ソナー効力低下により目標失探ロスト。最終目標針路、方位2-3-2、速力5kt


 しぶとい奴だ。と次の爆雷を用意しつつ、人類側からはF級駆逐艦と呼ばれている護衛級海神は、内心で呆れとも感嘆ともとれる感情を出力させた。

 これが、最初から最後まで全力航行したり、頑なに無音潜航を続ける敵ならば楽な仕事なのだが、自分たちが対峙している敵はそうではないらしい。

 敵はこちらが爆雷を投下するギリギリまで無音潜航で粘り、攻撃を行った瞬間に全力航行に切り替え紙一重で攻撃を躱し続けている。爆雷の炸裂による大音響から耳を守るため、また、炸裂からしばらくは大量に発生した気泡によって海中の音を拾いづらくなるため、攻撃の直後は敵を失探しやすい。そこを的確について、実にいやらしい時間だけ全力で逃げの一手を打ってくる。

 もし自分一艦だけならば、早晩取り逃がしていたことは想像に難くない。とはいえ、自分たちの懐に潜り込むだけの勇者ならば、この練度も頷ける。

 爆雷は僚艦のモノを含めるとまだまだたっぷりあるが、いつまでもこんなところで道草を食っているわけにはいかない。空前の大艦隊であるとはいえ、護衛の数は主力に対して十分ではないのだ。可及的速やかに敵を始末しなければ。

 至極当然な結論とともに、知らずと浮かんできた感情は自分でも驚くほど嗜虐に満ちた代物だった。


 しかし、それもいつまで持つかな?


 周囲を見渡せば、サーチライトを盛んに振り回し、聴音の邪魔にならぬよう最低限の推力で航行する5隻の僚艦。4隻が常に捜索役ハンターとして耳を澄ませ、2隻が攻撃役キラーとして誘導に従い爆雷を投射する。

 海神の群れとしては異例中の異例ともいえる大艦隊が形成され、そこに獲物が飛び込んだ結果、潜水艦にとっては悪夢に等しいハンター・キラー戦術が半ば自然発生的に成立してしまう。

 その事実は、6隻の猟犬に追い立てられる海狼が、苦しい戦いを強いられることを意味していた。







「配電盤の復旧まだか!?手元が見えんぞ!?」

「それよりも電動ポンプが動かんとビルジを排水できん!」

「クソッ、こいつはダメだな。15番電池は放棄する!」

「245m――――212m――――320m―――海底谷に出ました!ええと、場所は」

「ウエスは?ウエスはどこだ?!」

「角材持ってこい!これっぽっちじゃ足りんぞ!」

「艦深度100m突破!安全深度まであと20m!」


 爆雷攻撃が始まってからと言うモノ、状況は『U-109』にとって不愉快な方向へと転がり続けている。

 最初こそ、ヴェディゲンの操艦により大多数の爆雷を躱せてはきたが、猟犬が1頭、2頭と増えるごとに、爆雷攻撃の精度は加速度的に上昇し続けていた。

 海狼と呼ばれる艦長でも、6隻にも及ぶ猟犬の集中砲火を受けてしまえば堪ったものではない。むしろこれほどの激烈な攻撃を受けて、未だに致命傷を避け続けているのは驚嘆に値した。並の艦長であるならば、10回は海の藻屑と消えている事だろう。


「艦深度200、舵そのまま。艦底下水深は定期的に報告せよ。そろそろ、ベイドン・カルデラだ。最浅部は水深120m、変化を見逃すな」

「ヤ、了解ヤヴォール!現在水深340m――334m――」


『U-109』に搭載されている測深儀は当然の様に音による測深を行うため、こういった場面では安易な使用は自殺行為だ。だが、爆雷回避に夢中になって海底カルデラに激突していては間抜けに過ぎる。


「きゅ、急速に上がります114m――51m――41m!」

「チッ、間の悪い。艦水平となせ!後部トリムへ200移水!」


 舌打ちとともに海図を睨みつけ、艦の位置を割り出していく。ティンタジェル海山列に属する海底火山であるベイドン・カルデラは、外輪山の直径が10㎞程度あるがここまで急速な変化を起こす外郭の斜面は幸運にも一か所のみ。艦の位置が或る程度正確に解れば、わざわざ音を立てる必要はない。

 クロノメーターによって艦と接続することで得られる速力と方位、深度の変化、艦体を包む海流の微かな流れ。その他幾らかの情報をかき集めれば、慣性航法目隠しで海底谷を踏破する程度の自信があった。

 とはいえ、海図を妄信するのは愚の骨頂ではあるが。


「後部へ200移します!」

「艦首上げ舵15!艦尾下げ15!」


『U-109』が緩慢な動作で艦首を上げようとするが、僅かに遅かった。

 ズシン、と艦前方から衝撃が艦尾へと貫き、1000トンの艦体が海底カルデラの外輪山に跳ね返され、身の毛もよだつような金属の不協和音とともにバウンドする。さらに悪いことに、左舷側を何かが擦っていくような音が3秒間響いたかと思えば、艦全体が徐々にではあるが左へと傾き始めた。


「左舷側が岩礁に接触!艦傾斜左4度!まだ傾きます!」

「右舷メインタンク注水!釣り合い保て!測深!」

「艦底下まで1m以下!沈降惰力消えません!着底します!」


 とっさの判断で右舷のメインタンクにさらに海水がなだれ込み『U-109』は水平へと戻りつつはあった。しかし、それだけの海水を呑み込むと言う事は艦が沈もうとする力が増すことを意味し、この場合は座礁染みた着底を意味していた。


「両舷停止!総員耐衝撃姿勢!」


 ヴェディゲンの絶叫が終わるか終わらないかの内に、微かに仰角を取った『U-109』は海底カルデラの縁に堆積した土砂を巻き上げながら滑り込んだ。

しかし、速力は簡単には落ちない。大小の岩石や有機物の破片が艦底を擦っていく音が、数百の悪魔が耐圧殻を引掻いているように響き続けている。

乗員たちにとっては数十倍に引き延ばされた時間、海底を滑った『U-109』は外輪山を乗り超え、カルデラ内壁の中央付近の高さまで滑り落ちていきようやく停止する。

 艦首方向に15度は傾き、深度は安全深度を超える196m。それでも、破滅的な破壊を免れた『U-109』に、乗員の多くが安堵の溜息を吐いた直後だった。

 泣きっ面に蜂、と言う諺の意味を誰もが強制的に実感することになる報告が水測室よりもたらされる。


「艦長!右舷90度方向に全敵護衛艦が集結しています!単横陣にて接近を開始!感3から4に上がります!これは――」

「差し詰め絨毯爆撃ってことか。――――俺らそんなに悪いことしたか?」


 水測長の報告の続きを、水の迸る天井を睨みつけるリュートが諧謔身を込めて絞り出す。着底し、直ぐには身動きの取れない『U-109』に今にもとびかかろうとしている6隻の猟犬。再び艦体を叩き始めたアクティブ・ソナーの音が、背後に迫る死神の吐息の如く響き始めた。








「5番用意、【歌姫ローレライ】を壇上に上げるぞ」






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