41th Chart:突撃針路2-2-0

 蒼空を切り裂き大気をねじ切りながら飛来した4発の砲弾は、『綾風』の艦上に刹那の影を落とし遥かな後方へと突き刺さった。100㎏を優に超える砲弾の弾着は盛大な水柱を噴き上げ、後部艦橋に詰めていた見張り員は双眼鏡を覗きこむ顔に引きつった笑みを浮かべつつ、独り言のような感嘆を零す。


「初弾は後方に大外れ、奴さんこっちの速度を侮ったようですね」

「『綾風』の行き脚の速さはモーターボート並みだからな。第四戦速の27ktまで20秒とかかってない。ガスタービンさまさまだ」


 接眼レンズから目を外し、前を見上げれば『綾風』特有の太く巨大な煙突から薄い排煙がたなびく様子を見て取れる。『紅鶴』から続投した自分にとっては、黒板をひっかくようなエンジン音には慣れそうにないが、こうして実戦を前にすればこの艦の優位性がよくわかると言うモノだった。あの欠陥水雷艇とはえらい違いだと自嘲の笑みを噛み殺す。


「ところで、分隊士」

「何か?」

「今回の相手って、1万トンクラスの巡航級ですよね?あいつらの主砲って、『綾風』の主砲並みに射程ってありましたっけ?」


 素朴な部下の疑問に「………あ」と間抜けな声が漏れてしまった。1万トンクラスの巡航級に搭載されている火砲は8 inch20.8 ㎝クラスで、射程は20㎞そこそこ。

 対して現状の彼我の距離は、どう見積もっても25㎞はあった。そこから類推されうる相手は…


「ま、まあ敵が何であろうと我らが狂犬艦長を信じようじゃないか」

「声が震えてますよ分隊士…」








 正面衝突を避けるため、面舵を切って北上しつつ敵艦隊の針路からズレた直後、敵艦隊もわずかに面舵を切り南下を始めた。結果、海神――針路0-9-5――と『綾風』――針路2-7-5――は25㎞離れて反航状態となっている。

 それでは、あまり愉快な結果にはならない。


「艦長、このまま反航戦を続ければ双方決定打を欠くと思われます。やりますか?」

「やらない道理はないだろう?砲雷長。僕らは二水戦で、この艦は現状最高峰の駆逐艦だ。断然突撃あるのみ、粉砕してやる。速度そのまま!取り舵一杯!艦首を敵に向けろ!」

「とぉりかぁじ!いっぱぁぁぁい!」


 海神は『綾風』に命中弾を期待できず、また『綾風』も海神に決定打をあたえられない長距離反航砲戦を続けるのは悪手に過ぎる。この艦の主砲の性能を鑑みれば、速度を生かしたアウトレンジ戦法で一方的に敵を叩くことも不可能ではないが、時間と彼我の距離がそれを許さない。

 有瀬の決断を受けた『綾風』の艦首が蒼海に白いエッジを刻み、駆逐艦にしては大型の艦上構造物を右舷側に傾斜させ、鋭角的な艦首が”敵”を突き刺さんと針路を変える。


「艦載騎より報告!【敵ハ新型海神ト認ム。主砲4基、ケースメイト式オヨビ単装小口径砲多数。各艦3基ヲ照準中。警戒サレタシ】以上です!」

「妙だとは思っていたがやはり新型艦か、どう見る?副長」


 上ずった声の通信手に鷹揚に手を振りつつ、航海艦橋後方の壁にもたれつつジッとこちらを見やる瑠璃エナへと視線を向ける。どこか面白がるような柘榴石有瀬の視線を正面から受け止めた彼女は、「海神は専門外だが」と前置きをしたうえで口を開いた。


「最大射程が25㎞を超えるうえに、着弾時の水柱の大きさも8 inchとは言い難い。最低でも9 inch25.4cm 、もしかすれば10 inch30.5cm はあるかもしれん」


 30.5㎝と言えば、敷島型戦艦の主砲であり海神であれば2万トン近い戦列級と呼ばれるグループが保有する大口径砲だ。間違っても1万トンクラスの巡航級海神が持つような砲ではなく、事実これまでの資料には無かったはずだ。

 しかし、考えを巡らせるのは稀代の造船士官。専門外ではあっても海神は生きた軍艦だ。その性能を類推することは彼女にとって容易かった。


「だが、艦載騎の報告ではサイズは1万トンクラスの巡航級で、電探の反射波もそれを裏付けている。にもかかわらず20ktの高速を発揮しているとするならば、相応の代償は払っているとみていい。今回の場合なら、まあ、防御が手薄とみて間違いないんじゃないのか」

「防御を捨てて、速度と火力にリソースを振った形か。改日進型だな」


 永雫の言葉に、装甲を犠牲に無理やり25.4㎝砲を積んだ改日進型の姿を思い出す。その片割れの一隻は、機関を損傷し後方に向けて退避の真っ最中だが。


「敵、1番艦、第3射発砲!第2射間もなく着弾します!」


 ストップウォッチを握りしめていた船精霊の絶叫が響き、反射的に防弾ガラス越しの海へと視線を向けた。

 蒼海を灰色の艦首が白波を噴き上げながら断ち切り、振り上げられた1番砲塔の砲身が鳴動して、一瞬視界を砲煙が覆う。即座に後方へとちぎれ飛んでいく砲煙の隙間から、水平線上で紅が閃き一瞬遅れて黒煙の華が咲くのが垣間見える。2番艦の発砲炎だろう

 直後、『綾風』の目と鼻の先、右舷側50mに水柱が屹立し、水中で炸裂した砲弾による衝撃波が3400トンの艦体を容赦なく揺さぶる。数人が蹈鞴を踏み、運の悪い見張り員が艦橋のガラスに顔をぶつけて涙目になった。


「右舷側に至近弾!残る三弾は後方200m以遠に着弾!」

「五戦速、取り舵5度」

「第五戦そぉく!とぉーりかぁーじ!」


 航海長として続投したライのヤケクソ気味な復唱とともに、ガスタービンが金切り声を上げ針路を僅かにずらす。20㎞以上離れた現状では、海神の砲では弾着まで20秒以上かかった。『綾風』は確かに駆逐艦としては大型ではあるが、そうやすやすと照準に捉えられるような機動性ではなかった。30ktにまで増速した艦が海面を切り裂く振動は中々ひどいものだったが、これでも同規模の艦よりは圧倒的に動揺が少ない。


「砲雷長、あまりポコジャカ撃たなくていい。主砲は飽く迄こちらが接敵するまでの目くらましだ。それに、どうせ当たったところで巡航級の重要区画バイタルは貫けない」


 火力の無さは小口径砲の泣き所だった。本来は艦隊に接近する水雷艇を追い払うための砲であるため、大型主力艦に対する砲撃は基本的に用途外の使用と言ってよい。

巡航級海神の中枢炉を始めとする重要区画バイタルは距離10㎞から15㎞の範囲において20㎝程度の徹甲弾を防御可能とされている。戦艦の30.5㎝砲に対しては頼りにならない装甲だが、10㎝前後の砲しか持たない駆逐艦にとって貫通弾を出すのは並大抵のことではない。

 また、護衛級と言われる小型海神に至っては至近弾による断片スプリンター防御程度の装甲しかもっていないため。各国の駆逐艦の通常弾は徹甲弾ではなく対艦だった。


「わかってるわよ」とでも言う風に大げさにサキが肩を竦める。永雫エナが『綾風』の副長となったため、席を譲った形だ。なお、元砲雷長であったハクは水雷長を務めていたりする。


「そんなに…私たちの力が…見たいのか?」

「艦橋から叩きだされたくなけりゃ、もうちょっと待て水雷長。素数でも数えて落ち着いてろ」

「一!十!百!千!万じょどわぁっ!?」


 ハクの茶番を盛大に無視するかのように、つい一瞬前まで『綾風』が存在した地点を包み込むように6発の砲弾が降り注ぎ、長く伸びた航跡波を引き裂いて連続した水柱を乱立させた。

 2隻分の主砲弾が降り注いだ海面は沸騰したように攪拌され、あの中に居たとしたらどうなるかを流暢に語っている。もしも増速の命令を下すのが少しでも遅ければ、破壊をまき散らす水の樹林の中に『綾風』はとらわれていただろう。

 いくら高性能艦とはいえ、所詮は駆逐艦。20㎝以上の砲をはじき返すような装甲はどこにもない。一応は水密区画を細分化し、ダメージコントロールによる艦の保持も考慮はしているが、限度と言うモノは存在する。

 その証拠に、この艦の事を誰よりも承知している副長の顔は盛大に引きつっている。と言うか、半分自分を睨みつけていた。うん、愛娘を最前線に放り込んだのは自分だが、駆逐艦はどの国でも消耗品扱いで酷使される運命にある。ある程度は諦めてほしいが、それを認めるのは生みの親として思うところがあるのかもしれない。


 ――おい、大丈夫なんだろうな?


 言葉にせずとも、彼女が何を言いたがっているのかは大体わかった。

 相手の砲撃の精度は接近するにつれて上がっていき、艦首を向けて敵に対して艦を立てても命中弾が出るのは時間の問題だ。『綾風』が同規模の艦と比較し沈みにくい構造をしているとはいえ、所詮は駆逐艦。20㎝以上の砲弾を1発でも受ければ最低でも中破、当たり所が悪ければ大破になる。

 そうならない様に、もしくはそうなる前に殲滅するのが、艦長たる自分の役割だ。


「敵艦との距離15㎞を切ります!敵、針路、速度変わらず!真艦首方位0-0-0」

「左舷60度、距離80mに着弾3!続いて右舷70度、距離100m付近に着弾!」

「砲撃の間隔は大凡15秒、交互打ち方でしょう」

「有瀬、まだ打たないのか?」

「いくら酸素魚雷でも、この距離からでは到達まで10分近くはかかる。その間に艦首をこちらに向けられれば終わりだ。回避ではなく、僅かな変針でも雷撃は当たらなくなる。特に、こんな長距離雷撃では」


 暗に、自分の意見は机上の空論だと切って捨てられた永雫の顔に苦いものが走る。酸素魚雷の図面を引く際に、「無誘導魚雷の航続距離はある程度妥協できる」と言っていたがこういう事か。長距離を疾駆できたとて、当たらなければどうにもならない。


「しかし、このままでは敵の懐に飛び込むことになるが」

「無策で突っ込めば駆逐艦1隻など即座にハチの巣だろうが。『綾風』ならハチの巣になるのは奴らの方だ」






 ほぼ東進する敵に対し、北東方向から突入し海面を疾駆する『綾風』の周囲に次々と敵弾が降り注ぎ、海水を空高く吹き上げた。不規則に乱立する破壊の槍を縫うように、長い航跡を引きずりながら130mを超える駆逐艦は獲物めがけて突き進んでいく。

 そして『綾風』とて撃たれっぱなしではない。


「修正射完了!」

「目標、敵1番艦頭部!弾種対空榴弾、1番砲塔交互打ち方用意!撃ェーっ!」


 振り上げた3門の主砲から続けざまに127㎜対空榴弾が吐き出され、放物線を描きながら海神に降り注ぐ。天から突き下ろされた矢の雨は、海面に突き刺さる前に示し合わせたかのように同じ高度で炸裂した。

 海神のちょうど目と鼻の先で従来型の時限信管によりその役目を果たした砲弾は、長い首の先に着いた観測機器の真正面へと無数の断片を浴びせかけ、海神の照準器を損傷させていく。

 突如、目の前で砲弾が炸裂した海神は苦悶の声を上げながら長い首を振り回し弾雨から逃れようとするが、速射される砲弾に対しては微かな時間稼ぎにしかならない。ややあって、複雑な形状の頭部は再び爆炎に包まれた。


「敵1番艦頭部に命中弾!損傷を確認!続いて2番艦照準、用意、撃ェーっ!」


 主砲による攻撃の効果が薄いと判断した有瀬は、今回の海戦において主砲を敵の砲撃を妨害する役目を割り当てた。

 特に遠距離においては、敵の主砲精度を下げるため観測装置への対空榴弾を用いた制圧射撃を指示していた。

 どれほど強固で強大な生命や艦であっても、外界を観測するために必要な器官の防御は手薄にせざるを得ない。そこを狙えば、たとえ127㎜の小口径砲弾でも、1対2かつ新型海神を相手取った戦局に大きな影響を与えることが可能だった。

 もっとも、30kt近い速度の中で駆逐艦を振り回して回避機動を行いつつ、相手の出鼻を挫くようなタイミングで127㎜砲弾をピンポイントで叩き込むのは、『綾風』があったとしても並の技量ではない。

 また1発、再装填した砲身を持ち上げた敵2番艦の頭部に爆炎の華が咲き、痛みと衝撃で照準が狂った砲弾はあらぬ方向へとすっ飛んでいく。敵が艦でもあり、神経の通った生物であるからこそ有効な作戦だった。


「主砲弾命中!これまでに10発以上は至近距離で炸裂させたはずですが、頭部の破壊には至っておりません。ですが、敵の砲撃精度はこの距離でも十分落ちています!」

「頃合いだな。主砲射撃止め!弾種切り替え、対艦榴弾!…さて、来るぞ」


 後ろを振り返り、永雫に目で合図を送る。彼我の距離はそろそろ10㎞を割るだろう、そうなれば敵の次なる手が撃たれるに違いない。

 有瀬の予想通り、変化は一瞬であり破滅的でさえあった。


「て、敵艦。副砲による防御砲火を開始しました!」


 見張り員の絶叫が終わるか終わらないかの内に、『綾風』の周囲を包み込むように複数の小ぶりな水柱が立ち上り、それまで穏やかだった海面は沸騰したかのように無数の泡に覆いつくされた。

 右舷側ギリギリの着弾した1発が舷側を振動させ、吹き上がった海水が40㎜機銃群を濡らしていく。目と鼻の先に着弾した1発によって吹き上がった水柱が、30ktを超える『綾風』の艦首に押し潰され爆散し、後部艦橋のすぐ横を不気味な擦過音を残して通り抜けた砲弾が見張り員に冷や汗をかかせた。

 突入するこちらの針路を塞ぐように航行する2隻の巡航級海神。距離一〇〇〇〇を割った瞬間、それらの背部に設けられた10門を軽く超える小口径火砲が一斉に火を噴き、ちょこまかと動き回りながら接近する『綾風』へと殺到したのだった。

 本来、このように軽快艦艇の接近を阻む目的で据え付けられた小口径の速射砲群は、駆逐艦や水雷艇にとって天敵だ。満足な装甲を持たない彼女たちにとっては、口径が10㎝そこそこの砲弾でも多数被弾すれば致命傷となりうる。艦自体に問題は無くても、1発でも砲弾が艦橋に飛び込んで炸裂すれば艦首脳は簡単に全滅しする程度には脆かった。

 海神にとっては、目障りな『綾風』をとっとと追い払い、彼方でヨタヨタと逃げようとしている獲物『吾妻』を手に入れたかった。そのため『綾風』に対しては無駄弾を打ちたくなかったのだが、ここまでの驚異的な砲撃の精度と機動性に恐れを抱き、遂に防御砲火の口火を切ったのだった。常識的な駆逐艦であれば、2隻の巡航級の防御砲火の中を突っ込むなどと言う自殺行為を選択するはずがない。


 彼らの不運は、目の前の艦の性能と、なによりそれを操る艦長の性質を完全に見誤ったことに尽きると言える。


 20門を超える小口径砲の砲撃の最中、いつ命中弾が出てもおかしくない状況。『綾風』を操る男は、この時を待っていたとばかりに微塵の躊躇もなく地獄へと舵を切った。


「両舷前進一杯!突撃針路2-2-0!雷撃戦用意!」

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