42th Chart:取り舵一杯


「両舷前進一杯!突撃針路2-2-0宜候!」


 航海長ライの復唱とともに『綾風』のガスタービン機関が絶叫にも似た咆哮を上げれば、艦の速力は瞬く間に40ktを超えて海神の照準を完全に無意味なものとした。

 速度差約10kt、秒速にして5mと言えば誤差の様にも感じられるが、10㎞の距離を隔てれば塵であってもそれなりに積もる。仮に敵弾の初速が秒速1000mであり、全く放物線を描かなかったとしても発砲から弾着までには10秒を擁する。その間に狙った個所と目標とのズレは50mに及んだ。

 その上、この仮定は発砲から着弾まで彼我が等方向、等速度、等距離で運動していた場合にしか適用できない。実際の所、『綾風』は敵に艦首を向けて突っ込んでいる上、速度に影響を及ぼさない範囲で細かな変針を交えて回避機動を取っている。

 主砲の速射により観測装置に少なくない損傷を受けた海神にとって、想定外の速度を発揮する狂犬を迎撃するのは至難の業だった。

 『綾風』の速度を読み違えて飛来した砲弾はそのことごとくが後方へと流れていき、相次いで着弾し海面を爆砕していった。盛大に吹き上がる白濁した海水を背景に、唸り声を上げ突入する駆逐艦は、お返しとばかりに127㎜の砲口を突きつける。


「熱源解析、高熱源反応を敵小口径砲と識別!1番砲塔、目標敵1番艦小口径砲群!通常弾、打ち方始め!」


 艦橋上部の射撃指揮装置に、観測装置の一つとして搭載された熱赤外線カメラが敵艦において発砲を行った小口径砲の位置を丸裸にした。得られた諸元は電探や従来の光学測距儀による観測結果と照応され、初歩的な電算機技術によって構築された射撃盤によって射撃諸元がはじき出される。求められたデータを基に砲塔が旋回し、砲身が持ち上がり微動し、海神の喉笛へとその切っ先を突きつけた。


「1番砲塔、敵1番艦ケースメイト式副砲群を照準!射撃諸元入力完了!よーい、撃ェーっ!」


 飛来した砲弾の内の1発が、急行列車じみた怪音を発しながら左舷の艦橋ウィングを掠め飛んでいった瞬間。わずかな間沈黙を守っていた127㎜三連装速射砲が、その真価を発揮するかのように、腹の底に響く土砂崩れにも似た咆哮を轟かせた。

 甲板に転がる空薬莢を残し、砲煙を切り裂き飛び出した127㎜砲弾は、低い弾道を描きつつ次弾が装填されかかっているケースメイト式の副砲群に降り注ぎ、驚異的な命中率で次々と直撃弾を出していく。

 もともと、弾片スプリンター防御程度の装甲しか張られていないケースメイト式の砲台に、小口径砲とはいえ127㎜対艦榴弾の直撃ないし至近弾に耐える能力など存在するはずはなかった。海神の舷側とでも言うべき場所から突き出したケースメイト式の副砲群は、艦首側から舐める様に連続した爆炎に包まれ、無数の赤熱した破片が黒煙の尾を引きながら四方八方に飛び散り戦闘能力を喪失させていった。


「第1弾から第6弾まで命中!敵1番艦ケースメイト砲全門大破!艦中央部より火災確認!敵艦炎上!」


 右舷側の艦橋ウィングで見張りについている船精霊の喜色にあふれた声に、艦橋のあちこちで控えめな歓声が上がった。

 効果は上々だろう。

 測距儀に搭載された火器管制電探を始めとする各観測装置から得られたデータを、初歩的な電算機が解析し射撃諸元をはじき出すことで、これまで艦長自分たちの”経験と勘”に頼っていた領域は”不確定要素”とともに戦場の外へとはじき出されている。

【夢】の世界において、ある軍用艦艇の幹部として勤務した記憶の感覚からすれば、まだまだ個人の才能マンパワーに頼る箇所の多いシステムではあるが、この世界の基準からすれば魔法の領域に近いのではないだろうか。

 いずれ、【夢】の世界の戦闘艦の段階まで、この世界の戦闘艦が追い付いた時。この世界の未来を航行する艦はどのようなものになるのか、また一つ死ねない理由ができた様な気がした。


「攻撃続行!続けて撃て!」

「続いて同艦甲板上副砲群を照準、よーい、撃ェ-っ!」


 海上公試において、試験官を務めた葦原宮中将に「阿修羅を見たり」と称された速射砲は、この海においてもその性能をいかんなく発揮していく。

 距離が詰まった結果、主砲弾は殆ど水平に近いまま着弾し、轟音とともに装甲表面で破壊の暴風をまき散らす。

 音速を優に超える鉄塊の正面衝突を受けた砲身は飴細工の様に曲がり、基部に命中弾を受けた砲座は夥しい神血と生体金属の破片をまき散らしながら脱落し海へと落ちた。噴出した可燃性の神血は即座に炎上し、黒煙を噴き上げ甲板上の主砲を覆う。

 射撃開始からわずか30秒足らずで敵1番艦の副砲群は砲火の代わりに濛々とした爆煙を吐き出し始めていた。






 ――対空榴弾で統制射撃の要たる頭を潰し、副砲を破壊したことによる爆煙で砲塔側の測距儀の眼も奪う。なるほど、これならば駆逐艦の小口径砲でも戦局を回天させうる、か。


 艦の現状を銀時計を介して認識しつつ、状況を一歩引いた視点から俯瞰するという贅沢を味わうのは新鮮だった。戦局における”流れ”は自分たちに向いてはいるが、以前として予断を許せる状況ではないのは事実だ。


「距離は?」

「約八〇〇〇!艦首方位、右10度!」

「面舵5!敵に腹を見せるな」

「おもぉかぁじ!」

『右舷10mに至近弾3!損害無し!』

『こちら2,3番砲塔!D、Fドラムへの再装填完了!』

『1番砲塔弾薬残り20発!Aドラム再装填作業完了まで50秒!』

「砲雷長より1番砲塔!40秒で支度しな!続いて敵2番艦、ケースメイト砲群、1番砲塔照準!よーい、撃ェ-っ!」


 再び連続射撃を始めた主砲の振動を全身で感じ、即応弾庫では次々と砲身へと飲み込まれて目減りしていく残弾を横目に、汗だくになった装填員たちが弾薬庫から上がってくる砲弾を空いたドラムへと再装填していく光景が確認できる。「オラオラオラオラオラオラオラオラオラァッ!」だの「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァッ!」だの「ドラララララララララァッ!」だの「アリアリアリアリアリアリ!」だのよくわからない絶叫が聞こえるが、砲撃速度が落ちないのならば連中が何を叫んでようが自分には関係ない。

 有瀬の眼がどこか一瞬遠いところを見た様な気がしたが、敵の方でも見ているのだろう。


「………水雷長、何か弁明はあるか?」

「あっ!そろそろ雷撃戦ですね!直接指揮の為艦橋を離れます!水雷長はクールに去るZEっ!」

「…航か」

「諦めてください」


 指示と報告と怒声。時折気の抜けそうな会話が飛び交う艦橋を眺めつつ、有瀬と『綾風』そして乗員の戦いを俯瞰していた永雫にも、遂に舞台へと上る時が来た。


 不気味な擦過音が響いた直後、炸裂音と衝撃が艦橋を揺さぶる。


 敵の針路に合わせ、被弾面積を最小にするように舵を左へと切った綾風へと遂に砲弾が襲い掛かり、2発がスマートなその艦体を捉えた。彼我距離は既に8000mを切り、敵の小口径砲の有効射程へと踏み込んだ結果、命中率も上がり始めていたのだった。

 無数の破片をまき散らし、3400トンの『綾風』の艦隊が身震いする。艦橋やウィングに陣取る船精霊の数人が衝撃により床に投げ出され、艦と繋がっている彼女のわき腹当たりにも違和感が走りぬけた。

 不快感と痛みを可能な限り無視しつつ意識を艦へと集中させる。着弾したのは艦右舷中央部付近の甲板に1発、右舷後部の舷側に1発。何れも小口径砲弾。

 中央部に飛来した1発は3基並んだ40㎜対空砲座の中央の1基に着弾。機銃を防護する鉄板が飛び散り、基部から吹き飛んだ機銃の銃身が回転しながら背後の煙突へと突き刺さったようだ。当たり所は良かったのか、40㎜機銃を1基失っただけで戦闘に支障はない。

 問題は後部の舷側に突き刺さった1発だった。


「副長!損害知らせ!」

「っ!艦中央部40㎜機銃と後部弾薬庫付近に1発ずつ!1番内火艇大破!消火作業班を急行させる!現状、戦闘続行に問題なし!」


 艦長への報告と同時に作業班を走らせる。これまで散々やったダメージコントロール訓練の成果を見せる時だ。多様な機材を抱えた乗員に後の事は任せるほかない。

 艦後方の右舷側に飛び込んだ海神の10㎝砲弾は、『綾風』の艦体を貫いた瞬間に信管を作動させていた。

 艦内での爆発により数枚の水密隔壁が拉げながら吹き飛ばされ、甲板を捲りながら空へと逃げた衝撃波は直上に搭載されていた内火艇を穿つ。艇を固定していた索具が弾け、アームがぐにゃりとへし折れる。燃料タンクから漏れた燃料は瞬く間に燃え上がり、『綾風』後部が火炎と煙で燻され始めた。


『ダメコン班向かいます!』

『ヒャッハー!火災は消火だーっ!』

『こちら医療班!軽傷者5名!重傷者2名を確認!』

「救護は軽傷の者を優先!一人でも多くかき集めろっ!」


 『了解!』と子気味の良い返事が返ってきたことを確認し、一つため息を吐く。着弾したのは第2兵員室付近、確かそこは機銃員の待機場所だ。対空戦闘要員の出番はないため臨時のダメコン班として艦の各所に配置したのが裏目に出た形だ。尤も、一か所に固めて置けば砲弾1発で全滅も考えられるため、致し方ないことではあるが。

 ややあって、ダメコン班が損傷個所に辿り着くと即座に消火活動が始まる。もともとの設計から可燃物は極力排除して建造した艦だ。被弾個所を考えれば、燃えているのは精々が内火艇の僅かな燃料程度。消火は難しくないはず。

 とはいえ、艦後部は背負い式に配置された2基の主砲の弾薬庫に、最後部の対潜噴進弾発射基や予備弾庫が犇き合っている。幸いにも火災の規模は小さいが、一歩間違えば『綾風』ごと吹き飛ぶだろう。


「敵2番艦、副砲群沈黙!敵小口径砲の砲撃が止みました!」

「撃ち方やめ!再装填急げ!」


 遂に『綾風』へ損害を与えた2隻の海神だったが、その代償は大きくつくものとなった。速射砲から放たれる対艦榴弾の暴風は、高々2発の小口径砲弾の被弾程度では抑えられる筈もなく、敵2番艦の水線上の構造体は半ば瓦礫の山と化していた。これで、敵海神に残された攻撃手段はこちらを指向できる6基の主砲塔のみ。発射速度、旋回性能、精度も主砲口径相応の代物だ。全速を発揮し、細かに舵を切る『綾風』を捉えきれはしない。



「…って、え?これは…」

「どうした?」

「て、敵艦主砲の射撃を中断。次弾の発砲は確認できません!」


 困惑したような見張り員の声に、有瀬と永雫は艦とのリンクを通じて遠方の視界を得る。確かに見張り員の報告通り、その艦様をはっきりととらえられる距離にまで至った2隻の巡航級は、黒煙を噴き出しながら先ほどの防御射撃が嘘のように思えるほど、不気味なほどの静けさを伴って航行していた。

 しかし、それは全てを投げ出したが故の諦観から来る現実逃避ではなく、屈辱を味合わせた小癪な艦を必ず仕留めるという暗い意志によって選択された手段。その証拠に、海神の顔は威嚇をするようにこちらを向き続けている。127㎜砲弾の至近爆発により焼けただれた頭部には、無数の破片が突き刺さり神血を滴らせているが、斃れる気配は全くなかった。

 彼らがなぜ砲撃を中止し、何かを待っているかのような沈黙を選んだのか、想像に難くはない。


「有瀬、これは…」

「なるほどね。奴ら、こっちが雷撃の為に横腹を見せるのを待ってるらしい」

「距離七〇〇〇!」


 どうやら自分と同じ結果に達したらしい永雫が忌々し気に顔を歪める。駆逐艦に魚雷発射管を乗せる際にどうしても生まれる設計上の弱点。設計者として、その弱点を実戦で突かれようとしているのは、あまり愉快な状況ではないようだ。

『綾風』の15門に及ぶ魚雷発射管は全て艦中央部に搭載されており、発射時には敵艦に対して艦の横腹をさらけ出さなくてはならない。

 当然、敵に対して艦を横にするため被弾面積は艦首を向けて突撃している現状の比ではない。そして、敵艦の主砲にとってこの距離での発砲は零距離射撃に等しく、無策で回頭すれば命中弾は免れないだろう。


「有瀬、『綾風』の魚雷なら最大雷速でも十分届く。全門斉射して1発でも当たれば、撃破ないし撃沈は確実だ。煙幕を張って即座に回頭しつつ、バラまいて離脱するのが得策だと思うが」


 具申される提案はなかなか魅力的だった。

 敵海神の水線長は大凡200mと言ったところ、魚雷散布角1.5度、距離六〇〇〇で発射すれば敵艦隊に到達するころには魚雷間の幅は約150m。15発全てを発射すれば実に2250m分の領域を制圧できる。無論、敵艦は1㎞程度の距離を空けて航行しているからそう簡単にはいかないが、1発以上の命中は十分期待できた。

 搭載した新型の酸素魚雷ならば1発でも与えれば1万トンクラスの巡航級とてただでは済まない。彼女の策は合理的ではある。

 尤も、それは今後の補給が保証されている戦闘に限ればと言う話だが。



「ま、それしかないだろうが…魚雷の補給は《皇国》まで戻らなければできない。この程度の敵に全門叩き込むのは少々もったいないな」


 事ここに至って弾薬の節約などと宣いだす艦長に「はぁ?貴様、正気か?」と形の良い眉が吊り上がる。しかし「今日の夕飯が何かを考える程度には」と気の抜ける返答が返ってきたため、今度は肩がガクリと下がる羽目になった。

 確かに彼の言いたいことも解るし、それに一理あることも解る。しかしそれは、本当に可能かどうかに目を瞑ればの話だった。


「雷撃戦用意!魚雷発射1番連管を使用する!煙幕擲弾、煙幕弾頭発射用意!」

『魚雷発射管1番連管配置ヨシ!』

「煙幕展張用意ヨシ!」

『1番砲塔即応弾ドラム切り替え完了!』


 反論を絞り出す前に、目の前の艦長は襲撃の準備を整えている。彼我の距離はようやく5000mを切ろうとしているところだ。

 敵海神から見れば10時の方角から突撃する『綾風』は、そのまま反航してすり抜ける面舵を切ったとしても60度以上の大回頭になった。その間、見かけ上の移動距離は少なくなるため、偏差も小さくなり、敵にとっては絶好の砲撃点になるだろう。

 少々煙幕を張ったところで、1発でもラッキーパンチが当たれば自分も『綾風』もタダでは済まない。そして、これほどのリスクを負ったとて、敵に魚雷を命中させねば全てが無駄に終わる。

 沈むか、沈めるか。致命の一撃を抱え込んだ3隻の間に微かな凪のような数瞬が過ぎ去った直後、艦長の号令とともに戦況は一変した。


「煙幕展張!」


 前艦橋に設置されたマルチランチャーに装填された弾頭が射出される。少量の火薬で加速された弾頭は放物線の頂点で炸裂し、無数の破片が白い尾と巨大な白煙をまき散らしながら『綾風』と海神の間に煙幕を展開した。


「1番砲塔、打ち方始め!」


 続いて、右舷側一杯にまで旋回した前部の主砲塔から薙ぎ払うように吐き出された砲弾は発煙弾発射機による煙幕を突き抜けた先で、同じように白い大輪を右から左へ流れる様に咲かせていき、『綾風』の姿を海神から完全に覆いつくす。


「煙幕展張確認!敵一番艦との距離五〇〇〇!」


 艦橋の窓から見えるのはもはや濛々とした真っ白な煙幕のみ、いまだ光学観測に頼る海神の眼に既にこちらは映っていない。彼我の位置関係から鑑みるに、面舵を切って反航戦となし、電探を用いて雷撃後そのまま全速で離脱するのが定石だ。

 取り舵で同航戦に持ち込もうとすれば、回頭により長い時間と距離が必要だ。今の位置関係では、一杯に切ったところで回頭が完了する前に煙幕で形成された回廊を突き抜けてしまい、敵に身をさらすことになる。

 せっかく煙幕で視界を遮ったというのに、それを突き破って敵の目前で大回頭など愚の骨頂だ。

 そう考え、急転舵に備えて重心を左に寄せた時、耳を疑うような指示が艦橋に響いた。


「取り舵一杯!右前進一杯!左後進一杯!」

「とぉりかぁじ!いっぱぁぁい!」

『左ピッチ角後進一杯!』

「はぁっ!?」


 自分が考えていた予想が覆され思わず絶句してしまった直後、今度は正気を疑いたくなるような命令が不敵な笑みを浮かべ続ける彼の口から吐き出された。


、固定解放、投錨!」




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