40th Chart:合戦準備



 投げかけられた問いに、ため息を吐きそうになる。どうやらこの御仁は、自分がグレーゾーンにとどまることを良しとしないようだ。いや、何か面白そうなものを見る視線も混じっているような気がするから、揶揄いや興味も含まれているのだろうか。


「軍人ではなく唯の一国民としてと言うのであれば、そうであってほしいと願います。皇記は来年で2600年を迎え、《皇国》がますます反映していく為には、皇主陛下の下、我ら臣民が一丸となり事に当たるべきであろうと愚考します」

「あぁ、そーう。なるほど、よく解った」


 一つ二つ満足げに頷く様子に内心胸をなでおろす。こちらもほぼ模範解答のようなものだが、立憲君主を是とする意見は統制派にとって都合が良い。皇主親政を是とする皇道派も、臣民の多くは形骸化されつつあるとはいえ、この国が立憲君主に立脚する国家であることを理解している。そのため、表立って皇道派を否定しない内は強硬策にも出づらい。

 要するに、当たり障りのない意見であった。


「君のような有権者ばかりであるのなら、私も監察室でのんびり出来たのだがね」


 なんとも反応しづらい返答に苦笑いが浮かびそうになった時、後方からドンドンと爆発するような音がし、ほぼ同じタイミングで甲板が振動する。

 反射的に敷島宮少将を背中に庇い後ろの前艦橋を見上げれば、数人の船精霊が慌てた様子で転がるようにラッタルを駆け下りていく。伝令だろうか。

 直後、艦橋の影から2人の従卒らしい近衛艦隊の将校が駆けてきた。階級はどちらも少尉であり、まだまだあどけなさの残る青年たちだった。


「殿下ッ!ご無事ですかっ!?」

「大丈夫だ、傷一つないよ。有瀬大尉は?」


「大丈夫です」と伝えると「あ、そう」と零して従卒に視線を向け、何があったかを問いかける。彼の話によれば、ボイラーの蒸気管が複数個所破損し死傷者が出ているとのことだった。先ほどの爆発のような音はそれだろう。


「幸先が悪いな。有瀬大尉、私は艦橋に顔を出してくるが君はどうするね」

「機関部の損傷がどの程度かによりますが、しばらくは戦闘速度を出せないでしょう。副長を待って『綾風』に戻り、護衛の本分を尽くそうかと思います」

「では、よろしく頼む。『綾風』の雄姿は観艦式で拝みたいものだが、、そうも言ってられないかもしれん」

「ご心配なく。『吾妻』には飛沫一滴触れさせません」


 不敵な笑みすら浮かべる柘榴石の将校に頼もしさを覚えると同時に答礼を返し、2人を連れ立って甲板を歩き始める。兄に比べてツキが無い方だというのは自覚はしているが、こんなところで発揮しなくてもよいだろうにとため息が出そうになった。


 ああ、いや、環境に対する運は割と壊滅的だが、人に対する運は割と捨てたモノでは無いか。


 ――軍人ではなく唯の一国民としてと言うのであれば、そうであってほしいと願います。皇記は来年で2600年を迎え、《皇国》がますます反映していく為には、皇主陛下の下、我ら臣民が一丸となり事に当たるべきであろうと愚考します。


 彼の言葉を反芻する。一見、模範的な臣民の回答の様に聞こえるが、ここでは若干意味が異なってくる。

 先日、彼と会談した米山中将から、自分が統制派の人間であることを有瀬大尉がすでに気づいていると報告を受けているし、今回の言動もそれを裏付けるものだった。

 それを理解しつつあのような言葉を発するのであれば、彼の思想は統制派に近いと言える。文民統制と立憲君主を是とする、味方に引き入れられるかもしれない人間だ。

 そも皇道派であるのならば「臣民が一丸となり事に当たる」などと言う、臣民が主体となった文言が出てくるはずはない。皇主親政を是とするものであるならば「臣民が一丸となり皇主を盛り立てる」と言う趣旨の表現にするだろう。

 無論、高が数分の会談で全てを決するのは愚の骨頂ではあるが、直観では9割以上の確率で味方にできると感じている。その判断の下となったのは、他でもない彼の眼だ。


 ――尊崇すれども盲従せず。


 皇道派の将校によくある『権威への盲従』は皆無であり、その視線にはむしろ『権威に対する監視者』と言った感想を持った。皇道派の連中には不快な視線だろうが、自分にとっては都合が良い。


 ――賢民在りて賢王在らば富国なり。賢民在らば愚王在れども強国なり。愚王在りて愚民在らば国とは言わず。賢王在れども愚民在らば亡国なり。


 そうだ、結局のところ国を為すのは民だ。我々皇族は、そんな彼らからの信頼と信用を糧に、貴人と言う役職に殉じているに過ぎない。国が国である以上、王が人と言う種族である以上、どれほど絶対王政を叫んだところで国の主権は臣民に存在する。それを忘れた国がどうなるか《連邦ソユーズ》を見ればよく分かる。

 《皇国》にその道は歩ませないし、そのために無辜の民の血が流れることはあってはならない。2599年続いた世界最長の王朝を基幹とする君主制国家、悠久の歴史の中で腐り始めた政を正すのは、恐らくこれが最後の機会だ。


 万一、《皇国》が皇道派に敗れる時が来た場合、私の知る《皇国》はこの海から消滅するだろう。





 …おそらくは、私とともに。












「えー、艦長。帰艦早々ですが、ご存じの通り悪いニュースとめっさ悪いニュースと良いニュースがあります」


 皇道派将校との会談後、機嫌が最悪となった永雫を連れて『綾風』の艦橋に戻った瞬間、留守の間艦を預かっていたハクからそんな報告が上げられる。

 その言葉に嫌な予感を感じつつ、ちらりと横を見れば同じように面倒臭そうな目をした副長と視線が絡んだ。と言うか、自分と彼女は龍で『綾風』に戻る際ハクの言う「悪いニュース」に対して大体の予想がついてしまっていた。


「じゃあ、悪いニュースから」

「進行方向に煤煙を2つ確認、艦載騎が既に偵察に向かいましたが、十中八九海神でしょうなぁ」

 

 親指で背後を指さすハク。艦橋の窓ガラスから見える水平線上には、染みのような黒いものが見える。この時間にこの海域を航行する艦は予定表にはなく、また、海賊は普通軍艦に手を出さない。


「で、めっさ悪いニュースと言うのは?」


 ある程度予想が立ったのか、幾分顔をひきつらせた永雫が問いかける。

 『吾妻』の甲板で合流してから『綾風』の艦橋に至るまでの間、自分の元上司に「ファイっ嫌いだヴァーカっ!」とキレ散らかしていた少女の脳裏には、退艦時に見た『吾妻』の弱弱しい煤煙の姿が映っていた。


「『吾妻』より通信【我、全速発揮不可能。綾風ハ護衛ノ任ヲ全ウセヨ】、以上です」

「要するに、動けないから畳んで来いって言うことよ」


 通信手の船精霊の言葉を意訳しつつ、盛大な溜息を吐きながら非番だったサキが艦橋に足を踏み入れ、2人の間を抜けて定位置に着く。先ほどまで昼寝でもしていたのか、眠たげに欠伸を噛み殺していた。


「あ、艦載騎からも通信来ましたー」

「読み上げろ」

「えー、【発、綾風1番騎。宛、綾風。艦隊前方40㎞ニテ敵影見ユ、1万トンクラス巡航級2、速力約20kt、単縦陣、針路0-9-0、我触接ヲ続行ス】以上です」


 1万トンクラスの巡航級といえば、人類側でいえば装甲巡洋艦に匹敵する大型の海神だ。こちらの針路は方位2-7-0で正面衝突コース、敵の速力が20ktと言う事を考えると、敵はこちらを認識して接近しているとみていい。盛大に噴き上げている『吾妻』の煤煙を見られたのだろうか。


「有瀬、『吾妻』の最高速力は21.2ktだが、機関を損傷した現状で発揮可能なのは10ktそこそこだ。命令が出ている以上、逃げるという選択肢は無いぞ」


 苦虫を噛み潰した彼女の顔には「皇族だけ連れてとっとと離脱したい」という本音がにじみ出ている。確かに40ktを超える『綾風』の足ならば、今から反転しても悠々と海神の接触から逃れられるだろう。

 だが、こちらは近衛艦隊の艦の護衛を承っているうえに、つい先ほど旗艦から直々に司令が下された立場だ。敷島宮少将の安全を最優先するのであれば先の策は上策だが、今更言っても連合艦隊の面子を潰しかねない。

 護衛対象の『吾妻』を見捨てたと連合艦隊を糾弾する材料を与える進言は、たとえ無傷で帰ったとしても立場が危うい『綾風』を窮地に陥れるだろう。


「だろうね。まあいい、どうせだ。たかが2隻、まとめて深淵アビスに停泊させてやる」


 仕方なさそうに肩を竦め、昼食を頼む程度の気安さで敵艦隊の【殲滅】を宣言した艦長に、「はぁ?」と素っ頓狂な声が少女の口から飛び出した。


「いや、いやいやいや。よく考えろ貴様。相手は1万トンクラスの巡航級だろう?標準型だとしても、主砲は20㎝連装砲2基4門、10センチ以上の副砲を少なくとも10門に眷雷発射管すら備えているんだ。撃沈せずとも、アウトレンジから主砲弾を浴びせてやれば大破させて撤退に追い込めるだろう」


 『綾風』は確かに既存の駆逐艦を凌駕してはいるが、あくまでも駆逐艦に変わりはなかった。搭載する127㎜三連装速射砲の火力は絶大ではあるが貫通力は口径相応で、そもそも榴弾しか搭載していない。もっとも、仮に徹甲弾を搭載していたところで、1万トンクラスの巡航級は高々口径127㎜の鉄塊で撃沈できる相手ではないのだが。


「127㎜では時間が係りすぎる。連射をすれば幾らかは短縮できるだろうが、その間『綾風』は直進を余儀なくされる。単発で狙えば被弾率は下がるが、今度は仕留めるより先に『吾妻』が被弾する。どちらにせよ、127㎜榴弾で1万トンクラスの海神を無力化するには、1隻につき即応弾前全てを使い切る必要が在るだろう」

「貴様…まさか」


 軍帽の下で、見たこともない笑みを浮かべる有瀬に、永雫の背筋に悪寒が走り抜けた。


 コイツ、戦の前にはこんな表情もするのか?


 そこに居たのは研究室で図面を片手にコーヒーを傾ける話の分かる青年でも、工廠の通路でラムネを自分に押し当てた悪童の様な人物でもなく。戦争を前に歓喜し、自分が作り上げた剣を敵へ突き立てようとする戦鬼に他ならなかった。


「逃走は許されず、砲撃も時間切れとなれば、残る選択肢は一つっきり。僕は砲術畑の鉄砲屋だが、幸か不幸か雷撃畑の教師にも恵まれていてね」


 そう宣いつつ嗤った青年は、艦の調子を確かめるかのように腰に佩用した黒革の短刀の柄を撫でた。

 《皇国》において、海軍に所属する艦長が身に着ける一振りの短刀。黒革の鞘に銀板で装飾が施され、柄には鮫皮が巻かれた一見何の変哲もない軍刀だが、皇国海軍の艦長にとっては命の次に重要な代物だった。

 その刃は建造された艦の竜骨付近で共に生成された後に取り出されたものであり、その性質は人と艦を概念的に接続する一種の呪具。艦と人を同一の存在とならしめる要石。

 艦を指揮するための刀剣は軍艦の長としての象徴であり、証だった。


「本艦は15射線の酸素魚雷発射管を持つ第二艦隊第二水雷戦隊所属の駆逐艦だ。相手が1万トンクラスの巡航級だろうが、望むところ。誰に喧嘩を売ったのか教育してやろう」


 視線を隣の永雫から正面へと戻し「合戦準備!全艦戦闘配置につけ!戦闘旗揚げ!」と号令を発すれば、けたたましい警報に弾かれるように船精霊の動きが慌ただしくなった。


『1番砲塔配置良し!』

『2番、3番砲塔配置完了!』

『機関室配置良し!両舷全速即時待機!』

『1から3番魚雷発射管配置につきました!』

「両舷前進第三戦速!砲雷撃戦用意!」

「両舷前進第三戦ソーク!」


 続々と入ってくる報告とともに矢継ぎ早に支持を飛ばし、戦闘準備を進めていく彼を見ていると、喉の奥にまで出てきた静止の言葉がするりと腹の奥へと帰っていくのを感じる。

 事ここに至れば是非もなし、お飾りと言って良い副長の出る幕は恐らくないだろう。『綾風』この娘が臍を曲げず、新たな一面を垣間見せた青年士官の期待に沿えるよう願うばかりだ。

 そう結論付けそうになり、「いや、出来ることはあるか」と考え直す。

 副官用として渡された、有瀬の刀身と同じ材質の外殻をもつ銀時計をポケットから引っ張り出した。意識を集中すれば、この艦のタービンの回転や艦内を走り回る船精霊の足音、蒼海を切り開く艦首の圧力を感じとることができる。

 同時に、己の領域を覗き込んだ他者を認識した有瀬が自分に振り返った。


「副長?」

「操艦の邪魔はしない。が、この艦について貴様以上に熟知しているのは私だ。艦体のモニタリングとダメージコントロールはこちらで請け負う。貴様は戦闘に集中しろ」

「では頼む。…ダメコン班に通達!これより副長の指揮下に入れ!」

『ダメコン全班了解しました!これより副長の指揮下に入ります!』

「『吾妻』回頭、後方へ退避します!発光信号!【貴艦ノ勇戦二期待ス】、以上です!」


 慌ただしく戦闘準備が進められるうちに、『綾風』の鋭い艦首は盛大な白波を噴き上げて海を割き、敵へと向かって突撃を開始する。ミリタリーマストには17の光条を持つ旭日が翻り、艦橋の各所に据え付けられた望遠鏡には、遥か彼方からこちらへ向かう海神の姿がはっきりと映しだされるようになっていた。


「敵海神近づく!距離約30㎞!」

「本艦はこれより、全速で敵海神に突入し、反航しつつ雷撃を行う!雷撃距離は五〇〇〇以下!回避行動を行いつつ一撃離脱をもって敵を殲滅する!」


 邪魔にならないよう後方の壁にもたれ掛かりつつ、艦橋の防弾ガラスにぶつかりそうなほど近くで双眼鏡を片手に指揮をとる艦長を見やる。どうやら彼は、二水戦の異名通りの行動を起こすことに微塵の躊躇も感じていないらしい。


 勇猛果敢 満身創痍


 後ろの4字は遵守しなくていいぞと口の中で呟き、腕を組みなおした。

 研究室では味わうことの無い戦場。正真正銘の殺し合いの火蓋は、彼女が考えるよりも早く切って落とされる。


「敵海神発砲!」

「両舷前進第四戦速!面舵5!新針路2-7-5!」

「おもぉかぁじ!新針路2-7-5!」

「1番砲塔照準、敵先頭艦!」

「1番砲塔、射撃指揮装置回路正常!電探連動射撃用意ヨシ!諸元入力ヨシ!砲自動照準装置ガン・スタビライザー全系統異常なしオール・グリーン!」

「主砲、撃ちー方始め!」

「よーい、ェーっ!」


 斯くして、『綾風』の初陣が幕を上げた。

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