39th Chart:第三皇子


 改日進型装甲巡洋艦2番艦『吾妻』。満載排水量9500トン、全長132m、全幅20.1m、最高速力21kt。主砲として四五口径25.4㎝連装砲二基四門を前後の甲板に搭載し、副砲は四〇口径15.2㎝単装速射砲十四門。小型艇対策として四五口径7.6㎝単装機砲4門を搭載している。

 衝角を持つ艦首から広がる艦体はなめらかな紡錘形を描きつつ白波とともに蒼海を押し広げ、甲板にて前後を睨む巨砲と、そそり立った舷側から突き出した無数のケースメイト式の副砲は見る者に威圧感を与えた。背の低い艦橋の後ろに突き出した2本の煙突からは堂々たる煤煙を吐き出して青い空を汚し、《連合王国》への航路を進んでいる。

 立ち上る黒煙は自分が主となった『綾風』には無い特徴だが、若干の羨ましさがあった。

『夢』の世界で慣れ親しんだガスタービン機関の排煙の色は限りなく薄い。敵からの視認性という点では確かに利点だが、こうして真っ黒な煤煙を吐き出しながら進む重厚な艦こそ軍艦と言う言葉が良く当てはまる。ぶっちゃけると、黒煙をモクモクさせながら航行する巨大戦闘艦は浪漫の塊だ。


 ――石炭いはきけむり大洋わだつみの、たつかとばかりなびくなり


 前甲板に生えた艦内へ続くオオグチボヤのような通風塔にもたれつつ、永雫エナが聞けば「アホか貴様」と一蹴されるであろう考えを頭の中で転がし時間を潰す。

『夢』の世界で得た経験と照らし合わせれば、「艦体を延長し、主砲を25.4㎝連装砲に換装した春日型装甲巡洋艦」と認識できる艦を見上げながら待ち人を待っていると、背後から苛立ったような鳴き声が響いた。


「きゅけけけけけけ!」


 またかと思いながら振り向けば、翼を畳んだ龍が歯の生えた黄色いくちばしをこちらに突き出して鳴いている。

 連絡騎として利用したアシハラヒメスイリュウだ。ファンタジー世界の龍と言うよりも体の造形は「無駄にがっしりした翼竜ゲルマノダクティルス」に近い。

 嘴のような質感ではあるが、小さな歯が生えそろった細長い頭部にひょろりとした首。翼はその体躯に比して広く大きく、腹には水の抵抗を減ずるために溝の入った皮骨板オステオダームを持つ。尾部は短く、足には水上生活を想像させる水かきが備えられている。

 水面に浮かぶ姿は極彩色の鶏冠やコバルトブルーの翼も相まってよく映えるだろうが、装甲巡洋艦の前部甲板でうずくまる姿は妙に不格好で滑稽に見えた。


「喧しい。もう少し待ってろ」


 まだー?と急かしているらしい連絡騎にそう告げると、自分への興味を失ったように細い首を横たえて遂に昼寝を始めた。

 まったく、せっかちなのか能天気なのか今一判断がつかない。『綾風』の竣工祝いだと言って実家の龍牧場から寄贈された1頭だが、どうやらあの人は『綾風』に航空艤装がないことを知らないらしい。それか、知っていて押し付けたか。

 実家でも度々目にした軍用騎にあるまじき能天気さを見ると、後者のような気がしてくる。

 幸いにも『吾妻』には龍を格納できる龍砦があったし――2騎まで収容できるが、予算の都合上基本的に1騎で運用されている――いざとなれば吹き曝しの甲板でも平気で休む個体であるため、そこまでは難儀していないのが救いだった。


 しかし、遅いな――と吸い終わった煙草を携帯灰皿に押し付けながら再び艦橋へと視線を向ける。こちらの用事――単なる航路の再確認――が終わってから15分は経過しているというのに、戻ってくる気配は皆無。

 待ち人と言うのは他でもない、『綾風』の生みの親にして現、永雫・マトリクス造船大尉だ。

 何で戦闘指揮権の無い造船科の将校相当官が、艦の実質上のNo.2である副長に就任できるのかとツッコミを入れたくなったが、この世界においては将校相当官も最低限の将校教育を受けており、序列は低いものの指揮権は持っていると言われればアッハイと言う他無かった。

 そもそもの話、万年人手不足の連合艦隊に得体のしれない新型艦に回せる士官は少ないどころか皆無と言ってよい。さらに、『綾風』自体が現状では”特殊艦”の部類に入るこれまでの艦とは全く素性の異なる性能であったため、従来の艦で教育を受けてきた通常の将校では、いざと言う時に艦の性能を発揮できないと考えられる。また、実戦において『綾風』の能力を評価するには自分で操ってみることも必要である。

 以上の事から、異例ではあっても艦を熟知した人間に、しばらくは艦長の補佐をさせるべきである。と他でもない本人が――自分も手伝ったとはいえ――海軍上層部に直談判した結果、もぎ取ってしまった判定だった。

 永雫にゴリ押しされ、通る筈はないとダメ元でやってみた提案だったが、艦政本部は渡りに船と人事局に掛け合い、人事局自体も降ってわいた様なこの特殊艦の人事に頭を悩ませていたのか「お好きにどうぞ」とばかりに認めてしまい、あれよあれよと言うまに造船大尉の副長などと言う奇怪な軍人が爆誕してしまった。

 副長の腕章を持ってきた彼女のニマニマ顔が今でも目に焼き付いている。割と顔に出るタイプらしい。


「どうしてこうなった」というボヤキを口の中で噛み殺したとき、再び背後から「きゅきゅ?」と気の抜ける鳴き声が響いた。

 どうせ、海鳥か何かと戯れているのだろうと振り返った時、それまで退屈でボンヤリとしていた意識に冷水が浴びせかけられた。


「っとと、起こしてしまったかな?」


 眠りから覚め、鎌首を持ち上げた龍の細長い顔を真正面から覗き込む人物。ここからは背中しか見えないが、自分とそう年の変わらない青年だ。

 そんな背格好に該当する人物はこの『吾妻』を基幹とする派遣艦隊において3人しかいない、一人は自分、もう一人は現在進行形で副長を足止めしているらしい『吾妻』の副長。そして――


「で、殿下?調教はしておりますが、あまり迂闊に触れるのは…」


 慌てて姿勢を正しつつ絞り出した声に、こちらに背を向けていた青年が振り返る。

 中肉中背、丸いレンズの眼鏡をかけた連合艦隊の軍服に身を包む人物。顔の造形は、彼の御仁の兄君の様に秀麗と言うわけではないが、何処か泰然とした独特の雰囲気を持つ男だった。


「この龍は、貴官のかな?」


「はい」と言えば「あぁ、そう」と返しながら手慣れた様子で龍のとさかを撫でる。妙に慣れた手つきに、そういえば皇室では乗龍技能も必須だったと思い出した。


 敷島宮國仁シキシマノミヤ クニヒト親王。皇位継承順位第3位、皇国海軍軍令部監査室室長。階級は海軍少将。軍令部監査室と言うお飾りの部署にて何やら策動していると噂の、《皇国》における皇族軍人の片割れだった。

 ついでに言えば、今回の目的であるグレゴリー五世戴冠記念観艦式における《皇国》の出席者だった。本来ならば皇太子の実仁殿下か皇主陛下が参加される予定だったが、実仁殿下は体調がすぐれず、今上皇主と靖仁殿下は予定が合わなかったため、第三皇子である國仁殿下にお鉢が回ってきたというわけだ。


「いや、よく慣れていると思ってね。トサカの色も、翼膜の色も良い。龍を見れば乗り手の事も大体わかると言うモノだ」


 当の龍は「きゅー」などと、喉を撫でられて甘い声を出している。コイツにとっては、相手が皇族であることなど些細なことなのだろう。撫でるのが上手いか下手か、基準はソコだった。

 なお永雫の場合、撫で方が下手だったのか、おっかなびっくりと言う態度を感じ取ったのか、早々に腹に軽い頭突きを食らわせていたが。


「アシハラヒメスイリュウは飼育がしやすく温厚で人懐っこい。皇国のみならず、ヒメスイリュウ科は各国の海軍に無くてはならないものだろう。《連合王国》のハシボソヒメスイリュウも、古くからかの国に利用されていると聞く」


 なおも甘えてくる龍に、最後に数度トサカを軽く叩きあしらってからこちらに向き直る。簾の向こう側の貴人と言うよりも、実戦派の学者然とした雰囲気に過去に読んだ論文の内容が頭を過った。


「殿下の論文を拝見させていただいたことがあります。特にあ号目標に生息するヒメスイリュウ科について、アシハラヒメスイリュウとともに原種から分化した近縁主であるという考察には胸躍るものがあります」

「ああ、よしてくれ。監察室があまりに暇で手慰みに書いたものだ。手に入れられた標本もあまり状態の良いモノでは無かったし、今読み返すと粗がある」


 ははは、と困ったように笑う姿は妙に愛嬌があった。生物学者としての側面も持つ敷島宮少将は、《皇国》のいくつかの龍学会の名誉会員として所属し、時たま国際的な学会にも顔を出しているのだった。


「それと、殿下と呼ぶのもよしてくれ。今は未だ、唯の少将だ。むろん、観艦式の時には殿下に戻らねばならぬが」

「承知いたしました、提督。ところで、侍従もお連れにならず、何故ここへ?」

「散歩だよ、散歩。装甲巡洋艦とはいえ狭苦しい艦内だ、皇位継承権第3位でも引きこもってばかりいれば、乗員たちの息も詰まるだろうと思ってね。ちょうど、気になる人物も来ていたし、帰りがけに話でもと思って足を受けたのだが、少し早すぎたらしい。いや、遅かったというべきかな」


 彼が言っているのはマトリクス大尉の事だろう。軍令部の一室長として、特異な『綾風』という艦と、それを設計した才女の事を知っていてもおかしくはない。流石に、直接会ってみようとするほどの興味を抱いていたのは驚きだが。


「大尉ならば、佐伯近衛少佐が要件があると言って会談中です。お呼びしましょうか?」

「いや結構。いたずらに兄に睨まれるのは避けたい」


 僅かに笑みを消した皇族軍人に、派閥闘争の動きを嗅ぎ取り微かな警戒心が持ち上がった。

 噂によれば、目の前の御仁は近衛艦隊と与党である皇国会において絶大な勢力を持ちつつある皇道派に対し、よい感情を持っておらず。独自にそれらに対抗する派閥を形成し始めているらしい。

 その名も統制派。《連合王国》の立憲君主制を範とし、軍備の悪戯な増強ではなく近代化を推し進めようとする派閥で、名目上の盟主は護憲民主党の大原総裁ではあるが、実質的な中心人物は敷島宮少将だという話も聞いたことがある。


 となれば、彼の躊躇もうなずける。


 佐伯近衛少佐――近衛艦隊と連合艦隊の階級は1階級の差があった――は皇道派の人間であり、皇道派の実質上の盟主は葦原宮中将と目されている。

 彼女の婚約者である源馬近衛少将の動きと照らし合わせると、『綾風』と言う実績を造った彼女を皇道派が取り込もうとしていると言う事か。しかし、ここで皇道派将校と彼女との会談を、統制派の事実上の長と目される人物が邪魔しては拙い。

 まだまだ両者の力の差は大きく、ここで強硬策を取れば潰されかねないだろう。

 頭の中で皇道派=航空主兵主義者(源馬)の図式が成立しつつあると見える彼女が、そう簡単に皇道派に取り込まれるとは考えにくいが、これも自分の思い込みと言う恐れもあった。


「どのみち、『綾風』に帰るには龍を使わねばなりませんから。必ず戻ってくるとしか言えません」

「あ、そう。なら、待たせてもらうよ。個人的には、貴官とも話したいと思っていたから」


「恐縮です」と自分に矛先が向いたことに内心冷や汗をかく。このところ皇族軍人との接点ができ始めつつあることに、胃が痛む思いだった。

『夢』の世界で知った皇道派と統制派の対立が、まさかこの世界でも似た様な形で発生していると知った時は愕然としたものだ。

 なんで陸軍の出来事が海軍で起こっているのかとか、海軍版二・二六事件でも起こるのかとか、相沢事件もついでに起こるのかとか言いたいことはいろいろとあったが、基本的には厄ネタの塊も良い所なので不干渉で居たいというのが本音だった。

 しかし、そうも言ってられないのが現実だ。初めて会った敷島宮少将は、海上公試に乗り込んできた皇族軍人よりも幾らか話やすいのが救いと言えば救いか。


「『綾風』の調子はどうだ?ここから見る限りでは、不具合はなさそうに見えるが」

「それについてはご心配なく。海上公試からこの方、故障一つ起こっていません。基礎設計の優秀さは勿論ですが、乗員たちが常日頃から整備を起こっている努力のたまものです。電探が使えないのは痛いですがね」


『綾風』には対空、対水上電探が搭載されていたが、海神が電波を探知する危険性があるとして今回の任務では非常時を除き基本的に使用を禁止されていた。これには永雫も有瀬も食い下がったが、悪魔の証明に外ならず押し切られてしまっている。一応、見張りを多目に配置してはいるが駆逐艦であるためマストの高さには限界があった。


「それは重畳。艦長としての視点だと、どのような艦だろうか。軍令部に籍を置くものとして、現場の意見は聞いておきたい」

「まだ実戦を経験したわけではありませんが。小官の知る限り、最も優れた快速戦闘艦に他ならないかと。40ktを超え、127㎜砲弾を連続して投射出来、15本の魚雷を一成発射可能艦は他にありません。1隻で並の駆逐隊以上の活躍を保証できます」


 海軍に籍を置く人間として、やはり新型艦の話には興味があるのか、時たま頷き、感嘆の声を上げ乍ら有瀬の説明を受けていく。たまに投げかけられる質問も的外れな代物は皆無であり、真剣に聞き、理解しようとする思いがそこにあった。


「改綾風型か、八八艦隊にはぜひとも盛り込みたいが、一つ問題があるな」

「問題と言うのは」

「決まってる。綾風が高性能すぎて、このままでは主力艦が霞んでしまうということだ。駆逐艦並の砲戦距離しかない戦艦など、論外だろう?」


 それはそうだ、と上機嫌そうに問いかける少将に頷く。倉内と永雫が持ち込んだ資料によれば、建造される予定の戦艦は2万トンクラスの薩摩型戦艦に酷似した艦になるらしい。主砲の砲口径は変わらず30.5㎝砲で、砲身長は全て50口径に大型化し、亀甲状の配置で連装六基一二門を搭載する予定だという。最大射程は20㎞をわずかに超えるが、これは『綾風』の主砲の最大射程とほぼ同じだ。

 1撃の打撃力や、装甲の貫徹性能から一概に比較はできず、『綾風』が異常と言う点も大いにあるが、砲戦を主として開発される艦としてはお粗末と言う感想が漏れてしまう。既存の戦艦全てを旧式化させる、ドレッドノートが発表された今では尚更だった。


「それは確かに」

「まあ、私がどうこう言ったところで是非もない事ではあるが。…時に有瀬大尉」


 言葉を強調して区切った敷島宮少将に、話の流れの転換点を感じ取った。ここまでは前座、本題はここからだろう。


「君はこの国の政治をどう思う?」

「政治、ですか」


「そら来た」と内心独り言ちながら、唐突かつ微妙な質問に微かに柘榴石が細くなった。

 視線の先には、こちらをまっすぐ見据える黒曜石を思わせる皇族の瞳。海上を航行する『吾妻』の甲板に佇んだ皇族軍人はこちらの出方を伺うように、または、こちらを品定めするかのように自分の言葉を待っていた。

 さて、微妙な問題だ。目の前の男は事実上の軍政を許容する皇道派と対立する人物であり、『夢』の世界での政軍関係に染まる前から現状の皇国海軍に対して思うところがあった自分にとっては味方とさえいえる。

 しかし、だからと言って軽々に自分の政治思想を口に出すのは憚られる。主義思想の問題ではなく、ここが”近衛艦隊”の艦の上である事実をもってだ。壁に耳あり障子に目あり、では甲板には何がある?


「政治に口を出すのは、軍人としての本分を外れますので、ご容赦ください」


 最終的には、模範解答で煙に巻きつつ敵ではないことをアピールするという出口戦略に走るほかなかった。ヘタレな気もするが、統制派が本当に皇道派を抑え込める派閥に育つかはっきりしない以上、慎重になりすぎて悪いことはない。

 我関せずと宣言するような言葉に、今度は丸いレンズの向こうの黒曜石が微かに細められた。


「あぁ、そう。それは、大変結構なことだ、軍人の模範解答だろう」


 願わくばこれでこの話題を終わりにしてほしかったが、現実と言うのはそれほど甘いモノでは無いと再認識する結果に終わった。


「では聞き方を変えようか。一人の皇国臣民として、現状の皇国は民主主義国家と言えるかね?有瀬君」




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