28th Chart:海の禍嘶けば…
「君も、この化物を夢で見たことがあるのか?」
「ん?まあ…な。最後に見たのはずいぶん昔だが、こいつはそうそう忘れられるものではない」
自分から受け取った手帳を眺めつつ、忌々し気に小さく頷いた。当然というべきだろうが、彼女の中でも飛び切りの悪夢らしい。
「高い乾舷に、三連装の巨大な主砲塔が4基12門、副砲と呼ぶには憚られる砲が連装8基16門。そして、艦前方の2基の限定旋回式の電磁加速砲。少なくとも、今まで見てきた夢の中で最も凶悪な戦闘能力を持つ
「詳しい性能は解らないのか?以前見せてくれた最弱の海神帝は、かなり詳細に解っていたじゃないか」
「アレは一番よく見る類の海神帝だ。何度も見れば、流石に各兵装の目測ぐらいは立てられる。だが、コイツを見たのは大昔に、それも一度きりだ。ここ数日同じ相手とばかり戦っている貴様の方が、よく解ってるんじゃないのか?」
ジト目を向けられ、ごまかすように頭を掻いた。確かに、彼女の言うとおりであるなら、適任は自分と言うことになる。
しかし、あの戦闘において自分の意識は確かに存在したが、真っ先に確認するはずの敵の性能の情報がきれいさっぱり抜け落ちてしまっている。目を閉じて映像を思い出そうとするが、要領を得ない輪郭のぼやけた漠然としたイメージしか浮かんでこない。
自分が現実の世界で見たことも聞いたこともない艦の性能を、夢で見ることはあり得ないという至極尤もな反論はあるにはあるが。紅鶴事件の後の奇妙な夢の例がある。
「残念だが、そこに書いてあるのが精いっぱいの情報だ。これ以上は何も出ないよ」
無い袖は振れぬと両手を上げる自分に「役に立たんな」と割とひどい評価を容赦なく下す魔女殿。反論の余地は全くないのが悔しい所だった。
「無いのなら無いで、ここから類推していくしかないか」
「ちょっと待て、君はこいつについて何か知っていることはあるのか?」
もっと大きい図が欲しいと考えたのか、傍らのテーブルの下から画板と藁半紙を引っ張り出し、サラサラとペンを走らせ始めた少女に待ったをかける。
つい先ほど彼女は、”見てきた中で最も凶悪な海神帝”と言った。ならば、その根拠がどこかにあるはずだ。もっと言うならば、この化物の前部甲板に格納された”仕掛け”を知っている可能性が大いにある。
此方の問いに顔を上げることなく、ペン先の速度を全く落とさぬまま紡がれた永雫の言葉は、或る意味有瀬の予想通りの代物であり。その予想を真正面からぶち抜く、絶望的な仮説であった。
「ビーム砲だ」
「……………は?」と間抜けな声が漏れるまでたっぷり五秒ほどの時を擁した。
「ビームってあのビームか?」
「貴様がどのビームの事を言っているのかは知らんが。G・H・ウェルズ『宇宙戦争』のトライポッドの熱線砲を想像しているのならば御美事と誉めてやろう」
画板越しにこちらを見やる瑠璃の瞳には暗に、「当然、そのビームの事だと理解しているだろう?」と言う人の悪い光が浮かんでいる。
最近、自分の思考を彼女に読まれているような気がする。いや、彼女自身の考えが”夢”の世界の人間と似通っているのだろう。もしかしたら、すでにそこよりも遥か高みにいるのかもしれないが。
「私は確かにこいつの事を熟知しているとは言えない。そのうえで最も凶悪な存在だと言ったのは、その巨体もあるが、極論してしまえば隠匿式の主砲と電磁加速砲にあると言って良い」
「貴様は、こんな言い伝えを聞いたことが無いか?」と前置きをしてから、鈴を転がすような声が、或る詩の一節を歌い上げる。
――海の禍嘶けば 銀より出でん破魔の槌 母なる船を飲み込まん
その詩は初めて聞く一節だったが、それに類する言葉は着任の挨拶をする際に
「曰く、遂に方舟は巨大な光の柱に貫かれ瞬く間に海へと没した。と言うやつか」
「ああ、そうだ。他にもいくつかバリエーションはあるが、おおむね意味は一緒だ。光の柱やら破魔の槌やら言い方はいろいろあるが、千年前には超大型のビーム兵器で方舟を一撃のもとに葬る存在がいたという証明だな。その中の一つがコイツだ」
「そう言い切ると言う事は」
「ああ、貴様が想像している通りだとも。私が唯一見た夢の中のコイツは、隠蔽式の大型ビーム砲を展開し、一撃で皇都を葬り去った。ビームの直径は、数百mを下るまい。私と避難民を乗せた龍船は照射されたビームから直線距離で3㎞は離れていたが、気が付いた時には木っ端みじんだ。恐らく、輻射熱で気嚢の中の水素が発火したんだろうな」
ゾッとしないな。などと月並みな感想が口の端からこぼれた。
水素の発火点は空気中の場合でおよそ537度。3㎞離れた龍船の気嚢を、一瞬でその温度まで上昇させるエネルギーをまき散らし、一撃で島ほどもある方舟を撃沈せしめるビーム兵器。何をどう考えても、地表でぶっ放していい代物ではない。
「問題は、アレがどのような理論に基づく兵器なのかだが。一番ありえそうなのは荷電粒子砲。中でも、目標に直進していることから中性粒子ビーム砲や反物質粒子砲が本命だな」
荷電粒子砲と言えば仰々しい代物の様にも思えるが、ひどく大雑把な言い方をすれば”超強力な水鉄砲”と称することもできる。レーザーの様に光そのものを収束させるわけではなく、或る粒子に電気を帯びさせ、磁場を用いて亜光速まで加速し発射する兵器だ。
その性質上、レーザーの様に物体を”焼き切る”と言うよりも、亜光速にまで加速された粒子自体がもつ運動エネルギーによる物理的な破壊が主となる。とはいえ、それは大口径徹甲弾の様に装甲を貫通するなどと言うレベルではない。
標的を構成する原子よりも小さな原子核が大量に衝突することにより、命中部位の原子が崩壊し消滅する物理的な破壊。高速で運動する粒子によって生じる断熱圧縮や周囲の大気との摩擦によってプラズマを発生させ、目を焼く閃光と莫大な熱量を発生させる副次的な効果など、十分に戦略兵器と呼べる代物だ。
「記憶の中では、光は直進していたように思える。荷電粒子砲は+か-に帯電させた粒子を加速して放出するが、それらは極性を持っている以上反発し、地磁気の影響もモロに受けて絶対に直進はしない。だが、正負の荷電粒子を別々に加速させ、射出直前に混ぜ合わせる中性粒子ビームならば、電荷は差し引き0。磁場による電子機器への攻撃能力は失われるが、一応はまっすぐ飛ぶだろう。そして」
「反物質粒子砲なら、一撃で方舟を撃沈させられる理由も付く。対消滅反応が起これば、反応した分の質量が全てエネルギーに変換されるからな」彼女が視線で指示した先に、走り書きのようなメモが張り付けられていた。
E=mc^2
Eはエネルギー、mは物体の質量、cは光の速度だ。仮に3㎏の物体を全てエネルギーに変換した場合、放出されるエネルギーは60メガトンを優に超え、史上最大の核爆弾であるツァーリ・ボンバをも凌駕する。
”夢”の世界では1905年にアルベルト・アインシュタインによって発表された、質量とエネルギーの等価性を示す式であり、地球人類が自らをも滅ぼす力を手に入れた第一歩。この世界でも、数年前に《
「そして、電磁加速砲。これほどまでに巨大な砲身から打ち出される弾頭の破壊力は類推するまでもない。装甲で受け止めることはハナから考えない方がいいな」
パチン、と少女の細い指がページをはじく。
電磁加速砲は装薬の代わりに、電位差の有る2本のレールに電流を流した際に発生する磁場の相互作用により、物体を加速させ発射する兵器だ。
磁場の中で電流を流せば、それぞれに直交する方向に力が働く。フレミングの左手の法則として知られる物理現象だが、電磁加速砲の根幹をなす理論でもあった。
2本のレールが導電性の物体を介することで回路を構築し、その状態で電流を流せば力のかかる方向に物体は動いていくことになる。入力する電流を大きくすればそれだけ大きく強い力が物体にかかり、強烈な加速を生み出すこととなるが、物体が超電導物質でもない限り電気抵抗は存在するため、相応のジュール熱が発生し場合によって物体はプラズマ化した。
しかし、電磁加速砲においては電気が通りさえすれば個体でもプラズマでも構わない。そのため弾頭が導電性の物質である必要はなく、弾頭の進行方向とは逆側に金属製の薄膜を取り付けることで、加速を得る方法もあった。ローレンツ力を受けるプラズマをカタパルトにして弾頭を飛ばすイメージと言える。
火薬の炸裂をもって砲弾を発射する現用の砲は、どれほど高性能化させても装薬が爆発膨張する速度以上の初速を持つことはできない。その点、電磁加速砲は電力と技術さえあればそれらを優に超える速度を砲弾へと与えることができた。
この海神帝が備えている大型構造体が本当に電磁投射砲であるのなら、戦艦と言えど紙切れの様に引き裂かれてしまうだろう。
「君ならどうする?」
「先も言ったが装甲は論外。撃たれる前に破壊するか、常に横に回り込む。実体弾砲である以上反動はある故、海神帝と言えど真横に打つことは想定しておらんだろう。後は……外向きの力場でも展開して逸らすか」
ようは、真正面からやり合わなければいいのさ。と簡単に言ってくれるが、最後の案は無理があるだろう。音の速度を置き去りにする砲弾をはじく力場など、SFの中の代物に他ならない。
彼女もそのあたりは理解しているのか「最後のは忘れろ」と少し恥じらうように咳ばらいをした。
「……先に断っておくが、この化物を相手にするのは現状では不可能だ。『綾風』が100隻あっても無理。検討するだけ無駄だと言っておく」
「それはつまり、こいつが出てくれば僕らに成す術は無いと言う事か?」
「言っただろ?現状では、とな」
あまり愉快ではない未来予想図に顔をひきつらせた自分に、彼女は不敵な笑みを浮かべる。何かいい案でもあるのか?と問いを投げかける前に永雫は椅子から立ち上がると、自分の横を通り過ぎて製図台の裏に隠された黒い筒を取り出した。
「それは?」
「以前からコツコツ作ってる、海神帝を凌駕するための戦闘艦の設計図。いや、今のところはアイデアノートに近い代物だ」
ポンッ、と子気味の良い音とともに蓋が開けられ、中に差し込まれた無数の書類の内1枚を取り出してヒラヒラと振って見せる。何やら弾頭重量2トンの対艦極超音速
「私とて軍属の技術者だ、最悪の最悪は想定してあるとも。対策が可能かどうかはまた別の話になるが。一応、現時点での結論としてはコイツが現れない様に祈るってところだ」
「つまるところ、お手上げだと」
「手を上げてコイツが封印できるのであれば喜んで上げてやるとも。それができないから、こうして頭をひねって手を動かしているんだ」
大げさに肩を竦め、黒い筒を丁寧に元あった場所に直す。と、その時にようやく製図台の上に広げられた図面に目が行った。外からの光に照らされた図面には、どこか見覚えのある特徴的な戦艦の姿が描かれていた。
「ダンケルク?」
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