29th Chart:次世代の種火
「だんけるく?ああ、《
「ああ、いや、戦艦ならば地名が適当かと思ってな」
不思議そうな顔でこちらを覗き込む永雫に対し、苦しい言い訳が漏れる。必死で内心の動揺を押し隠す自分に数秒不審そうな視線を向けていたが、仕方なさそうに小さく笑った少女は製図台の端に乗せられたペンを手に取った。
「全く、娘の名付け親になり損ねたのは初めてだ」
苦笑しつつ――しかし、何処か面映ゆげに――流麗な草書体で『Dunkerque』と図面の端に記入する。
「速度と装甲、火力を高次元にまとめるために、33㎝4連装砲を前部に二基集中配置してみた艦だが。まあ、我ながらうまくできたと思う。主砲と副砲を4連装砲にまとめて浮かした重量で装甲を増加。機関は蒸気タービンを前後に分散するシフト配置を採用しているし、水線下のバルジには浮力材を詰めている。少々の被弾では航行能力を失わないはずだ」
愉し気に彼方此方を指さしながら、つい先ほど名付けられた戦艦の説明をしていく永雫。しかし、見れば見るほど”夢”の世界で名艦と謳われたダンケルク級と瓜二つだ。
異なる点と言えば、艦後部のカタパルトが撤去され航空騎の為の龍砦が設置されている点。37㎜連装機関砲10基に代わり、初歩的な電探連動射撃指揮装置付きの40㎜機関砲の連装型が8基、4連装型が4基に変更され、対空火力が大幅に向上している点ぐらいだろう。
しかし、彼女としばらく職務を共にしてきた有瀬にとっては、目の前の図面は不可解に映った。そんな自分の様子を察したからか、レンズ越しの瑠璃が少し細められる。
「何が言いたいのか当ててやる。私にしては随分おとなしい設計だろう?」
「…まあ、そうだ。君なら、最低でも全自動式の速射砲ぐらいは乗せるんじゃないのか?主砲の装填装置も、そこまで革新的とは言えなさそうだし。何より機関が蒸気タービン駆動。今の蒸気ピストン式よりはマシだろうが…ガスタービンにしないのはなぜだ?」
そうだ。目の前に描かれた戦艦はよく言っても第二次大戦終盤ごろの技術で成り立っている。平然と冷戦以降の技術を詰め込もうとする彼女にとっては、随分”幼稚”に思える設計だった。
「簡単なことだ。この艦が作られる時、私や貴様はその場にいないからな」
その言葉の意味を問う前に、永雫は製図台から完成した図面をはぎ取ると空のケースにしまい込む。
そして、飲み終わった缶をゴミ箱に放り投げるかのように、無造作にケースを外へ向けて放り投げた。
白く着色された図面ケースは陽光を反射しながら自由落下していき、ややあって海面へと水しぶきを上げて突き刺さった。数秒の後に海上へと浮き上がったケースは、”皇都”が生み出す引き波にさらわれて見る見るうちに後方へと流れていく。
いきなりの暴挙に目を白黒させている有瀬に、永雫は悪戯が成功した童女の様に笑いかけた。
「どうした、龍が鉄砲でも食らったような顔をして」
「軍機レベルの代物を不法投棄する暴挙を見せられた身にもなってくれ」
「何を言うか。これが軍機になるなら、駆逐艦一隻の建造を承認させるために私も貴様もここまで苦労してはいまい?」
「それはそうだが…」
「ま、何にせよ。そう言う理由で呆れられるのならば悪い気はしないな、それだけ貴様は私の娘を認めていると言う事になる」
「君も、君の娘も信用しなかったことなど一度もないよ。少なくとも、特造研に入った後からは」
何処かため息交じりの青年の言葉に「そ、そうか」と軽くどもってしまう。本気なのか冗談なのか今一判断はつかないが、そんな言葉が他人から排斥され続けた自分にとっては殺し文句にも等しいことをそろそろ覚えてほしい。
突然頭に湧き出したノイズのような思考を咳払いでごまかし、無理やり話を元に戻す。
「真面目な話をすれば、保険が半分、気休めついでの手慰みが半分と言ったところだ」
「《皇国》が滅んでも君の娘は海を漂流し、どこか別の国に拾われて誕生するっていう筋書きか。けど希望的観測にもほどがあるんじゃないか?」
この星の海は広大であり複雑な海流によって拡販され続けている。そんな海に投げ入れられた図面をどこかの国が拾い上げる確率は限りなく低く、それこそ奇跡でも起こらない限りあり得ないだろう。
「ああ、私の娘がそのまま建造されるなどと言う事はハナから期待していない。一応、説明なしでもギリギリ理解できるレベルの技術には落としているが、アレはあくまでも参考だ。私があれらの図面に期待しているのは、強心剤としての効果だ」
「強心剤?」
「あの図面を基にした艦ならば、デッドコピーでも現状の戦闘艦艇を凌駕する性能を秘めている。例えばある国が私の図面を拾い、デッドコピーの戦闘艦を造り上げたとする。では、その国に敵対する他の国は、どんな対策をとってくると思う?」
「それは、相手が強力になればって…いや、そう言う事か」
暗い笑みを浮かべて問いかける少女は、正しく争いを尊ぶ魔女の様に見えた。
「現状の戦闘艦はまっとうなブレイクスルーもなく、ここ数百年は足踏みを続けている。海神の戦闘能力は自分たちの兵器レベルに依存することを経験則的に理解してしまっているからな。現状維持を名目に進化を放棄していると言って良い。だが、ここで周辺諸外国が自分の持つ艦よりも高性能な艦を持ち始めたらどうなる?」
「安全保障上、残された国々も艦艇の整備計画を一から見直す必要が在る。つまり君の目的は、次世代艦とも言うべき艦の図面をばらまいて、意図的に建艦競争を引き起こすことか」
「概ねその通りだ。周辺国家が艦隊の大規模整備、次世代化に舵を切った場合。海軍省は当然の様にそれらの新型艦を凌駕する艦を求める。そうなれば、もともとの性能が高い私の娘を、皇国海軍の上層部も認めざるを得なくなる」
財務省の連中が聞けば卒倒しそうな話だと、小さくため息が漏れた。
最初の一隻が建造されなければならないという大前提はあるにしても、先ほどのダンケルクに、永雫らしい突拍子もない技術は使われていない。せいぜい電探ぐらいだろう。
彼女を拾い上げた誰かはそれが空想科学小説の中のモノでは無く、努力次第で到達可能な道標であることを知る。そして、恐怖するに違いない。
自分たちの手持ちの艦を一気に旧式化させる艦を、”誰か”が作ろうとしている。
国家間戦争は絶えて久しいが、だからと言って小競り合いやいざこざまでも耐えたわけではない。むしろ、各国が千年前の災厄から力を取り戻し、海神への対処法を確立しつつある現在では、国家間の対立も表面化し始めていると言える。
そんな中で突如海から流れついた、先進的な艦の設計図。何らかの欺瞞工作ともとれるが、図面自体の完成度が見る者の判断を狂わせると見ていい。
最悪を想定しない軍隊など存在しない。彼女が海に設計図を蒔き続ける限り、いずれは彼女の娘が海へと解き放たれる。
「なぜ、この設計を艦政本部に提出しないんだ?これならば、彼らも受け入れやすいだろう」
「これらの艦では、海神帝に勝てん。もしこれを提出してみろ。奴らは飛びつくかもしれんが、その後が続かない。高い金を払って絶妙に役に立たない艦隊を整備するのの同然だ。私の意見が通りやすくなるのは助かるが、本当に重要な瞬間には資源も時間も尽きているだろうよ」
手を伸ばし、アトリエの純に山積みになっていたケースを数本掴むと先ほどと同様に海に投げ込んでいく。
『Fletcher』
『Southampton』
『Deutschland』
ケースの側面に貼り付けられた文字の羅列は、どれもこれも見覚えのあるものばかり。その中に収められている図面も、自分が今頭の中に浮かんだ艦のモノなのだろうと妙な確信があった。
「もし、あの女が言う事が真実であるのならば、この行為は無駄にはならんだろう。いつかどこかの誰かが、海神帝を倒すきっかけになるのなら。防水ケースと藁半紙ごとき、安い出費じゃないか?」
自嘲するように、口の端が歪む。
目の前の男は、この愚かな行為をどう思っているのだろうか。否、夢などと言う確証の欠片もない妄想に踊らされた狂人の奇行に映っているに違いない。
根拠不明の強迫観念に突き動かされ、高い階段を相手に押し付けて結果的に自爆し続けているのは自分が一番よくわかっている。この行為も、そんな現状から目を背けるための逃避行動と言われてしまえばそれまでだ。むしろ、利敵行為として摘発されてもおかしくは無い。
では何故、自分は彼にこの愚行を教えてしまったのだろうか。教えたところで、自分に利益などあり得ない。ああ、いや…
「どうする?利敵行為で特高に突き出すのなら今の内だぞ?」
銃殺にでもなれば、この悪夢から永遠に逃れられるか
何処か哀願するような言葉に、たった一人で戦い続けている少女の孤独を垣間見た様な気分だった。
定かではない敵に怯え、全てを敵に回す危険性を冒してきた不世出の造船士官。分厚い鋼鉄の殻の奥にあったのは、今にも崩れ落ちそうになりながらも、義務感だけで立ち続けている17の少女の姿だった。
次に何を言えばいいのか、わかり切ったことを考える前に最低な言葉が言の葉に乗せられていた。
「利敵行為?どこが?」
「なんだと?」
「確かにこれは出すところに出せば軍機レベルの代物だが、皇国海軍はこの設計図が存在する事を知らない。知らないというのは無いのと同じだ。さっき捨てたのも、今捨てたのも、これから捨てていくのも、全てただの絵にすぎない。単に、少々細かく艦の絵が描かれた絵画だ。ボトルメールにしては、かなり豪華だけど」
絶句する永雫をよそに丸椅子から立ち上がり、出来上がったコーヒーをマグカップへと注いでいく。白いカップに黒い水面が揺れ、潮の香りに芳ばしいモノが混ざった。
「造船士官の図面を絵画呼ばわりとはな。酷い侮辱だよ、まったく」
呆れを多分に含ませた声を投げつけてきた永雫に片方のカップを渡す。湯気で白く曇るレンズから視線を外し、空になった製図台を見やる。
「君がまた絵を描くのなら、気が向いたときにでも一枚僕の分を書いてくれないか?駆逐艦は前もらったから、次は大型の巡洋艦が良い。どんな姿にするのかは任せる」
「気が早いな。まあ、よかろう。気が向いたときに描いてやる」
「助かる。代金は?」
レンズの曇りが取れた先にあったのは、いつも通りの好奇心と嗜虐心に満ちた瑠璃の光だった。人の悪い表情を浮かべた少女は、少しわざとらしく考えてから口を開く。
「要らん。その代わり、小うるさい神と帝を黙らせろ」
「無料より高い物はない、か。了解、室長殿」
苦笑とともに口を付けたコーヒーは、妙に甘く感じた。
「………いや、おい、甘くないか?これ」
「砂糖水で抽出してるからな」
「次からは普通の水で作ってくれ…」
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