15th Chart:許嫁

 ”葦原”の最上甲板に設けられた龍港ドラゴンポートに向かうまでの道中、隣を歩く室長殿の機嫌は控えめに見ても最高だった。

 普段の顔が仏頂面の部類に入る少女の顔には絶えず微笑が浮かび、耳を澄ませれば鼻歌でも聞こえてくるのではないかと思えてくるほど、足取りも軽やか。永雫・マトリクスとの付き合いが長いハクやサキ、ライでさえ二度見をするだろう。それどころか、明日は大口径砲弾の雨でも降るのかと、身の回りの整理を始めるかもしれない。

 つまり、それほど彼女が何の憂いもなさそうな表情をするのが珍しいということだった。


 葦原軍港から最上甲板へ至る大型昇降機から降りて、龍港まで続く大通りの桜並木を連れ立って歩いていく。太陽は高く昇り、初夏に近づきつつある皇国の2車線道路と、そこをヨタヨタ走り抜ける車両を容赦なく照り付けた。歩道の上には青々とした葉を広げた桜の木が覆いかぶさり、影と日光のモザイクを投影していた。


「うれしそうだな、大尉」


 ここ2週間では全くと言って良いほど見ることができなかった一面に思わず出た呟きに対し、「当たり前だ」と先を行く彼女が振り返り、童女にも似た笑みを返す。飛行場へと向かう遊歩道の桜並木の木陰に、深海にも似た色の髪がふわりと舞った。


「ようやくだ。ようやく、スタートラインに立てた」


 そう繰り返した言葉は軽やかな物だったが、その中に含まれている思いは万感と言う言葉ですら言い表せるか怪しい。レンズの奥からこちらを見やる瑠璃は、燻ぶり続けていた希望がようやく息を吹き返したことによっていくらかの輝きを取り戻したようだ。


「貴様は意外そうだが、なにも私は怒と哀だけで作られているわけではない。嬉しいさ、ああ、嬉しいとも。17年生きてきて、こんなに嬉しいと思ったことはない。これで…」


 ほとばしる感情に任せていた口を慌てて紡ぐ彼女に、微かな違和感を覚える。危うく、何かを口走りそうになってとっさに止めた様な雰囲気だ。だが、それを深く追及する気になるほど、興味は持てなかった。


「ともかく、関長官が約束を反故にするような人間ではないのならば、特務造船研究室我々の新兵器が日の目を見ることになるのは明らかだ。戦闘艦ではなく、兵器のみではあるが、我々の成果に他ならないだろう」

「まだ実機すらない段階で、成果だのなんだの言うのは感心されないんじゃないのか?」

「どうせこれを聞いているのは貴様だけだ。それに、貴様自身あの兵器の性能は良く理解しているんじゃないのか?」


 人の悪い、よく見る彼女の笑みを見て”通常運転ではあるんだな”と思う程度には、この気難しい少女の性質を理解し始めてきたらしい。と、どうでもいいバグの様な感想が浮かんでは消えていった。


「まあ、それはな。少なくとも、従来型の爆雷投下軌条や爆雷投射機よりは役に立つはずだ。新型のソナーシステムへの換装が必須だろうけど」

 潜水型海神との戦いは水上戦闘とは大きく趣が異なり、一種のターン制を持つと言えるかもしれない。

 会敵した両者は当然の様に敵を仕留める――もしくは逃走する――ために機動するが、足の速さにおいては水上艦に、小回りの効きでいえば潜水型海神に分があった。

 まず、水上艦はソナーシステムにより海中の敵の居場所を探る。海中に耳を澄ませ、海神が発するわずかな音を頼りに接近し、その頭上を航行しながら無数の爆雷をばらまいた。この時、爆雷は投下軌条から艦後方へもしくは投射機により両舷側へ投擲される。

 海中に投下された爆雷はあらかじめ設定された深度に達して炸裂し、強大な衝撃波を発生させ、敵潜へと襲い掛かるのだ。

 しかし、爆雷の連続爆発は当然の様に海中をかき乱し水上艦の耳を奪う。さらに、自艦が投射した爆雷の炸裂によりソナーを傷めないように、投下直前はソナー機器を停止させなければならない。

 故に、爆雷投射の直前からかき乱された海中が再びソナー効力を取り戻すまでの間は、水上艦は眼下の敵を推測で攻撃し、追跡しなければならない。水上艦に先手を取られた潜水型海神は、この時を狙って攻撃、もしくは逃走を選択する。これまでの戦いでも、先に敵潜を発見したのに爆雷投射によって失探ロストし、その後手痛いカウンターを受けて沈没した艦や、そのまま逃げられた艦の数は多い。

 しかし、前方投射兵器かつ遠距離攻撃が可能であるならば、ソナーはぎりぎりまで敵潜の位置を把握することができる。そして、小回りの効く潜水艦の直上に針路をとる必要もなく、攻撃位置を自由に設定することができた。


「時代遅れの現行の水中聴音機パッシブ・ソナーでも、前方投射式の対潜兵器は一定の仕事をする。一刻も早い新型の導入が必要だというのは、私も同意見だが」


 ただし欠点として、ロケット推進を利用して射程距離の増大を果たすことができても、弾頭は従来通りの爆雷と大差がない。敵潜への有効打を与えるためには、この遠距離投射能力に見合った性能の観測機器が必須であった。

 現状の艦に搭載されている八九式水中聴音機――最大探知距離は自艦6kt、敵艦3ktで800m――では、聊か以上に役者不足だろう。新型対潜噴進弾がその効力を如何なく発揮させるためには、高性能の探査装置の導入が必須だった。


「無論、関提督に提出する設計案には『綾風』の水中探信儀を小型化したものと、曳航式の水中聴音機を付属させる。探信儀の搭載には一度工廠に引き入れて大規模改装が必要だが、曳航式水中聴音機は軍港の施設で可能な程度の工作で積み込めるようにするつもりだ。ま、小型簡略化するつもりだから性能は決して高くないが、今のガラクタよりはマシだろう」


「心配事と言えば、曳航式のソナーアレイを艦長連中が絡ませないかどうかだな」と冗談とも本気ともとれる言葉を吐き、自分に向けた目を揶揄うように細めた。

 そんなことはあり得ないと断言したかったが、戦場では何が起こるかわからない。収容も切り離しもままならず、長大なソナーアレイが他の艦のスクリューに巻き付かないという保証はどこにもないのだ。

 そのあたりを理解して問いかけてくる彼女から視線を上にずらす。木漏れ日の向こうの蒼穹には、円筒形の巨大な影とそれを先導する2頭の龍――龍船の姿があった。









 龍船ドラゴン・シップが行きかう龍港ドラゴンポートと言えばどこか異世界情緒あふれる言葉ではあるが、この世界の住人にとっては日常の一部であった。

 非常に簡略化した説明を”夢”の世界の住人向けに行うとすれば、龍船とは複数頭の龍によって曳航される硬式飛行船であり、龍港とはその発着場――詰まるところ空港にすぎない。

 小規模の龍港にふさわしい精々1㎞程度の滑走路に、全長150m程度の龍船――五八式曳航輸送騎――が滑らかなカーブを描きながら降下していく。船首から索具によって連結された龍と、船尾側の十字舵付近に取り付いた龍港所属の龍が協力して降下率と速度を調整し、同時に気嚢内の”水素”を放出して浮力を減らし着陸する。

 その曲芸じみた着陸方法に今更ながらに感嘆するが、それよりも気嚢に使用されている浮揚ガスの方が気にかかった。

 原子番号一番、水素。尤も軽い物質であり製造も容易と、龍船の気嚢に詰めるガスとして申し分のない性能だ。


 ただ一つ、可燃性であり火が付けば一瞬で爆発炎上するという性質を無視するのならば。


 幸か不幸か、この世界では”夢”の世界におけるヒンデンブルク号爆発事故の様な重大事故は起きておらず、龍船に水素ガスを使う国家は未だ多い。方舟からヘリウムが潤沢に採取できる合衆国ステイツや、多くの従属国を持つ連合王国ユナイテッド・キングダムなどは水素の危険性を理由にヘリウムガスへの全面転換を果たしていたが、浮揚能力と言う点で見れば水素ガスに劣っており、龍船の輸送能力は今一と言う評価だった。

《皇国》の場合、水素ガスの性能に注目している点もあるが、実際の所ヘリウム供給国との関係がお世辞にも良いとは言えず、国内の需要を満たすためには危険な水素に頼らねばならないという寒い事情もあったりする。

 かくいう自分も、”夢”の世界を体験する前までは”危険だが我が国にとっては仕方がない”と割り切っていたが、今となっては”危険極まりないから全面廃止はよ。それができなくても、可能な限り乗りたくない”と思うようになった。

 葦原へ向かう際に、龍船ではなく時間のかかる連絡船を選択したのも、そういう事情があったからだ。


「こんなところで会えるとはね。鎮守府に用事でもあったのかい?」

「ええ、少し野暮用を」

「艦政本部の穴倉に籠っている君にしては珍しい。それに、随分機嫌もよさそうだ。その野暮用は随分有意義な物だったようだね」


 さて、龍船へ登場する前の軍関係者用の待合室で、どうして自分がわかり切った龍港の状況と龍船の欠点をあげつらっていたのかと言えば、何のことは無い、単なる現実逃避だ。

 トン、とわき腹を肘で軽く突かれて、憂鬱な現実への回帰を促される。ちらりと隣を伺えば、先ほどの機嫌のよさはどこへやら、ひきつった愛想笑いを浮かべている永雫の姿があった。張り付けた様な笑みの裏側では、一秒ごとにイライラが山積しているらしい。隣に立つ者として――彼女の性格をそれなりに見てきたものにとって――非常に居心地が悪い。

 元をたどればよくある話だ、手続きを済ませた後、目的の便までまだ時間があるからと防諜対策も施された待合室に入った瞬間、今目の前で機嫌よさそうに永雫に話しかけている美丈夫と出会った。直後、彼女の機嫌は牛乳大好きな空飛ぶ魔王様のごとく急転直下し、今に至る。


「ところで………。隣の方は?」


 ひとしきり会話を楽しんだ後で、美丈夫の鋭い視線が自分へと突き刺さる。

 180㎝は超えているだろう長身に、無駄な肉のついていないスマートではあるが強靭な体格。聊か童顔気味ではあるが、自信と威風に満ちた表情によってそれらは若々しさと言う方向へと昇華されている。日に焼けたのか地黒なのかは判別がつかないが浅黒い肌と黒髪黒目の端正な容姿、時折除く真っ白な歯も相まって、絵に描いたような皇国の青年将校と言えるだろう。

 だが、青年将校として異質な点が一つあった。身にまとう軍服は自分が身に着けるものとそう変わらないが、襟などの縁取りが銀糸ではなく金糸であり、階級章には太い銀線に金色の桜が一輪咲いている。

 皇国海軍近衛艦隊少将、目の前の自分とそう年の変わらない青年は”提督”と敬称される、一介の大尉にとっては雲の上の存在であった。

 彼女の不服そうな目配せを理解し、半歩前に出て挙手敬礼。相手は規律に厳しい近衛艦隊の人間だ、形式よりも実力を重んじる海上護衛総隊やそもそもそんな文化が廃れて久しい特造研とはわけが違う。


「特務造船研究室室長補佐、有瀬一春海軍大尉です」


 若干声が上ずっていないか心配になっている自分をよそに、目の前の青年は「ああ、なるほど、貴官が…」と納得したように二度三度頷いた。その言葉に含まれているのは単純な理解が大多数だったが、一つまみ程度の粘着いた様な感情も微かに含まれているように感じた。


「あいや、失礼。君の事は以前から聞いていたものでね。近衛第一航空戦隊司令兼龍翔艦長、源馬元就ゲンマ モトナリ近衛少将だ。よろしく頼む」


 おもむろに懐を漁った少将が「どうだ?」とこちらに煙草の箱を差し出す。銘柄は目にしたことがある。連合王国産の高級品だ。ありがたく受け取り、源馬の後に続いて火を付け、直後に顔をしかめそうになった。

 それは酷く甘ったるい代物で、正直言って好みに合わない。チラリと隣を見てみれば、微かに不愉快そうな顔をする永雫が見えた。彼女も、甘いものは好きだがこの煙草の匂いは苦手らしい。


「紅鶴では災難だったね」

「はい。いいえ、災難ではありましたが乗員と艦を失ったのは自分の責任でもありますので」

「真面目だな、そして目も良い。佐伯中佐の弁もあまり当てにするべきではないかな」


 紅鶴事件の後、不利な状況下でも敵海神の撃退に寄与したということで近衛艦隊に転属となった、嘗ての上官の名前が出て顔をしかめそうになる。風の噂によれば、新設される第3水雷戦隊の新型駆逐艦の艦長になるらしい。決して無能ではないうえに、敢闘精神も旺盛なのだから納得はできる。その下にもう一度つきたいかと言われれば否だし、向こうも同様であるだろうが。


「ところでどうだい?彼女、結構気難しいだろう?」


 それまでの軍人的な雰囲気を一部といて、世間話でもするかのような口調になった。そこに近寄りがたさは微塵もなく、人望の厚そうな人柄だと思わせる大らかさが見て取れる。

 もっとも、話のタネにされた永雫は「んなっ!?」と彼女にしては珍しい素っ頓狂な声を上げて傍らの有瀬と源馬を交互に見やっていたが。


「ええ、まあ。ようやく宥めるのにも慣れてきたころです」

「有瀬!」

「ははは!そう言えるのなら、心配は要らなさそうだ。実をいうと心配していたのさ、特造研に送り込まれる人間が全員直ぐに転属を願うものだから。それに…」


続いて紡がれた言葉に、隣の少女が一瞬身を強張らせた。


「未来のに友人の一人もいないというのは、個人的にどうかと思っていてね」

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