10th Chart:絵に描いた栄光



「微妙だな」

「何?」


 つい先ほどまで機嫌よく話していた少女の顔が一瞬で強張った。一見凄んでいるようにも見えるが、実際の心境はそんな単純なものでは無いだろう。でなければ、彼女の端正な顔に一瞬浮かんだ苦い表情の説明がつかない。


 ――妥協だと?はッ、これ以上妥協して何になる?


 先ほどの血を吐くような言葉が頭に浮かび、納得がいく。どうやら、この欠陥は彼女が言う”妥協”の一つと言うことらしい。


「27海里先の艦なんて双眼鏡を覗いてようやくゴマ粒レベルだ。直撃が期待できる有効射程距離は10㎞ないんじゃないのか?」

「………ああ」


 痛いところを突かれたという風に顔を伏せ、絞り出すような肯定の言葉を口にした。影になった顔は歪み、遂に渋面を形作っていた。


「甘い試算でも、10㎞離れれば命中弾は期待できないだろう。そしてそれは」

「戦艦の艦砲の射程内だ。逆に言えば、腹に爆弾を抱えて撃って下さいと言いながら射撃位置まで前進するほかないということだ」


「解っているさ」と力なく首を振った。


「私とて、それぐらいは解っている。電探誘導すら理解しようとしない馬鹿共に合わせようとしたのが、このザマだ」

「電探?電波探信儀か?」

「ああ。本音を言えば誘導弾自体に電探を積んで、撃ちっ放しFire-and-Forget能力を前提にしたかったが、船精霊に猛反対されてな。それで今度は誘導弾に方向探知機を積んで母艦からの電波照射でやろうとした。…今度は宵月部長に止められたがな。その妥協の産物がこれだ」


 大きく深い溜息を吐き出して頭を抱える永雫だが、頭を抱えたいのはこちらも同じだった。

 一体、彼女の頭の中はいったいどうなっているんだろうか?確かに、宵月部長を始めとする艦政本部の人間や皇国海軍上層部が扱いかねるのも解る。自分だって”夢”の知識がなければ、彼女の事を狂人としか思えなかっただろう。


 知ってしまったからこそ、頭を抱えたくなるのだ。


 今目の前で苦悩する少女が作り出そうとしているものを、自分は知っている。夢の世界あちら現実こちらで多少の差異はあるだろうが、その試みが首尾よくやれば成功するということを知っている。

 彼女はこの世界の技術史における強心剤、いや、起爆剤と言えるだろう。それも核融合反応を利用した極めて高い威力と危険性を両立した意味不明、用途不明な起爆剤。むしろパンドラの箱や知恵の果実と表現すべきか。

 もし、この世界の工業が”夢”の世界と同一であったならば、彼女は稀代の”理論家”としてその生涯を終えたに違いない。そして遥か未来で、先進的な発想を多数世に残したことを再発見され、その特異性で未来の人々を震撼させる。一種の英雄だ。


 だから、この問いは自分のみっともない悪足掻きに他ならない。


 基礎、冶金、電子工学等などの技術も、それらを大量に生産する設備も存在しないと叫ぶ”夢”の世界の常識を黙らせるには、この世界の住人の、それも当事者の断言が必要だった。


「一つ、聞きたいことがある」

「私が答えられる範囲なら」

「正直言って、理論は解る。が、実際に作れるのか?誘導弾に利用できるような電子回路や、推進装置は」

「何を言っている。作れるにだろう?確かに、従来のモノよりもはるかに複雑だが、概念記述コーディングのための部員をここまで集めたのはそのためだ」


「やはりか」と一つ零し、意図的に紫煙を深く吸い込む。


 そもそもの話、この世界の”工業”は夢の世界とは似ても似つかない代物だった。

 方舟の中で居住区と呼ばれているのは、家々が立ち並ぶ最上甲板と無数の集合住宅やレクリエーション施設が押し込まれた甲板下の数層のデッキに過ぎない。面積でいえば、ほんの一握りしか人類は方舟を使用していないことになる。

 方舟の大部分を占めるのは、鰭を動かすための生体金属で構築された筋肉繊維や前方水面下から浮遊藻類を採取し、エネルギーである神血や海油に変換する臓器、そして生体工廠だった。


「過去にも方舟の工廠は使われていた。むしろ、方舟の工廠があったからこそ、艦艇の大量造船が可能となり、結果的に海神帝の報復によって即座に人類は全滅しなかった。強力な兵装を持つ戦闘艦の必死の足止めがあったからこそ、方舟は未だ浮いているのだ」

「つまり方舟の工廠は、君が設計したような誘導兵器の製造実績があると?」

「実績は何とも言えないが、能力はあるにちがいないと踏んでいる。実際、制御室のコンソールの交換部品は工廠が製造しているんだ。私ですら解析できない海神の骸と我々を繋ぐ電子機器の部品を。できないと考えるのは、少々悲観的じゃないか?」


 生体工廠は方舟の各地に点在し、それぞれが方舟化する際に取り付けられた”制御室”を持っている。

 この工廠はもともと、拠点級海神が子供である護衛級海神の神体や武装を生み出す生殖器官に近い代物だった。夥しい数の触手状のアームが壁面から伸び、先端から生体金属や精製された各種素材を放出、整形、凝固させながら、3Dプリンタのように海神を建造していく鋼の子宮。

 人の手によって方舟に作り替える際、十分な生体金属さえあれば様々な材質や形状、機器を作成できる器官を撤去する道理はない。

 今でこそ失われた技術となってしまったが、過去の人類はこのグロテスクな生殖器官に制御室を設けることで、設計図と海神が生み出す生体金属さえあれば、何でも製造できる超巨大生体3Dプリンターとして利用したのだ。この工廠の能力は非常に高く、特に皇都と扶桑に存在する第1、第2大型造船廠ならば2万トン級戦艦を1週間で竣工させることすらも可能だった。

 ただし工廠に物を作らせるための命令に大きな問題を抱えていた。ある種の難解なプログラム言語で記述された専用のコマンドが必要になるのだ。この、人間が理解できる設計図を工廠に仕事をさせるためのコマンドに書き換える作業の事を、概念記述コーディングと呼んでいた。

 海神から採取される生体金属を自動的に分解、精製し、全く別の合金へ組み替えることすら可能な工廠を制御するプログラムは膨大な物であることは想像に難くない。そこに、艦と武装の設計情報も加われば、実際の建造時間よりもコマンドの入力の方に多大な時間がかかってしまうのだった。


「制御室の電算機には、過去に登録された莫大な量のプログラムコードが存在する。コンソールの交換部品の製造も、そのプログラムコードのうちの一つだ。ほかのコードは大部分が破損しているが…使えないのならば自分で作るほかない。真空管だろうがトランジスタだろうがICだろうが、極論してしまえば無機物の集合体だ。原理を理解すれば概念記述コーディングは可能だ」

「なるほど。後は、コストか。こいつを一隻作るのに、生体金属は何トン必要だ?ああ、概算でいい」


 最後に投げかけたのは、ある意味では海軍が最も重要視する項目だ。

 生体工廠で艦船を建造する場合、必要となる材料はすべて海神由来の生体金属で賄われる。工廠では生体金属を一度原子単位にまで分解し、目当ての物質に作り替える機能すら備わっているため、希少金属やゴムなどの資源は必要ない。

 第二次大戦の枢軸国の軍官僚が聞けば卒倒しそうなインチキ性能だったが。鉱山なんて存在せず、海底資源開発など夢のまた夢な方舟国家にとっては、これほどまでの性能をもつ工廠がなければ滅亡不可避だった。

 とはいえ実際の所、投入した生体金属全てを完全に利用できるわけではない。500トンの生体金属を材料とした場合、建造されるのは排水量500トンの艦ではなくそれよりも小さな艦となった。

 また、海神一体から採取できる生体金属の量は損傷の度合いなどから安定はしないが、1000トン級護衛型の場合500トン前後が平均的な値だった。

 今、目の前にある図面の常備排水量は11000トンが予定されている。ならば必要な生体金属の量は…15000トン程度だろう。単純計算で防護巡洋艦が2隻と駆逐艦1隻作っても釣りが出そうだが、中途半端な誘導弾をもっとマシなものに換装すれば発揮できる戦闘能力は戦艦並みかそれ以上だ。


「…………―――――トンだ」

「…は?」


 聞き間違いだろうか?何やら、とんでもない数字が聞こえた様な気がするが。呆けた顔で思わず彼女の顔を見つめる。自分の視線を受けた若き技師は拗ねた様にそっぽを向いて、できれば空耳であってほしかった数字を吐き捨てた。


「24500トンだっ!」


「いや高っ」「う、うるさいっ!」思わず素の反応を返した有瀬に、永雫も顔を赤くして反論する。大人びた印象は消え失せ、年頃の少女のような雰囲気がにじみ出た。


「私だって解ってるんだ!初瀬型戦艦でも22000トンだからな!でも仕方がないじゃないか!これでも抑えた方なんだぞ!?文句があるなら生体工廠に言ってくれ!誘導弾や電探積むだけで馬鹿みたいに跳ね上がったんだ!」

「なんで机上の兵器なのに、そんな正確な数字が出てくるんだ。工廠はどこもかしこもフル稼働のはず。貸してもらえたのか?」

「それができれば苦労はしない。貸してもらえるわけないだろう?」


 大きくため息を付くところを見るに、工廠の制御室をめぐってひと悶着あったようだ。制御室のコンソールはコードを打ち込むインターフェースであるのと同時、工廠運転時の制御盤でもある。眉唾物の艦のコスト試算という名目では借りられなかったのだろう。


「方舟の最下層、完全放棄区画に制御室を見つけてな。工廠の機能は完全に破壊され、制御室の電算機自体も艦本体どころか兵装一つを計算できる程度の能力しか生き残っていなかったし、コードの保存機能も死んでいた。だが、モノはやりようだ。艦本体は今までのデータから類推し、そこへ兵装や電子機器に必要なコストを個別に割り出して積算した」


 その制御室で電子装備の図面を概念記述コーディングして入力してみれば、問題なくコストや予想性能がひび割れた画面に出力されたらしい。だからこそ彼女は、技術レベルの”飛び級”が可能だと判断したのだ。


「それが、これか。確かに実績のない巡洋艦を戦艦以上のコストを払って建造できるほど、近衛の連中も博打屋ではないよな。……ところで、もしもこの誘導弾を電探誘導型に変えた場合は…どうなる?」

「ざっと160トンばかり増えることになるな。予備弾は含めずに、だ」

「何がどうなったら1基あたり10トンも増えるんだ?」

「知るか。私が聞きたい」


 どちらからともなくため息が漏れる。ため息とともに吐き出した薄い紫煙が、複雑な模様となって二人の間に滞留した。

 二万五千トン近い生体金属、その確保は困難を極めると言っていい。単純計算で1000トン級護衛型を50隻ばかり狩らなければ、必要な量は集まらない。

 いや、仮にも主力艦であるのなら生体金属は巡航級以上、欲を言えば戦列艦級の良質な部材が必要だ。しかも、相手が戦列艦級ともなるとこちらの被害も馬鹿にならない。損傷した艦の修理や弾薬の補充、消費される燃料。勝ち得た資源を全てこの艦の建造に回すわけにもいかないため、手元に残る量は高が知れている。

 対艦誘導弾を搭載した艦の有用性を身をもって知っている自分ならともかく、この世界の海軍の人間が全身全霊をかけて建造に取り組めないことを責めるのは酷だろう。


「前途多難、だな」


 まさしく絵にかいた餅。いや、絵に描いた栄光だ。どれほど高性能でも、概念上の存在では海神を滅ぼすことなどできはしない。

 彼女の苦労を目の当たりにし、思わず天井を仰いだ。理解されない天才。歴史上ではその逆境をはねのけて大成する人物がちらほらみられるが。時代と人に理解されず消えていった天才はその何倍存在するのだろうか。

 もしも、彼女がここではなく終戦直後のアメリカやソ連にいたならば、栄達を約束されていただろうに。

 そんな考えを転がしながら天井から視線を元に戻す際、ふと壁に貼り付けられた設計図の群れに見覚えのある艦形を見つけて視線が止まる。上面図が描かれた下半分は本棚やその上に積まれた資料に埋もれてしまっているが、側面図はその多くがかろうじて視界に入っていた。


「大尉、あれは」

「私が書き上げた”娘達”さ」


 殆ど耳元から届いた声に、ドキリとして振り返って見れば、レンズ越しの深い青の瞳がすぐそばにあった。自分が天井を見上げた後、壁の設計図に目をくぎ付けにされていたからか、彼女が身を寄せるように隣に座ったことを感知できなかったらしい。

 頭が一瞬クラッとしたのは、彼女の呼気に含まれる酒精が原因に違いない。女性特有の甘い香りは関係ないはずだ。

「だ、大尉?」と顔が引きつる自分に対し、端正な顔が静かに伏せられた。


「私は生まれて初めて、人事部に感謝している。無論、貴様にもだ。正直言って、私の”娘”を真正面から批評してくれたのは貴様が初めてなんだ。礼を言わせてくれ」


 紡がれた言葉は、場違いなほどに穏やかで柔らかな声に乗せられていた。ともすれば、睦言のようにも聞こえかねないほどに満たされ、落ち着いた声。

 夢の世界でもこの世でも女性と対峙した経験があまりない彼にとっては、正直言って対応に困った。確かに彼女の考えに理解を示しはしたが、まさかここまで好意的に取られるとは思いもしない。


「礼を言われるほどの事じゃない。用兵側として、高性能な艦は喉から手が出るほど欲しい。それができる立場にいるのなら、口も手も出す。まだ死にたくはないし、これ以上死なせたくもないからな」

「同感だ。私も………いや、何でもない」


 何かを振り切るように首を振って言葉を濁した彼女に怪訝な目を向けてしまう。その際に揺れる髪の向こうに、微かに色づいた耳が見えた様な気がした。

 自分の視線に気が付いたのか、顔を上げた彼女はしんみりした空気を仕切りなおす用に、場違いなほどに明るい声を出す。


「さて、では早速取り掛かるとするか」

「え?いや、そろそろ終業時間じゃ」

「そう遠慮するな、給金は弾むし時間も無いんだから」


「時間?」と不吉なことを宣う彼女に対し、冷や汗が滲んでくる。こちらの不安を裏付けるかのように、逃がすまいと永雫の片手が自分の肩をつかんだ。


「いつ海神帝が現れるかもしれんのだ。近衛艦隊の次期主力駆逐艦の策定会議もあるし、貴様の柔軟な思考が必要なのは言うまでもないことだろう?」

「いや、ぼ、僕はそこまで技術に詳しくは」

「ガスタービンの利点と欠点を眉一つ動かさずに評価し、対神誘導弾の欠点を見抜く程度には私の論文を読みこんでいるのだろうが。これで詳しくないとは言わせんぞ」


 わぁい、墓穴掘ってるぅ…


 現実逃避気味の有瀬をよそに永雫はゾッとするほど美しい笑みを浮かべた。

 この瞬間を写真で切り取れば、美少女の満面の笑みという唯の眼福な光景だが。その雰囲気は長年探し求めた獲物をようやく見つけた、空腹の極みにいる蛇としか言いようがなかった。


「いや、ちょ、近くないか?」

「どこぞのバカが、まともに掃除をせんから座る場所がないから仕方なかろう?」


 と言いつつ、ぐいぐい体を寄せてくる。如何にも止むをえないと言う声色だったが、悪辣な笑みを浮かべたままなのを見るに、完全に自分の反応を楽しんでいるらしい。


「さっき見たく向かい合えばいいじゃないか」

「図面が見にくくなるだけだ。なんだ、貴様まさか童貞か?」

「どどどど童貞ちゃうわ!」

「あ、自分ら定時なんで上がるわね」

「お疲れ様でした」

「それではまた!あ、そうだ。小豆買ってこなきゃ」


 棚ボタに近い理解者の登場を好機ととらえ、面倒な仕事を投げられる前にぞろぞろと――約一名、何かを思いついたのか唐突に使命感に目覚めながら――船精霊たちが帰宅の徒についていく。

 後に残されたのは不必要に体を密着させて弄りがいのある理解者の反応を楽しむ魔女と、体よく生贄に捧げられた青二才艦長だけだった。


 艦を失った海軍将校の配属初日は、今後の波乱を予感させるように賑やかに過ぎ去っていった。


「あ、変な気起こしたら殺すからな」

「ねーよ」

「…それはそれで頭に来るな。よし失血死か溺死か好きな方を選べ」

「タイヘンミリョクテキデゴザイマス」

「棒読みだな、殺す」

「理不尽ッッッ!」



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