9th Chart:魔女の苦悩と妥協の産物


「まあ、楽にしろ。ここには鬱陶しい特高も憲兵も来やしない」


「少し荒れてるがな」と苦笑してローテーブルの上に散乱した紙束を乱雑に向こうへと押しやる。書類の下に隠れていた天板の半分程度が部屋の明かりのもとに浮上し、結果的に自分と向かいあってソファに座る彼女との間の空間が使えるようになった。


「少しは片づけたらどうだ?」

「今週はハクの当番だ、アイツの時は大体こうなる。1週間の辛抱だ」


 そういえばこの部屋に入る際、やたら散らかった船精霊用のデスクが一つあったことを思い出す。個人の机は個人で、共用スペースは持ち回りで、と言うことなのだろう。事務屋として片付けが苦手というのは致命的なような気がするが、それを室長自身が許容しているのだから口をはさむ必要はなかった。

 デスクの方を見てみれば、紫髪の船精霊ライ黒髪の船精霊サキはそれぞれ自分の席に戻っているようだ。記憶が正しければ、あの二人が据わっている机はよく整頓されていたはず。

 視線を正面に向ければ、いつの間にか彼女の手には赤黒い葡萄酒の瓶と2つのグラスが握られていた。ローテーブルのせいで大部分が見えないが、どうやらソファの足元が引き出しになっており、そこに隠されていたらしい。よく磨かれたワイングラスが2つ、照明を鈍く反射している。


「職務中じゃないのか?」

「それは艦政本部地上の話にすぎん。ここでは私が法だ」


 ドヤァ、とニヒルな笑みを浮かべる少女。何一つ威張れないはずなのに、無駄に威厳があるのはどうしてだろうか。何というか、実は皇族でしたと言われても違和感が微塵も感じられなかった。


「594年の安物だが、個人的に嫌いではない。葡萄酒はいける口か?」

「残念だが、下戸でね。何を飲んでも明日の午前中までは頭痛が収まらない」

「なんだ、つまらん。煙草は?」

「地下室だろう?ここ」

「あいにく、排煙ダクトの性能だけは無駄に高い。それに私も、部下も気にせん」


 何でもない事のように言いながら、テーブルの書類の山に手を突っ込んで、簡素なガラス製の灰皿を引きずり出した。部分的にかけた灰皿の縁には塗装の大部分がはがれた”Imperial Navy”の文字が微かに残っていた。これは確か見覚えがある。毎年の合同演習の際に出店で売られる土産物だ。


「廃棄品を整理していたら出てきたものだ。このところ喫煙者が居なかったから、即席麺の重りや文鎮ペーパーウェイトになっていた。ちょうどいい、貴様にやる。灰の掃除は自分でやってもらうが」


「それはどうも」と体よく押し付けられた格好になった灰皿を手元に置き、内ポケットから煙草を取り出した。

 ”夢”の世界では、煙草は陸生植物で人体に有害な代物だったが、この世界では異なる。原材料も陸上植物ではなく、養殖場で生産されるタバコアマモという海草の一種だ。見た目は紙巻き煙草シガレットと言うより、シガレット並みに細い葉巻シガーに近い。

 香りは”夢”の世界の煙草と一点を除き似たようなものだが、人体への害は皆無というのが特徴だった。実際、影響はあるものの、統計で確認できるほどの害を及ぼすほどの影響を与えないというべきか。”夢”の世界の人体は何かとだったから、もしかしたらこの世界の煙草でも大量の肺がん患者を出す可能性は十分にある。

 取り出したものを口に咥えた時、マッチを取り出す前に目の前に黒い砲口が付きだされた。砲身の先をたどるとトリガー式のスイッチを持つライターに行き着く。


「万一、火のついた”頭”が飛ぶと厄介だからな。以後は注意するように」

「了解」


 よろしい。と砲口に火花が走り、一瞬後で目の前に親指サイズの炎が揺れる。風情なんぞどこにもない絵面を、できる限り頭の片隅に追い出しながら火をつけ、磯の香りが歩の如何に香る煙を吸い込んだ。

 火を消した点火棒をこちらへ放り投げた少女は、いそいそとコルクに栓抜きをねじ込み、手慣れた様子で力を籠める。


「そもそも…君いくつだ?」

「17だが?貴様は?」

「19」

「19で大尉か、早いな」

「君ほどじゃない」


 こちらの微かに揶揄いを込めた言葉を、面白くもなさそうに鼻で笑いワインボトルを傾ける。深紅の液体が零れ落ち、ガラスにそって滑らかなカーブを描きながらグラスの底にたまっていった。途端に、周囲に葡萄の芳醇な香りが微かに広がった。

 国家によって異なるが、成人は15歳前後。生物としての成熟はそのあたりでおおむね完了する。この世界の住人の成長が”夢”の世界の住人よりもわずかに早いために起こる現象だった。

 また興味深いことに、この星の住人は老化が緩やかであり、かなりの老齢まで第一線で活躍ができた。事実、第二艦隊司令長官の古井中将は既に80を超えているが、外見上は――地球基準で――よく言って50代前半だった。

 その結果、子孫を残せる年代は地球人に比して非常に広いが、出生率は地球人を大きく下回っているうえに海神の影響もあり、人口爆発どころか緩やかな減少を続けているありさまだった。

 なお、皇国海軍兵学校は15歳で成人と同時に卒業し、海軍少尉候補生に任ぜられ各部署へ配属。約1年後に晴れて少尉となり、そこから2,3年で何事もなく職務を務めれば中尉、20を少し超えたあたりで大尉に任官し水雷艇を任される場合が多かった。


「しかし葡萄酒が飲めないとなると……おい、ハク。適当に出してやれ」

「承知しました、お嬢様」


 いつの間にか近くへ来ていた船精霊が無駄に恭しく答えを返し、部屋の一角の給湯室へ消えていく。どうせ冗談の類なのだろうが、その立ち振る舞いが妙に様になっていた。


「奴は元々ウチの使用人だ。この物置に放り込まれたときには、まともな部下もなかったからな。実家から引っ張ってきたんだよ」

「それでいいのか艦政本部」

「知るか。ま、奴らとしては自前で手勢を用意する分には歓迎してくれたよ。生贄を送らずに済むとな」


 言葉では諧謔味を込めたつもりらしいが、レンズの向こうからグラスの中で揺れる赤い雫を見る目は全くと言っていいほど笑ってない。


「おまたせ!アイスティーしかなかったですけど、いいですかね?」

「酒じゃなければなんでもいい」


 どこかで聞いたようなセリフをぶち込んでくるハクから、琥珀色のアイスティーが注がれたロンググラスを受け取る。飲み物を渡した船精霊は、同僚たちがペンを走らせる机へと歩いて行った。

 視線を前に向けると、一通り香りを楽しんだ永雫が軽くグラスを掲げた。


「では、乾杯だ。何はともあれ、よろしく頼む」

「こちらこそ。微力を尽くさせてもらう」


 ガラスが触れ合う小さな音が手と耳に伝わり、琥珀と深紅が揺れた。


「んく…。はぁ」


 グラスの中の液体深紅を一息に飲み干した少女が熱っぽい吐息を漏らす。頬は緩んでいるが、どうにもその眼には影がかかっていた。


「もう少し味わったらどうだ?」

「今度こそは、と叩き付けた設計が不採用で、しかも晒し者にされたんだ。自棄酒ぐらいは許せ」


「ああ、あれか」と視線をテーブルの向こう半分に山積みになった書類の一角へと向ける。その先には乱雑に折り重なる書類の中の、ちょうど天辺に乗せられた一枚の図面があった。

 自分の視線に気づいた少女の腕が伸び、件の図面を引き寄せる。


「軍機じゃなかったのか?」

「室長補佐への着任の挨拶はさっきしただろ?もう身内だ。そんなことより貴様、ついさっきなにか口走ってなかったか?」


 深淵が微かに細められる。好奇心で敷き詰められた視線の中に、一握りの不審が込められている。驚くべきことに、目の前の少女は自分が零した独白以下の呟きを、部下と言い争いをしながら聞いていたらしい。

 さて、どうするか。

 正直に話したところで信じてくれるはずはないだろう。狂人と笑われるか、精神科に送られるのが関の山だ。


「いいや。ただ、あまりに独創的で面食らっただけさ」

「ほう?”独創的”とな。では、どのあたりがどう独創的なのか言ってみろ。所感でいい」


 薄い笑みを浮かべながら空になったグラスへ再び葡萄酒が注がれる。求められているのは、個人的な感想だろう。赤い液体の水面が落ち着くまでの間、考えを転がして口に出した。


「まず、機関だ。今の海軍艦艇はほぼすべてが蒸気ピストン駆動だが、この艦はガスタービン駆動。しかも、低馬力巡航用と高馬力戦闘用を混載している。機関の完全停止状態から即座に最高速度まで持っていけるだろう。燃費についても、巡航用機関を別に備えることで工夫している」


 諦観を浮かべつつ、口元へグラスを持って行った永雫の動きがピシりと固まった。

 無理もない、彼は何でもない事のように言葉を紡ぐが、それは先ほどの会議で必死に主張しても誰一人耳を貸さなかった、理解しなかった事柄だったからだ。

 有瀬にとっては”まず手始めに”程度の感想だったが、彼女にとっては青天の霹靂と言っても良いほどの衝撃を与えていた。


 この時代世界の艦は海油専燃式ボイラーで海油――海神や方舟が生成する神血から生成したモノ――を燃やした熱量で蒸気を作り、ピストンへ導いて出力を得る蒸気ピストン式の駆動方法を用いている。大雑把な言い方をすれば、蒸気機関車と理屈は同じだ。

 ボイラー式の場合、機関の火を完全に落として停止してしまえば再起動まで数時間はかかる。巨大なボイラーを温め、同じく巨大なピストン機関を駆動させる高温高圧の蒸気を生成するためには必要な時間だ。また、出力の増減に比較的時間がかかり、機関部も重く大きくなる欠点も持っていた。

 対してガスタービンは、小型・軽量・大出力であり出力の増減も迅速に行える。ただし、減速機が巨大になることや、小型ゆえの重心バランスの考慮、燃費の悪化や大量の吸気が必要等の欠点も持つ。しかし、減速機が巨大になるとはいってもシステム全体で見れば許容できる葉にであり、小型ゆえに艦底部でのバラストとしての能力の欠如については、当初から設計で考慮しておくことでカバーが可能。燃費の問題も巡航用と戦闘用の2種類を搭載することで改善を図っていた。


「艦が敵よりも優速と言うのは何物にも代えがたい利点だ。戦場や射撃位置にすばやく移動し効果的な打撃を投射できるし、敵からの攻撃に対して回避手段も多くなる。また、敵の戦力を見て決戦か回避かを選択し、こちらに有利な状況での戦闘をある程度強いることもできるだろう。艦隊決戦でも、通商破壊でも足の速さは有用だ」


 格上の艦から逃げる足と、格下の艦を確実に葬り去るだけの火力と装甲。これらを両立する戦闘艦は敵に――特に、広大なシーレーンを持つ国――とって頭痛の種に他ならない。


 ”夢”の世界でのドイッチュラント級装甲艦は、建造国からは”巡洋戦艦の出来損ない”、”政治が生んだ艦”と酷評されたが、世界中に植民地を持つ連合国からは警戒されていたという。


 自分の言葉に何ら反応を返さない少女の様子が気になり、テーブルの上に置かれた図面へと注がれていた視線を、一瞬だけ永雫へと向けた。彼女の顔が見えたのは、ほんのわずかな時間だったが、どういうわけか彼女は絶句しているらしい。そこまで的外れなことを言ってしまったのかと、内心で首を傾げた。

 有瀬自身、この異端とも言っていい造船技師が絶句するような頓珍漢なことを口走ったとは思えなかった。これでも、同期の中ではかなり早く大尉になり、定かならぬ”夢”の世界で無数の書物に目を通してきた人間だ。艦の設計を一からやることはできないが、図面に描かれた艦の性能を類推し、評価することは可能だと自負していた。

 しかし、造船技術における”夢”の世界とこの世界との常識のズレを、完全に認識しているとは言い難い。ある種の無頓着さ、それが永雫の絶句へとつながっていた。


「主砲口径が艦体に対して少々心もとないが、防護巡洋艦以下の小型艇を相手にするのであれば必要十分だ。130㎜級速射砲なら対空砲火に転用もできる。そんなことよりも特筆すべきは前部両舷に連装八基一六門のこいつだ。これは、大型の対艦・神兵器と見たが、どうだ?」

「……い、いかにも。こいつは試製重対神誘導弾の連装発射筒だ。射程は約27海里50㎞、弾頭は半徹甲式で500㎏のトリニトロトルエン、飛翔速度は約600 ktマッハ 0.9だ」


 確認を取るような問いに、呆然とした顔を向けていた少女が一瞬言葉に詰まった。その後はなるべく機械的に性能を語ってくれるが、その声は微かに震えている。怒り……にしては敵意が見られない、では歓喜か?いや、まさか。


「無誘導か?」

「まさか!手動指令照準線一致誘導だ。飛翔体尾部にはマグネシウム式のフレアを搭載し、発射した飛翔体を母艦側で操作し突入させる」


 手動指令照準線一致誘導。仰々しい名前だが、ざっくり言ってしまえばラジコン誘導だ。発射されたミサイルを無線操縦で敵に突入させる最初期の誘導方法であり、使いこなすには熟練を要する。

 いや、そんなことはどうでもいい。艦型がスラヴァ級に酷似していることから、まさかとは思ってはいたが。MCLOS誘導式のP-15テルミートとも呼ぶべきものを搭載する気だったとは。いや、P-500バザーリトP-1000ヴルカーンが出てこない分マシ……なのか?

 ともかく、12 inch305mm砲を搭載した前ド級戦艦が現役の時代に飛び出ていい代物ではない。確かにこれらの”火器”が実現し量産されれば、この世界の技術レベルの艦や海神程度なら蹂躙できるだろう。オーパーツも大概にしやがれ。

 頭の中で軽口を叩きつつ、一つ小さくため息を吐いた。確かに、革新的な艦としか言いようがない。しかし、武装と艦体にどうにもちぐはぐな印象が胸に残ったせいか、率直な感想が口を突いて出てしまった。






「微妙だな」


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