8th Chart:特務造船研究室


 ――マトリクス室長は現在、次期近衛艦隊防護巡洋艦策定会議に出席しているため不在です。ただ、もうすぐ終わりますので研究室で待機しているといいでしょう。先に、船精霊の諸君と交友を深めるのもいいかもしれませんね。





 そんなアドバイスを受けてから十分後、有瀬は艦政本部第4部の地下区画にて鋼鉄製のドアの前で足を止めた。

 むき出しの鉄板によって構成された通路はところどころ錆びており、人が何とかすれ違えるほどの幅しかない。視線を壁と天井に向けてみれば、大小さまざまな配管がのたうち回り、蜘蛛の巣とホコリに薄く覆われた頼りない電灯の間に口を開けた闇と闇とを結びつけている。耳を澄ませば、配管の中を流れる流体と不規則に回転する送風ファンが、生物的な恐怖をあおる呻き声を上げていた。

 海軍省の一角だというのに、どういうわけか巨大な魔獣の腹の中にいるような気分になってくるのは気のせいだろうか。


「何ともまあ、露骨な…」


 扉の横の”特務造船研究室”と書かれたプレートを確認、自分が道に迷ったわけではないことに安堵する一方、想像以上の扱いの悪さに溜息が出そうだった。

 隔離部屋と言う意味を嫌になるほど理解する。事実、ここから第四部のオフィスに行くまでには、曲がりくねった道と急なラッタルを複数通り抜けねばならなかった。ここまで奥まっていれば、好き好んでくる人間も皆無だろう。

 この陰気な場所が当分の間自分の仕事場になる事実を頭から極力追い出しつつ、扉をノックし足を踏み入れた。


 直後。


「ゲルググゥッ!?」

「グフッ!?」


 開け放った扉から悲鳴とともに突っ込んできた赤毛の船精霊が顔面に直撃し、そのまま後ろの壁へと強かに叩き付けられてしまった。






「いやー、どうもすみません。ほら、サキちゃんも謝って」

「うぅ…すみませんでした、大尉。ってか!もとはと言えばお前が原因じゃねーか!」

「それはそれ!海軍官僚たるものユーモアを解さなければなりませんですし、おすし?」

「豆腐の角に頭ぶつけて死ね!」


 目の前で繰り広げられる不毛な会話を胡乱な目で眺めつつ、後頭部に当てた保冷材の位置を調整する。

 開けられたドアからぶっ飛んできたのも、ソレをぶっ飛ばしたのもこの研究室に在籍する船精霊だった。話を聞く限り自分の顔に飛んできた赤毛の船精霊――ハクと名乗った――は、サキと彼女が呼ぶ長い黒髪の船精霊に渾身の右ストレートを食らったようだ。

 船精霊の筋力は成人男性のそれと遜色がないが、体重自体はひどく小さい。そのため、本気で殴れば漫画のように体が宙を舞うこともあった。


「まあ、この二人はいつもの事ですから。あまり気にしないでください」


 目の前の二人よりも幾分落ち着いた声とともに、意味不明な記号が羅列された藁半紙に占領された目の前の机に、湯気の立つ緑茶が置かれる。茶を置いた者も船精霊であり、長い紫の紙とフチなしの眼鏡が印象的だった。

 船精霊と言えば中性的な容姿が特徴だが、中にはこの3人のように少女と断言できるような容姿を持つ者もいた。


「ありがとう。君は…」

「ライ、とお呼びください。特務造船研究室へようこそ、有瀬大尉」


 一見わからない程度に微笑む船精霊。テーブルの向こう側で殴り合い一歩手前、いや、今まさにポコスカ殴り合いを始めた2人よりはよほど話しやすそうだ。


「こちらこそ、よろしく頼む。ところで、この研究室には船精霊しかいないように見えるが…」


 研究室自体、もともとここにあった物置を改造――というよりも占拠――して設置されたもののせいか、あまり広くはない。

 入口から向かって左側に机を付きあわせて作られた島が2つ作られ、それぞれに10人程度の船精霊が付いてペンを走らせている。さらに、その奥には人間用の標準的なデスクが設置され、天板の端には”室長”と書かれた黒い四角柱上の名札が置かれていた。おそらく、あそこが”彼女”の席だろう。

 対して向かって右側には、ローテーブルとそれを挟んで向かい合うように配置された2脚の3人掛けソファと、上座に据えられた一人掛けのソファ。どれもこれも、どこかで拾ってきたものなのか微妙に統一感がない。

 テーブルやソファの上には書籍や書類、図面が山積みになっており、現在進行形で対面するソファで取っ組み合る二人の船精霊は、うずたかく積まれた書類の雪崩に巻き込まれている。

 壁側には大量のファイルを詰め込まれた棚がびっしりと並び、それだけでは足りないのか棚の上にも書類が山積みになっていた。

 研究室が資料に埋もれているというよりも、資料の山の中に研究室を据えたと評するのが適当だと思えるほどだった。

 そんな仕事場を眺めながら発した自分の問いに、ライは微かに眉根を寄せて小さくため息を吐いた。それは、自分も憂慮していることだとでも言う風に。


「ええ。実際、この研究室はマトリクス大尉以外は全員船精霊です。私も、どちらかと言えば助っ人としてここに在籍しているのですが………はぁ…」


 大きなため息を吐きだす船精霊の表情には大いに影がかかっている。おおよそ検討はつく、エキセントリックすぎる同僚ハクとサキに振り回されているのだろう。


「私は主に機関を中心とした艦の機動性に関わる分野の統括をしています。ハクは咆熕兵器や水雷、測距などの攻撃に関わ分野を、サキは装甲やダメージコントロール等、艦船の防御に関わる分野の統括と全体の統括を行っています。と言っても、室長が設計した部品の概念記述コーディングが中心ですが」

概念記述コーディング?」


 聞きなれない用語に思わずオウム返しに聞き返す。いや、正確には”夢の世界”では聞き覚えのある単語だ。確か、コンピュータに使用するプログラムを、プログラム言語を用いて作成することを意味しているはずだ。

 こちらの問いに「ああ、そういえばあまり知られている用語ではないですね」と思い出したかのようにポンと手を打った。案外、うっかりしているところもあるのかもしれない。


「簡単に言えば、工廠に実物を作らせるための設計図ですよ。我々が普段使う言語を”工廠は理解できません”から」


 工廠をまるで”生物”であるかのような物言いに、自分の頭の中に存在する2つの世界の常識が音を立てて衝突しそうになった時だった。



鋼鉄製の入り口が乱暴に開け放たれ、一人の人物が足音も大きく扉をくぐった。



 深い海の色を呈した長髪は乱暴に足を前に出すごとに揺れ、食いしばられた口からは歯ぎしりの音が聞こえてくるようだった。肩を怒らせながら部屋の真ん中を突っ切り、自分のデスクへと握りしめていた書類の束を叩き付ける。

 それなりの分厚さを持った書類が盛大な音とともに机の上に折り重なり、この部屋の中の物品では上等な物に当たる椅子が乱暴な着席に抗議の軋みを上げた。

 絵に描いたように激怒している人物――永雫エナ・マトリクス造船大尉に、自分たちの上司の乱痴気騒ぎを我関せずとスルーしていた船精霊が、ただでさえ小柄な体をますます縮めてしきりに目配せをし始めた。その姿はどこか、沈没寸前の艦から逃げる算段を整えるネズミの群れのようにも見える。

 対して、埋もれた書類の山からはい出したハクとサキは、「またか」とでもいう風に大げさに肩をすくめた。どうやら、この後何が起こるかを熟知しているらしい。

 しばらく奇妙な沈黙が続いたかと思うと、静かに少女の口からこぼれだした言葉が停止した時間を再始動させた。


「………今から言うものはここに残れ。サキ、ハク、それとライ」

「じゃあ出ます」

「オタッシャデー」

「体に気を付けてネ!」

「じゃあの」

「サラダバー!」

「それではまた!」

「いや、お前は残るんだよ」

「な、なにをするだー!」


 押し殺したようなエナの声に、これ幸いと名前を呼ばれなかった船精霊たちが我先に部屋を後にしていく。なお、どさくさ紛れに逃げようとハクはサキにアイアンクローを食らいながら室長の執務机の前に引きずり出された。

 いつの間にかライもため息を付きながら机の前に立っている。これで、エナの目の前には3人の船精霊が横一列に並んだ格好だ。自分は、部屋を出るタイミングを失してしまったのでソファに座りながら事の成り行きを見守ることとする。


「…で、どうだったわけ?」

「…………だ…」


 現時点で研究室のNo.2であることを盾に、両隣の同僚から先を促されたサキは、心底嫌そうな声とともに半ば分かり切った問いを投げかけた。返ってきたのは絞り出したというよりも、決壊寸前のダムが決壊する直前の、最初の一滴と呼ぶべき言葉だった。ならば、その後に続くのは激流だと相場が決まっている。


「不採用だ!」


 ダムの決壊とともに、血を吐くような少女の絶叫が研究室の中に反響し、両手を天板に叩き付けて立ち上がる。


「またも!不採用だったのだ!どいつもこいつも!やれ前例がないだの予算の都合だの!近衛艦隊はいつから無能共の集団になったのだ!?私は!愚弄されるために会議に出ているわけではないっ!」

「いやー、愚弄っていうのはどうかと」

「説明だけさせて、後はすべて無視など!愚弄以外の何物でもないわっ!奴らは!私を!”居ない”ものとして扱った!真正面から論陣すら張れない!近衛艦隊は腰抜けだ!腑抜けだ!卑怯者だ!売国奴だ!艦隊旗焼いて全員腹切れヴァーカッ!」

「室長、さすがにそれは言い過ぎでは」

「あんな連中が我が国の栄光ある精兵だと?笑わせる!」


 思わず投げつけた万年筆が机の天板に跳ね返って部屋の隅へと転がっていった。


「栄誉などあるものかッッ!奴らは近衛と言うだけで偉ぶっているが、近衛艦隊で何をやっているか知っているか?時代遅れの鉄くずを海に浮かべて、愛玩動物の龍籠にして遊んでいるだけだろう!?」


 自分の記憶では、皇国海軍近衛艦隊の艦はその全てが最新鋭艦で占められていたはずだ。だが、目の前で髪を振り乱しながら遣る瀬無い怒りをぶちまけている少女にとっては、それらはすべてガラクタに等しいらしい。


「奴らが頭で考えることなど、ペットに爆弾を抱かせて敵艦に突っ込ませる、自殺まがいの”大道芸”だ!陛下は一刻も早く奴らを粛正しておくべきだ!連邦の書記長のようにっ!」


 5大国の内でも《連邦》の立ち位置はある意味で新興国と言える。何せ、それまであった王制を労働者と一部の異端者達が武力革命によってひっくり返したのだから。特に現在では国家元首に等しい権力を振りかざす”書記長”は王室に忠誠を誓う王室艦隊を、投降を許さず皆殺しにしたらしい。

 それと同じ所業を陛下に要求するとは…ここがこんな地下でもなければ、特高がワクテカしながら乗り込んできただろう。


龍砦巡洋艦ドラゴン・クルーザーなど…龍砦母艦ドラゴン・キャリア―など、何の役に立つ………」


 あらかた怒りを吐き出したのか、それともこんな地下で叫び続けることに虚しさを覚えたのか、消え入りそうな声とともに椅子へと深く座り込んだ。烈火の如き怒りは鳴りを潜め、その声と表情にあるのは諦観と絶望が色濃い。


「凡百の海神レヴィアタン程度ならばどうとでもなろう。だが、海神帝エノシガイオスに空爆は無意味どころか害悪に等しい。ただ、兵と龍と資源を食わせるだけにすぎん……その程度の事が解らぬ人間が多すぎる…」

海神帝エノシガイオスね…本当に、まだ存在するのかしら」


 疑るようなサキの言葉に帰ってきたのは「居るとも」と言う確信に満ちた声だった。机の上で組まれた手は関節が白くなるほど握りしめられ、レンズの奥の深淵にも似た視線を受け止めている。


「奴らは居るし、必ず来る。それまでに、少しでも艦をそろえねばならないのに…このままでは………負ける。ここでの負けが意味するものは国家の滅亡ではない。人類種の絶滅だ。この星は、真の意味で海神帝と海神の物になるだろう」


暗い瑠璃の光が3人へと注がれる。その瞳の中にある種の狂気を見たのか、ハクの眉がピクリと動いた。


「やはり、もう少し性能を妥協するべきでは?革新的な物は受け入れられ辛いのは仕方のないことでしょう。既存の技術割合を増やし、手堅い設計に直して歩み寄るしかないんじゃないですかねー?」

「妥協だと?はッ、これ以上妥協して何になる?貴様は私に高価なガラクタを作れとでも言うのか?ならば、むしろ現状のガラクタ肉壁を量産すればいい。一寸ワンミニット程度の時は稼げようさ」


 嘲笑と自嘲が綯交ぜになった言葉の中には、自らの作品が理解されない苦痛と、机上の空論とせぬために妥協を強いられる屈辱がにじんでいる。


「馬鹿とサキちゃんとガラクタも使いようでしょう。図面で戦争はできませんし、まずは1隻を実験艦として作った方が良いかと」

「なんかディスられたんだけど。処す?処す?」

「まあまあ…」


 正論を叩き付けつつ同僚弄りも忘れないハク。額に青筋を浮かべるサキを、妙に手際よくなだめるライの姿を見ていると、彼女の憂鬱そうな表情の理由がわかるような気がする。


「それができる時間があればここまで苦労しとらんわっ!第一」


 再び怒りが爆発した際に大きく手を振ったため、つい先ほど叩き付けた書類が宙を舞った。永雫の不平不満をBGMにバサバサと不規則に舞いながら床に散らばる中、一片の紙片が有瀬の据わるソファの近くへと滑り落ちた。

 勿論、軍事機密の塊であることは重々承知してはいるが、一人の海軍軍人として造船部の部長ですら”突飛”と評する艦への好奇心は、それで抑えきれるわけではなかった。

 未だにヒートアップして喚き散らしている少女をよそに、艦の平面図が描かれているらしい藁半紙を引き寄せて覗き込んだ瞬間、「は?」と間抜けな声が口をついて出ていった。

 全長186m、全幅20.8m。10000馬力級巡航用ガスタービンエンジン2基、27500馬力級加速用ガスタービンエンジン4基、8000馬力級補助蒸気タービン2基、2軸推進。最高速度30kt以上。

 その巨体に反して主砲は130㎜連装速射砲を前甲板に一基二門。魚雷は艦後部の舷側内に553㎜5連装酸素魚雷発射管が二基十門。そして何より目を引くのが、重厚な前艦橋から主砲までの間に並べられた巨大な筒の槍衾。超大型連装対艦・神誘導噴進弾が連装八基、計十六門。

 ズキリ、と頭に鈍い痛みが走り思わず。手を押さえる。なるほど、宵月少将の言っていた意味がよく分かった。そして、彼女が腫物をに触るかのような扱いをされているのも。

 この艦がどうして”夢”の世界の艦と似通ってしまったのか疑問は尽きないが、自分にとってこの艦と酷似した艦を示す名がある。

 計画段階では天の蒼穹を支える巨人の名を持ち、就役した直後は母国の言葉で”栄光”の名を関した戦闘艦。祖国が傾きつつもその戦力を維持し、領海を護持し続け、”夢”の世界でも頭を悩まされた航空母艦の破壊者。


「スラヴァ級ミサイル巡洋艦、だと?」

「つまり!やつらは………おい、サキ。なぜここに部外者がいる」

「今日から同僚なんですがそれわ」


 突飛に過ぎる?そりゃそうだ。第一次世界大戦以前の世界で停滞している海軍将校に、約100年後冷戦時代の艦設計を叩き付ければ異端扱いされて当然だろう。


「いや、居るならいるでなぜ先に」

「そりゃ、お嬢様がこっちが何か言う前に激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームってましたからねぇ」

「あー………ん、んんっ。ともかく、今回も不採用だ。諸君にはこれに気を落とさず、職務に邁進してもらいたい」


 呆然とした言葉にようやく有瀬の存在を認識したエナが咳ばらいをして強引に会話を打ち切る。「いや雑ゥっ!」と船精霊に総ツッコミを食らっているが、涼しい顔で無視。

 ソファで未だに図面にくぎ付けになっている有瀬へと歩みより、藁半紙を取り上げた。


「不採用は不採用だが、一応軍機なのでな。………先ほどはみっともないところを見せてしまった。その、気にしないでもらえると助かる」


 先ほどまでの剣幕はどこへやら。少しバツが悪そうに眉を下げる。耳が微かに赤くなっているのは、大声のせいだけではなかった。

 据わったまま着任の挨拶はできない。「失礼しました」と詫びてから立ち上がる。思ったよりも、永雫の慎重は低い。身長差は15㎝程度はあるだろう。必然的に上から見下ろす格好になり、彼女の小柄さが際立つ。

 深淵の色にも似たレンズの奥の理知的な瞳は、高みから見下ろす柘榴石ガーネットへと注がれている。そこに浮かぶのは懐疑か、それとも諦観か。

 吸い込まれそうな色に魅入られる前に、踵を打ち合わせ敬礼を送った。


「有瀬一春海軍大尉。本日付で皇国海軍艦政本部第四部、特務造船研究室、室長補佐として着任いたしました」


 対して、これから自分の上司となる少女は”堅苦しいのは無しだ”とでもいい風に微かに首を横に振った。


「どうせ階級は同じだ。私が僅差で先任だが、私は造船、貴様は艦隊の人間だ。敬語はやめてくれ。永雫エナ・マトリクス造船大尉だ、貴様の着任を歓迎する」


 皇海兵では考えられないほどのラフな答礼を送り、僅かに芝居がかった風に両手を横に広げる。その顔には、思い上がった愚か者に呪いを掛けそうな、悪辣な”魔女”と呼ぶべき嘲笑が浮かんでいた。


特務造船研究室魔女の窯へようこそ」

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