7th Chart:破滅の神話
――何故だ?
――何故、理解しようとしない。
――奴らは来る、必ず来るのだ。
――砲煙を空高く噴き出し、波を蹴立てて押し寄せる。
――すべて絶滅した?馬鹿を言え、そんな証拠がどこにある。
――突飛に過ぎる?馬鹿を言え、奴らは貴様らの想像のはるか上を行く。
――前例が無い?馬鹿を言え、それを今作ろうとしているのだ。
――かつての哲学者は"汝、平和を欲するならば海を理解せよ"と的確に評した。その程度の事も解らないのか?
――今しかない。薄氷の平和が続くうちに、戦力を整えねばならない。
――仮に二万海里譲って、貴様らが私の案を受け入れられないのは理解しよう。
――だが、そうやって私の娘を水蛭子にするのならば。せめて、対案を出してくれ。
――それすらもできないなら。辞職するか潔く腹でも切ってくれ。
――我々に残された時間は短い。
――1年後か、1月後か、1週間後か、はたまた明日か。
――ああ、後どれほど譲ればいい?
――後どれほど、勝機を削れば気が済むのだ。
――後どれほど、”現実的妥協策”という名の泥を娘に塗りたくればよいのだ。
――私は、自分の娘を貶めるためにペンを握っているわけではない。
――私は、ただ、あの悲劇を繰り返したくないだけだ。
――理解はしている。突拍子も無いことを言い出している自覚はある。だからこそ誰一人、私を理解せずとも、進む他はない。
――狂人と罵られ、厄介者の誹りを受け、敵意しか向けられぬのだとしても。
――除者にされ、僅かな部下ですら自分の思想に懐疑的だとしても。
――おそらくこの先も。たった一人で戦う他無いのだとしても。
――”悪夢”と呼ぶには余りに生々しい”記憶”を受け継いだものとして
――奴らの砲門から、■■■を守らなくてはならない。
――阿鼻と叫喚の坩堝、火炎と油と血と肉の地獄
――艦を引き裂き、方舟を押しつぶし、民を焼き殺す海の怒りの具現
――この星の文明を数百年は後退させた、人類に対する終末機構
――
――
――ああ、足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。
――艦が足りない。技術が足りない。人が足りない。コネが足りない。資源が足りない。金が足りない。時間が足りない。
――そして、何より
――理解者が、足りない。
皇国海軍艦政本部。
海軍大臣に隷属し、造艦・造兵・造機に関わる事務を司る皇国海軍の官庁であり、皇国海軍省の外局の一つである。単に”艦本”や”艦政本部”とも呼ばれ、本部長には皇国海軍中将が就任した。
艦政本部は役割ごとに6つに分けられる。
艦載砲等の火砲を司る
魚雷等の水雷兵器を司る
無線機器等の電子機器を司る
航海、光学機器を司る
そして、今まさに有瀬大尉が足を踏み入れた部署が、艦船の基本設計や船体関係の事務を司る
ずらりと並べられた机には造船部の部員が犇き合い、時に激論を交わし、時に顰め面を浮かべながらペンを走らせ、机の間を縫うように走りまわる船精霊をフル活用しながら事務処理を進めていく光景が目に飛び込んでくる。
戦時体制に移行してから数えるほど馬鹿らしい時が過ぎ去った結果か、それとも一向に好転しない戦況に麻痺し始めているからか、ほかの海軍省の部局と同じく微かな陰鬱さを感じさせた。
図面や帳簿の上を走り回るインクの匂いと、換気扇の出力を大幅に超えて滞留する煙草の煙をかき分け、足元をすり抜けていく艦政本部勤務の船精霊に注意しながら部屋の反対側に設けられた造船部部長室を目指す。途中、あちこちから向けられる奇異や好奇の視線が向けられるが、気が付かないふりをして歩みを進めた。
「なあ、おい。あれって」
「銀縁の軍服に銀の桜の階級章ってことは
「もしかして殴り込みか?ほら、例の…」
「ああ、紅鶴事件か。いや、でもあれは藤峰造船少将が責任を取って終わりじゃなかったか?」
「それですべて丸く収まるなら、世の中はもう少し平和だろうさ。理屈で納得できる人間ばかりじゃない。当事者ならなおさらだ」
「当事者って、お前…まさか」
「前に
「嵐のド真ん中で敵に突撃して魚雷ぶっ放した、狂犬艦長か?」
微かに耳で拾えた会話に思わず視線をそちらにやると、1列ほど隣の机の列に座る2人の部員が気まずそうに視線を逸らす。
噂の一人歩きは良くある事だが、自分が当事者になるのはやはり面白くはない。大体なんだ、狂犬艦長って。こっちも好きで肉迫雷撃なんてやらないし、第一そんなことしなくても魚雷なんぞ当てる自信はある。
視線を向けたのはホンの一瞬。本人としては睨んだつもりは毛頭ないが、凝固した血を思わせる瞳は見るものを委縮させる効果を持っているらしかった。
「おっかねー…おい、声がデけぇって」
「悪い悪い、ってかお前も似た様なもんだろうが」
「まさか。ともかく、宵月部長は大丈夫か?ただでさえ魔女殿の御守りで胃痛持ちなのに」
「担架の準備だけはしておくか。ま、それはともかく」
噂好きの部員の話が本題に戻っていったのと時を同じくして、目的のドアへとたどり着く。ドアの前のデスクに陣取った従兵に要件を伝え、彼に付き添われて部長室へと足を踏み入れた。
「有瀬一春大尉がいらっしゃいました」
皇国海軍の造船を司る部所の長が居を構える部屋に、想像との乖離はそこまで大きくなかった。
学校の教室の半分程度の広さの部屋には年季の入った絨毯と応接セット。壁には無数のファイルや文献が収められた本棚が並んでいるが、棚の一つは丸ごと艦船模型用に割り振られているらしい。
現在の皇国海軍の主力艦筆頭である初瀬型戦艦は勿論、第二艦隊の主力である日進型装甲巡洋艦に、つい先日目にした龍翔型龍砦母艦。主力艦だけでなく奄美型水雷艇や電型駆逐艦等の補助艦。海軍人ならば見覚えのある皇国海軍艦艇の精巧な模型が埃一つ被ることなく並んでいる。
そして入口の正面のデスクの向こうには、官僚や技術屋と言うよりどこか大学教授の様な雰囲気を持つロマンスグレーの老人の姿があった。それまで手にしていた書類を置き、丸眼鏡の向こうの黒目が年若い海軍大尉へと向けられ、僅かに細められた。
「有瀬一春海軍大尉です。本日付で皇国海軍艦政本部第四部、特務造船研究室室長補佐として着任いたしました」
「ご苦労様です、有瀬大尉。艦政本部第四部部長、宵月幸三造船少将です」
にこやかに答礼を返す宵月少将の声を聴き、ますます軍官僚には似合わない人物だという感想が頭をもたげる。ここが造船を牛耳る人物の居室ではなく、単に艦船模型が趣味の田舎の校長室のように錯覚してしまうのはそのせいだろう。
答礼を説いた少将は、「まずはこちらへ」と手入れの行き届いたソファへ据わるよう自分を促し、腰を上げた。
「まずは、貴官に謝らねばなりません。まことに、申し訳ない。前線勤務が主だった貴官にとっては、甚だ不本意な人事でしょう」
上等なソファに自分のはす向かいへと座った少将が、困ったような詫びるような笑みを浮かべつついきなり頭を下げたため面食らってしまう。自分は一介の大尉であり、相手は少将。実に4階級もの差があり、文字通り雲の上の存在とも呼べる人物だ。その人物が開口一番謝意を示すなど聞いたこともない。
「て、提督。その、確かにこの人事には驚きましたが、不本意と言うわけでは」
「貴官がどう思おうと、ケジメは付けるべきですから。誰が見ても、この人事はあからさまに過ぎます。私にもう少し人事局にツテがあれば、もっとマシな部署にすり替えられたものを…」
苦い顔で首を振る少将に、自分が割り振られた、長ったらしくて聞き覚えのある名前の部署があまり愉快そうな職場では無い様な気がしてくる。
「マシな部署ですか。特務造船研究室は、あまり宜しくない職場であると?」
「ええ。少なくとも、つい先日まで艦隊勤務についていた、未来ある若者を放り込んでいい部署ではありません。造船や技術について、先入観となる深い知識を持っていないというのは、ある意味ではプラスでしょうが…」
一つ、大きなため息を吐く。その溜息は、日々の苦労を煮詰めたかの如く深淵のように重く、深く、よどんでいた。
「彼女…失礼、マトリクス室長の発想は少々予想外、いえ突飛に過ぎまして。この老骨はともかく、新進気鋭の若者たちですらついていけないと匙を投げるほどなのです。本人も懸命に説明はしてくれるのですが、如何せん負けん気が強いため衝突が絶えず…実のところ、特務造船研究室は私が無理やり用意した部署でもあるのですよ」
「つまり、体の良い隔離部屋であると?」とひきつった口からひきつった問いが漏れ、痩身の少将は「これが、私の限界。ということで」と力なく笑う。
「ただ、誤解してほしくないのは。マトリクス室長は欠点もありますが、不世出の天才だということです」
そう続けられた言葉の中には、皮肉や嫌味と言った評価は微塵も感じられなかった。
「長年艦政本部にいますが、艦船の船体から武装までを一人で設計、開発し図面に起こせるのは彼女ぐらいのものです。聊か以上に先進的に過ぎ、口下手であることが足を引っ張っていますが、決して悪い人間ではありません」
「不思議そうな顔をしていますね」と問いかけられ、初めて自分が微妙な表情を浮かべていたことに気が付く。
この軍官僚の話を聞く限り、マトリクス室長に対して彼はあまり良い印象を持っていないように思えるが、先ほどの擁護するような言葉もまた本心であると直観で理解していた。だからこそ、この将官の上司となる人物への評価を図りかねてしまう。
当の本人は、自分の困惑を肯定するかのように笑みを浮かべていた。
「要は立場による視点の違いです。公人として、第四部の長としては部内員や他部所との折り合いや付き合いはもう少し考えてほしいと思いますし、おかげ様で薬局のポポイントカードはたまる一方です」
「そのうち、利き胃薬もできてしまいそうですね」と困ったように笑う少将。彼の机の上に、どこかで見覚えのある胃薬の瓶が置かれていたのは気のせいではなかったようだ。
「ですが、一人の技術士官としては彼女は尊敬に値するのですよ。私には、いや、恐らく艦政本部どころか皇国海軍の中でも理解できる人間がいるのか怪しい高みへ、すでに駆け上がっている。彼女からしてみれば、自分の技術を理解できない我々は、地べたを這い蹲る虫に等しいのでしょう」
その言葉の中には、技術官僚としての多くの呆れと疲れ、羨望。そして、一つまみの憐憫が含まれていた。
「だからこそ、彼女は孤独だと思います。誰もが見上げることしかない遥か高み。すべてを見下ろす高度から見える
丸眼鏡の奥の目が、ほんのわずかに値踏みをするかのように細くなる。
少将からの視線に微かに身構える有瀬は気づく由もなかったが。そこにあった視線は
一つ、疑問に思ったことがある。いったい、どうして彼女はそれほどまでに”突飛”な設計にこだわるのだろうか?
その問いかけには、苦笑いが返ってきた。
「大尉、
宵月の言葉に頷く。言葉自体ならば、皇国の幼子ですら聞いたことがあるだろう。というか、それを題材にした絵本なら市井にあふれている。
「今から約1000年前、我々人類はこの海球における絶対的な支配権の確立。遥かな太古から戦い続けていた海神に対する最終解決案を発動しました。それが、対海神殲滅行動、”ダウンフォール作戦”です」
オペレーション・ダウンフォール。文字通り、海神を”滅亡”、”破滅”させることを意図した作戦だ。
詳しい資料は今では散逸してしまっているが、参加した艦艇は戦艦だけでも1000隻は下らないと言われている。当時、繁栄の極みにあった人類が持てるだけの海軍戦力を統合運用し、海神へと叩き付けて殲滅し、海球の支配権を確立するという史上最大の掃討作戦。
「作戦は、当初順調に進んだとされています。戦列級海神ですら一撃で屠る武装を搭載した新型戦艦を前面に押し出し、遭遇する敵は悉くを撃沈、いえ駆除していきました。この時、多数の拠点級海神が鹵獲され海神の方舟の素材となっています。この皇都をはじめとする皇国五州もその時に建造されたものです」
両手を組んで淡々と過去を振り返る姿からは、やはり教師と言った雰囲気がにじみ出ている。思わず背筋が伸びるような気がするのは、相手が高級将校だからというわけではないだろう。
拠点級海神は全長数㎞から十数㎞に達する海神で、成長の終着点とされている。その広い艦体には、現生の戦列級海神の主砲である
ただ、その図体に対して火砲の数は細やかと言える。拠点級の最も恐ろしい点は、眷属ではなく”海神を生み出す”ことにあった。
身体の中に備え付けた”工廠器官”によって新たな護衛級海神を量産し、自分を護衛させる。また、生体金属の生成速度はその図体に比例して速いが、その艦体はもはや成長の余地はないため、餌と言う形で自らを護衛する海神たちへと分け与えているのであった。
その結果、何が起こるか。
本来ならば激烈な戦闘を乗り越えて手に入れるはずの生体金属資源を、給餌と言う形でもたらされた護衛級海神は成長が促進され、短期間で巡航級や戦列級海神へと成長を遂げる。
結果的に、拠点級の周りには戦艦級を中心とする強力な艦隊が複数随伴するようになり、現用の戦力では拠点級の撃沈ないし鹵獲は夢のまた夢であった。
「作戦が開始されて十数年が経過し、多数の方舟が建造されました。ダウンフォール作戦は残敵掃討の最終段階に入り、作戦の完遂も時間の問題でした。海神帝が現れるまでは」
全長は1㎞前後と小型の拠点級海神程度にとどまるが、恐ろしいのはそこではない。海神帝の出現とその後の厄災により、残っている情報は言い伝え程度の代物であり歴史学者の間でも解釈が分かれるが、通説と言うモノは存在していた。
曰く、その巨弾は一撃で新型戦艦を砕いた。
曰く、音速の龍は決して外れることの無い矢に貫かれた。
曰く、戦艦の隊伍は無数の眷属に群がられ蚕食された。
曰く、空と海は光と白煙、火炎と黒煙に彩られ海は黒く染まった。
曰く、遂に方舟は巨大な光の柱に貫かれ瞬く間に海へと没した。
などなど。眉唾の様な伝説が各地に根強く残り続けている。方舟を貫いた光の柱については、方舟が爆沈する際の閃光の事を指しているという見方が大半だが、中には強力なエネルギー兵器によるものだと主張する学者もいた。
しかし、様々な見方がある海神帝だが、歴史学者が唯一解を一つにする点があるとすれば。もし、再び彼らが出現した時が、人類の終焉の時であるということだった。
「海神帝の出現により人類側の艦隊は悉くが壊滅。陸地は猛烈な艦砲射撃により文明の痕跡すら粉砕され、後に残ったのはガラス化し、汚染された。方舟に逃れた人類も、執拗な追撃により多くの艦、人、歴史、技術を失いました」
現在、この星に残った”陸地”と呼べる物はその全てが生物の生存に適さない地になってしまっている。
ある島嶼は高熱に晒された結果、陸地の表面は完全にガラス化している。またある列島は、無数の艦砲射撃により陸上部分が有害な重金属に汚染され植物の生育を阻む。そしてまたある環礁では、陸地となりうる部分が根こそぎ吹き飛び浅海と化していた。
人類が入植できる”陸地”は存在しないというのが、この世界の常識だ。
「海神帝の報復がどれほど続いたのか公式の記録は残っていませんが、或る時パタリと彼らは姿を消し人類は何とか生存を果たして今日まで続いています。しかし、この一連の災害により、人類の文明は100年ほど衰退し現在まで続く揺籃期に入ります」
どうして、ここで海神帝の報復の話が出てきたのか想像はついた。確かに、あの伝説を信じる者であれば――海神帝の戦闘能力を大きく見積もり、災厄の再演を確信する者であればなおさら――今の艦隊戦力は薄弱に映るのだろう。
「マトリクス室長は、海神帝の復活は近いとみています。来るべき海神帝との戦いに今度こそ勝利するために、必要な戦備を整える必要がある。まずは、近衛艦隊から」
「
実際、皇国海軍では年に一度の合同演習において、エキシビジョンと言う形で近衛艦隊と連合艦隊の対抗演習が行われる。この演習では、練度に勝る近衛は序盤から中盤にかけて優勢となるが、中盤以降は息切れを起こし連合艦隊の物量に押し潰され、最終的に双方被害甚大で引き分けとなることが常だった。
練度の近衛、物量の連合とはよく言われる言葉だ。
「ああ、いえ。彼女が言うには”どんなボンクラでも勝てる艦”を設計するのが義務だとのことですから、練度で決めたわけではないでしょう」
「では、どうして?」
「単純ですよ。近衛艦隊の方が艦船一隻あたりに割けるリソースは大きいですからね。彼女自身、自分の設計する艦が高コストな代物であることを自覚はしているようです」
思わず、お互いに苦笑が漏れた。狂気のマッドサイエンティストかと思えば、妙なところで現実的なところがあるものだ。
「なるほど、なかなか面白そうな人ですね」
「愉快かどうかの判断は、人によるでしょう。私としては御転婆娘もいいところですから」
しかしそういって笑う宵月の顔に、不快感を見出すことはできなかった。
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