5th Chart:海神の方舟
皇海兵での習慣とこれまでの艦隊勤務のおかげか、夜明け前には目が覚めてしまった。
寝違えてしまった首を擦りつつ身支度を整えるが、歯を磨き終わった段階で自分が静養を命じられていることを思い出す。あの几帳面そうな連絡将校の顔が一瞬頭に浮かぶが、すぐに輪郭がぼやけて消えてしまう。
本来ならばこのまま部屋で大人しくしているべきだろうが、どう言うわけかそんな気にはなれない。
むしろ、別命あるまで静養ということだったが、別に外出を禁じられているわけではないのではないか。
などと言う詭弁にも程がある理屈を元に、【時間がある今のうちに、外を歩きながら自分の中の”実感がありすぎる夢の記憶”と"現実"を対比、整理しておくべきだろう】と言う結論を引きずり出した。
そんな考えを固めた5分後。真新しい軍服に着替えた有瀬は、彼方の水平線に輝く朝日に目を細くしながら、微かに肌寒さの残る外へと足を踏み出した。
官舎から出てすぐに、廊下のガラス越しに目に飛び込んでくるのは、朝日を浴びて輝く赤レンガの軍事施設群だ。と言っても、その大半は官舎や倉庫だったりするのだが、中でもひときわ巨大で荘厳な建造物があった。
見慣れたはずの佇まいに強烈な既視感を覚え微かに口の端が歪む。
赤レンガの壁に蒼灰色の屋根の建造物は、夢の世界では1894年にジョサイア・コンドルの設計により建築されたものと瓜二つなのだ。機能すらもほぼ同一となれば、奇妙な合致に不気味さすら感じるのも当然と言える。
早朝だと言うのに玄関へ続く階段にはちらほらと軍官僚の姿や将校の姿が見え、整然と並んだ窓からは明かりが微かに見てとれた。今この瞬間にも、あの中では有意義で無価値な派閥争いと言う名の新陳代謝が続けられているのだろう。
この国の防人にして真の支配者と言っても過言ではない巨大機関の砦。大艦巨砲主義者と航空主兵主義者の内紛会場。皇国海軍と言う暴力装置の
廊下を進んで階段を降り、官舎を出る。早朝の空気は意外なほどに澄んでおり、海の匂いが深呼吸をした肺へと取り込まれ頭を覚醒させていく。遠くの方の道路を走る一団は、皇国海軍兵学校の学生だろう。
朝からご苦労なことだと思うと同時、高々数年前は自分もあちら側だったと思い直し微かに苦笑する。
寝起きに走らされている最中、隣を悠々と歩いていく先輩将校に羨望の目を向けたくなったのも一度や二度ではない。ルート上の都合かこちらに近づいてくる一団に激励代わりの敬礼を送り、朝日を浴びつつ”舷側”へと向けて歩みを進めていった。
だんだん大きくなっていく海鳴りの声を聴きながら歩くこと十数分。石畳の遊歩道は舷側に到達し、道は左右に分かれていた。自分の進行方向上に立ちふさがって左右に伸びる柵の向こうには、見渡す限りの大海原と、そこを”進む”一つの島が見えた。
「敷島、か」
頭の中にしまわれていた運航表を引っ張り出し、目の前の”島”の特徴と照らし合わせて特定し、その光景の違和感に小さなため息が漏れた。
数㎞の海面を隔てた向こうには、目測で全長は10㎞はある島が横たわり、のっぺりとしたクジラの様な背に街並みや山のように見える起伏が点在している。島の上に栄えた町は今自分が居る”島”よりも幾分劣っているようにも見え、こちらが首都ならば地方都市と言うべき雰囲気だった。
巨大な島は、この違和感の現況でもある”艦首波”を立てながら自分のいる大地と並走している。いや、正確にはこの大地も、目の前の島も。ここからは見えないが自分のいる大地を取り囲むように布陣する後3つの島も、厳密には”島”ではなかった。
《皇国》に限らず、現状この星に住まう人類は皆方舟に身を寄せ文明を築いていた。
特に強大な海軍力、人口、経済力、方舟を持つ《
なお、《皇国》はそれなりの海軍を保持しているが、或る事情により”海軍力は5大国に迫るが、海域大国どまり”とみなされている。閑話休題。
いくら科学技術が進んでいた”夢”の世界でも、これほどまでに巨大なメガフロートを築き、運用し、アーコロジーとして成立させることはできていない。ましてや、この巨大構造物を千年にわたって100を超える国々が維持するなど、不可能だろう。
しかし、それのみを持って”夢”の世界よりもこちらの世界の方に技術的優位があると言えないのもまた事実だ。”夢”の世界の人類が血反吐を吐きながら技術を発展させていったのに対し、自分たちは先人たちの技術を取りこぼしながら今まで生きていただけにすぎないのだから。
海水がかき分けられる音につられて柵から視線すぐ近くの海面へと向ければ、。滑らかなカーブを描きながら海中へと消えていく舷側の向こうに、巨大な”鰭”がゆったりと海水をかき混ぜ、羽ばたいているのが微かに見える。
そう、”鰭”だ。この巨大なメガフロートを推進させているのはスクリューでも、ましてや超電導推進でもなく。長さが1㎞に達するかと思うほど巨大な4対8枚の鰭だった。上空から見れば、”首を根元から落とされた異形の首長竜の背に都市が築かれている”という現状がよくわかるだろう。これが、海神の方舟の基本構造であり、標準だった。言語化してみれば、なかなかこの星の国家群は狂気の産物と言える。
そもそも、自分たち人類はこの方舟のことを熟知しているとは言い難い。
確かに、千年前の技術は”夢”の世界の技術を軽く上回るものだったが、それらはすべて『海神帝の報復』と呼ばれる大災厄によって滅ぼされてしまった。
文献は殆どが散逸してしまってはいるが――あるいは、意図的に隠蔽されたか――一般的な言い伝えとして残っている記録をまとめると以下のようになる。
技術の発展により一時は海神を完全に打ち滅ぼす寸前にまで行った人類の連合艦隊は、突如現れた
その避難も順調というべきものでは決してなく、移住による混乱と荒廃により散逸し失われてしまった技術も数多い。というよりも、多くを失った――持たなかった――方舟しか生き残らなかった。
報復の誘惑にかられる人間は決して少なくない。
嘗ての文明の技術を多く受けついだ国家ほど、海神帝への報復行動を行い一つの例外もなく滅ぼされていった。報復ではなく雌伏を選んだ方舟も勿論あったが、これまで接触したどの方舟国家も《皇国》と似たような技術レベルであることからして、明るい結論は見えてきそうにない。
国家の数が200を大きく割ったころ、ようやく海神帝は姿を消し海に再び静寂が戻った。後に残ったのは、大きく技術が後退した無数の方舟国家と、再び星の支配者へと返り咲いた多種多様な海神の群れ。
其れから今までおよそ千年。この世界は”夢”の世界と照らし合わせるならば、大半の技術が第1次世界大戦前程度のレベルで停滞し続け、併合・吸収・荒廃・滅亡を繰り返した方舟国家と人類は、じわじわと数を減らし続けている。
人々の間によどむ閉塞感。緩慢な死への航路をのろのろと進み続けるのが、今のこの星の人類の現状だった。
「夢、か…」
ぽつりと零した言葉は朝焼けの中を吹き抜ける海風にさらわれていった。
どれほど考えてみても、あの”夢”を見た理由を説明できない。しかし、今こうして手すりに体を預けながら閲覧する夢の記憶は、1日たった今でも決して薄れることはなく己の内に息づいている。
『紅鶴』艦橋で意識を失い、再び海軍病院で目覚めるまでに見た荒唐無稽な夢。
同じような姿かたちなのに遥かにか弱い人類。高々数十センチ表層をはぎ取れば生体金属が目の前に現れる方舟の大地ではない、どこまで掘っても土と岩と砂ばかりの大地。高々数十年で数千万単位の同族殺しが行われた2つの大戦。そして高々数十年で星の海にすら手を伸ばした発展速度。
そして、その歴史の延長線上に生まれた、極東の島国の一人の取るに足らない男の一生。
これが、自分の狂った夢であるならばどれだけよかっただろう。夢の記憶なんて起きて数時間もすれば殆どすべてが忘却の彼方だ。しかし、現実はしつこいくらいに頭の中に残り続けている。
まるで、本当に自分が経験したかのようにだ。
胡蝶の夢、とはこういうことを言うのだろうか?”夢”の世界で知った故事と現状を照らし合わせれば、妙なハマりの良さを感じてしまう。
どちらが夢で、どちらが現実なのか。もしかしたら、今こうしてボンヤリと海を眺めている自分こそ夢であり、本当の自分は日本国海上自衛隊第1護衛艦隊所属、護衛艦ゆきなみ副長、有瀬一春二等海佐の方だと考えることもできる。
”夢の世界”の常識で考えてみれば、目の前の光景は女子高生が第2次大戦の戦車に乗って戦車戦を行うほど、荒唐無稽でSF的と言う他無い。
「先輩!先輩ではないですか!」
思考に埋没しそうになっていた意識が、後ろからかけられた喜色一杯の声に引き上げられる。思わず振り返れば、茶髪の若者が速足で駆け寄ってくるところだった。
「なんだ、貴様か。元気そうで何より」
「久しぶりに会ったのに、なんだはないでしょう?先輩の方こそ、1か月寝込んでた割には元気そうじゃないですか」
純粋にこちらの快復を喜んでいるらしい青年士官。
軍服は自分と同じように縁の部分が銀色で彩られた連合艦隊のもの。細い金線に銀の桜が2輪――海軍中尉――咲いている。自分や周りの皇国人より堀の深い顔立ちをしており、端正と言っても過言では無い顔立ちであり、少々軽いが物腰が柔らかで付き合いやすい人間だ。
倉内真海軍中尉。現在は皇国海軍海上護衛総隊司令部付で、そろそろ水雷艇を任されるだろうと噂されている期待の新人だ。自分が雪鶴型水雷艇とともに近海警備隊へ配属されると決まった時には、総隊の司令長官とともに強硬に反対した一人でもある。
ついでに、過去に盲腸になって病院へ担ぎ込まれたのもこの青年だった。
「まあ、何とかな。艇も人も失ったが」
「艇はまた作ればいいですし、船精霊も容易ではないですが補充は効きます。けど、貴方は補充が効かないんですから。最悪でも連合艦隊の旗艦を任されるまでは死なないでくださいよ」
微妙な顔をして苦言を呈する倉内に「目標が高いな、おい」と思わず突っ込む。皇海兵時代からなんだかんだと付き合いが多く、気の置けない仲ではあるが、軽口なのか本気なのか今一判別しにくい言葉を零すことがままあった。
「…まあいい、僕が寝ている間に何か変わったことは?」
「そうですね…まず雪鶴型の建造に待ったがかかったのと、第2艦隊が出撃して1万トン級巡航艦3隻を撃沈したこと。それから」
そこまで行ったとき、2人とその周囲に一瞬だけ影が落ち少し遅れて風切り音が耳に届き、会話を遮った。
とっさに視線を空に向けた4つの目に飛び込んできたのは、空を舞う”龍”の姿だった。
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