2nd Chart:南部方面海域遭遇戦


「主砲、交互打ち方始め!」

「撃ちー方始め!」


 意識の中で2つの撃鉄が落ちた瞬間、薄暗い艦橋が光によって漂白され床が左へガクンと揺れたかと思うと、今までとは比較にならないほどの轟音と衝撃が防弾ガラスをビリビリと振動させた。

 振り上げられた砲身から数万気圧に達する燃焼ガスが閃光と爆炎とともに解き放たれ、降りしきる豪雨を一瞬だけ弾き飛ばし、蒸発させる。そうして出来上がった空間を2発の10,5㎝対艦榴弾が駆け抜け、浅い放物線を虚空へ描きながら敵艦にたどり着き2つの水柱を噴き上げた。


「1番砲遠弾!2番砲近弾!」

「修正射、ェッ!」


 すかさず、先ほどは砲撃していなかった2門が火を噴く。その間に、初弾を放った2門の仰角が戻され、次弾が装填された。

 初弾の弾着から修正諸元を受け取った2発の砲弾は、1発が先頭艦の艦首から10m先の海面に風切り音を残して突き刺さり、もう1発は白い水柱を作るのではなく真っ赤な爆炎の花を咲かせた。

 遠方での炸裂は一瞬『紅鶴』の艦橋を照らし、固唾をのんで砲弾の行方を追っていた乗員の顔を明るみにした。

 第2射での命中弾に、その光景を見ていた艦の乗員が一斉に歓声を上げる。艦橋でも、双眼鏡を目に押し当てていた船精霊が喜色を爆発させて絶叫にもにた報告の声を上げた。


「命中!命中です!」


 『紅鶴』の後部2番砲から放たれた砲弾は、吸い込まれるかのように先頭艦の舷側に直撃し信管を作動させた。内蔵された多量の炸薬がその使命を全うし、設計通りの爆圧が海神の表皮装甲を変形、破壊する。同時に、直撃同然だったケースメイト式の8㎝単装速射砲の砲身がへし折れ、海神の背部を騒々しい金属音と火花を残して転がりながら海へと没した。


「敵艦の進路と速度は!?」

「ともに変わらず!進路、速度維持!反航を継続!距離四二〇〇!」

「諸元そのまま!全門斉射に切り替える!」

「せ、斉射ですか?」


 他の艦が従来の戦闘教義である順次砲撃を行っているさなか、対照的と言っていい射法を指示した青年に、砲雷長の腕章をした船精霊が素っ頓狂な声を上げた。この個体は連合艦隊の船精霊の中でも、小型艇に関してはベテランの部類に入るため、余計に順次射撃に慣れ親しんでいるのもあるのだろう。


「こんな荒れた海で、命中するタイミングはそう多くない。投射重量よりも命中弾数の方が重要だ。…装填まだか?」

「あとすこし…装填完了!」

ェッ!」


 今度は4門全てが同時に火炎の舌を伸ばし、『紅鶴』の姿を闇夜に浮かばせた後、黒煙で覆い隠す。赤熱した砲弾は大気を切り裂き、雷雨を吹き飛ばし、風切り音とともに次々に先頭艦へと降り注ぐと立て続けに3発が命中した。

 1発は煙突状機関の間をすり抜けて反対舷側の眷雷発射管の基部へと命中し、爆発による衝撃で基部を破壊、十数トンある巨大な兵装が金属音の断末魔を響かせながら舷側へと転がり落ちた。直後、装填されていた眷雷が炸裂したのか数十mはあろうかという巨大な水柱が天を突き、至近距離での爆発に海神がぐらりとよろめいて苦悶の声を上げる。

 続く2発は、連続して甲板よりも外側の波に洗われた神体へと直撃。護衛艦型の薄い表皮金属装甲は10.5㎝榴弾2発の炸裂に耐えられるほど強固ではなく、即座にめくれ上がり赤黒い神血が噴き出し炎上し、火炎の噴水にも見える光景を作り出した。


「命中弾3!敵艦炎上!」

「外したか…」

「まさか全弾命中でも狙っていたので?」


 オレンジ色の光に照らされた、呆れたような副長の顔に「まさか」と肩をすくめる。


「眷雷発射管に叩き込んだつもりだったが、狙いが良すぎたな。基部に直撃して根こそぎ転げ落ちた」


 あっけらかんと、この大時化の中で榴弾の直撃で眷雷を誘爆させるつもりだったことを話す艇長に、思わず副長の頬がひきつった。

 ただでさえプラットフォームが小さく波の影響をもろに受ける小型艇だというのに、この雪鶴型水雷艇は武装過多でトップヘビーとなり安定性に問題を抱えているという噂もあった。事実、これまでの航海で荒波を乗り越えるたびに転覆しないかハラハラさせられたのも一度や二度ではない。

 さらに、現状は正規艦隊でも戦闘を控える様な大嵐だ、駆逐艦どころか戦艦ですら戦闘に支障をきたすだろう。

 こんな状況で第2斉射で命中弾を出すだけでも大金星と言えるのに、この青年はあろうことか敵の一武装へ狙いを付けて砲撃し、狙いは外れたもののおおよその命中を得ている。

 彼の副長になってから長く時間がたっているわけではないが、いい加減何度こっちの経験則を真正面から粉砕すれば気が済むのだろうか。

 そうやって紅鶴艇長を務める年若い新米艇長に何度目かわからない畏怖を覚えると同時に、当然の疑問も浮かび上がってくる。

 なんだって自分たちのように懲罰人事でもないのに、新型艇とは”新米士官用雷撃棺桶”と揶揄される水雷艇に乗っているのだろう?

 思考の中へと落ちようとしていた副長の意識の一端だったが、防弾ガラス越しに飛び込んできた発砲炎以外の光によって戦場へと引き戻される。


「『雪鶴』被弾ッ!」

「損害は?」


 問いに対する返答を発する前に、ゆるぎない現実が閃光と轟音という形で情報を伝達した。

 縦列を組んで反航しながら接近する2頭の海神、そのうち後方の個体が数秒前に放った10㎝対艦徹甲榴弾は、放物線を描きながら嵐の空を横切り『雪鶴』の後部甲板へと向かっていった。

 距離が近いため浅い角度で後部甲板へと突入した砲弾は、10,5㎝連装砲の2番砲よりもさらに後方の爆雷投下軌条付近へ着弾。砲弾に内蔵されていた老廃物が衝撃を受けて急速に反応し、熱と衝撃波を四方八方にまき散らす。後部甲板を蹂躙する破壊の奔流は投下軌条に並べられた爆雷にまで達し、運悪くその中の1発を誘爆させたのだった。

 1発の150㎏爆雷の炸裂は即座に軌条に並べられた爆雷へと波及していき、一瞬の後に雪鶴の最後部が閃光と業火に包まれ、弾き飛ばされた赤熱する構造材が流星群の如く降り注ぐ。

 高々七二〇トンの水雷艇は艦首を一瞬浮き上がらせながら身震いし、速度を急激に落として漂流を始めた。


「ゆ、『雪鶴』大破!炎上中!」

「爆雷に誘爆、あの位置からしてスクリューシャフトと舵もやられているでしょう。持ちませんね。これは」

「だから、使いもしない爆雷は捨てて置けと言ったんだ」


 苦々しい顔を見合わせ、二人同時に溜息を吐いた。

 戦闘に入る前、この青年は指揮官である佐伯少佐に対して爆雷をはじめとする重量物の海洋投棄を具申していた。

 この先荒れた海での戦闘となる場合、ただでさえバランスの悪い雪鶴型にとっては苛酷な戦いになる。そのため、可能な限り武装を減らして重心をさげ安定性の増大を意図したものだった。

 しかし、佐伯少佐は帰り道での戦闘の可能性や、悪戯な兵器の消耗の抑止、安定性の不足は操艦の技量で克服可能であるという理由で全面的に却下。それでも艇長はなおも食い下がり、最終的には『紅鶴』のみが爆雷を投機することになった。


「彼我距離三八〇〇!敵副砲、発砲開始!」


 『雪鶴』を下した2頭の海神は前進を続け、遂に舷側のケースメイト式の小口径砲の発砲を開始する。

 一撃の威力は主砲に及ぶべくもないが、その分速射性に重きを置かれた火器であり、『雪鶴』の後方を走っていた『飛鳥』の周囲に無数の水柱が林立した。

 主力艦相手には役者不足も甚だしい8㎝単装速射砲だが、碌な装甲を持たない水雷艇にとっては破壊の暴風に等しい。11門の鶴瓶撃ちの水柱は瞬く間に『飛鳥』へと迫り、ややあって小柄な水雷艇が悲鳴を上げ始めた。

 無論『飛鳥』が被害を吸収している機を逃すはずもなく、『灘鶴』と『紅鶴』は負けじと相次いで打ち返す。『灘鶴』の砲弾の1発が先頭艦の舷側に命中し爆炎を挙げ、『紅鶴』の砲弾2発が同時に中央の煙突器官の基部へと命中し、大音響とともに崩落させた。


「魚雷連管1番、2番!右40度旋回!目標、敵1番艦!調停深度5m!接触信管!散布角2度!」

「発射管右90度旋回!調停深度5m!接触信管!散布角2度!」


 『紅鶴』の前艦橋と後艦橋の間に設置された2基の連装魚雷発射管が旋回し、荒れた海へと必殺の銛を引き絞るかの如く構える。


「距離3500!」

発射テェッ!」


 艇長がおもむろに手を振り下ろせば、圧搾空気によって押し出された魚雷が次々と嵐の海へ解き放たれた。落ちるというよりも、目の前に現れた波の壁へ突き刺さるように飛び込んでいった黒光りする銛は、水雷担当の船精霊の尽力もあり設定どおりにウェットヒーター式の推進器を駆動させた。






 防水具の下もずぶ濡れになりながら海を睨む後部艦橋の船精霊の眼には、暗い波の下を奔ってゆく4条の軌跡が写り込む。

 魚雷と敵の位置関係をざっと確認し、思わず小さな舌打ちが漏れた。

 魚雷に角度が付きすぎている。このままでは海神よりも早く予想交錯点を通り過ぎてしまうだろう。

 と思ったのもつかの間。大荒れの海を進撃する4本の魚雷は滑らかなカーブを微かに描きながら、意思を持つかのようにその進路を正しい角度へと修正していくではないか。

 もちろん、この魚雷に誘導装置なんてついていない。

 どうやら、我らが艇長は嵐の海の中を荒れ狂う潮流すらも読み切ったらしい。経験と勘を山積みにしてもそうそうお目にかかれない光景に、変な笑いが漏れそうになった。

 気を取り直して魚雷の進路を再確認、散布角が少々狭いような気もするが狙いは完璧。敵が気づいても1発、気づかなければ3発は直撃する。海神とはいえ、53㎝魚雷3本を喰らってぴんぴんしていることはあり得ない。1本でも喰らえばたちまち撤退に映るだろう。

 魚雷が順調に航走し、直撃針路に乗ったことを伝えるため伝声管へ口を近づけた時だった。

 波間を縫うように走る紅鶴の魚雷の航跡を横切るようにすれ違う、白い影を見つけてしまう。

 思わず背筋が凍り付き、情けない悲鳴を奥歯で噛み殺しつつ、恐怖で幾分上ずった絶叫を伝声管へと叩き付けた。


「2時方向!右舷雷跡2ふたーっ!」



 後艦橋からの伝声管から飛び込んできた絶叫に対する艇長の行動は早かった。無論、この雷撃は不意打ちではあったが、海神の眷雷の性能とこの艇の魚雷の性能は似通っている。故に、雷撃のタイミングも射角も予想しやすい。


「右後進一杯!左前進一杯!面舵一杯!」


 テレグラフが騒々しく鳴り響き、舵輪が風車の如く回転する。後部のスクリューが海水を撹拌し、艦上部が大きく左へと揺れはじめた。武装過多の雪鶴型には生存に必要な回避機動すらも危険との戦いとなり、手すきの船精霊は我先にと右舷側へと集まって自分の肉体すらもバラストの足しにする。

 他の軍艦と比べれば機敏な水雷艇とはいえ七二〇トンは十分に巨体であり、軽快とは程遠い機動性で、舳先で海を切り裂きながら右へと旋回を始める。

 右舷前方から扇形に広がりつつ接近した魚雷、その中央を抜けるために舳先を回していく。


「舵戻せ!」


 針路を変えきる直前で舵を反対に切った。

 艦の操舵装置は最後尾についている。このため回転軸は艦首にあり、旋回時は自動車のドリフトのような軌跡を描いた。今回のように右舷側へ回頭する際、あまりにも舵を切りすぎれば艦首は2発の魚雷の中央を通ったとしても、外側へ振られた艦尾が被雷する恐れがあった。

 じりじりと内臓を締め付ける時間が流れる。接近する2発の眷雷は知識で知っているそれより3割増しで速く感じる。逆に艇の動きは殴りつけたくなるほど遅い。高々1000トンに満たない水雷艇が、こんな嵐の海で眷雷を受けて無事なはずがなく。被雷と轟沈は等号で結ばれていた。

 船乗りとして最も長い数十秒が過ぎさると艇首両舷側を掠めるように眷雷が通過し、向かって右側の1発は艦首からわずか3m程度の距離を貫いて後方へと消えていく。


「眷雷回避!損傷なし!」


 緊張から解放された見張り員の歓喜と安堵を多分に含んだ声に、一つため息を吐き出した直後だった。



 絶体絶命の危機を回避した『紅鶴』の直前に、突如として波高30mはあろうかと言う巨大な波が立ち上がった。


「なっ!?」

「両舷前進全速!総員耐衝撃防御!」


 その命令と舳先が巨大な波の懐へ突き刺さるのはほぼ同時だった。波というよりも水塊と形容する方が適当な存在に、真正面から全速で突入した『紅鶴』の艇体が耳障りな悲鳴を上げ、外板が撓み、変形する。

 キャンバス張りの天井が重みに耐えかねて粉砕され、大量の海水が艦橋へとなだれ込み、数人の船精霊が悲鳴を上げる暇もなく海へと攫われていく。ついで艦橋後部のマストがへし折れ第1煙突を押しつぶし、左舷側の端艇カッターボートの1隻が木っ端みじんに粉砕され、反対舷側の1隻の策具がちぎれ飛んで海へと放り投げられた。

 巨大な波を海水を爆砕させながら突き抜けた満身創痍の『紅鶴』は、スクリューを一瞬空転させながら波の山脈を駆け下り、最後に海面へと艦首を叩きつけられた。

 艦と繋がっているため全身に即座に広がった絶え間ない激痛に顔を歪めながら、損害報告を求める。


「損害知らせッ!」

「前部マスト倒壊!」

「1番、2番端艇喪失!」

「後部艦橋異常なし!」

「1番砲浸水!揚弾機損傷!」

「艦首部、亀裂及び浸水確認!」

「無線大破!通信不能!」

「前艦橋一部圧壊!見張り員2名行方不明!」

「こちら機関ゲホッ!室!煙道損傷により排煙ゲホッ!不良!」

「2番砲異常なし!」

「1番2番魚雷発射管異常なし!見張り員二名行方不明!」

「両舷後進強速!…くそ、損害が大きい」


 天井代わりのキャンバスが吹き飛んだ結果、風雨がもろに入るようになった艦橋で思わず悪態をつく。流された水兵に代わり、艇長が意識を走らせスクリュープロペラを逆進させた。ほどなく、『紅鶴』の行き足は止まるだろう。

 何はともあれ艇首の浸水が致命的だ。これを無視したまま前進を続ければ、浸水を防げないどころか前部の水密隔壁が破られ大浸水は免れない。現状ですら艦橋と1番砲の間の艇体に嫌な違和感があるのに、これ以上の前進は自殺行為に他ならない。

 隣を見れば、羅針盤に捕まったはいいモノの衝撃で思い切り打ったらしい顎をさする副長の姿。ソレなりに痛かったのか涙目になっていた。


「あつつ、三角波ですね。やっぱり、こんな日は戦争なんてやるもんじゃない」

「同感だ。というか、この艇の構造計算はどうなってる。いくら大波だからと言って、ここまで損傷するものなのか?」

「私も長いこと奉公してますが、聞いたことがないですな。取り合えず、帰ったら艦政本部に殴り込みということで。で、どうします?単艦、もとい単艇で突出して立ち往生気味ですけど。赤旗でも上げますか?」

「その必要はない。向こうも直に退く」


 怪訝そうな副長に対し艇長が顎をしゃくった瞬間、手が届きそうなほど近くにまで迫った先頭の海神の右舷に巨大な水柱が3本屹立し、続いて後方の海神にも1本が吹き上がる。おぞましい絶叫の混声合唱が暴風の隙間から伝わり、「ほらな?」という悪戯が成功した悪童のような声が青年から漏れる。

 五五式53㎝熱走魚雷3本の直撃はいかな海神であっても致命傷となりうる。現に、被雷し断末魔の叫びをあげた海神はその長い首を海面へと打ち付け、ゆっくりと右舷側へ向かって転覆していく。腹側の白い表皮装甲と赤黒い神血、赤橙色の火炎に彩られた海神は被雷から1分もかからずに海中へと没する。文字通りの轟沈だ。後続するもう1頭も微かに右舷へ傾きながら左へと回頭を――逃走を始めた。


「て、敵海神轟沈!後続艦、砲撃を行いつつ離脱しようとしています!」

「艇長」

「…ここまでだな。艦首から浸水し、前部の砲も使えず魚雷の再装填は論外。10,5㎝連装砲1基でケリはつけられない。味方の援護を受けつつ後退する。あの様子では10ktがやっとだろう、止めは『飛鳥』と『灘鶴』へくれてやればいい。味方へ発光信号!”我、戦闘能力喪失!援護求ム!” 両舷後進一杯!取り舵15!敵艦へ艦首を向けながら後退する!」


 撤退の決断をし、周囲に敵2番艦の阻止砲撃が降り注いだ瞬間はたと気づく。

 前方の敵艦の周囲には、全くと言っていいほど水柱が立っていない。雷撃を受けて低速でヨタヨタと後退している敵は格好の的だ。後ろの二隻もそれなりに損傷を受けているだろうが、見逃してやる道理はどこにもない。ならばなぜ。

 途端に脳内に広がった嫌な予感と共に後ろを振り返れば、ある意味では予想通りの”最悪”が横たわってた。


「あ、『飛鳥』と『灘鶴』がいません!消えました!『雪鶴』は健在!」


 呆然とした見張り員の悲鳴が吹き曝しになった艦橋へむなしく響く。

 破壊され、倒壊したマストに押しつぶされた煙突の瓦礫の向こうには幾分火災の手が弱くなり、後部甲板が波に洗われている『雪鶴』の姿しかない。本来ならまだ無傷同然だった『灘鶴』と中破相当の『飛鳥』の姿はあるべき場所にはなく、そこにはただ荒れ狂う海が広がっているだけだった。


「違う、消えてない」

「うわぁ…これは…」


 思わず素が出てしまったらしい副長の言葉が妙にはっきりと響いた。

 2隻の水雷艇は決して消えたわけではない。その証拠に、2隻が居るはずの海面には赤い構造物が2つ浮いていた。あたりの波間には助けを求める船精霊や、吹き飛ばされた構造物が見え隠れし、発見の報告を上げる前に暗い海へと沈んでいく。


「『飛鳥』、『灘鶴』は両方とも転覆しているようです。この荒天では曳航も救助も…」


 喘ぐような声に力なく首を振った直後、背筋を奔った悪寒に従って前を振り返る。波の向こうにはこちらに背を向けて離脱を計る海神の生き残り。

 それはいい、もはやこちらに戦闘能力はなく、見逃してくれるに越したことは無いのだから。

 問題は、置き土産として放たれたものらしい複数の砲弾の弾着による水柱が紅鶴を包んでいることと、今まさに1番砲周辺に突き刺さった3発の砲弾だった。


「伏せ」


 その声を発そうとした瞬間、彼の意識はひび割れた防弾ガラス越しの閃光に漂白されてしまった。






 南部方面海域遭遇戦

 自軍:第5警備戦隊 雪鶴型水雷艇4隻

   『雪鶴』『飛鳥』『灘鶴』『紅鶴』


 敵海神:1000トン級護衛型 2隻


 戦闘結果

 戦果:轟沈1

    大破撃退1


 損害:喪失(遭難)『飛鳥』『灘鶴』

    大破後自沈 『雪鶴』

    大破 『紅鶴』

   

   『飛鳥』及び『灘鶴』、艇長以下224名戦死。

   『紅鶴』4名戦死。重軽傷者、紅鶴艇長有瀬一春大尉含む31名

   『雪鶴』65名戦死、重軽傷者、雪鶴艇長兼戦隊司令佐伯俊也少佐含む40名












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