海神の揺籃

クレイドル501

1st Chart:目標海神、距離五〇〇〇


 いつの時代、いかなる星であってさえ、海というものは様々な表情を持つ。ある時は、膨大な水産資源を生み出す生命の揺りかごとして。またある時は、進むものを悉く波濤の下へと埋葬する死神として。

 皇紀2599年3月24日、午前4時。黒いうねりに包まれた嵐の海を進む四隻の戦闘艦に対し、海が向けている表情はまぎれもなく後者のものだった。

 死神の腕を辛うじて押し退けながら進む一群の戦闘艦は皆同じ姿をしている。

 鈍色の全長は一〇〇mに満たず、排水量は七二〇トン強。小柄な艦体に主兵装として連装二基四門の10.5㎝砲と53cm連装魚雷発射管二基の重武装を持つ。彼らの所属する集団では”水雷艇”に区分される艦だった。

 荒れ狂う波に揺さぶられながら、鋭い艦首で鉛色の海を切り裂き航行する先頭艇、雪鶴型水雷艇1番艇『雪鶴』の小さな艦橋から後続艇へ向けて数度光が瞬く。直後、一列縦隊――単縦陣で進む艇達へと細やかな瞬きが伝搬していき、ややあって最後尾の雪鶴型3番艇である『紅鶴』へと光が届いた。


「旗艦より発光信号!右舷一時方向二敵艦見ユ!進路そのまま!第二戦速!」


 キャンバス張りの天井と防弾ガラスに叩き付けられる風雨と飛沫、マストと空中線の間を吹き抜ける暴風の唸り声に負けないよう、見張り員の絶叫が航海艦橋の中に響いた。その声は幼子のようにも聞こえ、実際、その言葉を発した”水兵”は幼子というほかない容姿だった。

 まだまだあどけなさが色濃く残り、少年のようにも少女のようにも見える中性的な顔には、寒さとわずかな恐怖、そしてそれらを封じ込めるほどの興奮からくる満面の笑みが浮かんでいる。

 彼だけではない。

 艦橋の窓から鈍色の海を双眼鏡でにらみつける左舷側の見張り員も、羅針盤に噛り付いて振り落とされまいとしている航海長と書かれた腕章をはめた者も、艦長の指示を今や遅しと速度通信器エンジン・テレグラフを握りしめている水兵も、皆一様に幼い。

 この艦だけではなく、他の3隻、それどころかこの星に存在する”人類”の艦艇にとっても見慣れた光景だった。

 彼の者達の名は船精霊クラバウター。海洋惑星オケアノスの人類側船舶の乗員を務める、なくてはならない不可思議な知的生命体。艦長以外の役割を一手に引き受ける、共生種族とも呼べる存在だった。


「両舷前進第二戦速!」

「了解!両舷前進第二戦そーく!」


 旗艦からの指示を耳にした唯一の人間である青年が「やっとか」と小さくぼやき、この水雷艇の長を勤める者として加速の命令を発した。

 年のころは船精霊よりも上ではあるが、外見上は高く見積もっても20を超えるかどうかといった、まだまだ少年の面影を残す人物。

 凝固した血のように赤黒い双眸は、切れ長の目から嵐の海を進む前方の友軍艇の艦尾と、淡い蛍光塗料が点々とする航海艦橋を睥睨する。轟音に包まれた中でもよく通る命令を発した口は再び閉ざされ、微かに片方の口角を歪ませている様は不敵に笑っているようにも見えた。

 短髪の黒髪には殆ど黒と言えるような濃紺の官帽がかぶさり、6枚の花弁を持つ花と碇を中心に据えた帽章が銀糸と銀板によって形作られている。中肉中背の身体を包む詰襟の軍服には皺一つなく、大揺れの艦橋にあっても蹈鞴を踏むような無様はさらしていなかった。

 その外見上は年若い艇長の命令に、テレグラフを握りしめていた船精霊が「まってました!」とばかりに腕に力を込める。ガキガキとギアが噛み合うような音を響かせながらレバーが倒され、ベルの音と共に艦橋と機関室に設けられた速度指示器の針が【原速】から【二戦速】へと切り替わる。

 ややあって紅鶴の機関が一際大きく唸り、全長78mの水雷艇が身震いをしながら増速。正面に現れた波へ艦首を突き刺し、砕けた白い飛沫を盛大に噴き上げた。

 破砕された海の破片が礫のように艦橋に打ち付ける音が止むと、隣から一つ大きなため息が聞こえてきた。


「ようやく見つけましたけど…雪鶴は何考えてこんな嵐のど真ん中に突っ込んだんでしょうか」

「さてね。佐伯少佐は、よほど戦果をお求めらしい」


 副長と書かれた腕章をした船精霊のあきれたような言葉に、艇長を務める大尉の階級章を身に着けた青年は面倒くさげに微かに肩をすくめた。

 つい一瞬前までの冷徹な軍人という印象はそこにはなく、その声色には奇妙な諧謔すらひそめられている。案外、人好きのする性格なのかもしれなかった。黙ると途端に不機嫌そうに見えてくるのは、彼の顔の作りのせいだろう。


「あの人、最近第5警備戦隊の戦隊長になったからと言って張り切ってるんですかねぇ。配属された艦も、ピッカピカの新型艇、雪鶴型の4隻ですし。…艇長は佐伯少佐とは懇意なのですか?」

「いいや。僕にとっては紅鶴が最初の艦で、いきなり近海警備艦隊に転属だからな。佐伯少佐とは全く面識がない。というか、そもそも僕は海上護衛総隊の人間だ」

「ああ、それで海上護衛総隊がむくれていたんですか。新型艇4隻と将来有望な艇長を分捕られれば、殴り合い一歩手前の雰囲気にもなるでしょうよ」

「新型艇4隻はともかく、僕が将来有望ってところには疑問を覚えるがね」

「貴方の副長になってまだ一週間ですがね、そこは保証しますよ。これでも、元連合艦隊グランド・フリート旗艦の船精霊の生き残りですからね。艦長を見る目は確かです」


 お世辞なのか本気なのか判断しづらい微笑を浮かべる副長に「なら、君の眼が節穴じゃないことを証明するために、微力を尽くすとするさ」と微かに笑みを浮かべ、帽子を軽く直す。

 全身を包むのは戦場の空気だけではない。今まさにこの艦を取り巻いているうねりの感覚。船体ごと引きちぎらんと四方八方から襲い掛かる波の圧力を、文字通りその身で感じ取る。

 この星の住人が或る金属を用いて建造された艦に、同質の装身具を身に着けたうえで乗り込むことで初めて発現する特殊な能力。それは、艦と概念的につながることで操艦から戦闘までをほぼ一人で行えてしまう力だった。

 もしも、この性質と船精霊が存在していなければ、はるか昔に人類と呼ばれる種は絶滅していただろう。それほどまでに、この星でこの種が文明を維持するためには必要不可欠な存在だった。

 無骨な金属で作られた腕時計をチラとみれば、時刻はそろそろ夕刻に差し掛かろうとしている。今はまだ目視での戦闘が可能だが、さすがに荒れた海での夜戦は新型艇とはいえ褒められた策ではない。


「敵神発見!右舷2時方向!進路0-2-0で北上中!敵速およそ18kt!距離一〇〇〇〇!」


 見張の絶叫とともに、艇長の脳裏にも海に向けられた双眼鏡の映像が浮かんだ。

 灰色の巨大な魚が無数にうごめいているかのような嵐の海をものともせず、反航する形で接近する2つの影。


 その姿を端的に表すとするならば、米海軍の平甲板型駆逐艦を背部に埋没させた、金属製の首長竜と言えるだろう。


 水線長――船の全長の内、海水に触れている部分の長さ――が100mに達する首長竜の背部には、波が直接その上の構造体に叩き付けられないようにするためか、人類側の艦の甲板のような首尾線方向に長い8角形の部位を持つ。

 左右端部には小口径の連装砲が2列で2基、合計4基8門。さらに小口径の砲がケースメイト式に甲板の直下の両舷側から6門ずつ飛び出し、合計12門。連装砲に守られるようにそそり立った3本の煙突上構造物からは、雪鶴型と同じように真っ黒な黒煙が噴出している。すぐ近くには円筒形の筒が3本並んだ構造物が両舷に1基ずつ据えられていた。



 海神レヴィアタン

 オケアノスの海洋を支配する金属生命体であり背部の水線長は最低でも100m、巨大なものになると数㎞にも達する事実上の支配種族だ。

 表皮と中枢部位を守るのは強固な生体金属装甲であり、背部には老廃物として生成した生体金属砲弾の射出器官や、眷属水雷と呼ばれる超短命の自爆性金属生命体の放出器官を備えている。

 機動力は大きさによってまちまちではあるが、今目の前に現れた護衛エスコート級と呼ばれる小型の種は軽く20kt以上の高速をたたき出す能力を持っていた。

 大まかな部類として、背部の兵装を備えた甲板のサイズと同程度の甲板と兵装を持つ人類側の艦のトン数を照応させ、識別と戦力評価の助けとしていた。そのため実際の海神の総トン数は、海神の構造上識別の際に呼称するトン数よりも大幅に大きい。



「1000tクラスの護衛級エスコート2!右舷側に眷属水雷眷雷発射管3門を確認!」

「この荒天下で撃ってもまっすぐは走らんでしょうが、命中すれば厄介です。大波で被害が拡大するでしょう」

「そこは心配ない」

「なぜです?護衛級の若い個体が、後先考えず全門ぶっぱしてくるのは日常茶飯事では?」


 不審そうに眉を顰める副長に、艇長は内心の恐れを吹き飛ばすように呵々と笑う


「こんなちっぽけな水雷艇なんざ、眷雷を食らえばダメコンやる前に吹っ飛ぶさ。右舷見張り員!雷跡に注意せよ!」

「そんなこと言ったって、大荒れでまともに見えないんですけどぉー!?」

「全員で大水泳大会したくなきゃ死ぬ気で見張れ。見つけさえしてくれれば後は何とかなる。いや、何とかする。帰ったら全員にアイス奢ってやるよ」

「言質いただきましたー!泥船に乗った気分でお任せくださーい!」

「泥船かよ」


 調子のいい見張り員に呆れ、馬鹿らしくなってくるのも、そろそろ慣れてきた。

 海上護衛総隊で訓練はさんざんやってきたが、今は待ちに待った初陣。それも、新型水雷艇を任されて、だ。不安要素に怖気づきそうになる心を奮い立たせるように、一つ深呼吸をして次なる指示を飛ばし、艦体に張り巡らせた意識を駆動させる。


「右舷砲雷撃戦用意!主砲1、2番照準、敵先頭艦!弾種榴弾通常弾!」


 本来、艦を任意に操れる艦長にとってこの指示は不要ではあるが、艦内外の各所には弾薬の装填や見張り、応急修理に駆けずり回る船精霊が存在する。そのため、必ず口頭による命令が発されてから操作を行う決まりになっていた。

 そうしなければ、急に旋回した砲身に甲板作業員が弾き飛ばされてしまう事例が発生してしまう。

 また、いくら艦長が艦の全てを支配できるとは言え所詮人であり、観測機器も技術的成熟の度合いは消して高くない。人間の処理能力の関係上、せいぜい一種類の兵装を持って敵一体を攻撃できる程度だ。

 そのため、戦闘中の艦長は基本的に主砲や魚雷など艦の主兵装の管制を担当し、副砲など艦長の管制下にない兵装や操艦の部分的な肩代わりを船精霊が行う分担となっていた。

 艦の操作は艦長がいつでも上書きオーバーライド可能であるため、緊急時の指揮権引き継ぎに支障はない。

 『紅鶴』の艦橋直前と後部甲板に据えられた2基4門の50口径10.5㎝連装砲がギリギリと金切り声を上げて旋回。舷側を駆け上がり炸裂した飛沫を砲口から滴らせながら、嵐の海の先を航行する”神”を睨んだ。


「旗艦より打電!距離七〇〇〇にて右舷砲戦を開始、旗艦の発砲に続け!」


 距離七〇〇〇という数字に思わず副長と目を見合わせる。

 この水雷艇の主砲として搭載された五六式50口径10,5㎝連装砲の最大射程は仰角40度で10240m。距離7000mは1000tクラスの護衛級に対して有効射程内ではあるが、それは快晴かつ穏やかな海であることを前提とした場合だ。無論、当たりさえすれば被害を与えられるだろうが、唯でさえ小柄な艦体に重武装を施した雪鶴型にとって、荒れた海での長距離砲撃は至難の業であった。


「どうします?艇長。まあ、先手を取れるに越したことはないですが…」

「当たる気がしないのに、敵に視界をくれてやるのは面白くないよな?」


 血気に逸っているだろう佐伯少佐に向けてか、ニタリといたずらを思いついた悪ガキのように笑った青年が、無線封鎖が解除されてようやく仕事が生まれた通信手へ返電を支持する。


「旗艦、雪鶴へ打電!”ワレ装填装置二問題発生。解決後砲撃ヲ開始スル”」

「ばれたら命令不服従で軍法会議ですね」

「悪戯に位置を露見させて集中砲火食らうよりはマシだ」


 再び艦首が大波に突っ込み、小柄な艦体に水塊が衝突する轟音と鋼材が上げる悲鳴が残響のように広がる。それと同時に体のあちこちで鈍痛が広がり、艇体の構造が悲鳴を上げているのを肌で感じ取る。

 艦の異常をリアルタイムで直感的に理解できるのはありがたいが、練習艦隊のオンボロ駆逐艦で嵐を突っ切った時より痛みと不快感が酷い。本当に新型艇か?こいつ。

 『紅鶴』の中でもひときわ高い位置に存在する艦橋の揺れはひどく、前方と左右の防弾ガラス越しに広がる海は、時折そそり立つような壁となって乗員に圧迫感と恐怖を植え付けては崩れ去っていく。

 そして、現れては消えていく海水の稜線の向こうには、自分の艇と同じように木の葉のように翻弄させれる味方戦隊と彼らの敵の姿がわずかに見え隠れしていた。

 突如、艦橋の前方が断続的に明るく光り、一瞬遅れて不規則な炸裂音がガラスを震わせる。降りしきる雨の中、墨汁をぶちまけた様な砲煙が微かに映り込み即座に洗い流されていく。


「『雪鶴』、『飛鳥』発砲!ついで『灘鶴』発砲!順次射撃中!」

「距離は?」

「およそ七一〇〇!」

「よろしい。本艇は距離五〇〇〇にて砲撃を開始する!主砲交互打ち方用意!」

「友軍初弾弾着!遠弾8!つづいて近弾4!」


 海神の奥に4つの水柱が2セット立った後、やや遅れて彼我の中間地点付近で盛大な水柱が上がる。初弾から全門斉射、その後は最大速度での順次射撃へと移っていく。10.5㎝の小口径砲であるため弾着までの時間も装填時間も短いが、速射性を維持することを念頭に置いているためか、狙いは少々甘いと言わざるを得ない。

 尤も、海神に比べて速射性能に分がある我が軍が、反撃の隙を与えずに圧倒するための常とう手段ではあるのだが、今回は皇国海軍にとって条件が悪すぎ、相手がより狡猾だった。

 順次砲撃によりその位置を示し続けている味方艦隊へ向けて、お返しとばかりに上空へと振り上げられた海神の10㎝連装砲4基8門が火炎の吐息を吐き出し、一瞬だけ嵐の山脈を朱に染め上げる。


「海神発砲!…弾着、今!ゆ、『雪鶴』に至近弾1!」

「奴さん、全弾旗艦にぶち込んだらしいですね。狙いもいい」

「おそらく、こっちが撃つのを待っていたのだろう。奴らの感覚器は僕らの艦橋よりも高い位置にある。索敵、測距能力では分が悪い。特にこんな大時化ではな」


 遥か彼方の波頭の向こう。首の先に乱杭歯を揃えた恐ろしげな口と無数に備えられた望遠カメラのような器官を持つ神が、かすかに嗤ったようにも見えた。

 鎌首をもたげた首長竜のような体躯を持つ海神の感覚器――観測装置は、前方にそそり立つ首の先端、頭部に集中している。その高さは護衛級でも人類側の装甲巡洋艦のマスト程度には達しており、弾着観測などで有利に立っていた。


「旗艦より打電!”損害軽微!戦闘続行ニ支障無シ!全艦奮励努力シ、御国ノ力ヲ知ラシメヨ!”」

「やる気は十分ってところですなぁ。これは、そろそろ動かないと後で厄介かもしれませんねぇ」


 少し面白そうな副長の軽口に「わかってるさ」と肩をすくめ、微かに目を細めて5500mにまで迫った敵を見やる。

 味方の砲撃は荒れた海を叩くばかりで至近弾すら出せず、対して敵の砲撃は徐々に精度を増していた。今も、雪鶴の艦首直前に2つの至近弾が水柱を作り出している。吹き飛ばされた海水が『雪鶴』の1番砲塔に降り注ぎ、砲身の熱で蒸発した海水が微かに湯気を立てるが、次の瞬間には発砲の衝撃に引き裂かれた。

 今のところ双方に命中弾はないが、このままでは先に砲弾を受けるのはこちら、しかも旗艦だろう。


 それは面白くない。


 目標の距離、方角、針路、速度。自艇の速度、針路、動揺、砲身命数。現在周囲を取り巻く暴風の速度、風向。海流の流速、流向。艦体へと打ち付ける無数の波浪。

 得られる情報を可能な限り飲み込み、その結果はじき出された砲撃諸元をもとに砲塔を旋回させ、片方の砲身を持ち上げる。


 ――目標海神、距離五〇〇〇


「主砲、交互打ち方始め!」

「撃ちー方始め!」

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