第28話 魔女の心

「詰みだな」


つまらなさそうに志磨は言葉を吐いた。令に背を向け、再度魔法の準備に取りかかる。いくつかの呪文を唱え、彼女が手をかざすと、彼女の頭上にあった球体が最後の円へと入っていった。


すると、魔方陣に劇的な変化が現れた。四つの球体が入った円から大量の文字が現れた。それらが複数の列を成して線を作り、ゆっくり伸びていく。一本、また一本と別の円から出た文字列同士が繋がっていき、深淵に振れた文字は次々と呑まれていく。


もはや動くことさえ出来なくなった令は、その様子をただ見ていることしかできない。精一杯の抵抗として志磨を睨み続けた。


志磨が一息ついて振り返った。


「そう睨むなよ。君が決めた運命だろう」


「違ぇよ。俺が選んだのはてめぇをぶん殴る運命だ。こんなんじゃねぇ!」


「それは我が儘というやつだ。人は誰しも望む形ではいられない。自分のあるべき存在を決めるのは、自分以外の存在だ」


 冷たくそう言い放つ志磨。彼女の背後では今も魔法陣が動き続けている。


「他人という蚤に削られて私たちは存在できている。それを拒否して、あるがままでいようなどと、おこがましいよ。君がこの世に生を受けたのですら、誰のおかげだと思ってる?」


つらつらと並べられた言葉に噛みつこうと口を開く令であったが、その言葉に被せるように彼女は続けた。


「全く・・・・・・。まさに君に相応しい咎だよ。『存在の咎』を与えられた、哀れな少年よ」


存在すること。


それが彼の咎。


令は、自分の歯を砕かんばかりに食いしばった。彼の頭に、前回の戦いの時に志磨が囁いた言葉が木霊した。


(君の咎は、『存在すること』だよ。君はこの世に生きているだけで罪深い。君の行動の全てが、君の咎を深くする。仲間を助けようとする、その行為もね・・・・・・)


嘘だと怒鳴り返そうとした。だが、言葉がでなかった。


納得してしまったのだ。志磨のその言葉に。


理由など無く、ただ感覚で分かってしまったのだ。それが自分の咎であると。


後で冷静に考えてみてもそれは変わらなかった。


藍子は咎を犯す前から烙印があった。つまりそれは、咎を犯している最中も烙印があったということになる。


そう。どうして咎の自覚のない自分に罰の力が現れたのか。それは、咎を犯していないからではなかったのだ。『存在している』という咎を、犯し続けていたからだったのだ。


ただ生きていることが咎。そんな理不尽な事があるのか。咎を知った令の心は、鉛のような重さをずっと感じ続けている。


だが・・・・・・。


「それがどうした」


令は牙をむき出しにした。


「結局変わんねぇんだよ。生きてることが咎で、なにやっても咎の上塗りにしかならなぇんなら、やっぱり俺は好きなように生きる! 例えそれが自分の咎だろうが、そんなもんに縛り着けられるのはまっぴらごめんだ!」


真っ直ぐに志磨を見据えてそう言い放った。志磨はその言葉にただ目を細めて何も言わなかった。


令はさらに言葉を吐く。


「お前こそ、羽月を人間にして、咎負いの力を奪って何する気だ!」


「・・・・・・ふん。羽月から聞いたのか」


 階下では未だ地響きと衝撃波の轟音が鳴り続けている。まだ羽月は戦っているのだ。志磨の狂行を止めるために。


 二人、いや三人の少女を犠牲にしてまで達成したい目的とはなんなのか。羽月から咎負いの力を取り除いた先には何があるというのか。


「君は勘違いしてるな。羽月を人間にすることが私の目的だ。私は、あの子から咎負いの力を奪うのではなく、消し去りたいんだ」


「どっちでもいいんだよそんなの・・・・・・! だからそれで何がしたいんだ!」


「言っただろう。彼女を、人間へ戻すんだ」


 令の心で怒りの炎が猛った。全身の血すら炎となり、視界が赤く染まる。その怒りに全身縛られていることを忘れ、志磨に飛びかかろうとするほどだった。


 だから、気づかなかったのであろう。言葉を返した志磨の口調に、苛立ちが混じっていたことに。


「答えになってねぇんだよ! 羽月が人に戻るからなんだ!? そんなことがお前の目的なのか!」


「・・・・・・そんなことだと?」


 志磨の口調が変わった。それは冬の海ように冷たく、そして荒れていた。冬の荒波は一瞬にして令の炎をかき消し、彼は志磨の変化に気づく。


 これは怒りだ。


令のように、炎のごとく周囲に発散されていく猛々しい怒りとは違う。冷たい波が周囲を圧倒し、飲み込んでいくようなそんな威圧的な怒り。


志磨の年齢不詳な顔の眉がつり上がっている。それは怒りの表情であるはずなのだが、なぜか令には泣くのを我慢している表情にも見えた。


波はさらに広がり、少年を飲み込んでいく。


「羽月と戦ったお前なら分かるはずだ。 あの子は自分の罰で、人に触れることすらできない・・・・・・。あの子がどれだけ望んでも、あの子は人二度と人の温もりを感じることができないんだ」


一言一言が冷たく、荒々しさに満ちている。冷たい波が令の心に触れるたびに、反対に令の心は冷静になっていく。だが、冷静になっても、羽月が言っていることの意味が分からなかった。


言っている言葉は分かる。理解はできる。だが、その言葉が意味することが理解できないのだ。


(だって、だってこんなの・・・・・・この言い方じゃまるで・・・・・・)


志磨の声は続く。


「彼女に義手を与えても、どれだけ精巧なゴーレムを作っても、あの子の心は癒やせなかった・・・・・・。人に触れられる新しい手、自分の手で触れられる人、そのどちらもあの子を一時的に慰めるだけだった。・・・・・・どれだけ本物のように作っても、偽物は偽物なんだ。精巧に作れば作るほどに、一時的な慰めの後に来る絶望が大きくなるだけだった・・・・・・。だから、あの子を救うためには、これしかないんだ・・・・・・!」


いつの間にか猛狂っていた荒波は凪ぎ、冷たい雨が静かに降っていた。


「お前・・・・・・どうしてそこまで・・・・・・」


思わず声が漏れていた。


「・・・・・・それをお前が言うのか。・・・・・・・・・・・・可哀想だと――」


思ったからだよ、と彼女は囁くようにそう言った。そして、その言葉を最後に、彼女の表情から一切の弱さが消え去った。雷のような強い眼光がその目に光り、甘さなど欠片もない厳しい表情へと変わる。


「だから私は止まらない。例え羽月が望まなくとも、あの子を人へと戻す!」 


 志磨の背後が一際強く光った。見れば、魔法陣の中で動いていた文字列が、複雑な模様を描き終えている。次の瞬間、陣内の光が一切消え、中にあったものが一斉に黒く崩れ始めた。剣の刺さった白い木も、小瓶も、緑の炎も。全てが崩れ、青黒い煙となっていく。そして煙となったそばから、それらは中心にある深淵へと呑まれている。


深淵は世界に穿たれた穴のごとく無尽蔵に煙を吸収する。そして煙を吸収するほど、そこから真っ黒な根のようなものが、凄まじい速度で周囲へと広がっていく。根は陣を超えても広がり続け、すぐに屋上全体に広がった。だが、それでも成長は止まらない。


「・・・・・・!」


あまりの光景に令は目を疑うと同時に、激しい焦燥に襲われた。


「ま、魔法が・・・・・・!」


 発動してしまった。


 なんとしてでも阻止しなければならなかった魔法が、無情にも目の前で。


「なんとか間に合ったか」


 広がり続ける根を見ながら、志磨がそう呟く。


 令の体に脳髄へ直接冷水が流し込まれたかのような感覚が広がる。絶対に二人を助けると、それだけを原動力として動いていたのに、何もできないままにまた終わるのか。


 終わった、と思う自分を殺し、死にものぐるいで暴れようとするが、鎖はビクともしない。


陣の中にあったものが全て無くなったころには、ビル全体はおろか、周囲の道路や建物までが黒い根に覆われていた。


根は、未だゴーレムと戦っていた羽月の場所にまで届いていた。


急に足下に広がった根に驚いていると、突然彼女の右腕が震え始めた。そして彼女の意思と関係なく、その義手は何かに引っ張られるように空へと手を伸ばした。見れば、そこには地面にあるものと同じ根が浮かび上がっており、彼女の知らない文字を形成していた。腕を覆っていた包帯が散り散りに破れ、砕けた跡が露わになる。根はその奥から発生していた。


「まさか・・・・・・!」


 目を見開く彼女の体を、腕から伸びた黒い根が一瞬にして覆った。その瞬間彼女の体の自由がきかなくなり、衝撃波を放つことすら叶わなくなる。全身から力が抜け、暴れる力すら奪われる。


 動かなくなった彼女は、そのまま腕を引っ張られるような形で宙に浮いた。そのままゆっくりと屋上へと連れ去られる。魔法が発動してから、彼女が屋上につくまで、一分と掛からなかった。


 屋上へと連れてこられた羽月の姿を見た途端、令の思考は冷たく痺れて砕け散った。頼みの綱が、最後の希望が失われた。


 陣の中心へと運ばれていく羽月。その顔は悲しさと悔しさに歪んでいる。


 羽月と目の合った志磨が、口を開く。


「私が作ったその義手に、何の仕掛けもないと思ったか?」


 口を動かす事も出来ない羽月の瞳から、ただ涙があふれかえった。


 奇策を打ったはずが、ことごとくそれを読まれ、あまつさえこちらの読み不足。策を労し、自身の限界に迫ってさえ、まるで勝負にならなかったのだ。


 羽月の頬に滴が伝うのを見て、歯を食いしばっている令の目にも涙が浮かんだ。


 万策も、希望も尽きた。


 二人の心に分厚い氷が張り、勝利の二文字がその下にかき消えた。


 羽月が陣の中央、不気味な根の発生源である深淵の上にまで運ばれる。すると、彼女を覆っていた黒い根がさらに伸び、深淵の中へと呑まれていく。大量の根の上に真っ直ぐ伸びるような形になった羽月の姿は、一本の木のようであった。


 志磨が魔法陣の縁に立った。志磨と羽月、二人の目が合った。羽月の目からは未だ涙が流れている。


「・・・・・・恨んでくれて構わない」


 その言葉は、羽月の目からさらに涙を溢れさせた。


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