第27話 令の咎
一方屋上では、志磨はもう羽月の姿を見ていなかった。あと少しの時間があれば魔法は完成する。そしてその時間は、ゴーレムが作ってくれる。
時折放つ衝撃波の音が、幾重にも木霊して彼女に届く。
彼女は自らが書いた魔法陣の縁に立っていた。
魔法陣は広大なグレイスピアビルの屋上をほとんど埋め尽くしており、その複雑さは一乃が車庫に書いていたものとは比べものにならない。陣を描くのは屋上に直接刻まれたヘブライ語の文字列であるが、そのヘブライ語の文字ですらさらに細かい文字によって成されている。
色を変え続ける水晶球や、どういうわけかコンクリートから直接生えている白い樹木、次々と光る綿毛のようなものを出している小瓶、周囲一帯に薄く立ちこめる青い霧。白い樹木は、ギザギザに折れ曲がった剣で縦に貫かれていた。すでにここには、魔法を発動する前から不思議な光景が広がっている。
陣の中央には、不気味な青黒い水たまりがあった。底など存在しないかのようにその色は濃く、見るものを引き込みそうなほど深く深く見える。青い霧の発生源はそれだろう。全く揺らめいていない水面から、蒸発しているかのような青い煙が立ち上っている。
これが、
深淵のそばに横たわっている二人の少女の姿があった。一乃と藍子だ。二人の咎負いはどちらも眠っているように意識を失っている。
志磨は空を見上げた。満月はもうすぐで頂点に達しようとしている。
「そろそろだな」
彼女はそう呟くと、呪文を唱え始めた。しばらくすると、いつかのように彼女の上着から光の枝が張りだした。だが、今度はその枝が彼女の背中から上向きに翼のように広がり、彼女が後光を背負っているような形になった。そして時間とともに、一つ、また一つと、色の違う球体が増え、最終的に四つの球体が、彼女の両肩と頭上、腰あたりに現れた。
自身の背に浮かぶ球体を確認し、志磨は呪文を唱えて陣の一端に触れた。すると、腰の薄黄色い球体が枝から離れ、彼女の足下の円の中に沈む。円が黄色く光ると、陣の四分の一ほども同じ色に染まった。
次に左肩の球体を、同じようにして陣の端の円へと沈める・・・・・・。
着々と進んでいく魔法の準備。彼女の背後では、まだ羽月が放つ衝撃波の音が響いている。
もう少しで、魔法が完成する。そして、魔法が完成すれば、羽月は人間へと戻る。
罰を失い、ただの人間へと戻るのだ。
(そうすれば・・・・・・)
三つめの球体を沈め、残るは頭上の球体のみとなった。魔法陣の四分の三は淡い光で浮かび上がっている。
最後の球体を飛ばそうと、志磨は呪文を唱えた。奇妙な光景が広がる中、そこに響くのは下の戦闘音と、彼女の声だけであった。
すると突然、風切り音とともに、一本の金属棒が志磨へと飛んできた。
振り返った志磨の眼前で灰色の障壁が発生し、金属棒が勢いよく弾かれる。
弾き返されたそれを、一人の少年が片手でキャッチする。
唱和を止めた志磨が、少年へと向き直った。
「驚いた。君も来ていたのか」
そこにいたのは咎負いの少年、直路木 令。息を切らしながら佇む彼は、ただ真っ直ぐと志磨を見据えてそこに立っていた。
志磨の視線が、彼が握っているものに注がれる。
「そいつはなんだ?」
白く長い金属の棒。その先に四角い金属が付けられている。四角内に青地で白文字のVのようなものが書かれているその棒は、
「知らねぇよ」
安全地帯の道路標識である。
「ここに来る途中に飛んできたんで拾っといたんだよ」
言葉とともに一凪振ると、空気を切り裂く低い音とともに、志磨の方にまで風が届いた。
「どうやってここまで来た?」
「羽月が屋上の魔法にあらかた引っかかってくれたからな。普通に屋上飛び移って来たんだよ」
「そいつは、重畳」
言葉とは裏腹に冷酷な笑みを浮かべる。それに対し令は獣のように鋭い眼光で相手をにらみつけた。
志磨は続ける。
「ずいぶん立派なことだな。 関わりを絶つ機会を二度も与えられながら、わざわざその身を捨てにくるなんて。しかも自分を騙していた人間をだ。それに君が何をしようとそれが君の咎を――」
「どうでもいいんだよ」
志磨の放った不快な風に、令の心の水面を少しも揺らがなかった。
「そんな細けぇことは全部どうでもいいんだよ。確かに、一乃は俺を騙してたよ。お前に勝てるかどうかもわからねぇ。咎のことも何とも思わない訳じゃねぇ。・・・・・・でもな」
彼の目がただならぬ輝きを放った。そこに写るのは、魔方陣の中で横たわる二人の少女。
彼女たちは半年前に咎を犯した。そして、理不尽に罰を与えられた。
そうだ。理不尽にだ。
この世に間違いを犯す人間がどれだけいるだろう。どれだけもなにもない。すべての人が誰だって間違いくらい犯す。それなのに、彼女たちにだけが理不尽にあんな罰が与えられている。
理不尽で不当だ。だが、彼女たちはそう思っていない。なぜなら、彼女たちには自らの咎への負い目があるからだ。
そう、彼女たちは咎を背負わされている訳ではない。自身が抱く負い目から、自らその咎を背負っているのだ。だから、彼女たちは『咎負い』と呼ばれているのだ。
咎を自ら背負ったことをいいことに、理不尽に与えられる罰。それを理不尽と思えず受け入れる彼女たち。そんな生きることに枷をつけられた彼女たちが、今わずかに残された自由まで、魔法の糧として奪われようとしている。
そんなの・・・・・・そんなのは、
「かわいそうだろうが!」
怒りにくべる心が爆ぜた。
何への怒りか。多すぎてわからない。志磨にだけではない。咎を与えた運命や、そんな生き方しかできない彼女たち・・・・・・。あらゆるものの混じった炎だが、しかしその色だけは純粋な色を発していた。
「だから助ける。ほかの事情なんて知るか」
彼を動かすのはそれだけで十分だった。
あまりに単純な令の言葉に、志磨は面食らった表情を見せていた。
「だから、てめぇを倒す!」
その言葉を合図に、令は安全地帯の標識を危険極まりない速度でぶん投げた。
避ければ魔法陣に当たる。舌打ちをして、志磨は右手を前に出す。
標識は彼女の手に当たると、真下へ弾かれて、地面へと刺さる。
その間に令はもう飛び出していた。一瞬にして二人の距離は消えさり、志磨の懐に拳を握った令が現れる。
振り下ろした令の拳をかろうじて躱し、志磨は大きく下がる。だが、その距離も即座に詰められ、志磨は防戦へと回った。
志磨が腕を振るうと、灰色の障壁が二人を隔てる。しかし、令はそれを一瞬で砕いて、息つく暇を与えない。
志磨が指を鳴らす。彼女の手に幾本もの亀裂が走り、その血の滲む傷が文字を作る。彼女が手を横薙ぎに払うと、飛んだ血液は瞬時に業火へと変わって令に押し寄せる炎の波と化した。
だが、それでも少年は怯まない。
「おおぉッ!」
目の前を覆った炎に躊躇いもなく突っ込む。すぐに全身が灼熱に覆われるが、それは彼の咎負いの体を焦がすほどには至らない。
咎負いの頑丈さ頼みの強引な突撃。果たして彼は炎を纏いながら、炎から生まれた悪魔のごとく業火の波を突き破った。服のあちこちを燃やしながら、凄まじい形相で咎負いは魔法使いへと迫る。
火を纏った令の拳が、志磨の鼻先を掠める。掠めたぶんだけ彼女の顔から余裕の表情が削れた。
(羽月の行言ったとおりだ)
拳を振るいながら令は思う。
今志磨は複雑な魔法を使うために、ほとんどの力をそっちに注いでいる。そのため背中に四つあったセフィラの球体も、今は一つしか使えない。加えて無茶苦茶に暴れる令から繊細な魔法陣を守らなければならないために、その動きは大幅に制限されている。
彼女が大量に使役しているはずのゴーレムがここにいないのもそのためだ。複雑な命令をこなすのが難しいゴーレムでは戦いの中で魔法陣を壊しかねないのだ。
だから、
(今のうちに決める!)
勝利を信じ、令は拳を振るい続ける。強力な魔法を発動する隙など与えない。
今しかないのだ。志磨の要塞が薄くなった今しか。これ以上志磨に要塞を厚くさせはしない。
志磨の表情からは、相変わらず笑みは消えていないが、時折魔法陣を気にする素振りを何度も見せ、戦いづらそうにしている。
令を魔法陣に入れないように常に陣と令との間に入る位置に立ち、自身が使う魔法も激しい衝撃が起きない非実体系の魔法にしている。
攻撃の手を休めない令に、次々と魔法が放たれる。
コンクリートを砕いて出てくる黒い枝。令を押し返そうとする光の輪。自在に動く炎。たびたび張られる灰色の障壁・・・・・・。それらを砕き、時には食らいながらも意地でも令は志磨に肉薄し続ける。
志磨の出した太い光線が令の胸にぶち当たった。令が強く咳き込む。光線の当たった服の部分に大きな焦げ穴が空いていた。その間に彼女は距離をとろうとするが、すぐに令は殴りかかってくる。
「なら・・・・・・!」
今度はコンクリートの床自体が剥がれ、人の頭ほどの塊が突っ込んできた令の腹に直撃した。重い一撃に令の体は吹き飛ばされ、その体が何度も地面を跳ねる。
今度こそ二人の距離が開いた。強力な魔法を生み出そうと、志磨が内ポケットに手を入れようとしたとき、
「があッ」
我武者羅な体当たりで令が突っ込んできた。その滅茶苦茶な攻撃に驚く間もなく、二人の体が激突する。
もんどり打って倒れ込む二人は、しかし即座に起き上がる。
何度も攻撃を受け、それでも志磨に食らいついている令の顔には疲労の色が滲んでいる。だが、志磨のほうにもだんだんと余裕の色が薄くなっていた。起き上がった志磨の顔には、明らかに苛立ちの色が現れている。
「しぶとい・・・・・・!」
忌々しそうに彼女が言葉を吐く。背中の枝を見れば、さっき転がったせいで何カ所か破損しているのが見て取れる。
強い魔法が使えていないとはいえ何発も直撃させている。それなのに、この少年は必死に食らいついてついてくる。上位魔法さえ使えれば、魔法の知識も無い咎負いごときに苦戦などしないのに。その思いが彼女を苛立たせていた。
令がひっきりなしなしに責め続け、志磨がそれをギリギリで迎え撃つ。その攻防がしばらく続いた。
志磨が魔法を使おうと手を伸ばした時であった。ついに令がその腕を掴む。彼女がそれを引きはがそうと対応する前にその腕を力任せに振り回し、魔法陣内の木に投げつける。が、木に激突する前に彼女の体は止まる。魔法陣自体に張られていた障壁に激突したのだ。
激しい轟音が耳を叩いた。しかし、叩きつけられた志磨のほうは笑みを浮かべた。彼女の衣服に文字が浮かび上がっている。彼女の服には、防護魔法が何十にも張られていて、彼女にダメージは通っていない。
さらに、
「これは悪手だったな」
投げたせいで二人の距離が大きく開いてしまったのだ。
慌てて地を蹴るももう遅い。素早い動作で志磨は、ポケットから小瓶を投げつけていた。
小瓶が二人の間に落ちて割れる。その瞬間、キラキラと輝く緑の煙が爆発のごとく広がり、それを見た令が飛び退く。
広がった煙は複数点に集結し、複数の矢となって令に襲いかかる。
矢は令の体を叩くも、咎負いの体を傷つけるまでには至らない。しかし戦闘に間を置くことを許してしまった。この隙に志磨は魔法を使い、彼女の背後に広がる光の枝には、新たな球体が絡んでいた。彼女の腰の左側に増えた球体を見て、ギリ、と令は歯を軋ませた。
「終わりだよ」
そう言う志磨を無視し、退いた先にあった標識を引き抜いて令は再度突撃を仕掛けるが、唱和の声とともに目の前にまたも灰色の障壁が現れる。今まで志磨の前にだけ現れていたものとは違い、屋上の端から端まで届くほどに大きい。
腕に力を込め、空気を切り裂いて障壁を叩き割らんと標識を振るう。火花が散り、かん高い激突音が鼓膜を叩く。あまりの威力に障壁どころか標識もへし折れて彼方へと飛んでいく。割れた障壁は粉々になって宙を舞った。が、魔法はまだ死んでいなかった。半透明の破片は空中で制止し、瞬時にその形を無数の鎖へ変えて令へと降り注いだ。
虚を突かれ回避は間に合わない。身を屈めた令の体に大量の鎖が降り注いだ。
衝撃に備えた令だったが、見た目に反しその攻撃には全く感触はない。そもそもこの鎖には実体が無いのだ。
実体のない鎖と知った令の頭に、反射的に嫌な予感が走る。その予感は適中し、巻き付いた鎖によって、体が一切動かなくなった。
そう、この鎖は以前食らったものと同じ。『体が動かない』という暗示を埋め込む魔法だったのだ。
抵抗を試みても拘束から抜け出せそうにない。本気で腕に力を入れても心なしか鎖が軋みをあげているような気がする程度。動けないのに無理に力を込めるせいで、筋肉のほうに痛みが走った。
「詰みだな」
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