第26話 砲弾


「準備はいい?」


三〇分後、令達の周囲にはチョークで書かれた魔法陣が広がっていた。木の実や種を要所に置かれたそれは、一乃の家で見たものよりは複雑でないように見える。


陣の中央には羽月。陣の外、グレイスピアビルと羽月を結ぶ一直線上に、令が立っている。


深呼吸をし、目を閉じる。互いの姿は見えていないのに、偶然にも二人は同じ事をしていた。


これから行う作戦は、博打のようなものだ。なのに練習もない。予測も立てられない。この一度きりだけに全てを賭けなければいけない。


「いくわよ」


二人の目が同時に見開かれた。


「『ע《アイン》』 『לועオル』」


呪文を紡ぐと同時に、羽月は令に向かって走り出した。咎負いの力で決めた全力のスタートダッシュは屋上にヒビを入れ、彼女の体は一気に加速する。


呪文に呼応し、薄く光る屋上の魔法陣。その中にある六カ所の木の実が割れ、中から光で書かれた文字が現れる。現れた文字は、加速していく羽月を追い、翼のように彼女の背中に付き従った。


羽月が足を揃えて軽く地を蹴った。彼女の体が令の腰の高さほどまで浮き上がり、自らがつけた勢いのままに令へと向かう。


自分のほうへ跳んできた羽月の二つの靴の裏を、令は正確に片手で掴んだ。そのまま大きく振りかぶる。


「おおおおおぉぉ!」


その姿はまさしく投球のフォーム。


咆哮とともに全身全霊を腕に注ぎ、腕を振る令。羽月を砲弾に見立てて投げんとする令と、令の腕を地面として全力で蹴り出す羽月。


二人の人を超えた力が合わさり、すさまじいエネルギー合算がその瞬間に行われた。


かくして、羽月は兵器もかくやという速度で、令の腕から打ち出された。


打ち出された羽月は一瞬にしてビル群の上を通り過ぎていく。


羽月はこう考えたのだ。


地上にも、ビルの中にも上にも魔法の罠が張り巡らされているのなら、最も安全なのは空だと。


もちろん空に全く対抗策がないわけではない。


羽月がビルの近くを通った瞬間、そのビルの魔法は発動し、そのうちのいくつかは空中の羽月を迎撃するための効果を持っていたのだ。だが、目標が速すぎる。魔法が発動し終えた瞬間には彼方へと過ぎ去ってしまっているのだ。これでは満足に効果を発揮できない。


高速で宙を飛ぶ羽月には、凄まじい空気抵抗が風となって襲いかかり続けていた。体に掛かる空気の重さは背後へと流れていき、激しくはためく髪が千切れるかと思えるほどだ。


自分の放つ衝撃波を受けた人間もこんな気分なのだろうか、と思う羽月。だが、暢気にそんなことも思っていられない。


下方から高速の光線が飛んできた。光線は一直線に羽月を狙う。


流石に全ての罠を振り切れるはずもない。羽月は歯がみすると、自らの胸に手を当てた。


「『ג《ギメル》』」


瞬間、翼のように付き従っていた六つ背中の文字のうち、左側の一つが燃えるように輝いて消えた。そして、身動きが取れないはずの空中にありながらにして羽月の体は、引っ張られたかのように大きく右側に下降した。投げ飛ばされた勢いはそのままに移動した彼女は、まるで自在に飛び回っているようであった。


大きく狙いのはずれた光線は、対面のビルへと激突する。


彼女は背中の魔法を使うことで、擬似的な飛行状態を可能としていた。だが、自らにかかっている運動エネルギーの向きを変えているだけなので、それほど自在には動けない。そのうえ、文字の数しか向きを変えられない。


羽月は自身の背に浮かぶ残り五つの文字を一瞥した。


下降したことで羽月は両脇のビルよりも低い位置に来てしまっていた。羽月の目が、両脇のビル内で輝くいくつもの魔法を捕らえる。次の瞬間、彼女が通り過ぎた背後でビルの窓ガラスが爆散し、様々な魔法が飛び出した。次々とビルとビルの間で魔法同士が衝突し、花火のように輝きを放っては消滅する。


消滅の光の中から何かが飛び出した。それは鳥の形に折られた青い紙。それらは、いくつも光の中を突き抜けて現れ、大群となって羽月を追ってきた。その速度はあまりに速く、あっという間に羽月に追いつく。


後ろ目にそれを確認した羽月が衝撃波を放つ。左右のビルの窓ガラスが砕け散り、鳥たちは文字通り紙くずとなって宙に散る。


「『ד《ダレット》』」


 低い場所はまずい、と呪文を唱える羽月。再度背中の文字の一つが輝いて消え、羽月の体は急上昇する。


上昇した先で飛んでくる幾重もの光の輪。さらに呪文を唱えて上昇することで躱す。


遅れて飛んできた紙の鳥どもを拒絶しながら、羽月はグレイスピアビルを見た。


(もう近い。この速度、この高さなら一気に屋上まで・・・・・・)


と、彼女が屋上を見たとき・・・・・・彼女の瞳は、屋上の縁に立つ影、志磨の酷薄な笑みを捕らえた。


「・・・・・・!」


突如まばゆい光とともに、何十本もの太い光線が羽月に襲いかかった。


雷のごとく不規則な軌跡とともに、枝分かれして広がったそれは、一瞬にして羽月の視界いっぱいに広がる。


投げられたままに進むせいで自ら光線に突っ込みかける羽月。


「『צ《ツァディ》』! 『ר《レーシュ》』!」


即座に二つの文字を消費し、大きく回避行動をとる。


彼女の頬数ミリのところを、光線が掠めた。わき上がった冷や汗は瞬時に風が乾かしていく。


しかし心落ち着かせる暇もない。彼女が前方を見直すと、もう目の前にはグレイスピアビルの壁が広がっていた。光線は何とか躱せたが、しかし、それで高度が下がってしまったのだ。


もはや魔法を唱える暇もない。


捨て身の強行突破は、彼女を屋上まで届けることは叶わず、彼女の体は勢いよくビルの壁に――――


(・・・・・・想定内よ)


拒絶。


ビルに激突する直前。羽月は、特大の衝撃波を放った。今彼女が出せる最大の拒絶。それは、彼女の人生の中でも最も強い拒絶であった。そして、それは彼女の心に同じだけの苦しみを生み出した。


彼女の心が流した大量の血涙を代償に放たれた衝撃波は、激突するはずだった壁を砕き、室内へと吹き荒れた。壁や天井まで砕け散り、破壊の波が別の階へと広がっていく。


爆心地である羽月自身が、飛んできた勢いのままに侵入してくるせいで、衝撃波はさらに内部で炸裂し、破壊をビル内へ広げていく。彼女が侵入したのは四階の電化製品を取り扱っている階だったために、中にあった家電は大小問わずに破壊され、押しのけられる。


床も天井もどんどん剥がされ、ビル自体が悲鳴をあげる。


血涙に溺死しそうな心をなんとか保ちながら、羽月は思う。


(志磨。たとえあなたのところまで辿り着けなくとも、このビル自体を破壊すれば、あなたの魔法は阻止できる!)


この建物自体が倒壊すれば、当然屋上で準備されている魔法陣も壊れる。複雑な魔法ほど繊細で、些細な事で発動できなくなる。倒壊までいかなくとも、屋上に亀裂でも入ればそれで終わりだ。


羽月の衝撃波の威力は凄まじく、対面のビルを大きくへこませ、周囲二つ離れたビルの窓ガラスまで全て割り尽くした。




志磨はその様子を屋上から見ていた。


鼓膜をつんざきそうな轟音が残した残響が、周囲のビルを介してしばらく続く。


それを聞く志磨の表情は、笑みを浮かべたまま崩れていなかった。


彼女は楽しそうに口を開いた。


「想定内だよ。羽月」




崩れた足場に着地していた羽月が顔を上げた。志磨の声が聞こえた訳ではない。異変に気づいたのだ。


羽月の背後には、彼女の衝撃波によって、ごっそりえぐり取られたこのビルの光景が広がっている。瓦礫の滝が耳障りな音を立てて、次々と天井や商品、トリックアートの絵などを落としている。落ちてきた瓦礫の直撃を受けた床が、さらに崩れたりして、破壊の連鎖はなかなか止まらない。


驚くべき破壊の傷跡がそこにある。


だが、


(どうして、これだけしか壊れていないの・・・・・・?)


羽月の放った衝撃波の威力が、この程度のはずはなかった。


周囲のビルに大きな破壊の爪痕を残すほどの威力のはずなのに、このビルは屋上どころか七階の床すら破壊できていなかった。羽月の想定とは大きく違う。


通常の拒絶ですら、数回で工場の建物を破壊するのに、全身全霊で放ったものが建物一つ崩せないなどあり得ない。


考えられるのは、一つしかない。羽月がこうすることを志磨に読まれ、そして対策を打たれていたのだ。


(だったら壊れるまで・・・・・・!)


と、再度衝撃波を放とうとする羽月だったが、激しい頭痛が彼女を襲い、彼女は頭を押さえた。様々な感情が入り乱れ、彼女の精神が混濁した。


これは彼女の心の悲鳴。これ以上血を流したくないと、自らの血で死んでしまうと血の涙を流す心の懇願だ。彼女の頬を涙が伝う。


咎負いの『罰』は使うことで本人の『咎』を深くする。


『無価値』の咎を負った者には、価値観を明らかにする腕を。


『見殺し』の咎を負った者には、知ることしかできない目を。


『拒絶』の咎を負った者には、二度と人を受け入れることができない体を。


罰は、彼らに自責を強いる。


そうわかっていて、覚悟のうえで使ったはずの罰に、心が耐えられなかった。


(でも・・・・・・まだ戦え――)


棒立ちとなっていた羽月の体が、突然弾かれた。


建物の崩れた側へと飛ばされた彼女は、そのまま瓦礫を転がって、道路にまで出されてしまった。


「ぐっ・・・・・・」


頭痛と強かに頭を打ったことが重なって、視界が回る。なんとかふらつきながらも、立ち上がった彼女は、その眼前に、動く瓦礫の姿を目の当たりにした。


羽月によって破壊された瓦礫が動いている。それぞれが地を転がって一カ所に集まり、瓦礫が巨大な山となっていく。


山はやがて形を成していった。左右から巨木のように瓦礫の塊が二本伸び、下側にもいつの間にか二本の円柱が生えている。伸びた四本の長い塊の先に、さらに細い塊が五本ずつ伸びた。それは、まるで手や足の指のようで・・・・・・。


間違いない。一五メートルはあろうかというこれは・・・・・・。


「ゴーレム・・・・・・」


冷や汗とともにそう呟いた。


体に頭が埋め込まれたような独特なフォルム。笑みを浮かべるようにその大きな口が横に裂けた。その巨体が崩れた建物の中から、道路へと一歩踏み出すと、地響きが体の芯を揺らし、道路のブロックは浮き上がる。瓦礫同士が擦れ合ってあげる軋みが、まるでゴーレム自身の鳴き声のようであった。月光を反射する複数の目は、集まったガラス片で出来ていた。鋭く光を返すそれは、本当に生き物の目のようだ。


ゴーレムが腕を下ろす。それだけで地面は揺れ、電線や標識が恐怖を抱いているかのように震えた。


ゴーレムが拳を振るうのを見て、羽月は飛び退いた。が、彼女の予想以上にその拳は速かった。


次の瞬間、彼女のすぐそばに巨大な拳が叩きつけられる。その場で爆発が起きたかのように、アスファルトは爆散し、衝撃とともに巨大な亀裂が周囲に走る。


拳に当たりはしなかったもの。


(速い・・・・・・!)


なんとの、真近くで拳が叩きつけられた余波が襲いかかり、砕け飛んできた瓦礫と衝撃が彼女の体を吹き飛ばした


か体制を立て直したところに、もう次の拳が目の前にまできていた。瓦礫で出来た拳が周囲の空気を引き裂いて迫り来る。


頭痛を無視し、羽月は拒絶を放った。


音速の空気の壁は彼女を中心に全てを押しのける。電柱は折れ、アスファルトに新たな亀裂が刻まれる。瓦礫が集まっただけのゴーレムの腕はひとたまりもなく砕け散り、はじき飛ばされた瓦礫の破片が散弾のごとく周囲の建物に突き刺さった。


一気に肘ほどまで失われたゴーレムの腕。しかし、即座に体の瓦礫が蠢いて、腕は元通りとなった。


「くっ・・・・・・」


 間を置かずして羽月はゴーレム懐に飛び込んで、衝撃波を放つ。


 腹に大きな穴が開くがそれもまたすぐに埋められる。


 再度距離をとった羽月は、思わず唇を噛みしめた。


きっとこれは羽月への対抗策だ。確かに下手に頑丈なゴーレムで挑むよりも、壊れやすくも直しやすい個体で挑んだほうがずっと効果的だ。


ゴーレムの腕が横凪に振られた。近くのビルを無視して振られたその一撃は、豆腐のようにたやすくそのビルを破壊し、鉄筋やコンクリート片が盛大に撒き散らされる。


ゴーレムの腕を躱しても、雨のように降る瓦礫が羽月を襲う。なんとか拒絶でそれらを弾くも、即座に次の攻撃が来る。


ゴーレム自体は常に周囲の瓦礫を吸収している。拒絶で削っていこうにもゴーレム自身の攻撃や、羽月の衝撃波で瓦礫はどんどん生まれている。このまま戦い続けてもジリ貧になっていくのは明白だった。


焦燥と心の痛みが彼女に重くのしかかる。


だが、くじける訳にはいかない。


(私が、止めなきゃいけない。志磨は私が・・・・・・!)


自身に激励を下し、彼女は再度巨大な怪物へと駆けだした。

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