命の価値が平等であるならば、生きる権利もまた平等なんだろうか

第23話 敗者の歌


目が覚めたのは明け方のことであった。


令は一乃の家のリビングにあるソファに、寝かせられていた。


天井を見ながら、令は初めてここに来たときのことを思い出す。あのときも、気がついたらここだった。


だが・・・・・・。


体を起こす。彼にかかっていたシーツが落ち、彼の上半身が露わになった。


周囲の光景は、あの時とはだいぶ変わっていた。


部屋の中は、嵐が通り過ぎた後のようなひどい有様だった。窓ガラスは割れ、壁や天井は傷だらけ、オマケに本棚の本は軒並み散乱している。


ガラスのない窓から見える庭も、地面の至る所がえぐり取られ、庭木は根元から倒れてしまっている。


「目が覚めたのね」


鈴のように澄んだ声が部屋に響いた。


振り返ると、そこには羽月の姿があった。昨夜ボロボロになった服はもう着ておらず、新しい服装に身を包んでいる。


見え覚えがある服だ。きっと一乃のものだろう。


彼女は一度奥に引っ込むと、水の入ったコップ持って戻ってきた。そのままそれを令へ差し出す。


「はい」


「あ、ああ。ありがと・・・・・・」


とりあえず受け取ったものの、令は少女の顔をジッと見続けた。


何から訊けばいいのやら、といった状態である。


少女は近くのソファに腰を下ろした。いつか一乃が座っていた席である。感情の読めない無表情のままで、彼女は令の視線を受け止めていた。


ひとまず訊くことはこれだろうか。


「なあ、お前・・・・・・なんで志磨を裏切ったんだよ」


「あなたが、自分の心に従えって言ったんじゃない」


と、それだけ。後に続く言葉は何もなかった。


昨晩のような行動をとるために、様々な葛藤や心の動きがあっただろうに、そこまで話す気はないらしい。いや、たぶん突っ込んで訊いていけば答えるのであろうが・・・・・・。


やはりやりづらい。そう思う令だった。


「一乃たちは、どうなったんだ?」


「連れて行かれてしまったわ」


「どこにだよ」


少女がまっすぐに令を見返した。


「知ってどうするの?」


「え・・・・・・?」


その真っ直ぐな瞳は、令の心に巣くっている闇を、正確に射貫いた。


「あなたにはもう、関係のないことじゃない」


「そ、そんなこと・・・・・・」


言いよどんでしまった。それが、彼に迷いがある何よりの証だった。


「あなたはもう何にも縛られていないわ。志磨はもうあなたを追ってこない。あなたは自由なのよ。たとえ、志磨に挑んだとしても、また一方的にやられて、命を捨てるだけ。あなたにできることなんて何もないのよ」


「・・・・・・」


令の口からは、何の言葉も出てこなかった。


羽月の言っていることは、令もわかっている。


一乃たちを助けなければという直情的な使命感。だが、そこに覆い被さってくる思考がある。


一乃に騙されていたという怒りや絶望。まるで勝ち目が見えない魔法使いへの恐れとあきらめ。そして自分の咎について。


様々な感情や思考が混じり合って、彼の心は泥水のような色になってしまっていた。


羽月はそれを見抜いていた。


「だから、もうあなたは何もしなくていい」


そう言うと少女はゆっくりと立ち上がった。


「二人は私が助ける。だから、あなたはもう、戦わなくていいの」


「なっ、そんなの・・・・・・! おまえにだって勝ち目があるのかよ!」


「あなたよりはあるわ」


静かにそう言う少女。令を見る彼女の目は、不思議なほど透き通っていた。


「志磨があの娘たちを使った魔法を発動させるまで、あと三日ほどの猶予がある。その間に私はこの手を直して万全の状態で彼女に挑むわ。だから、」


『さようなら』と、それだけ言うと、彼女はガラスのない窓へと足を運ぶ。そこには彼女の靴があった。


「お、おい! どこいくんだよ!?」


「お別れよ。志磨は私を狙ってくる。ここにいると、あなたを巻き込んでしまうわ」


そして、彼女がここを去ってしまえば、令はもう彼女たちと関わることはないだろう。


「なんなんだよ・・・・・・! 意味わかんねぇよ! なんで今度はおまえが狙われるんだよ! あいつは、咎負いで何がしたいんだよ!」


靴を掃き終えた羽月が振り返った。朝日を受けた彼女の瞳は、悲しげに揺れていた。


「あの人の目的は・・・・・・私を、人に戻すことよ」


その言葉に目を見開く令を残して、悲しき愛を背負った少女は姿を消した。


その瞬間、何かが切れる音がした。それは、彼とオカルトの世界をつなげていた最後の糸が切れた音。


引き留めることも、ついて行くこともできず。こうして、令とオカルトの世界との関係は完全に切れてしまったのだった。


令はその後ろ姿を、ただ見ていることしかできなかった。彼女が去った後も、切れてしまったつながりを手繰り寄せるかのように、彼は呆然と庭を見つめていた。その瞳の裏に去ってしまった少女の姿を写しながら・・・・・・。


まるで深淵を食らったかのような虚脱感が彼を襲い、彼は再びソファに身を落とした。


頭で様々な思いがぐるぐる回っていて、気持ちが悪い。できることなら、頭を切り開いて、このすべての思考や感情を捨ててしまいたい。


すべてを投げ出したい。いや、もう投げ出してしまったのだ。羽月がここを去ったその瞬間に・・・・・・。


もう自分にできることなど無い。


首を動かして時計を見る。時計の針は七時半を示していた。


「あ・・・・・・。学校・・・・・・」


そうだ。今日は平日だ。普通に学校がある。


令は体を起こし、身支度を整えた。ものの数分で準備をした彼は、逃げるように一乃の家を後にした。逃げるように、そしてこれまでのことを忘れようとするかのように・・・・・・。


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