第24話 たった一つの魔法


学校にいる間も、水に溶け出しているかのような、息苦しく輪郭が不鮮明になるような感覚が令を包んでいた。


魔法使いと戦っている間も学校に通い続けていたせいか、自分が自由になったという実感がない。ただ彼の頭の冷静な部分だけが、『もう追われることはないんだ』と思うだけだった。


そもそも、この世に魔法があると知ったときだって、そんな実感湧いていなかったではないか。


このまま何事もなかったように過ぎていってしまうのだろうか。


昼休みになったころ、一緒に昼食を食べていた和也が口を開いた。


「令。今日、なんかずっと難しい顔してるね。どうかした?」


「ああ・・・・・・ちょっとな。考え事だよ」


上の空でそう答える令を見て、和也は眉を上げる。


「考え事? 令が?」


「そりゃ、俺だってなぁ・・・・・・いや、俺だからこそ、いろいろあると、もうわけわかんなって、整理つかなくなるんだよ」


あんなことがあれば、頭の整理もつかなくなる。


大きなため息をつく令を見て、なおも和也は首を傾げた


「ふーん? そうかなぁ?」


「なんだよ」


「なんか、らしくないね」


「・・・・・・」


 らしくない。言われてみればそうなのかもしれない。だが、事情が事情なのだ。


 自分を騙していた一乃を助けるのか? 藍子はどうなる? 魔法使いに勝てるのか? どこにいるかもわからないのに?


 様々な葛藤が針となって令の心を刺していた。


「そんなに、複雑な事情なの?」


和也が令の目をのぞき込むように見た。


思わず、令は視線をそらした。


複雑だ。そう思う一方で、そうでないと思う心が彼にはあった。こんなにも頭を悩ます要因があるはずなのに、彼の心に走る痛みは、たった一本の太い楔が差し込まれているかのようであるのだ。


だが、その楔がなにであるかはわからなかった。


心に刺さる不快感を抱えたまま、いつの間にか下校時刻になっていた。浮かない気分が晴れないまま令は岐路についていた。


トボトボと歩いているうちに、はたと気づく。自分が無意識のうちに一乃の家に帰ってしまっていることに。


目の前には、ひどい有様になってしまった一軒家がある。壁は傷だらけで、窓ガラスも割れている。


来てしまっていた。もう追われる身でもないのだから、ここに帰る意味は無いのに。


「なんでこっちに・・・・・・」


いらだちに自身の頭を掻いた。


ふと、玄関の方を見た。そこには、いつか遊びに行ったときの一乃と藍子、そして自分自身の幻影が見えた気がした。


思わず彼は家の中へと入っていた。


玄関を超えて、すぐ隣の扉を開ければ、そこはリビング。以前の様子とは打って変わってガラスが割れ、物は散乱している。部屋の縁に立てかけてあるギターはどこか寂しそうに見える。だが、そこを見る令の目には、綺麗に整頓が行き届いたこの場所の姿が映っていた。三人がソファに座って談笑している姿や、一人でギターを弾く藍子の姿が浮かび上がっては消えた。


キッチンに行けば、エプロンを腰に巻いて料理をする一乃の姿があった。スープの味見をしようとして、熱さに顔を顰めると彼女の幻影も消えた。


風呂場に行けばそこで眠る藍子の姿が、書斎に行けば一乃の姿が。家の中のどこへ行っても幻影は彼の脳裏に浮かび上がった。


家のあちこちを周り、最後に令はこの家の車庫に足を運んだ。


蝋燭の明かりがなければ、真っ暗な場所のはずだったが、昨日の戦いによって窓を塞いでいた板が剥がれ、車庫内には幾ばくかの光が差していた。


僅かな日の光によって、車庫内に置かれた奇妙な魔具の数々が浮かび上がっていた。


車庫の中央には巨大な魔法陣がある。ここに来るたびに見かけていたそれは、最初に見たときからほとんど変わっていない。毎回少しずつ陣の中に置かれている魔具の種類や配置が変わっていただけだった。


陣の中央に向かってつり下げられている細い刺突剣がある。剣は割れた窓から入ってくる風で、頼りなく揺れていた。


部屋の縁にある椅子。周囲に小さな陣が書かれたその場所は、令が催眠魔法を受け続けた所だ。


そこに座る自身と、椅子の周りを回る一乃の姿が浮かぶ。


令の心を沈めている水の表面が、大きく揺れた。


彼は唇を小さく噛んだ。


そうだ。一乃はが、ああして令の咎を思い出させようとしていたのは、令を自分の身代わりにするためだったのだ。だから、あんなに一生懸命だったのだ。


そして、令が咎に目覚めた途端、彼女は勝ち目のない作戦で自分たちを生け贄としたのだ。


令の理性が水底でそう叫ぶ。


しかし、どこからか声が聞こえる。


本当にそうか? と。


一緒に遊んだ一乃、傷の心配をしてくれた一乃・・・・・・。そのどれもが嘘だったのだろうかと。ましてや、魔法使いに挑んでいたときの一乃は、本気で勝とうとしているようにしか見えなかったのに・・・・・・。


いや、事実嘘だったではないか。信じられないという思いは、そのまま大きく裏返って、一乃の策が上手くいっていただけであることを示すだけだ。


令は頭を振った。


ここにいては、心がどんどん水底へと沈んでいく。彼は、この家を出ることにした。


この家を出て、この件を全て過去のものにしてしまおうと。時という名の日差しが、少しずつ彼を覆う水を蒸発させていくであろうことを願って・・・・・・。


踵を返し、車庫の出口へと向かう。


忘れよう。なにかしようにも、もう令にできることなんて、何もないではないか。


屋内へと続く扉を開けて、中に入る。


手を離せばゆっくりと閉まっていく扉。その先に写るオカルトな光景が見えなくなっていく。


最後に令は振り返った。


半分ほど閉まった扉の向こう。剥がれた板の隙間から差す光に、山積みの書籍に埋もれた机が薄く浮かび上がっていた。机の正面にはこの町の地図があった。


再び見える幻影の姿。姿勢悪く椅子に座って、机に向かって頭を悩ませている一乃がそこにいた。


目の下に隈を作りながら一心に机に向かうその姿が、閉まる扉によって見えなくな――――




もの凄い勢いで令は扉を開けた。




力を加減することも忘れたせいで、開けた扉のノブが壁に穴を開けた。


そんなことはお構いなしに、脇目もふらず令は幻影の下まで足を進める。


幻影の姿が消える。だが、その直前、彼女は令に微笑んだような気がした。


机の前にまで来た令は、もう一度車庫の中を見渡した。


およそ半月もの間、一乃が籠もり続けたこの場所を。


(そうだ。半月だ)


(どうして気づかなかった?)


(どうして、疑問に思わなかった?


(おかしいじゃないか)




(一乃は半月近くもここで一体何をしていたんだ?)




ゴーレムの探知?


違う。それは彼女の罰の能力によって行われていた。こんな魔法陣は必要ない。


じゃあ一体なにを?


寝る間も惜しんで何をやっていた?


令達を騙すことだけが目的なら、こんなところに籠もる理由などどこにもないではないか。


本や書類が散乱した机を令は漁った。


どれもこれも令には理解できない古い本や紙ばかり。そもそも日本語で書かれていないものが多い。


だが、彼が求めているものはそれじゃない。


(あるはずだ。絶対に!)


関係のないものは床へと放る。紙や本が散乱していく。


そして見つけた。


それはこの机の上のものとは異質な、よく見かけるただのノートだった。


表紙にただ『45』と書かれたノート。それの適当なページを開いた。


ノートにはビッシリと魔法陣や文字が書かれている。それはどれも一乃の筆跡だ。


各魔具の特性や、よく分からない図式、いくつもの円に絡みついた木の図などが、ノートの左側に書かれている。そして右側には、それを根拠にした床に書かれているものとは少し違う魔法陣。ページの端には、大きく『失敗』と赤文字が。


ほかのページも同様だった。様々な魔術的理論や算術によって導き出された、似たような陣と『失敗』の二文字。


一通りノートを読み終わったあと、令は次々と机の上を漁っていった。どんどん床に散乱していく本や紙。


ノートを見つけては、令はそれに目を通していく。


どのノートを見ても、僅かな差異の試行錯誤の繰り返し。魔法使いではない彼女が、魔法を作ろうとした努力の証がそこに記されている。そこによく見かける言葉は、『魔法使い』『座標』『特定』。


これらが何を意味するかなど・・・・・・。


ノートを見つけては読み、見つけては読みを繰り返し、ついに令は『1』と書かれたノートを手に取っていた。


そのはじめのページをめくる。




『見つけ出す』




その瞬間、令の心に穿たれていた楔が粉々に砕けた。


そして、気づく。


ああ、この楔は、彼女に抱いていた『疑心』だったのだ、と。


彼女が自分たちを騙していたという事実が、今までの彼女の行為を全て嘘に思わせた。あの笑顔も、気概も、全て嘘にしてしまった。


だが、令の感覚はそれを認められなかった。彼女の全てが嘘だったとは思えなかった。


その理性と感覚のギャップが楔となり、彼を深い水の底へと沈めていたのだ。


今やその楔は砕け、令を覆っていた水は楔が穿った穴へと飲み込まれていく。


友人は言った。『らしくない』と。


そうだ。らしくなかった。


やたら複雑な状況や魔法という概念。そして、複雑な事情や考え方をする人間ばかりがまわりにいたせいで、いつの間にか彼自身もそれに当てられていた。小難しく考えることなど、彼に出来るはずもないのに。


水は抜け去り、生まれ変わったかのように令の視界も、思考もクリアになった。


一乃は、令達を騙していた。でも、全てが嘘ではなかった。


「自分の安全は確保した上で、勝つ気満々ってか? ハッ、あいつらしいセコい手だぜ」


令の脳裏に、やたらあくびや伸びをする一乃の姿だった。


(ああ、そうか。あいつは自分を誤魔化してたんだ)


 彼の直感がそう告げた。


 あの緊張感のない仕草は、彼女の真逆の心理を映していたのだ。あの仕草をすることで、令達への罪悪感を抱く自分や、戦いに緊張や不安を抱く自分を誤魔化していたのだ。とるに足らない、つまらないことだと自分に暗示をかけ続けていたのだ。


 そうして自分すら騙して、彼女は戦っていたのだ。


もう迷わない。


一乃が自分を騙していたとか、魔法使いに勝てないかもなんて、そんなこと考えない。


このまま助けないままじゃ、気にくわない。だから助ける。


他のどんな事情も関係ない。例え、自分の咎であっても。


「大体、藍子もいるってのに、なんで一乃のことで迷ってんだよ俺は。馬鹿か」


そう自分を叱咤し、床に書かれた魔法陣を見直す。


手がかりはこれだ。令に残された唯一の手がかり。


一乃は、この魔法で志磨の居場所を探し出そうとしていた。この魔法を完成させれば、志磨の、そして一乃や藍子のいる場所が分かるかもしれない。


羽月は言っていた。志磨が魔法を発動するまで三日ほどの猶予があると。


たった三日。たった三日で、一乃が半月以上研究して出来なかったことを成し遂げなければならないのだ。


できるはずがない、と令は思わなかった。


やるしかない。それだけが彼の心を支配していた。


令は一乃が最後に書いたであろう『45』と書かれたノートをもう一度見た。


やはり、そこに書いてる内容はちんぷんかんぷんだ。生命の木や惑星・星座の位置関係、一七のアスペクトなど、読んでいるだけで頭が痛くなる。こんなの一生かけたって分かる気がしない。


それを一乃はたった半年でものにしたのだ。きっと血のにじむような努力をして。


詳しいことは理解できないが、この魔法はだいぶ完成間近であるらしいことを令は読み取った。


『1』と書かれたノートと比べ、失敗した魔法陣と次に挑戦する魔法陣に、違いがほとんど見られなくなっている。せいぜい、陣の中に置かれている魔具の配置が入れ替わっている程度だ。


最後の数回に至っては、数ある魔具のうち、たった四つの位置を変えているだけだ。それ以外は発動のための手順まで全て同じ。


四つの魔具は、魔法陣の線の中で一番太い線の交点上にどれも置かれている。交点は全部で七つ。


(つまりだ。あとは、この四つの魔具の配置をどうにかすればこの魔法は完成するってわけだ)


令は即座に動いた。


まずは、ガムテープで窓を塞ぎ直した。車庫の中を再度外光の入らぬ場所とする。


一通りそれをやった後、彼は魔法陣の中に慎重に入る。


陣の交点に置かれた魔具はそれぞれ、短剣、古い木の枝、人の形に曲げられた針金、そして一本の蝋燭だ。


令はそのうちの木の枝と短剣の位置を入れ替えた。


あとは、ノートに従って、発動までの手順を踏む。


陣の外周に沿って油の染みた糸を張り、最後それを中央へ伸ばす。その後陣内の燭台にも火を灯す。


令は陣の中央に足を運んだ。


中央には、この町の地図が置いてあり、その上の足首の高さくらいに、天井からつり下げられた短剣がある。


一つ呼吸をおいて、短剣を燭台の一つに向かって押す。と、同時に中央まで引かれた糸に火をつける。


上部でY字形になるようにつり下げられた短剣は、振り子の要領で規則的な曲線の軌跡を描き、火は糸を伝って陣の外周円を燃やしていく。


燭台とそこに乗せられた蝋燭は、正確な計算によって置かれたのだろう。その上を通過する短剣が、丁度蝋燭の先を掠めて火を消す。他の燭台も全て短剣の描く曲線の中に置かれており、一つ、また一つと蝋燭の火が消されていく。


外周を伝う火が一周しようとしていた。陣内にある火の灯った蝋燭もあと一つ。


短剣が最後の蝋燭の火を消した瞬間、火は丁度陣の中を一周した。


そして・・・・・・。


「・・・・・・」


なにも起きなかった。


「・・・・・・ま、そうだよな」


たいして落胆するでもなく、令はそうつぶやいた。


当然だ。彼は魔具の配置を適当に変えただけなのだから。


魔術の知識もない。理解する頭も時間もない。


ならば・・・・・・


(全部の組み合わせ、手当たり次第やってやるよ!)


すぐに次の組み合わせを試そうと、再度準備にかかる。


そうして令は何度も繰り返した。


失敗しては次へ。蝋燭の長さが変われば調整し、何度も何度も繰り返した。


七カ所に四つの魔具を配置する。その組み合わせは八四〇通り。その膨大な数をただ愚直に繰り返すことで一つの正解を引き当てなければならない。


すぐに日は暮れた。光一つ差さない令にそれは分からない。彼は寝る間も惜しんで一心不乱に魔法を試し続けた。やがて日は昇り、また日が暮れ、そして日が昇る。


最低限の食事と睡眠だけを取り、令は組み合わせを試し続けた。単純な執念のみが、彼を動かし続けた。一日が過ぎ、どんどん近づいてくるタイムリミットが焦りを呼ぶ。


これを続けていていいのか、やはりどこかで間違っていたのではないのか。今からでも外に出て直接探そうか。焦りが不安を呼ぶが、だがそれでも続けるしかない。


そして訪れた三日目。六月二八日の夕方。


令は、もう何百回見たかわからない、短剣が火を消す光景を見ていた。


短剣が振れ最後の蝋燭の火を消し、外円を一周した炎が燃え尽きた。


(また失敗)


流石に苛立ちを隠しきれずに、立ち上がろうとしたその瞬間、消えたはずの蝋燭の火が一気に着いて燃え上がった。


「うおっ!」


驚きに声を上げる間にも、立て続けに変化は起きる。


消えたはずの外円の炎まで再燃し、それらの炎が全て揺れる短剣へと集まった。


周囲の炎を受け取った短剣の揺れが、急に中央で止まった。


そして、次の瞬間、バチッという音とともに、剣を吊っていた糸が跡形もなく焼き切れ、炎が散る。支えをなくした短剣は、勢いよく地図上の一点に突き刺さった。


ギィンッと甲高い音が車庫内に響き渡った。


その残響を最後に、車庫内には静寂が戻った。


「・・・・・・成功したのか?」


おそるおそる口にするも、答えを返してくれる相手はいない。


突然の成功にしばらく呆然としていた令だったが、床の地図に突き刺さる短剣を見て、ハッとした。


この細い刺突剣が刺さっている場所。それが、今志磨がいる場所を指しているのではないかと。


慌てて地図へと顔を近づける。


地図が刺している場所。ここから少し離れているこの場所は、


「大踏・・・・・・グレスピアビル」


そう。その場所は、令達三人が、一緒に遊びに行った、あのビルであった。

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