第三章 のしかかる重圧

第14話 違和感

結果的に、一乃の心配は杞憂となった。


あの後一乃が視えるゴーレムから逃げつつ、一乃では探知できないゴーレムの存在を警戒し続けたのだが、そのようなゴーレムに襲われることは一度もなかった。


念のために、日が昇るまで家には戻らず警戒していたのだが、結局何事も起こらず、明け方に三人は帰宅したのだった。


あの巨大なゴーレムとの戦闘後に一晩中張り詰めた環境に居続けたので、三人は精神的にも肉体的にも疲れ切っていた。


「やっと帰れたな・・・・・・。一乃、大丈夫か」


「なんとかね。ちょっとまってて」


逃げながら何度か休憩していたので、普通に歩けるまでに一乃は回復していた。彼女は、家に上がると、左目を押さえたまま車庫へと足を急いだ。


ひとまず靴を脱いで藍子と令は床に座り込んだ。


すぐにもどってきた一乃の手には、包帯が握られていた。よく見ると、ただの包帯ではなく、なにやら文字のようなものがびっしりと書かれている。


「これ、使って。ほんの少しだけど、巻いた部分の回復が早くなるから」


 二人は令を言って、包帯を受け取った。 


黙々と包帯を巻いていく中、藍子が乾いた口を開いた。


「一乃、今のうちに先に風呂に入って来たらどうだ。疲れてるだろう?」


「え、でも」


「お前が一番疲れてるって。行ってこいよ」


一乃は、何度か口を開きかけたり閉じたりしたが、結局は引き下がった。


「・・・・・・じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわ」


部屋に着替えを取りに行った後、彼女は脱衣所へと姿を消した。しばらくすると、シャワーの水音が微かに廊下に響いてきた。


包帯を巻き終えた。疲労と眠気がピークだった令は、このまま廊下で眠ってしまいそうだった。しかし、眠りの穴の底に付く前に、藍子の声が令を引き上げた。


「なんとか無事に帰って来れたな」


「ん・・・・・・、ああ。わけわかんねぇことになったけど・・・・・・一乃のおかげで、らんとか乗り切れたな・・・・・・」


「・・・・・・・」


呂律の回ってない言葉を返しつつも、重い目蓋は再び下がってくる。抵抗を試みても、あらがうのは至難の業だ。令の首はどんどん傾いていった。


「・・・・・・なあ、令。なにかおかしくないか?」


「なに・・・・・・が?」


「・・・・・・。・・・・・・いや、なんでもない」


返事は寝息で返って来た。


薄く朝日が差す玄関に、水音と寝息だけがしばらく漂っていた。


言わなかった。いや、言えなかったのだ。


彼女が言おうとしたことはこうだった。


一乃の目的が『魔法使いにこの町から出て行って欲しい』というのなら、使、と。


だが、言えなかった。


見られているかもしれないと思ったからだ。


彼女は占術師。


彼女が透視をできることは知っている。


つまり、今この瞬間を彼女が見ていてもおかしくはないと思ってしまったのだ。


本当に根拠もない、令のように感覚だけでそう思った小さな疑い。


(考えすぎだ)


藍子の理性が感覚を塗りつぶした。


一乃は自分たちを助けようとしている恩人だ。同学校の生徒を救おうと思うことの何が不自然なのか。自分たちを救おうとしてくれている者に対してそう思うのは、あまりに歪んだ感情だ。


頭を振って、考えを飛ばし、藍子もまた深い眠りの穴へと吸い込まれていった。





という一部始終を、一乃は見ていた。


「ふーん。言わなかったんだ」


水滴を滴らせ、ぽつりとそうつぶやいた。


俯いた彼女の頭を、シャワーの湯が雨のように叩く。普段サイドテールにしている髪も今はほどかれ、彼女の背に垂らされている。


お湯が一糸纏わぬ彼女の体を伝う。髪を濡らし、背を伝い、足へと筋道を作って流れていく。


彼女の肌は年相応に白く、綺麗であった。泥の汚れが一切落とされているだけではない。彼女のその肌には、傷一つついていないのだ。


栓を捻り、水を止める。


浴室に響く音が、彼女の髪から滴る水音だけになった。


髪をかき上げ、彼女は正面を向く。そこには、湯気で曇った大きな鏡が、彼女の姿をぼんやりと映していた。


手のひらで、鏡を一拭きする。自身の右目が彼女を見つめていた。普段眼帯で隠している左目は閉じられたままだ。


ゆっくりと左の目蓋へ視線を移す。



その目蓋には、黒い文字のような印、咎負いの印が刻まれていた。

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