第12話 Happy Holiday


 翌日の朝から三人は電車に乗って町の中心部に足を運んだ。


 休日の電車内は混み合っており、目的地に向かうほどに人は増えていき、流れる景色の中にある建物の背が高くなっていく。


 出かけるということもあってか、二人の少女の出で立ちは華やかだった。


 一乃は眼帯こそいつものままだが、特徴的なサイドテールにはシュシュをつけている。柄のない爽やかな服装は春の風を纏っているようで、そのすっきりとした服を上手く着こなしていた。はためくフリルやスカートの端が、今日の強い風に溶け出しそうであった。


 対照的に藍子は火をイメージさせるような赤と黒を基調とした格好をしてた。赤みがかった黒のジーンズに、アシンメトリーなシャツを着ていて、金属製のネックレスでキメている。


 いつもとは違う姿は、少女達の魅力を引き上げ、少しだけ令を戸惑わせていた。移動中しきりに空を見る令の姿があった。


「藍子さん、ロックなファッションしてますね」


「そう? ちょっと張り切りすぎたかな」


「いえいえ、かっこいいですよ」


「ありがと。・・・・・・ところで、令」


「え、あ、なんだよ」


「なんでそんなに挙動不審なんだ。君、朝から変だぞ」


「別に普通だっての。そんなこと聞きたかったのか?」


 妙にムキになった令に、藍子は肩を顰めて返した。


「まあいいか。それで、これからどこに行くんだ?」


 今日の遊びのプランは令が考えることになっていた。遊びということならと令が買って出たのだ。


「いくつか候補はあるけど・・・・・・今、大踏グレイスピアビルのほうでトリックアート展やってるらしいぜ。そこに行ってみるのはどうだ?」


「へぇ、いいね」


「私もそれ行ってみたいって思ってたのよ」


「一乃もそういうの興味あるんだ」


「ええ、ポスターとかで見た感じ、すっごく面白そうでしたし」


「ああ、それあたしも見たことある。あれは見たいって思わせられるね」


 女子二人に好評だったようで令はほっと息をなで下ろした。


 電車からバスへ乗り換えて、目的の場所へと向かう。


 バスから降りた後は数分の徒歩を重ねて、トリックアート展の展示場、大踏グレイスピアビルに到着した。


 見上げるほどに高いこの建物は、全七階建ての近代的な作りのビルだ。広大な内部は一階から四階はデパートのようになっているが、それより上の階は広い会場となっており、様々なイベントや展示に使われている。


 トリックアート展は六、七階を使って行われているらしい。雑談を躱しながら、令達はエレベーターを使ってそこまで向かう。


 エレベーターの扉が開くと、その先には賑やかな空間が広がっていた。立体に見える像のパネルがまず目に入り、入場者を出迎える。仕切りの向こうから聞こえてくる楽しそうな声が、令達の心までくすぐった


 受付にまで行くと、受付嬢が上品な礼で出迎えてくれた。


「いらっしゃいませ。トリックアート展へようこそ。三名様でご入館でしょうか?」


「はい。三人で・・・・・・あ、三人とも学生です」


「学生の方でしたら、ご料金は――」


 一乃が代表で受け答えしたあと、いよいよ三人は奥へと進んだ。


「うおっ・・・・・・!」


 角を曲がると、そこには視界いっぱいの巨大な竜の口があった。もちろんそれは、立体に見えるだけの錯視なのだが、圧倒されるほどの迫力とリアリティがそこにはあった。


 広いホールを仕切りによって長い通路状にしてある中に展示物が置かれており、左右の仕切りには、様々な絵が飾られている。


 静止画のはずなのに動いている様に見える絵。同じ色のはずが、違う色のように見える錯視。見続けているうちに自身の脳を疑いたくなってくる。これもまた魔法なのではないかとすら思った。


「思ったよりおもしれぇな・・・・・・」


 ぽつりと令は呟いた。


 実を言うと、令はそこまでこのトリックアート展に来たかったわけではなかった。どちらかと言えばゲームセンターとかに行きたい気持ちのほうが強かったのだが、三人で遊ぶとなるとそうもいかない。しかも内二人が女子となればなおさらだ。


 そんなわけで、女子受けがよさそうなこのイベントを選んだだけだったのだが、今や令自身も楽しめている。


 先に進んでいくと、展示のタイプが変わった。絵であることには変わりないのだが、壁から床にまで描かれた絵は、長く歪んでいる。絵自体は崖の絵のようだが・・・・・・。


 説明を読むと、この絵を正面のある位置から見ると、立体的な崖の絵になるらしい。印が描かれた場所に行ってみると、確かに切り立った崖の絵が見えた。


「あ、これ知ってる」


 一乃はそう言うと、絵の中に踏み込んで手を上げた。すると、令の視点からは一乃が崖からぶら下がっているように見える。


「おお、おもしろいなこれ」


「ねえ、藍子さん写真撮って写真撮って!」


 子供のようにはしゃぐ一乃に苦笑しつつ。藍子は、携帯のカメラを起動させた。


 他にも、絵の中に入り込めるトリックアートはたくさんあった。動物に乗っているかのように見える絵。自分が小さくなったように見える絵。


「ん? なんだこれ?」


 途中令は、展示物や床、壁に赤い線が、あちこちに描かれていることに気づいた。これも何かの錯視の一部なのだろうか。周りを見渡すと、説明書きとともに、近くに小さな円が描かれている場所があった。


 円の中に立って正面を見ると、


「おお」


 目の前に巨大な円が浮かびあがっていた。あちこちにあった赤い線は、このために描かれていたのだ。


「おーい。これ凄いぞー」


 と、二人を呼ぶが、一乃も藍子も、既に先に行って、トリックアート内で写真を撮りあっている。互いに笑いながらポーズをとっている様子は、いかにも楽しそうだ。


(女子って、写真好きだよなぁ・・・・・・)


 と、呆れ半分で二人の下へと足を急がせた。


 展示の種類は多種多様であった。写真で見ると、身長が変わって見える部屋。だまし絵。錯視による不可能図形の再現・・・・・・。どれも令達を感嘆させた。


「あれ、一乃は?」


 しばらく展示を見て回っていると、一乃の姿が見えなくなっていた。藍子と二人してあたりを見渡すと、少し離れたところに、展示物を見ている一乃の横顔を見つけた。


「おーい一乃」


 藍子が呼ぶが一乃は展示物に見入ったままだった。


 令達は顔を見合わせると、彼女が見ている展示物まで足を運んだ。


「へぇ・・・・・・!」


 二人してその光景に目を見張った。


 そこに広がっているのは、無限に続く色鮮やかな輝き。色とりどりの熱帯魚や珊瑚がマジックミラーによる合わせ鏡で無限に遠くまで続いている。華やかな鱗や珊瑚の煌めきが、虹が染みた雪のように様々な色を返しては溶ける。


 ふと、令は言葉を失っている一乃の横顔を覗いた。


 水槽から漏れ出した虹の欠片は、一乃の肌をキャンバスに彼女をも煌びやかに染め上げ、柄のなかったはずの服まで鮮やかな色に染め上げていた。


 無意識のうちに令はため息をついてしまっていた。


「・・・・・・綺麗だな」


「え、あ、ああ・・・・・・」


 水槽を向いたまま漏らした藍子の言葉だったが、彼女は令を見てその後一乃を見ると、意を得たようにニヤリと笑って見せたのだった。


「ぐっ・・・・・・」


 何か言ってやりたいが、何か言われたわけでもない。ただ令は歯がみするしかなかった。


 藍子は、手をヒラヒラ降りながら、ニヤニヤしたまま別の展示へと行ってしまった。


 残された令と一乃。相変わらず一乃は彼方へと続く水槽を見続けている。一方、藍子が下手に気を遣った風なことをしたので、令だけが微妙に居心地が悪い気分となっていた。


「な、なあ。そんなに気に入ったか、これ」


「ええ。だって綺麗じゃない」


 いつもうるさいくらいに活発な一乃のものとは思えないほどに、その声はしっとりと静かだった。


「・・・・・・だったら、また来れると良いな。今のこの面倒なことが終わったら」


 ただの咎負いである令や藍子は、今日の息抜きを純粋に楽しめてはいるが、一乃はそういうわけにもいかないだろう。人混みの中とはいえ、一応敵の動きを警戒していないといけないのだから。


 一乃は令へと一度振り向き、すぐに視線を切って伏せた目を合わせ鏡の水槽へと向けた。


「また・・・・・・」


 彼女が向けた視線の先に終わりは見えない。


 令は口元に笑みを作った。


「大丈夫だって。絶対またここに来る。自信があるとかないとかそういう問題じゃねぇ。これは誓いだ」


「誓い?」


 再び一乃の顔が令へと向いた。


「そうだ。絶対またここに来る。そう決めてるから、この先何があってもそのために頑張る。この決めたことを守るために。だから誓いだ」


「・・・・・・」


 雄弁と語る令を一乃は目を丸くして見ていた。そして口を開くと、


「・・・・・・あなた、意外と真面目なことも言えるのね。ふあ・・・・・・」


 あくび混じりにそう言われた。


 ガクッと令の膝から力が抜けた。


「おい」


「アハハ、ごめんごめん」


 そう言って少しの間だけ笑っていたが、その笑みもすぐに消えてしまった。水槽へと視線が戻される。ずっと先を見つめる瞳は水面のように揺れて見えた。


「ねえ、直路木くん。私・・・・・・」


「ん?」


 言葉の続きはどれだけ待っても来なかった。行き交う人々の足音と水槽から響く水音だけが時間とともに流れていった。


「ううん。やっぱなんでもないわよ!」


「痛ぇっ」


 突然いつもの調子に戻った一乃は、なぜか肩にパンチを食らわして、小走りで先に行ってしまった。ピョコピョコ揺れるサイドテールが遠ざかっていく。


「全然意味わかんねぇ」


 さっきまで見せていた殊勝な態度は何だったのか。


 肩をすくめて令は彼女を追いかけた。

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