第7話 第一戦にして……

殴り飛ばされた令の体が、一本の木に激突した。木は大きく揺れ、鳥たちが騒がしく飛び立ち、葉は落ちる。


追撃を恐れた令は、即座に立ち上がった。


この町に流れる大きな川、八出川の河川敷は、粗い芝と数本の木が散在する広い場所であった。最近降った雨のせいで増水した川の流れる音は荒々しく堤防で反響している。堤防に沿って続く左右のランニングコースのあちこちに水たまりが散在しており、その間には芝の土地が広がっている。所によってはサッカー場や野球場として使われているところもあるこの場所で、令はゴーレムと戦っていた。


彼の表情には明らかな疲弊の色が見えている。深いため息のような息切れと、崩れた姿勢がその証拠だった。


派手な攻撃を受けてはいるが、彼の体の方は無傷といってもいい。しかし、やはり脅威は深淵だった。彼の疲弊の原因は、物理的ダメージよりも圧倒的に深淵によるものが大きい。深淵によって削られる意識と体力が、必要以上に彼を疲弊させている。


「クソッ」


悪態をつくも相手から言葉は返ってこない。ただ無表情に令と対峙するだけだ。


何度も叩きつけられてボコボコになっている電子レンジ。手に持ったそれを握り直し、令は意を決して前へと進み出た。


ゴーレムも同時に地を蹴った


激流のごとく激突する両者。戦闘のさなか、まるで火花のように抉れた土や芝が互いの間に飛びかった。


防戦一方になりつつある令。何時間も休みなしで動き続けたかのような、重くのしかかる疲労で体がうまく動かせない。自分の前に立ちはだかる理不尽に、苛立ちが募っていく。


「クッソオォォ!」


雄叫びと共に振り下ろされたレンジが、ついにゴーレムの体を捉えた。強引な横凪を食らった右肩は爆ぜ、右胸まで大きく抉れる。勢いに引き摺られた体も吹っ飛び、地面へと倒れ込む。


だが、致命打ではない。


吹き飛ばされたゴーレムは、平然とした顔で起き上がろうと膝を立てた。


やはり体のどこかにあるというシェムを破壊するしか無い。体勢を立て直される前に決着をつけようと、令は即座に足を動かし距離を詰める。


一〇メートル程度の距離。令の身体能力なら一秒以下で詰められる距離だ。地面を蹴り抜き一歩飛び出す。


彼の目には目の前のゴーレムしか映っていなかった。この一瞬で付く決着のために彼は全ての意識を敵に捧げていた。


だから、気づけなかった。


真横から迫るもう一体のゴーレムに。


「ぐあっ!」


突然、衝撃と共に視界が揺れた。頭の側面に来た衝撃は全身へと伝わり、彼の視界は強制的に曲げられた。


何が起きたか理解できないままに倒れ込む令。飛び出した自身の勢いと重なり、激しく地面と擦れ合う。地面と接していた頬が熱くなるのを令は感じた。


素早く体勢を起こし、新たなる脅威と向き合う。二体目のゴーレムをその目に捉えると、彼の額を冷や汗が伝った。


「おいおい・・・・・・」


既に立ち上がっている隻腕のゴーレムも、ゆらりと令に一歩詰め寄る。思わず令も一歩下がった。


唐突に電子音が響き渡った。


飛び上がった令は、一瞬遅れてそれが自分の携帯の着信音だと気づく。


おそらくは、一乃からだろうが・・・・・・。


「おぉうっ!」


動揺の隙を突いて二体のゴーレムが襲いかかって来た。単純に二倍になった敵の戦力とその連携に圧倒される。手に触れること無く攻撃など出来ようはずも無い。令は、ギリギリで二体の猛攻を躱していた。


「こんな状態で、出れるかよ!」


一瞬空いた攻撃の間を逃さず、令は全力で後ずさった。その隙に胸ポケットの携帯を急いで取り出し通話する。


案の定相手は一乃だった。


『直路木君。撤退よ! 逃げて!』


「逃げるっつったってよ・・・・・・!」


こうして会話している間にも、ゴーレムはもう距離を詰めてきている。自分も人間離れした身体能力を持っているとはいえ、この速さの相手から逃げ切れる気がしない。


『川よ! 川を飛び越えて!」


「川!?」


後退しながら、令は脇を流れる川を見た。


流れ荒く対岸とを隔てる川は、目測で三〇メートル近くある。


「無理だろ!」


「いいえ。できる! あなたは普通の人間じゃない。不完全とはいえあなたは咎負いなの! 自分を信じて!」


そうは言われても令は躊躇った。流石にここまで来たら自分が普通ではないという自覚はある。拳でゴーレムを砕き、吹っ飛ばし、常人を超えた速度で走り続けられる。


いままではまさか自分が常軌を逸した存在であるなんて、思いもよらなかっただけなのだ。それが鎖となり彼自身に力の自覚を遅れさせた。そして、それがまた今令を縛っている。


それに、


「川を越えられたとして、こいつらだって同じ事できるだろ!」


『いいえ。できないわ。そいつらは絶対に川を越えられない』


一乃はハッキリと断言した。


「絶対って――」


ガシッと令の腕がゴーレムに掴まれた。青黒くも薄い深淵がにじみ、ズシリと重い倦怠感を令に与えた。強引にふりほどくが、しかし一方に気を取られたせいで、もう一体の拳を肩に受けてしまう。


さらに奪われる体力。選択の余地は無かった。


「ええい。クソッ!」


もうどうにでもなれ、と令は胸ポケットに携帯をしまいながら電子レンジを投げつけた。そしてゴーレムが一瞬怯んだ隙に川へ向けて走りだす。


道を切る一本の流水。普段は橋を使って苦も無く渡る事が出来る対岸が遠く感じる。唸りをあげる濁流のせいで、落水すればどこまでも流されていきそうな感覚さえ覚える。


不安をかき消すように一層強く地を蹴った。地に足を沈め、次々に土を蹴り上げ、どんどん加速していく。一歩加速するごとに、柔らかい空気の圧迫を強く感じていく。


人並み外れた速さの領域に踏み込んでいくたびに、令の心の鎖は切れていく。普通では無い。人を超えた事が出来るという自覚が、彼の肉体の枷まで砕き、足の回転はさらに速くなる。


「いっくぜええぇ!」


川脇の茂みギリギリのところで踏み込む。地面が優に一〇センチほども沈んだ次の瞬間、令は地面を蹴り上げた。


弾丸の如く斜めに飛び出す体。体で切る風が鋭く鼓膜を叩く。


「うっ、おおっ。飛んだ!」


 まさに飛んだとも呼ぶべき跳躍だった。普通の人間なら一瞬で終わるはずの跳躍が、長い滞空時間と空中で姿勢を保つ必要性を与えてくる。


過ぎゆく景色の速度に反して、令が空中にいる時間を長く感じていた。下を見れば荒れている川。横を見れば遠くに橋。そこには多くの車や人が通っている。あそこにいる誰かにはきっと姿を見られているだろう。


ものすごい速度で対岸が迫ってくる。迫り来る地面が恐怖を煽る。


地に足がついた瞬間、ものすごい衝撃が襲いかかった。


爆発でも起きたかのように、大地が割れ、水しぶきのように盛大に土が飛び上がった。両足は地面に刺さってもなお地を抉って進み続け、それでも勢いを殺しきれずに彼は地を転がった。


「うえ、ぺっ」


全身土まみれだった。口に入った土をひとしきり吐き出した後、令は自分が飛び越えた川と、自身の着地によって刻まれた地への傷跡を呆然と見つめた。


「マジで飛んじゃったよ俺・・・・・・」


『ね。言ったでしょう大丈夫って』


「みたいだな」


一乃の言うとおり、ゴーレムが追ってくる気配は無かった。川の端に生えた背の高い草によって対岸の様子は見えないが、まだそこにいるのだろうか。


「で、なんであいつら川を飛び越えられないんだよ?」


『説明はあと。距離は稼げたけど、すぐに橋を渡ってくるわ。直路木君、そのまま橋とは反対方向に川沿いを進んで行って。そうすれば――』


突然一乃の声が途切れた。


不審に思って携帯を胸ポケットから取り出す。その画面は真っ暗になっており、画面や電源ボタンを押しても何の反応も無い。


つまり、携帯のバッテリーが切れていた。


「ノオオォォー! なぜだー!」


頭を抱える令。しかし、すぐに思い出す。今日の未明、一乃の家を出て校門で寝てから学校へ行った令は、その間一度も携帯を充電していない。昨日からずっと充電しないまま使っていたのだからバッテリーが切れるのも不思議では無い。


令はがっくり膝をついた。


「マジか・・・・・・」


だが、ここでグズグズしているわけにもいかない。こうしている間にもゴーレムは向かって来ている。気を取り直して令は立ち上がった。


「とりあえず一乃の言うとおりにするしかねぇ。川沿い行けばいいんだっけ?」


指示通りに足を進める。靴や服に入り込んだ土が不快だが、今は気にしてられない。令は無心に走り続けた。


数分ほど走り続けると、令の心にほの暗い煙が去来した。電話がつながっていたさっきまでは感じていなかった孤独感。一乃の指示が届かないままでどうすればいいのかという不安。ここに来て令は、未知の存在を相手取るこの戦いにおいて、一乃、そして藍子という仲間の存在がどれほど大きいかを自覚した。


いやいや、と弱気になった自分を戒める。今もまだ二人は戦っている。こちらに連絡手段が無いだけで、一乃からはこちらが見えている。藍子もどこかで戦っている。べつに一人になったわけでは無いのだ。


負の思考を振り払い。再び令は無心となりただ進むことにした。


しばらく走り続けると、遠くに川を渡す一本の橋が見えた。三角の編み目状に組まれた金属のそれは鉄道橋だ。その上を滑る電車が、音も無く通り過ぎていく。


一〇分も走り続けると、令はそこにたどり着いていた。深淵に体力を奪われたことも相俟って、流石に疲労が堪える。せめて息でも整えようと、橋の近くで足を止めて膝に手をついた。


が、それも束の間。


「令!」


鋭い声が橋下の空間に反響した。


聞き覚えのある声に振り返ると、藍子が堤防を越えて令の側に着地した。令ほどではないが、彼女の服にも土汚れ等の戦った痕跡が残っている。


「おお、藍子! 無事だったか!」


「安心するのはまだ早いよ・・・・・・!」


息切れ気味に藍子の口から言葉が漏れたのと同時に、二人の周囲に複数の影が降り注いだ。


ザッ、と土を踏みしめる音が二人を囲む。


その正体はゴーレム。咎負いを捕まえんとする存在達に二人は囲まれてしまっていた。


後ずさる令。しかし背後にもゴーレムはいる。彼の顔から血の気が失せた。


見れば令が先ほど交戦した見覚えのあるゴーレムも二体いる。総数は六。今日この町にいる全てのゴーレムがここに集まっている事になる。


令の混乱が冷め切るのを待つはずも無く、ゴーレム達は襲いかかってきた。六方向から襲われる圧迫感に、押しつぶされそうだった。


「嘘だろ・・・・・・!」


黙ってやられるわけにもいかず、応戦する令。その動きは、彼が疲労しているという以上に悪い。彼の頭で渦巻く混乱が彼の動きを鈍らせていた。


二対一でも苦しい戦いだった。なのに、藍子がいるとはいえ六体も相手にして勝ち目など見えない。


藍子は、一乃の指示でここまで来たんじゃ無かったのか? だとすれば一乃はなにを考えているのか? 自分たちは見捨てられたのか?


様々な思考と感情が、戦いへの集中力を削いでいく。一発、二発と拳を受け、そのたびに体力が削られていく。それがまた焦りを呼び、戦い方が雑になる。


藍子も左腕に炎を纏い応戦しているが、それで数の差が埋まることは無く、ようやく一体を燃やした時点でだいぶ憔悴の色を顔に浮かべている。


藍子に注意を逸らしたのが運の尽きだった。ガッと首に衝撃が走り、令の首はゴーレムに掴まれていた。


薄い深淵が令から体力、意識、思考力を奪っていく。抵抗しようにも引きはがすほどの体力と気力が足りない。重くのしかかる倦怠感と脳に浸透していくような眠気が抵抗の意思さえ奪っていく。


「令っ!」


なんとか令を助けようとする藍子だが、残り五体のゴーレムに襲われて近づくことも出来ない。多勢に無勢のなか、彼女がやられるのも時間の問題だった。


(もう・・・・・・だめだ・・・・・・)


ついに意識が遠くなり、ゴーレムを掴んでいた手がだらりと落ちた。


――――そのとき、ゴーレムの深淵が消えた。いやそればかりか、ゴーレムの動きは止まり、手から力が抜けた。令が相手取っていたゴーレムだけではない。その場の全てのゴーレムが同じだった。


なんとか意識の縁に踏みとどまった令は、ゴーレムの腕から逃れた。その間もゴーレムは微動だにしない。


「いったいなんだ?」


ゴオッという音が令の耳を上から叩いた。見上げれば、電車が鉄道橋を渡っている。


高く鋭い声が、藍子の胸ポケットから響いた。


『今よ! 反撃開始!』


一乃の声を聞き終えるより前に、既に藍子は近くのゴーレムの頭に腕を叩きつけていた。それでもゴーレムは無抵抗だ。


わけがわからないが、今がチャンスであることは確かだ。戸惑いを押しやって令もまた目の前のゴーレムの体をたたき割った。


次々と破壊されていくゴーレム。そして、電車が完全に通り過ぎたとき、二人の攻撃が全く同時に最後のゴーレムの頭に叩き込まれたのであった。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


突然の静寂。


橋の下がこんなにも静かだったのかと思えるのは、電車が通り過ぎた後だからか、騒動が終局したせいか。


いずれにせよ、戦いは終わった。


音も無く土くれへと還ったゴーレムを見て、令は大きなため息とともに大の字に寝転がった。深淵を浴びすぎたせいで、目を閉じれば今にも眠ってしまいそうだった。


藍子もその場で腰を下ろして、安堵の息をついている。


『やったわね、二人とも。お疲れ様』


「いや、こっちも感謝してるよ。まさか電車を使うとは・・・・・・。思いつきもしなかった。君がいなきゃ私たちやられてたよ」


互いをねぎらい合う言葉が、背の低い草の間を通り抜け、令の耳へと届いた。またしても置いてきぼりを食らっている令は、いよいよ唇をとがらせて毒づいた。


「おーい。マジで意味が分かんねーんだけど・・・・・・。いい加減説明してくれよ」


『あなたの携帯のバッテリーが切れなければ、ちゃんと移動中に説明してたわよ』


言葉こそ責め返すようなものだったが、その口調には申し訳なさが滲んでいた。目蓋の裏に、バツの悪そうな顔をしている一乃の顔が浮かびあがった。


藍子が小さく息を吐いて立ち上がった。


「説明は、帰りがてら私がするよ。そっちの家に行けばいいんだろ?」


『あ、はい。じゃあお願いしますね。私先に帰って待ってますね』


「ああ。それじゃ、また後で」


そうして藍子は通話を終了した。


今日の疲れで、地面に寝転がりながらまどろみ半分になっていた令の耳に、草を踏む音が近づいて来た。


「おーい、令。起きろー」


「もう少し休んでからでもいいだろ・・・・・・。しかも、これから一乃ん家って・・・・・・まだなんかあんのかよ・・・・・・」


「このままじゃ、寝るだろ。起きないと耳引っ張ってでも連れてくぞ」


「んなくらいじゃ、俺の眠りは邪魔できねぇよ・・・・・・」


「いいのか? 咎負いの力でやるんだぞ?」


「千切れるわ」


即座に飛び起きた令であった。

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