第3話 双葉 藍子



「良い湯だったよ」


「ううん。藍子さんも今日はお疲れ様です」


見れば風呂上がりのようで彼女の髪は濡れていて、服から覗く四肢は上気していた。


少女が令へ歩を進める。


双葉ふたば 藍子あいこ。よろしく。下の名前で呼んでくれていいよ」


「あ、ああ。直路木 令だ。俺も下の名前でいいぜ」


 差し出された手を令は握り返した。


 と、令は握った手の先を見た。


 少女の手首と肘の間、腕の内側に入れ墨のようなものが刻まれている。黒く拗くれた火傷の跡のようにも見えるが、意味を持った文字のようにも見える。


 見覚えのある物だった。模様は違うが似たようなものが令の胸にもある。


「これって・・・・・・」


「それが、咎負いである印。『烙印』よ」


 眼帯の少女が令にそう言った。


 令は自分の胸元を見た。


「咎負いの・・・・・・? でもこれは――」


「――半年前の大地震のときにできた。そうでしょう?」


「……」


 その通りであった。


 およそ半年前の一二月三一日。この町は未曽有の大地震に襲われた。震源地からは離れていたものの、この町も建物がいくつも倒壊するなどの大きな被害を受けた。


 確かに令の烙印は、そのころから急に現れていたものだった。


「咎の自覚がないようだけど、その印があるあなたはやっぱり咎負いよ」


 あくび混じりにそう答えた眼帯の少女。その言葉に反応したのは、藍子だった。彼女は眼帯の少女の反対側にあるソファに腰を下ろしていた。


「咎の自覚がない?」


「みたいです。だから罰も持ってないみたいです」


「罰が・・・・・・ない・・・・・・」


 そう呟やくと、藍子は伏し目がちに令をジッと見つめた。


 視線の合った令は、その瞳に光が揺れているのが見えた。


「えっと・・・・・・」


 令が口を開くと、ハッとして藍子は瞳を閉じて咳払いをした。澄ました表情へと戻った彼女に令は続ける。


「あんたが俺を助けてくれたんだろ。ありがとな」


「お礼はいいよ。私たちもタダで助けたわけじゃないしね」


「え」


 目を閉じたままサラリとそう言われて、令の頭に悪い想像がいくつか浮かんだ。


「その話はこれからするところだったんです」


「へぇ、早いね。物わかり良いんだ」


 難しそうな顔をしていた藍子の眉が上がった。


「でしょー! 絶対おかしいですよね!」


「おい待てよ。なんだよ、ただ俺を助けてくれただけじゃないのかよ」


逸れそうになった話を令が戻す。


二人の少女は揃って令へと顔を向けた。藍子が微笑む。


「君をどうこうしようとは思ってない。ただ君に協力してほしいと思ってさ」


「協力? ・・・・・・あれか? その俺たちを襲ってくる敵をぶっ飛ばそうって話か?」


「ぶっ飛ばすって・・・・・・。まあ、早い話がそういうことよ」


ため息と共に眼帯の少女が腕を組んで大きくソファにもたれかかった。


阿久津阿久津 志磨しとぎ。それがあなたたちを狙っている魔法使いの名前よ。この町に何体もゴーレムを放って、咎負いを探してる。私としては、自分の町で他の魔法使いが好き勝手されるのは気にくわないの。あなたも、訳のわからない魔法使いに捕まるのは嫌でしょ?」


令は頷く。


「だから私たちで協力して、阿久津を追い返そうって話よ。私には魔法の知識と占術があるけど、戦う力がない。あなたたちには、戦う力があるけど魔法の知識がない。協力すればお互い補い合えるわ」


「確かに・・・・・・」


令は自身がゴーレムと対峙した時を思い出していた。


手が伸びたり、爆散させたり。相手は令の常識を超えた攻撃をしてきた。そして、わけもわからないままに、あっさりとやられてしまった。


「だから、お願い。一緒に戦ってくれないかしら」


二人分の視線が令へと向けられた。


令は、数時間前に多数の不良相手に一騎当千していた自分が随分昔の自分のように感じていた。この短時間であらゆる新しいことを知り、新しい世界を知った。


知識とは世界の欠片だ。人は知る事で世界を広げる。


そして世界は不可逆だ。知ってしまったらもう戻れない。世界は決して縮まない。


令は知ってしまった。だからもう彼がもう過去の自分へと戻ることはない。過去の令と今の令では立っている世界が違う。


彼の中に断るという選択肢はなかった。


彼は口元に笑みを浮かべた。


「ああ。いいぜ。協力させてくれ。てか、協力しないと俺がその魔法使いに捕まえられるだけだしな」


その理屈は後からついてきたものだった。どうあっても彼は感覚で生きているのだった。


二人の少女が笑みを浮かべた。


「そうか。ありがとう」


「ありがと。ふあ・・・・・・」


微笑みながら礼を言う藍子と言った側からあくびと伸びをする眼帯の少女の姿は対照的だった。


「さっきから、気になってたんだけどさ、あんた眠いのか?」


「違うわよ。癖よ癖」


「えぇ」


んなばかな。という目をする令。しかし、少女はその視線を華麗にスルーした。


「あとさ、あんたの名前まだ訊いてないんだけど」


「あれ? そうだったかしら?」


眼帯の少女は席を立ち、座ったままの令へ手を差し伸べた。


「私は滝澤たきざわ 一乃ひとの。一乃でいいわ。これからよろしくね。直路木 令君」


そう言って彼女は爽やかな笑みを浮かべた。


令は差し出された手を見た。その手に込められた二つの意味を彼は何となく感じ取っていた。


ゆっくりと握り返す。


「ようこそ」


少女はただ一言そう言った。


その握手に込められた意味は約束と歓迎。


二人に協力するという約束と、そして、新たな世界に踏み入った令への歓迎。


小難しいことを考えられない令だが、しかしそれは何も解せないというわけではないのだ。


言葉にできなくとも感じていることはある。


握られた手から、確かに令は二つの意味を感じ取っていた。


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