第一章 6月14日

第1話 喧嘩上等



 直路木すぐろぎ れいの高校生活は喧嘩三昧の日々だった。


 今日も深夜のコンビニに行った帰りに他校の生徒に囲まれたが、大人数に対し一騎当千、常戦常勝大金星。


・・・・・・と言った具合だったのだが、今日は毛色が違った。


日付を超えて少し経った頃の時間帯。不良達に連れ込まれた場所は、打ち捨てられた廃工場。そこら中に錆が目立つ建物の内部には朽ちかけた機具がそのまま放置されている。


どこからともなく入り込んだ風が機器の隙間に入り奇妙な音を奏でている。


不気味な音色とともに倒した不良達の呻きを背に浴びながら、令は廃工場の出入り口で奇怪な存在と対峙していた。


不良との喧嘩に圧勝し、さっさとこの煤けた場所ともおさらばしようと廃工場の鉄扉を開いたとき、彼の目の前にその存在が立っていたのだ。


見た目はただの私服の男性。顔つきもこれといった特徴はない。目の前に立っていたって別にどうということはないはずの存在だ。・・・・・・この時間、こんな場所で出会ったのでなれば。


こんな夜更けの廃工場に用のある人間がいるだろうか。何かの作業員のようでもなく、なまじ私服姿であることが、さらに怪しさを増している。


扉を開けた先にいた相手を令はキョトンとした顔で見ていた。


対する男も令をじっと見ている。


「えーと? あんた・・・・・・何?」


「誰?」ではなく、「何?」と聞いたのは令の無意識だった。そして、その令が感じ取った『何か』は間違っていなかった。


男性が令に手を差し出す。


そして、


「!?」


瞬時にその腕が伸び令の首を捉えた。


あまりの早さに踏ん張ることも出来なかった令の体が大きく仰け反る。


「なっ・・・・・・!? がっ・・・・・・」


令の頭には大量の疑問符が飛び交っていた。


突然現れた人物に襲われたことや、何より今自身を掴んでいる腕は明らかに先ほどの数倍にまで伸びている。


相変わらず棒立ちの相手の表情は無表情のままだ。魂すら無いかのようにただ淡々と首を締め付けている。そのすさまじい力は人間のものとは思えないほどに強く、両手を使って引きはがそうにもビクともしなかった。


しかし、それで終わりではない。


首を捉えた腕から青黒いもやのような物が出ていることに令は気づいた。しかもそのもやは腕を伝って令の首を掴む手へ、そして令の首へと流れ込んで来ようとしている。


もやの正体は『深淵』。この世の理を突き詰めた先にある非存在。生身で触れればただでは済まない。


「ぐ、おっ・・・・・・!」


令はそんなことを知るよしもない。が、彼の本能が『あれに触ったらヤバい』と告げ、彼に渾身の力を奮い立たせた。


首を掴んでいる手から手を離し、とっさに先ほど開けたばかりの工場の鉄扉に手を掛け、全力でその扉を閉めた。


三メートル近くある鉄扉がものすごい速度でスライドする。耳障りな音が鳴り響き、重い扉が勢いよく閉まる。


工場内を震わす轟音。激突した反対側の扉が勢いを殺せずに少し開いた。


間にあった相手の腕は扉によって切断、いや陶器のように砕かれた。そして、その破砕面から血の一滴も出ない。


腕が切れた勢いで令は尻餅をついた。同時に令の首を掴んでいた手は粘土のようになり、脆く崩れて地面へと落ちた。


咳き込む令。


しかし休む暇なく勢いよく鉄扉が吹き飛ばされた。


「ぐっ!」


 外れた鉄扉は凄まじい勢いで令へと激突し、彼を巻き込んで引きずりながらさらに数メートルも進んで倒れた。


衝撃が四方のガラスを震わし、天井にまで届きそうなほど激しく砂埃を舞上げた。


 令は分厚い鉄扉の下敷きとなった。轟音の余韻残す工場内に微かに漏れるうめき声。中でもがいているのか、鉄扉がガタガタと動いて地面と擦れあっている。


片腕の襲撃者は、ゆっくりと歩を進める。ただ淡々と。表情も変えずに、己に与えられた仕事を全うするために。


一歩。また一歩と踏み出される足。その足は鉄扉までの距離あと五歩といったところで・・・・・・止まった。


「・・・・・・」


襲撃者は何も言わない。表情も変えない。しかし、確かにその存在は異変を感じ取っていた。


令の上にのしかかっている鉄扉。三〇〇キロは下らないその巨大な鉄の塊と地面が擦れる音が、いつの間にか止んでいる。相変わらず鉄扉はグラグラ動いているにもかかわらず。


浮いているのだ。事実鉄扉のどこも地面と接していない。しかし、ただの鉄の塊が宙に浮くはずもない。つまり、これは――。


「重ってぇな! ボケェ!」


ボゴンという鉄のたわむ音と共に、令が勢いよく鉄扉を持ち上げた。


 襲撃者の表情に相変わらず変化はなかったが、その足を一歩下げたのは、まるで動揺しているかのようであった。


「オオォッラァ!」


 令は鉄扉を持ち上げるだけに留まらず、その巨大な鉄の塊を襲撃者に向けて投げつけた。


 至近距離でその一撃を受けた襲撃者は、入り口近くにまでもんどり打ってはね飛ばされた。


 両者の間に落ちる鉄扉。三度の轟音と共に砂埃が舞い上がった。


 砂埃の向こうを見据える令。地面と擦った服の前面が破れているが、彼自身の体には何の傷も無かった。露わになった彼の胸元には、黒い文字のような痣があった。


粉塵の向こうで、襲撃者が何事もなかったかのように立ち上がるのが見えた。


襲撃者は令に顔を向けた。そしてそのまま立ち止まっている。そこは令が勢いよく扉を閉めたときにいた場所。襲撃者自身の腕が落ちている場所であった。


地面に落ちている手がひとりでに動きだした。手は襲撃者の足にまとわりつくと彼の中に吸収された。すると間もなく彼の破断した腕がボコボコと盛り上がって元の手が現れた。


一部始終を見ていた令は唖然とするほかない。


「いやお前なんなんだ? さっきの不良どもの秘密兵器かなんかか?」


何をどう考えてそういう結論に至ったか不明だが、本気で令はそう思っているらしく好戦的な笑みを浮かべて相手に対峙していた。


明らかに超常的な相手なのだが、彼の中ではいつもの喧嘩の延長程度の認識でしかないようであった。


彼は結構なアホであった。


そしてそれ故の認識の甘さが祟りとなった。


相対する敵はゴーレム。


土くれより作り出された命令に忠実な人造人間。


ゴーレムが手を合わせる。すでに頭を覗いた全身が、先ほどの青黒いもや――深淵がすでに纏われている。


そして次の瞬間両腕が爆散した。しかし砕け散った腕は四散したわけではなく、その深淵を纏った土くれの全てが令に向かって殺到している。


令一点を狙わずに、回避すら許さないように令の周囲まで狙った広範囲攻撃。


回避は間に合わない。


令の体に弾丸のごとき速度の土くれが何発も当たった。瞬時に土くれが纏っていた深淵が彼の体へと広がって行く。


「うわっうわっ」


 慌てて手足を払うが、纏わり付いた深淵の全てを振り払うことは出来ず、やがて全身へと回った。


「あ・・・・・・が・・・・・・」


突然激しい倦怠感に襲われ、体が重くなる。そのまま眠り込みそうにすらなったのを何とか堪えるものの、それが精一杯。令は膝をつきそのまま動けなくなった。


ぼんやりとした頭でこれはヤバいと令は思う。


令に張り付いていた土くれが剥がれ、本体の元へひとりでに戻っていく。それが戻れば、再び腕が形成されるのだろうと、ぼんやりとした頭で令は思った。そして、自分はこれからどうされるのだろうか、とも。


このまま放置されるだろうか。それとも、とどめを刺されるか。どちらにせよ令は身じろぎすることもできない。このまま自分の運命をただ待つだけ。せいぜいゴーレムをただ視界に入れることしかできることは残されていない。しかし、それすらももう限界。のしかかる倦怠感に抗えず深い眠気とともに令の目蓋がおりていった。



窓ガラスがぶち破られたのはそのときだった。



甲高いガラスの破砕音が令の鼓膜を叩いた。


僅かに覚醒する令の意識。取り戻した気力で再び視線を上に向ける。


見れば、入り口とは反対側壁際に髪の短い少女が膝を折り曲げていた。


周囲には飛び散ったガラス片。彼女は工場の壁上部にある窓を突き破って来たのだと、遅まきながら令は理解した。


差し込む月明かりのを背に受ける少女。その髪はキラキラと月光を返すガラス片の輝きを受け、艶やかな美しさを放っていた。


少女はゴーレムと令に素早く視線を走らせたあと、左腕を横に伸ばした。そして次の瞬間、彼女の左手が赤く光を帯び出した。深淵と対照的に赤黒いそれは血のようであったが、しかし違う。彼女の左手が纏うそれは、血のように赤い炎だった。炎は腕にまで纏われていたようで、彼女の長袖を内側から食い破って這い出してくる。服の灰燼を漂わせ、炎は僅かの間に業火と成して少女の腕で燃えさかった。その熱さは離れた場所にいる令にも感じられた。


業火を纏ったまま、少女はゴーレムへと疾駆する。その速さたるや人の身にして飛んでいるかのようであった。令には少女が一瞬その場から消えたようにさえ見えた。


ゴーレムも彼女を敵だと判断したようだった。彼女に体を向けるが、しかしまだ腕の再生は終わっていない。


回避の為に後方へと飛び退ろうとするゴーレム。しかし、少女の方が遥かに速かった。ゴーレムが膝を曲げたその時にはもう、少女はゴーレムの目前にまで迫っていた。


少女とゴーレムの視線が一瞬交錯した。


深く暗い赤と青。互いに纏った対成すそれらが、大きく揺らめき空気へ溶ける。


少女の足は止まらない。さらに一歩前に踏み込むと、業火に包まれた手の平を猛烈な勢いでゴーレムに叩き込んだ。少女の手が土くれの頭部の半分ほどまでめり込み、火の粉とともに破片が飛び散る。


ゴーレムは上半身ごと大きく仰け反った。そのまま飛んでいきそうな勢いであったが、しかし少女はその頭をしっかりと掴んで離さない。


少女の腕に纏われていた業火は生き物のようにゴーレムへと這い回り、瞬時にゴーレムの頭を包み込んだ。首下では深淵と業炎がせめぎあい火の手はそこで押さえられているものの、猛り狂う炎に深淵は徐々に浸食されていく。一度押し負けた深淵は、決壊を許したかのごとく一気に炎へと呑まれ、ものの数秒のうちに少女の手の先には人の二倍はあろうかという火柱ができていた。


愚直にもゴーレムの元に戻ろうとする破片も容赦なく食らっていく炎。その灼熱にゴーレムの全身にヒビが入り、ピシッ、ピシッと鳴る細かく爆ぜるようなその音は、ゴーレムの悲鳴のようであった。強く握られている頭は脆く破片を飛ばし続けている。


少女が切るようにゴーレムから手を離した。直後に彼女の腕で燃えさかっていた炎は、嘘のように簡単に消え、そこには煤一つ付いていない白い肌だけが残った。


大きく後方に下がって、今一度少女はゴーレムを見据えた。


業火に焼かれる土人形は熱に砕け既に動ける状態ではなかった。火柱の中にある物は、ただの動かぬ土くれだった。


「・・・・・・」


一部始終を見ていた令。目の前で起きたのは超常的な光景であったが、しかし異常なまでの深い眠りの誘いに、彼は何も思うことが出来ない。


燃えさかる土くれの足が砕け、地に崩れるその直前。そこで令は意識を失った。


意識が失う直前に彼が見ていたものは、燃えさかる炎に照らされた少女の横顔と、そして、その頬を伝う一筋の涙だった。




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