咎負いのZERO

那西 崇那

プロローグ

プロローグ



 始まりはスタートラインに立ったときか、それともそこから一歩踏み出した瞬間なのか。


 始まりは零か一か。


 滝澤たきざわ 一乃ひとのの瞳には、とある建物内部の光景が映っていた。


 そこは尋常な場所ではない。広大な部屋に大量の本が天井から床まで収められている書庫。しかしその場所には、本以外にも大量にある物があった。


それは人の体や一部を模った人形。それが本と同じくらい部屋を埋め尽くしている。天井から吊されているものさえあった。


窓も無いこの部屋に入ってくる光は無く、部屋の奥から漏れてくる光が僅かにそれらを浮かび上がらせている。それが本物の人体の一部ではないと分かっていてもぞっとする光景だ。吊された手足の先も、光とは反対側の部屋の奥も闇に呑まれて先は見えない。


 漏れてくる光の方から話し声がした。そこは、隣の部屋へと続く扉。開け放たれているそこから何冊かの本を抱えた人影が出てきた。


「やはりお前では無理か」


 低いトーンの女性の声が広い空間に響く。声の主は開いた扉にもたれかかって、ため息とともに宙を仰いだ。


「出ていいぞづき。ご苦労だった」


 部屋の奥に向かって声をかけると、間もなく別の人影がその部屋から出てきた。扉にもたれる女性よりも一回りほど小さい少女であった。歳は一六、七歳ほどだが、肩口で切りそろえられたショートヘアや冷めたような瞳が、彼女の雰囲気をずっと大人びて見せていた。


 女が呟く。


咎負とがおい。人の身にして人ならざる力を負わされた者達・・・・・・。その罰がここまで深いとは。恐れ入ったよ。やはり予定通り別の咎負いでやるしかないな。二人・・・・・・場合によっては一人」


 そう言いながら、女は壁の本棚に向かって歩いて行く。本棚にもたれかかっている人形を足で押しのけ、その背後にある本棚へと本を返していく。数冊戻すと同様に別の場所へと返しに行く。


 羽月と呼ばれた少女が口を開いた。


「咎負いを二人も?」


「ああ。まあ、難しいよな。最近は特にいろんなやつらが咎負いを狙いはじめたしな。半年前に咎負いおまえたちが現れてから、世界のパワーバランスはめちゃくちゃさ」


「・・・・・・」


「だが、幸運だぞ。少し前に探査に反応があった。しかも二人。一つの町に二人の咎負いがいる。ここに行かない手は無い。――近々ほとぼりが冷め次第その町に行くぞ」


 最後の言葉には真剣味が込められていた。


「わかった」


 短く答えた羽月の声に淀みはなかった。


 本を全て返し終えた女は「よしっ」と頷いたあと、腰に手をあてて羽月へと振り返った。


「羽月。ついでに腕のメンテナンスもしてやるよ。おいで」


 部屋へと入る女に続いて、再び頷いた羽月も部屋へと入っていく。


 扉が閉じた音だけを残して、書庫には誰もいなくなった。


 一部始終観ていた一乃は閉じた扉へと視点を移す。


 まだ得るべき情報がある。


 扉の先へ意識を集中させ、その中へと視点を移動させようとした。


 だがそれが間違いだった。


 バチッという音と共に脳内に直接電流が流されたような激痛が一乃を襲った。視界には部屋の様子どころか何も映っておらず、ただ真っ黒に塗りつぶされた闇が目の前に広がっていた。


「おっと、侵入者か」


 暗闇の中に女の声だけが響く。


 結界に触れたのだと思った時にはもう遅い。


 直ちにこの場所から意識を離し、繋がりを絶とうとする。一乃の体はこの場所から遙か遠くにある。彼女はその場所からこの場所の出来事を傍観していたのだ。


 しかし叶わない。


 一乃の視界は強制的に繋げられ、離れることが出来ない。どうあがこうと左目だけが暗闇に呑まれたまま何も見えない。そして、脳に走っていた電流が熱へと変わっていき、左目を中心に耐えがたい熱さが全身に広がっていく。その熱さたるや左目から灼熱の鉛を流し込まれているかのようであった。


「ぐ、うぅ・・・・・・ああぁ!」


「どこの回し者か知らないが、調子に乗りすぎたな。術士が自分の工房の結界をより強固にするのは当然だろう?」


 声だけが響く。だが、わかる。彼女が近づいて来ているのが。


聞こえないはずの足音が一乃の耳に響き渡っていた。


 それは死の足音と同義だ。


 とどめを刺される。


灼熱が全身にまわって死ぬ前にこの魔女に殺される。


 必死にもがく一乃。しかし、のたうち回る体は向こうに無い。


いくら体を動かそうと相手の場所とつながっているのは左目だけなのだ。物理的に干渉できないのは双方同じ。しかし、強制的につながれたその左目に干渉するすべが一乃には無い。


 体が熱に蝕まれていく。もはや脳は溶けてしまったのではないか。


 失う恐怖。死の恐怖。


 足音が止まる。


 一乃が息を呑む。そのときのたうち回っていた一乃の手に一本のペンが握られていた。


「死ね」


 躊躇いはなかった。


―――――――――――双方ともに。


空を切って振り下ろされる死神の鎌と一本のペン。


「ぎあああああああああぁぁっ!」


 一乃の体が激しく強張った。


 その声はまさしく断末魔。


しかし、その声の主はその後も息をし続けていた。


消えた左目の光景と現実に引き戻された意識。


自分自身の声と消えた左目の視界が、自身がまだ生きていることを一乃に最初に伝えてくれた。


「ぐぅ・・・・・・がぅっ」


 一乃は激痛に憔悴した体で、左目を貫いたペンを抜き放った。


 そう、彼女は左目を潰すことで無理矢理左目の繋がりを絶ち切ったのだ。


 左目に襲い来る激痛と、こぼれ落ちる血液。


 急いで目を押さえるもそれでも血涙は止まらない。


「ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・」


 あまりの激痛に体は硬くなり震えも止まらない。今殺されそうになったことも震えを助長させているだろう。口元や喉まで震えて、荒い呼吸がなかなか収まらない。


 転がるペンは血にまみれ、カーペットに赤いシミを広げている。


 一乃の部屋は普通の畳六畳ほどの洋室だった。フローリングの上に敷かれたカーペット。白い壁に一つ付いている大きな窓。そこからは大通りから漏れてくる車の行き交う音が微かに聞こえている。


 だが、部屋にあるものは普通では無い。床に散乱している大量の本や壁に貼られている奇妙な図。棚に置かれている物は得体の知れない液体や奇妙な形をした骨など、およそ女子高生の部屋に置いてあるはずのものではない。


 震え収まらぬ口で大きく息を吸って吐いた。呼吸のたびに左目が痛む。


 押さえる左目からは未だ血か溢れている。『失明』という言葉が一乃に重くのしかかった。無意識に左目を押さえる手に力が入ってしまい、走った痛みに小さく呻いた。


立とうと足に力を入れたが、震えと憔悴が邪魔をして、すぐに膝をついてしまう。


カーペットに血がこぼれ落ちる。


一乃はそのまま顔を上げ、窓から覗く月を見上げた。


彼女の頭に、先ほどの魔女達の会話が流れていた。


咎負いが一つの町に二人いる。


そこに彼らが来ると。


この町のことだ。


この町に、あの二人が来る。


月に二人の顔を浮かべる。魔女の顔を思い浮かべたとき一乃の目の傷が鋭く疼いた。既に体が恐怖を覚えている。


だが、一乃は目をそらさなかった。彼女の残った右目は、決して下を向かなかった。その目には左目の分まで強く灯る炎があった。


そしてこの日、彼女は決断した。


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