沼侍

アリエッティ

 腰砕け候

 廃刀令

 刀を持たずに生きろと言われた侍達は正式にそれが発令されるまで、ただの棒切れとなった魂を腰にぶら下げのらりくらりと生きるようになった。

 武士など最早死語になる。魂は後に、野菜を切る程のいい包丁にでも変わっていくのだろうか。


「この国も、変わっちまったなぁ..」

汚い髭面で酒をかっ喰らう路上の男、絶望は今に始まった事ではないがより一層深まり捻くれを見せている。

「今更言ったって変わるかよ?

街を見てみろ、そこかしこの侍は最早鍛錬をやめたぬるま湯侍だ。」

「けっ..くだらねぇ」

 色々な時代を見てきたつもりだが、いつの世も腐り切っていたのは揺るがない。そこに刀があるかないか、結局はその程度の変化に過ぎないのだ。

「お前の〝ツレ〟はどうなんだ

下手すりゃ事を成すかもしれんぜ?」


「ばぁ〜か。

何が出来るってんだ、あいつはぬるま湯どころじゃねぇ。努力もしねぇ、ずぶずぶの〝沼侍〟なんだからよ。」


浮世の波間も歩幅で変わる。

泳いで渡れば早かろし、歩いて渡れも先には進む。だが足先の水が沼ならば付けた途端に呑まれて沈む。もがけば付け込まれ、地から足は遠ざかる。


「どぶろく一杯、飯五杯♪

肴は刺身か沢庵か?

釣った萎びたイカで候、質素で故に」

街に下手くそな歌が響いたとき町人は皆耳を塞いで文句を垂れる。

「やつが来た」「酒を隠せ、飯もだ」

陽の光の元でも関係なく店の錠を閉め嫌われ者の闊歩する道を只々忌み嫌った視線で追いかけてはため息を吐く。

「にしても平和だなぁ..。

ま、刀振り回すよかマシだわな」

彼が安堵してるのは、廃刀令による武士の削減などではなく面倒な剣の鍛錬が無くなることで生まれた自由という時間の事だ。


「腹減ったな

山に猪でも狩りにいくか。」

「待て」「あん、なんだよ?」

恵みを受ける事は無いと理解しながら山に登っては野性を食らっていたがそれを良く思わないものもいたようだ。

「お前か、山を荒らしているっていうなまくらは」

「なまくらぁ?

似たようなもんだろ、国中探してもやる気の削がれた奴等ばっかだ。俺だけの噺じゃあねぇよ。」

「ゴタゴタ言ってんじゃねぇ!

山を荒らしてるのはてめぇかって聞いてんだわからねぇかなまくらぁ!」


「いつからてめぇの山になった?」

「あぁ?

ずっと昔から俺達の寝床よ!」

 大きな啖呵が街に響く。久々の喧嘩だと胸を昂らせる者もいた。錠を閉め警戒心を形にした建物から視線だけを覗かせて、始まるであろう戦を密かに心待ちにしていた。


だがこの男、沼の侍で候。

戦事にはあぐらをかいて逃げ腰が主軸

「わり!

だったら山からは手を引くぜ、今度は川で釣りでもしてみっかね。だはは」

「...おい、戦わねぇのか

俺はお前に喧嘩を売ったんだぞ?」

「堪忍しろよ、そんなもん買う金なんざねぇんだよ。それよりお前釣竿持ってねぇのか、太くて丈夫なやつ。」

「...ふざけてんじゃねぇぞっ!」

「なんでだよ、謝りが足んねぇか?」

「舐め腐ってんなよ!?

ぶん殴ってボコボコにしてやる!」

 ガキ大将の如く声を上げたところで刀に手を掛ける事は無く、逃げの一手を賄う彼は拳は避けても手は上げず、刀の代わりに振り上げたのはそこらの百姓の使っていたくわである。

勿論突き立てるのは土の上、元来眼中には人の姿は有らず。


「..何してんだよ?」

「わからねぇのか、サボってんだよ。歳食った死に損ないは言うよな?

体を鍛えろだ努力を怠るなだうるせぇ事をよ。でもな、くだらねぇ時間を愉しんで好きな事をすりゃ見えてくるも

んもあったりするもんだ。」

何も無い土を掘り起こしても何かが顔を出す。砂利や石、大した事は無いが彼等にとっては初めて陽の光を拝むきっかけになった訳だ。そして皮肉な事に事象というものは、意図せず奇跡を呼んでくる。求める感情を無視して。


「...なんだ、その湯気?」

「土公がへそを曲げたようだぜ。

熱い涙を流してやがる、情けねぇな」

百姓は驚き腰を抜かしていた。

作物を刈り取る己のくわが、まさか温かい湯を沸き上げるとは。

「一緒に入らねぇか?」

「……。」「どうしたよ、盗賊」

「何が狙いだ?」

「..いや、湯が沸いてるから入れってんだ。鹿肉でもくれんのか?」

「....上質な物をくれてやる。」

この日からだろうか、侍は魂を家に置きくわを持ち歩くようになった。


「ふぅ..この国も変わっちまったな」

「お前のツレが変えたんだぜ?」

「バカ言うな、んな訳あるか。

こうなるってハナから決まってたんだよ、それが時代だ。国の変化だ。あいつはそんなタマじゃねぇ。」

「よくわからねぇが、ぬるま湯に浸かる奴はもういねぇな?」

「ま、そりゃ..そうだろうな。」

 国や世界の発展は何も、大きな力で生じるものではない。小さな事の、小さな衝動が勝手に押すものだ。逆に云えば、それ程に脆く崩れ去る下らないものなのだ。そうに違いない。


「...あ!

あいつに鹿肉貰ってねぇ!」

まぁ、沼はいつまでも沼のままだが。

                完

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沼侍 アリエッティ @56513

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