春のバラフォン

増田朋美

春のバラフォン

春のバラフォン

暖かく、もうすぐ春が来るんだなという事が誰にもわかりそうな日であった。何だか世間では、気温が上がりすぎてどうのこうのとか、そういう事をうわさしあっていたが、そんな事をいってもどうにもならないのが、平民というモノであった。政治家が悪いとかどうのこうのとか、一般庶民には、たどり着けない話を平気で話しているが、基本的に、そういう事は、誰にも変えることなど出来やしないのだから、そんなことを言っても、意味なんてないのである。でも、そんな事など気にもしないで、彼らは、そういう事をぶつぶつ言いながら、日常生活を続けているのであった。

「へえ、こんな立派なマンションを借りることができたんだねエ。」

杉三は、新しい部屋をぐるっと見渡した。

「ああ、杉ちゃん。ようこそいらっしゃいました。理事長さん迄、来ていただいて、ありがとうございます。」

キュイが、ジョチさんの紹介で、新しいマンションを借りたというので、杉ちゃんが、部屋を見にやってきたのである。マッチ箱を五つ重ねたような形の、五階建てのマンションで、キュイは、その最上階にいある、部屋を借りる事ができたのだ。

「まあ、立派なマンション何て言うほどではないんですけどね。ただ、音を出していいマンションと言いうと、ここしかなかったんです。」

キュイが、そう言ったので、笑い話になってしまったが、確かに、防音加工のあるマンションは、富士には、なかなか少ないという事は確かだった。

「特に、バラフォンを置きたいというと、バラフォンとは何でしょうかと、不動産屋の方に、言われてしまって、説明するのに、すごく時間がかかりましてね。まあ結局、写真を見せてわかってもらったんですけど、不動産屋さん、理解に困っていたようでした。」

キュイは、そういって、ジョチさんを、今のテーブルの前に座らせた。

「本当に、ありがとうございました。こんな立派なマンション、借りることができて、本当に大助かりです。前に住んでいたマンションは、もうボロボロで、お教室を開くのも、まるでできなくて。」

「いいえ、大丈夫です。マンションを借りる手伝いをするの何て、簡単なことですよ。」

「へへん、そんな事、お茶の子さいさいか?」

ジョチさんがそういうと、杉ちゃんが、そう口をはさんだ。

「最近のアパートは、なかなか条件がうるさくなっていますから、借りるのになかなか難しいのですけどね、お茶の子さいさいとは言えませんでしたけど。」

「でも、とにかくよかったじゃないですか。これで、バラフォン教室をやるという、場所は確保できたわけですから。」

ジョチさんは、にこやかに言った。

「へえ、バラフォン教室やるの?」

杉ちゃんが口をはさんだ。

「ええ、それしか、生活する手段もありませんし。大して、学歴があるわけでも無いので、バラフォンで何とかやっていくしかないんですよ。日本には芸は身を助けるということわざがあるそうですが、本当何ですね。ガオでは、単に祈りの儀式とかで使う、道具に過ぎなかったんですけど、それが独奏楽器になってしまうとは。」

と、キュイは、ふっとため息をつく。

「まあな。うまくなければ、だめだけどな。」

「まあでも、あれだけのパフォーマンスができれば、バラフォンで何とかできると思います。生徒さんを集めるのは、大変だと思うけど、頑張ってください。お手伝いできることがあれば、僕たちは、何でもしますから。頑張って、バラフォン教室、やってくださいね。」

ジョチさんは、キュイの肩をポンと叩いた。

「ええ、ありがとうございます。応援に答えられるように頑張ろうと思います。」

「くれぐれも、瘧熱には気を付けろよな。」

杉三が、にこやかに笑った。

「でも、このマンションは、富裕層ばっかりで、一寸私には、似合いませんね。」

と、キュイはちょっと苦笑いした。

「いやあ、これから、富裕層と一緒に暮らしていけばいいのさ。富裕層じゃなくちゃ、バラフォンという楽器には興味持たないよ。着物と一緒でさ、気軽に楽しめるものは、気軽に楽しめるように工夫しなきゃダメだ。」

杉ちゃんも、にこやかに、そういうことを言った。キュイはちょっと不安になったような顔をしていたが、まあ、とりあえず、演奏動画をアップするとか、そういうことをやっていきましょう、と、ジョチさんは、笑ってそういう事を言っていた。

「じゃあ、これから、キュイ音楽教室の、ホームページを作っていきましょう。ホームページのデザイン等は、無料サイトである程度用意されてありますから、こちらであまり気に病む必要はありません。そして、公民館にチラシも作って配布するとか、スーパーマーケットにチラシを置かせてもらうとか、そういうことをして、宣伝していけばある程度集客は見込めるんじゃないでしょうかね。気軽に来られるバラフォン教室を演出するため、部屋の内装にも、高価なものは置かないほうがいいですね。アフリカの、面白い楽器で、癒しの音色であるという事も、アピールして。」

ジョチさんは、そういうところで、商売人の顔になった。

「はい、ありがとうございます。パソコンというモノを使ったことがなかったので、まだ慣れていませんが、宜しくお願いします。本当のところ、このマンションのガスや水道を使うのも慣れていないんですよ。電車だって、やっと、切符を買って、乗れるようになったばかりだし。バスの運賃を払うのだって、まだまだできないんですよ。」

キュイがそういうことを言うので、杉ちゃんは、思わず笑ってしまったが、確かにその通りなのであった。キュイの住んでいた国家では、ガスも水道も何もないのだから。エアコンもなければ、扇風機もないし、電車もバスもなかったのだ。そういうところから来たのであるから。

「笑わないでくださいよ、杉ちゃん。世界には、電車もバスもない国家なんて、まだまだいくらでもあるんですから。」

と、ジョチさんは、そう杉ちゃんを窘めたが、確かに実はその通りなのであった。アフリカのあたりに行けば、そういう国家なんていくらでもあるのだ。

「さて、それより、ホームページのデザインや、チラシの文面を作るために、パソコンに早く慣れてもらわなければ。」

そう言って、ジョチさんは、ノートパソコンを出した。キュイは、まだ慣れない手つきで、一生懸命パソコンのキーを打ち始めた。

それから数日後。キュイが、杉ちゃんの家を訪ねてきた。タクシーにお金を払うというシステムも、やっと慣れてきたと彼は言った。

「一体どうしたのさ。こんな時に。何かあったの?」

と、杉ちゃんが、そう言って、とりあえず彼を部屋の中に入れる。

「いいえ、一寸困ったことがおきまして。」

キュイは、そういって、杉ちゃんと一緒に、部屋に入った。杉ちゃんが、部屋の電気をつけたり、お茶を出してやるために、お湯を沸かしたりするのを、キュイはまだちょっと驚いてしまうようだった。

「今日の、バラフォン教室の売り上げはどうだ?」

と、杉ちゃんがキュイに聞くと、

「ええ、幸い、お隣の部屋の奥さんが来てくださって、ほんの少しですけれども、生徒さんが来てくれるようになりました。」

と、キュイは答えた。杉ちゃんが、彼の前に、お茶を置くと、キュイはちょっと、おどろいて、お茶というモノを見つめた。

「ま、確かにじかに火であぶった様には見えないから、お前さんは驚くな。まあ、中身は普通のお茶だよう。」

杉ちゃんにそういわれて、キュイは、お茶をしぶしぶとすすった。

「で、今日はどうしたんだ?」

「ええ。あのマンションの中で、一寸、困ったことというか、もめていることがありまして。」

キュイは、もう一回、お茶をすすった。

「ええ、実は、マンションで、ちょっとした序列のようなものがあるんだなと思いまして。あのマンションに住んでいる人たち、なんだか仲のよさそうに見えるけど、なにか違うんだなというような気がするのです。」

「ああ、そんなもんは、日本人社会にはよくある事だ。君のような人にはわからないかもしれないが、そういうこともあるのよ。」

「そうなんでしょうか。」

「ええ、そういうこっちゃ、日本ではそうなっちゃうの。お前さんたちの住んでた所みたいに、毎日の食べ物に、不自由するようなところとはわけが違うのよ。まあ、マンションの事はしょうがないんだけどね。日本は、何でも順位をつけちゃうようなところだから。」

と、杉三はカラカラと笑った。

「そうですか。そういうことは、日本特有の事としてあきらめるしかないんだな。そういうことは、ある意味なれだよ。なれって言うのも大切だ。」

「そうですか。僕も、そうしなければなりませんね。」

キュイは、一寸がっかりした顔で、にこやかに言った。そういう、日本について批判的に取らないことが、キュイのいいところだろう。

丁度、このとき、インターフォンがなった。

「おーい杉ちゃん、ここにさ、なんとかという外国人が、来てないかなあ?」

声がしたのは、華岡だった。

「誰の事?」

杉ちゃんが言うと、華岡は、にこやかに言って部屋の中にはいってきた。

「お、いたぞいたぞ。今、大事な事件が起きたので、マンションの住人全員に聞き込みをしているんだけどね。」

と、華岡は、キュイを見てちょっと驚いた顔をしている。

「あれれ?アフリカから来たというから、、、?」

「ああ、アルビノ何だって。黒いはずなのに、白いという。」

と、杉ちゃんが説明すると、彼は恥ずかしそうに頷いた。

「恥ずかしがらなくたっていいんだよ。ここでは、それをバカにするやつはいないから。」

「まあいい、それよりも、あのマンションの住人である、実藤明子さんという人が、マンションから転落死体で見つかった。それで、実藤さんについて、マンションの住民に話を伺っているんだが。」

と、華岡は担当直入に言った。こういう事件について、すぐ口にしてしまうのも、華岡らしかった。

「実藤明子さんと言えば、僕のバラフォン教室に来てくれている方ですが?」

と、キュイが言うと、

「その、実藤さんは、どんな生徒だったんだろうか?」

と、華岡はすぐに手帳を出して、そういうのである。

「ええ、確かにできの悪い方ではありましたが、一生懸命バラフォンと親しんでいるような感じの方でした。決して、悪い人だとは、思いませんでした。」

「ああ、そうですか。何か、周りの人とトラブルがあったとか、そういうことはありませんでしたかね?」

と、華岡はもう一回聞く。

「ええ、トラブルというか、あのマンションに住んでいる人たちは、なにか、順位があるみたいで、実藤さんと言う人は、いつも下位に居るような感じでした。でも、それが、実藤さんが死亡する理由になるんでしょうかね。」

「嫌、あり得るな。」

キュイと、華岡がそう言い合っていると、杉ちゃんがそう口をはさんだ。

「どういう事ですか?」

「だって日本は、毎日食べ物に不自由しているようなところではないから、そういう風に、些細なことが気になってしまうことだってあるんだよ。」

杉ちゃんが腕組をして、そういうことを言った。

「まあ、確かにそうだけどなあ。それで、マンションから飛び降りちゃうことを、するかなあ?」

「今の時代だったら、十分あり得ることだぜ。」

華岡の発言に、杉ちゃんは、そういうことを言った。

「でも、そういう風に、極端なことをしちゃうのが、今の日本社会ってわけ。本当に些細なことで、今は、命を落としちゃう事はちゃんとあるの!」

と、そこへ華岡のスマートフォンが鳴った。

「ハイハイもしもし、華岡です。え?本当か?じゃ、じゃあ、奇跡的に助かったの!俺、もうだめかと思った。いやあ、びっくりしたなあ。ハイハイ。じゃあ、彼女に会って話ができるという事だな。よし、すぐに、病院に行くよ。」

と、華岡は、電話を切った。

「どうしたんだよ、華岡さん。」

「ああ、あの、実藤明子さん、転落死したのかと思ったら、まだ息があったそうだ。今、蘇生ができて、意識を取り戻したそうだよ。これから、彼女の事情聴取を始める。」

と華岡は、急いで鞄の中にスマートフォンをしまった。

「ちょっと待ってください。」

キュイが、ふいに華岡にそういうことを言う。

「私も、話を聞いてもよろしいでしょうか。」

「え?だって素人が、そういうことをするのはちょっとな、、、。」

「そうなんですけど、どうしても放っておけないんです。とりあえず、私も、彼女と、バラフォンのレッスンで関わらせていただいたんですから。」

キュイは、心から心配しているという顔で、そういうことを言った。彼の顔を見ると、本当に真剣で、ガスも水道もないところからやってきた人物の顔だと思った。

「おう、それがいい。日本人同士では、こういう発言は、出来はしないよ。それよりも、ガスも水道もないところから、真剣に生きている奴に、シッカリ叱ってもらう。これしか、効果的な方法もないと思うよ。」

杉ちゃんまで、そういうことを言い出すので、華岡は困ってしまったが、

「よし、わかったよ。君に、一役買ってもらおう。俺は、こないだの事件で、どんな人の意見でも大切にしようと思い至った。じゃあ、一緒に来てくれるか。」

と言った。華岡は、先日、小久保さんと一緒にやってきた、吃音の女性たちの話が、まだ頭に残っていたのである。

「それでは、何とかさんだっけ。一緒に来てもらおう。」

と、キュイと杉ちゃんを一緒に連れて、呼び出した覆面パトカーに乗って、実藤明子という人が、収監されている、病院に行った。

三人は、病院にはいると、看護師に付き添われて、実藤明子という人が、入院している部屋に行く。

「実藤明子さんですね。俺たちは、富士警察署の華岡と言います。そしてこの人は誰だか分るでしょう。あなたが通っている何とかという楽器の先生ですよ。そして、こっちは。」

華岡がそう紹介すると、

「僕はキュイの親友で名前を影山杉三。綽名を杉ちゃんだ。杉ちゃんと呼んでくれ、杉ちゃんと。」

と、杉ちゃんがそう自己紹介をした。

「では、理由を伺います。なぜ、マンションから飛び降りたりしたんでしょうか?何か、マンションで不利なことでもありましたでしょうか?」

華岡が、警察の人間らしくそういうことを言った。

「ええ、あのマンションの隣の部屋に住んでいる人たちに、」

と、彼女は、ちょっと涙ぐんでそういう事を言った。

「はあ、ずいぶん、ひどいことを言われていたとか、そういう事ですかな?」

「ええ、あのマンションでは、自治会長の言う通りにしないと、生活できないんですよ。」

「自治会長?」

「ええ、自治会長が、あたしの事をだめな奴と言って、ごみを捨てて来いとか、自治会の寄り合いで、無理やりお茶を入れさせるとか、そういうことを、させるから。ほかのマンションに住んでいる人も、自治会長と一緒になって、そういうことをさせるものですから、、、。それで、一気に、生活がつらくなりまして、もう、ここにいるのも嫌だと思う様になりまして。でも、ほかのマンションに行くこともできませんから、もう、どうしようも無くて、飛び降りたんですよ。」

全く、世の中という物は不条理なものだ。折角マンションに引っ越してきて、楽しい暮らしを始めたいと思った矢先、こういう風に、されてしまうのだから、それは確かに、嫌な気持ちになる事だろう。

「それでは、誰かに相談するとか他の、ご家族とかそういう人に相談することは、出来なかったんでしょうか?今は、公的な機関もたくさんありますし、どうして、そうすることはできなかったんでしょうかな?」

と、華岡が一般的に流布している答えを言ってみたのであるが、

「其れは無理でしょう。彼女は、そういう事があれば、すでにそうしているでしょう。それができやしないから、飛び降りたんですよ。」

と、キュイが、華岡さんに言った。

「そうだけど、人間誰でも、苦しんでいれば、すぐに誰かに相談したり、どこかに訴えたりすることはできるはずだよ。それが、出来るから、人間生きていけるのではないかな?」

と、華岡が言うと、キュイはこういう事を言った。

「いいえ、そんな事ありません。周りの全部がそうなってしまいますと、誰かに訴えようとか、そういうこともできなくなるんですよ。私も、そうでしたから。ガオでは戦闘が続いていて、周りのすべてが、戦闘モードだったんで、逃げようという気にはなりませんでした。私が、逃げようと思ったのは、バラフォンまで、没収されてしまうと、政府から、命令が出たからです。武器を製造するため、バラフォンを、軍部に出せと言われて、それだけはどうしても、できやしないから、私は、ガオから逃げることにしたんですよ。」

「つまり、よっぽどのことが無ければ、人間、逃げようという気にはならないという事だ。例えば、大きな災害が起きたりしなければ、逃げようという気持ちは、起こらないの!」

杉ちゃんも、そういうことを言った。華岡も、そうだよそうだよ、という顔をした。

「俺も、もうちょっとしっかりしないとだめだなあ。人生は、いろんな選択肢がある。人生は一度だけ。それをもうちょっと考えなおして貰わないと、こういう事になってしまう訳だねエ、、、。」

「だからさあ、命まで投げ出すことは、ないってことだよ。そうなる前に、何とかしようとするというのもまた人間なんじゃないの。」

と、杉ちゃんが、すぐに言った。

「もし、そういう事ができないんだったら。」

と、キュイが、そっと、彼女に言う。

「よかったらの話ですけど、私のバラフォン教室、逃げ場だと思ってくれて結構ですよ。音楽するときは、誰でも、みんな同じ人間ですからね。みんな同じように、誰でも悩んで生きているわけですもの。誰だって、悩んでいることはありますもの。」

キュイと、実藤さんがそう話している間に、杉ちゃんは、ぼんやりとしたまま、

「誰でも、悩んでいることがあって、逃げ場がある身分だったら、どんなにいいだろうかな。」

と、ぼんやりと、天井を見つめて溜息をついたのであった。

窓の外に、薄いピンクの花が咲いていた。桜の花だった。綺麗な桜の花が、咲いていたのであった。

「ああ、春のバラフォンかあ。」

と、杉三は、にこやかに笑った。





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春のバラフォン 増田朋美 @masubuchi4996

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