その絵、最低。
兎舞
授業も終わって、夕刻と呼ぶにはまだ早い時間。
莉子は一人、部室で絵を描いていた。
テレピン油くさい部屋は、今では部員もあまり長時間居座らない。
だがむしろ好都合だ。
この匂いは好きだし、一人の時間はもっと好きだ。
書きかけの絵を少し眺めて、休憩しようと立ち上がった。
そこへ。
ガラッ。
誰も来ないはずの部室の扉が開いた。
「おー。休憩させろ。」
横柄な発言の主は、いつものあいつだった。
◇◆◇
生徒会長なんて、やるもんじゃない。
大学推薦に少しでも使えるかと思ったが、なってみて1ヶ月で後悔している。
副会長以下は呼ばなきゃ来ないし、教師も生徒も、雑用係と勘違いしているのかあれこれ言いつけたり苦情を訴えてくる。
理は休み時間も放課後も走り回って、心身疲れ果てて、とうとう生徒会室から抜け出した。
そして、莉子がいるはずの、この部屋へたどり着いた。
理の、一番の、そして唯一のオアシスへ。
◇◆◇
入ってきて早々「休憩させろ」って・・・。
「理・・・。ここは美術部の部室です。あんたの休憩室じゃない。休むなら家か生徒会室へ帰れ!」
絵筆を振り上げてビシっと言い返したつもりだが、理は全く聞いちゃいなかった。
「あ~~・・・。もう疲れた。辞めてぇ」
「何を?」
「生徒会長。」
「・・・あんだけ張り切って立候補の演説したくせに。もう飽きたの?」
「飽きたんじゃねぇよ。疲れたんだよ・・・。なんなんだよ皆、俺は奴隷じゃねーっつの。」
ええカッコしいの理だが、私の前ではいつもこうだ。
弱音、悪態つきまくり。
この姿を知っている私は、こんな奴に生徒会長なんか勤まるわけないと分かっていたから、他の人に投票した。無駄だったけど。
「じゃ帰りなさいよ。もう放課後なんだし。もう一度言うけどここは部室!あんたの休憩室じゃないから!」
「お前がいるところが俺の休憩室なんだよ。」
「は?意味わかんないんだけど・・・」
だから帰れと三度目の罵声を浴びせようとしたとき。
絵筆を持っていないほうの腕を引っ張られた。
不意を衝かれたので抵抗できず、そのまま理の横に座り込む。
「三度目だ。休憩させろ。」
と言って。
私の膝の上に頭を乗せた。
◇◆◇
疲れ果てたとき、会いたいのはたった一人。
考えるまでもなく、足は美術部室へ向かっていた。
いつも一人で絵を描くのが好きな莉子は、急用がない限り放課後は部室にいる。
時間を忘れて絵を描き続け、気がつけば真っ暗な夜道を一人で帰る。
たまたまそれを見かけたとき、俺のほうが恐怖に襲われた。
なんかあったらどうするんだよ?!
それもあって、帰宅部だった俺は生徒会長になった。
内申も、周囲からの評価もどうでもいい。
生徒会の仕事をしていれば、莉子と同じ時間に帰ることが出来る。
そうすれば、莉子を守れる。
そう思ったから。
だが莉子は当然そんな理由は知らない。
それどころか。
この部屋に入って、猛烈に俺は気分が悪くなった。
莉子が描いている絵のせいで。
◇◆◇
疲れてるのは分かるけど、なんか怒ってる?
普段より強引な振る舞いに、疑問を感じた。
私には常に身勝手な理だが、こちらへの気遣いを忘れることはない。
私が絵を描くことが大好きなことは理がよく知っているはずなのに、こんな風に邪魔をするなんて。
「なんか、あった?」
膝の上で目を瞑っている理に問いかける。
「なんもねーよ。」
嘘付け。声がイラついてるの分かるのよ。
「言いたくないならいいけど・・・。でもあんたがそこにいると絵が描けないんだけど?」
「描かなきゃいいじゃん。」
「描きたいの!ていうかそのためにここにいるのに。」
膝の上の理を無視して絵筆を握り直したら、
「やめろよ!」
本気で怒っている理の怒鳴り声が響いた。
びっくりしてフリーズしていたら、絵筆を取上げられた。
「描くなっつってんだよ、そんな絵。」
◇◆◇
思わず莉子に怒鳴ってしまった。
びっくりして固まっている。そりゃそうだろう、こいつに怒鳴ったのなんて、長い付き合いの中でも初めてだ。
でも、我慢できなかった。
莉子が描いているのは、兄貴。
今の俺たちと同じ年に時間を止めてしまった、今はいない兄貴。
この上なく幸せそうに微笑んでいる兄貴の絵を、大事そうに、丁寧に描く莉子の姿を、見ていることは出来なかった。
そんな風に描くな。
兄貴はそんな風に優しく微笑む人じゃなかったはずだ。
俺以外の男を、思いながら絵を描くな。
お前が心に思い描いていいのは、俺だけなんだぞ。
って、言えたらいいんだけどな。
それは無理だし、謝るのも癪だし、かといってフリーズした莉子を放置することも出来ない。
俺も苦肉の策に出た。
◇◆◇
放課後には使用者は一人しかいないはずの美術部室。
揺れるカーテンの影に、二人分の影が重なった。
その絵、最低。 兎舞 @frauwest
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