スライム⑧

「結論から申しますとね、どこで採取したか知りませんが普通の水でしたよ」

 そう話すのは、王宮の研究室で主任を務めるカランポーだった。齢五十前半妻子持ち、反抗期の娘を持つ子煩悩である。カランポーの分野は動物学である。そのため水質検査というものは専門外であったが、特別検査方法を知らないわけではないのと、多くの研究分野を包括して主任を務めていること、そしてなによりグレースという雇い主の娘で皇女からの頼みであれば、断ることなどできなかった。

「なるほど、やはりそうかカランポー博士」

「やはり、とは? 本当にこれ何処で採取したんですか」

「まあ、その、そうだな。森だ」

「ああ、スライム狩りに行ってましたね。そこで、そこの青年に会ったとか」

「あ、どうも。アツシです」

「はじめまして、カランポーと申します。しかし、グレース皇女がわざわざ、水質検査を頼みに来たときは驚きましたよ。科学の分野に興味をお持ちとは思ってませんでしたから……」

「あっいや、今も別に、科学は……」

 端から見れば父と子の会話のように聞こえるグレースとカランポーのやり取りからは、グレースが意外にも科学分野は苦手であることを感じさせた。

 グレースは込み入った話があるといい、主任室まで移動することになった。アツシの専属となったジュリアは研究室前で待機しているため、主任室にはカランポー含め三名だけである。

「それでグレース皇女、話とは」

「ああ。先ほどの液体の件なんだが。実はアツシに頼まれて調べてもらったんだ」

「そこの青年にですか。それはまた何故……」

「……正直に話そうカランポーさん。その液体は、スライムの体内から採取したものなんだ」

「……え」

 みるみるうちにカランポーの表情は青ざめていくのをアツシは見た。それは赤いリトマス試験紙がアルカリ性の液体に触れて変色していくような感覚だった。青ざめる、というよりもはや真っ白な顔となったカランポーは、震え声で訊ねる。

「ま、ままま、魔物の体液!?」

「騙す形で調べさせてしまい申し訳ないだが訳があってだな……」

「そんな! 魔物は身から血から全てが魔の物、触れるべからずの禁忌であることは、グレース皇女もよく御存じでしょう!?」

「ああ、分かっている。彼、アツシにも話してある」

 カランポーの焦燥っぷりから、如何にこれまで魔物の生態調査が行われてこなかったが顕著に出ていた。いわば一つの宗教的な禁忌に近いものだった可能性がある。誰がいつ、生物と魔物を定義して分けたかはアツシには知らない。だが、そういった定義が生まれて以降、生物は良くて魔物は駄目、という感覚はいつしか全世界の共通認識となり、誰も手を触れたがらなかったのだ。それが今日までにおける、スライムというクラゲに近いと思しき生物の実態が不鮮明であった所以であるとアツシは察した。

「ごめんなさいカランポーさん。その、頼んだのは僕なんです」

「せ、青年……君が?」

「込み入った話というのは、この青年、アツシも関わるんだ」

 グレースはアツシと会ってからここまでのことをカランポーにすべて打ち明けた。これはアツシとも了承済みのことだった。

 アツシの境遇については、さすがのカランポーも荒唐無稽だと感じたが、クラゲなる生物とスライムが似ているという話と、シースライムが網を溶かす話の説明は、一研究者としては非常に興味を惹かれるものだった。理に適っていたのだ。網目が塞がれることで抵抗力が増え破裂する話は、物理学の観点からも否定できないものだった。カランポーがアツシの主張に興味を持つのは当然の成り行きだっただろう。

「つまり、我々がスライムだとして忌み嫌っていた存在は、そこの青年……いや、アツシさんの元いた世界でいうクラゲだとすれば……。なるほど、確かに私の分野に他ありませんな」

「カランポー博士。正直このようなことに貴方ほどの人を巻き込むことは、私としても申し訳ないと思います。しかし、この国の民の為に……、私やアツシと共にどうか、魔物という生物の調査に協力していただけないだろうか」

「主任という立場上……個人の知的好奇心の為だなんてとても言えませんので……、グレース皇女に頼まれたら断れない……と、いうことにして頂けますかな?」

「まったく、カランポー博士は人が悪い」

「それで、実際問題なにをするんです」

「これまで魔物とされてきたものを生物として調査し、人畜被害の対策ができるようにしたいんだ」

「なるほど。であれば、魔物への対策を主とする調査、ということにして行えば、多少なり国民からの反感も少なく済むかもしれませんね」

 カランポー博士とグレースによって、魔物調査の具体的なビジョンが定まってくる。話に加わりたいのと、自分がこの調査を通してやりたいと思っていることを、アツシは間を縫って発言した。

「あ、あのそれとなんですが。もっと魔物への理解を深めるべきだと、僕は思うんです」

「確かに国民が魔物について前もって知っておくことも、対策するうえで必要かもしれないな……」

「アツシさん、それではどうやって、この国の皆さんに魔物について知ってもらえば良いと思いますか? 我々含め、国民は皆魔物を忌み嫌っていますから、率先して知ろうとなんて、奇特な人でないと思わないかもしれません」

「は、はい。なのでこう、気軽に知ることが可能な方法で、だんだんと広まっていく方が良いと思います。誰かが情報を得て、それが人から人へと伝播して……。だから……」

「だから……?」

「魔物に関する図鑑を、作りたいんです」

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