スライム⑥
アツシは再びグレースの馬に跨り、ある場所まで連れて行ってもらっていた。漁港での出来事以降、兜を外したグレースは一度もアツシに口を開かなかった。皇女様だと知らなかったわけだが、それでもアツシは位の高い人物に、これまで粗相を働いていたのではないかと気にしていた。
「あ、あの……」
アツシは思い切って話しかけた。
「すみませんでした、その、皇女様だとは露知らず……ご無礼を働いていたかもしれません」
「何故謝る」
「え。いやそれはその、目下の者が目上の者に敬意無く接してしまったことへの、せめてのお詫びと……」
「私はあの森で出会ったとき身分を明かさなかった。もし明かしていればお前は漁港で恥をかかずに済んだ。詫びをするのは私の方だ」
「いやいや! そんな滅相も……」
「アツシ。私はな、あまり皇女様と呼ばれたくないのだ」
「……え?」
「この国で生きるものとして、民と共に笑い、民と共に働き、民と共に過ごしたい。そこに身分の差こそあるかもしれないが、せめて、騎士団員としての私は、この国のグレース皇女ではなく、騎士団のグレースとして、本当は皆と過ごしたいのだ」
道中グレースが吐露したのは、おそらくアツシにしか聞こえていなかっただろう。それはもしかしたら皇女としてのわがままな発言かもしれない。もし悪意のある人物が聞いていたら、それを批判するかもしれない。しかし、それはグレースの本音だということはアツシは理解できた。
「……あの森で、お前とスライムの観察をした時。私は心底嬉しかった」
「グレース様……」
「ふふ、さんでいい。あの時スライムを見ているお前の目は、好奇心に満ちたキラキラとした目をしていた。そして、身分を知らなかったとはいえ、対等に私と会話してくれたこと。自分勝手かもしれないが、その時はとても、共に過ごしているという感覚が味わえて、嬉しかったのだ」
アツシにはグレースがこれまでどういう生活をしてきたかは知らない。想像で補うことしかできない。もしかしたら、どこへ行っても、彼女は皇女として扱われていたのかもしれない。それは国民にとっては普通で、そうしないといけないと思っているのかもしれない。それをグレースは嫌っていた。本当はただ一人の人間として、身分に関係なく話してほしかったのかもしれない。
思えば門番や漁港の漁師たちも皆、グレースに対してはどこか畏敬の念を持っているようにアツシは感じていた。それは持って当然であり、自然な事だろう。グレースはその自然の中に違和感を持っていたのかもしれない。
「だから、アツシ。お前は私と対等であってほしい。この国を魔物から守るために、お前の力が必要になるかもしれない。その時、お前にまで私に、畏れを持ってほしくない」
「……分かりましたグレースさん。ただその、僕は普段から人と接するとき余所余所しくなりがちなのでその……。様はつけません。さんで、呼びます」
「……ふふっ、お互い不器用だな」
振り返り笑みを浮かべるグレース。アツシは初めてグレースの笑顔を見た。屈強な騎士団の総帥とは思えない、可愛らしい笑顔だった。
グレースに連れられて着いたのは、王宮だった。
「えっ、グレースさんここって……」
「ヘイガン国の王宮……私の本来の住まいだ。普段は騎士団の仕事で忙しく週に数回しか来ないのだが……。アツシの知りたい、成分分析が出来る施設が王宮内にある。王宮に仕え、研究をする部門があるのだ。そこで調べられるだろう」
「なるほど……」
グレースが門に入ると、王宮の門番が号令をかける。
「グレース第三皇女様のお通りである!」
その掛け声がすると、それまで忙しなく働いている最終であっただろう兵士や従者が一斉にグレースの方へ身体を向けた。グレースが紛れもない皇族の身分であることを表していた。
「グレース皇女殿下、お帰りなさいませ。その後ろの者は?」
「うむ、そうだな……協力者、としておこう。この国を守るために、私が直々にスカウトした。彼を中に通す。丁重にもてなしてくれ」
「ハ。かしこまりました」
「アツシ。研究室に行く前に少し話がしたい。食事でもしながらどうだ」
「グレースさんがそれでよいのなら……」
「おい貴様、グレース皇女殿下になんて口を!」
兵士の一人が槍をアツシに向ける。慄くアツシだったが、グレースが一蹴した。
「良いのだ。彼は良い。私が許可した」
「し、しかしそれでは皇女殿下のイメージが……」
「私が良いと言っているのが聞こえないか」
「し、失礼いたしました!」
兵士はグレースに深く詫びをする。
「……こういうときばかり、つい皇族としての身分を行使してしまう……。周りを変えるのではなく、本当は私が変わらなければいけないのかもしれないな……」
「ゆっくりでいいと思います。急がなくてもだんだん分かってくれますよ。今は、僕もいますから」
「……なんだ、ほんの数分の間に頼もしくなったな?」
兵士は、アツシとグレースの、明らかに身分の違う者同士が楽しく談笑しながら門に入っていくのを、心底不思議そうに見ていた。
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