スライム⑤

 グレースの馬に乗り、森を進むこと実に一時間。ようやくきちんとした道に出ると、すぐに町と思えるものが見えるのが分かった。この時間はアツシが転生した際に身に着けていた腕時計で確認した。馬の常歩なみあしは時速六・六キロメートル。なので、アツシが「出現」した場所から町までは、およそ七キロメートルほど離れており、どれだけ危険な場所にいたか、そしてどれだけ人が寄り付かないところだったかを想像するのは容易だった。

「あの森、大分広い場所だったんですね。」

「ああ。なんなら反対側に進めば険しい山がある。山と森と海。資源としては豊かで申し分ないのだが、その分危険も多くてな。」

 ものの数分で町の入口へとたどり着く。物々しい門の前には門番が二人、これまた中世の鎧のようなものを身に着けていたが、言語は日本語、ここではヘイガン語を操っていた。

「お戻りになられましたか! その後ろにいる男は……?」

「ああ、森の中で一人彷徨っていたところを救助した。」

「さ、彷徨っていた!? あの森の中をですか!」

「ああ。並々ならぬ事情があってな。彼はの者ではないが、私に免じて特別に通行許可を願いたい」

「それはそれは。グレースさんが仰るのであれば私どもが拒否する権利などございません。」

「いやいや。間違っていることがあればきちんと言ってほしい。それでは一方的な主従関係になってしまう。」

「はっ、しかし……。」

「まあ良いでないか。それより、これから漁港でシースライムの駆除を承っているのだが、状況はどうだ。」

 グレースは一度馬から降り、門番とシースライム駆除の話をする。アツシも現物のシースライムが見られることをとても楽しみにしていた。それが現実世界のクラゲと同種だとわかれば、アツシの仮説の信憑性が増すからだ。

「連絡が来ています。シースライムの数は十五。大分多いですが、どれも小型なので問題ないでしょう。とはいえ万が一のことを考え、グレース様に立ち会っていただきたいと。」

「うむ、分かった。そうだ、この男もそのシースライム駆除に同行させたいのだが、構わないか?」

「それは構いませんが、一体何故?」

「詳しいことは話せば長くなるのだが……。」

 門番の男は、表情の見えないグレースの声色を聞いただけで、何か事情があるのだと察したのか、すぐに了承した。

「分かりました。ですがくれぐれも危険にはご注意ください。」

「ああ、心配ありがとう。君の奥さんや娘さんにもよろしくと伝えておいてくれ。」

「はっ! ありがたきお言葉です。」

 話を終えると、グレースは馬に乗り、町の中へと手綱をとった。

「あの、グレースさんって、凄く偉い方だったりするんですか?」

「ん? まあ、偉いと言えば偉いのかもしれないが、身分などというのは重要ではないだろう。」

「はあ。やっぱり町を守る騎士団というのは尊敬されているんですね。」

「ははは、まあ、そうだな。」

 町の中をずんずんと進む。町の人達はグレースを見て笑顔を見せ、アツシを見て不審がっていた。しばらくすると漁港に着き、そこでも漁師たちがグレースを温かく迎え、アツシにはきょとんとした表情を見せた。

「やむを得ない事情があって、彼にもシースライム駆除の立会人になってもらうことになった。事前に連絡が出来ず申し訳ない。」

「いえいえ、グレース様に来ていただけて嬉しい限りです。」

「お世辞は良い。それより、シースライムは。」

「はい、そこに水揚げされている生け簀の中です。」

「分かった。アツシ、着いてこい」

「あ、はい!」

 篤史がグレースに着いて行きながら生け簀を覗くと、ふわりふわりと主体性なく浮かぶ、ほぼ透明の生物が浮いていた。三十から四十センチメートルほどの大きさである、シースライムと呼ばれているその生物は、アツシの予想通り、ミズクラゲそのものであった。

「アツシどうだ。その、とかいう奴か。」

「見た目はその通りです。できればもっと目の前で観察したいですけど……。あの、具体的にどんな被害が漁港で出てるんですか」

「ふむ。船長さん、シースライムの被害について具体的に彼に説明してくれないか。」

「え? ええ、いいですが……。おい小僧。何者かは知らないがグレース様の頼みだからちゃんと聞いとけよ。」

 さすが海の男というべきか、声質的には船長の方が歳が上だと思われるが、役職としてはどうもグレースが上のようで、そこに対する敬意が現れていた。逆に素性の知らないアツシに対しては、極めて厳しい口調へと変わった。

「シースライムは大事な仕事道具の網を壊したり、船の発電機に入り込んで故障を招いたりするんだ。大事な商品の魚介類にもダメージを与えるし、おそらく特殊な溶解液で攻撃してるんだと……。」

「分かりました。グレースさん、これはやはりミズクラゲです。」

「そうか。」

 あまりにあっさりとした、グレースとアツシの、それもフランクな会話に船長たちは驚きを隠せなかった。すぐさまアツシは船長に怒鳴られる。

「貴様! グレース様になんて口の利き方を!」

「え、え!?」

「船長さん良い。私に免じて彼を許してやってくれ。」

「い、いやしかし……。」

「頼む。」

「……グレース様がそこまで仰るのなら……。」

「え、えっと、あのすみません。実は森の中で助けていただいたばかりで、グレースさんのことをよく知らないんです。」

「知らない!? グレース様を知らないなんてあるのか!?」

「すまない船長さん。彼はある事情ゆえこの世界について知らないことが多い。」

「じ、事情? よくわからないが……、おい小僧! 恐れ多くて一度しか言わないからよく聞いておけ!」

「よせ、別に良いから……。」

 なにやら恥ずかしがるグレースを他所に、船長はグレースが何者かを語り始める。観念したのか、今まで一度たりともアツシの前で外さなかった兜を、ついにグレースは外した。


 アツシは驚いた。女性だということはもちろん分かっていた。だがその兜の中身は、美しいブロンドヘアのショート、きりっとしていて整った顔だちは、まるで騎士団にいる女性とは思えない美しさだった。何故彼女が騎士団をしているのか、そう疑ってしまうほどだった。そして、船長の言葉でさらにアツシは驚く。

「ヘイガン騎士団総帥にしてヘイガン国第三皇女、グレース皇女殿下であらせられるぞ!」

「……こ、皇女様……!?」

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