スライム②
「飲め。」
女騎士はそう言ってアツシに熱いお茶を差し出した。一口飲んでみると、それはよく知る緑茶や紅茶のたぐいとはまた違う、やや渋みが強いが全く飲めないわけではない不思議な味であった。
「どうだ、落ち着いたか。」
「お陰様で。ありがとうございます。それでその、私のことなんですが。」
「ああ。少なくともお前が、この世界の住人ではないことは理解した。見たことのない服に聞きなれない地名。しかし嘘をついているようには見えない。お前自身の素性はまだ怪しいが、その言葉は信じよう。」
この世界は日本ではない。しかし言語は日本語だった。ということは、日本語を母国語としながら、日本という名前にならなかった、西洋文化の浸透した世界、ということになる。何とも都合のよい世界だが、アツシにとってはまず言語の壁が問題にならなかったことが何よりの救いであった。
「それであの、私が今使っている言葉。私の世界ではその国の名前を取って"日本語"と呼んでいるんですけど、ここではなんと?」
「ニホン語か……。そういう意味では似たようなものだ。ここはヘイガンという国の森。言語はヘイガン語だ。」
「へ、ヘイガン語。で、あの、文字はどういう……。」
アツシがそう聞くので、女騎士は持っていた紙にインクで文字を書く。これは驚くことに見たこともない言語だった。つまり、会話としては成り立っても、文字でのやり取りでは篤史にとっては不可能であることを示していた。だがしかし、どういうわけか読むことができ、女騎士の書いた文字が『ヘイガン』という国を意味しているのを理解することができた。慣れれば、もしかしたら書けるようになるかもしれないという希望があった。
「読めるか。」
「読めます。書けないことを除けば生活に不便はないかもしれません。」
「よかった。とりあえず今日はここで泊るといい。森の中は魔物が多い。碌な装備もしていないお前では野垂れ死にしてしまうところだっただろうな。」
怖い冗談を言うが、その表情はとても優しかった。
「あの、ぼくアツシと言います。」
「アツシ、か。私はグレース。ヘイガンの護衛騎士をしている。君の安全は、私が保証しよう。」
「ありがとうございます何から何まで。あの、一つ聞いてもいいですか。」
「なんだ。」
「その護衛騎士の方が、なぜ単身森に?」
「森狩りだ。」
聞けば山狩りに近いもので、国の安全の為に、森に増えた魔物を狩ることだとグレースは伝えた。アツシが最初に出会ったスライムはその最たる例で、農作物への影響や家畜被害が後を絶たないらしい。
スライム。不定形の魔物。始めこそ全く装備の無い状態で出会ったためなんの対処もできなかったが、もし手伝えることがあれば手伝いたい。アツシはそういう感情を持った。
「グレースさん。もしよければ、そのスライム狩りのお手伝いをしたいんですが。」
「お前がか? やめておけ、危険だ。相手がどんな能力を持っているか分かっていないのに、無暗に危険に晒すことなどできない。」
「え?」
アツシは違和感を覚える。
「スライムの能力って、把握していないんですか?」
「ん、ああ。農作物を荒らし、家畜を殺すと言われている。特殊な溶解液で満たされた身体に取り込まれるとたちまち溶かされ、スライム自身は分裂や融合をする事で増殖、あるいは巨大化すると言われている。」
「その、実際に見たというのは?」
「伝聞だからな。事実かどうかは分からないが、被害を出している事実はある。それだけでも狩る理由はある。」
謎のお茶を入れる技術、甲冑を作る技術。馬を操り、農業や畜産業を営む技術。それが備わっておきながら、魔物に対する知識が圧倒的に欠落しているように感じた。
「あのすみません、この世界に生物学者っているんですか。」
「当たり前だろう。彼らがいなければ農業も畜産業もできん。」
「では、魔物の生態については調べていないんですか?」
「危険な生物を調べようとする奇異な奴などいない。もしいたとしても魔物に殺されてしまっているだろう。魔物とはそれほど危険なのだ。」
逆だ。魔物がなぜ危険なのか、どうして農作物を荒らし家畜を襲うのか。それが解れば、もっと別の対処方法があるはずだ。であればなおさら、スライムという魔物についてきちんと調べ、知る必要性がある。
ふと、アツシは何故こんなことを思うのか自分自身に疑問を抱いた。もしや、自分が思い出せてない自分自身の記憶があるのではないか、それが起因しているのでは。そうした不安を不意に感じてしまってなお、アツシはグレースに訴えかけた。
「待ってください。スライムをきちんと知ることが出来れば、もしかしたら、作物や家畜のトラブルを回避する方法が見つかるかもしれません。ただ闇雲に倒すより、よほど効率がいいはずです!」
「馬鹿な事を言うな! さっきも襲われておいて何故そんなことが言える!」
「分かっています。でもグレースさんがこうやって危険を冒してまで魔物狩りをする必要もなくなるかもしれないです」
「危険な魔物だということはアツシ自身、身を持って体験しているはずだろ。それなのになぜ。」
「……わかりません。でも。」
それが口から出任せだったのか、それとも本気だったのかは今でも分からない。しかしこれが、アツシがこの世界で課せられた使命の始まりだった。
「やらなければならない気がするんです」
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