この詩集は、今まさに感じている出口のなさとか、ここは自分のいるべき場所じゃないという不安とか、そういった情動がもはやすべて「胸の痛み」として処理され、鎮痛剤、たとえばイブプロフェンでも飲めば治りますよと、意識的に無意識的に喧伝され続ける〈今、ここ〉に投げ込まれた爆弾です。
ここにまとめられた作品を読んでいると、いわゆるホワイトカラー層のあいだで、自己啓発としての瞑想/マインドフルネスがブームになっている(なっていた?)、という話を思い出します。労働者が労働の場としての〈今、ここ〉に、自分自身をチューニングするための「瞑想」。それはもはや啓発というより、「自己洗脳」とでもいうべきものです。
ですが真の問題は、そのような「瞑想」からのドロップアウトが「自律神経失調症」や「気分障害」、つまりは「胸の痛み」に束ねられてしまう事態にあります。たしかに、SSRIでも飲めばそれは治るかもしれない。しかしその治療は、病者としての自己を健全な労働者にチューニングする「べつの瞑想」にすぎない……この、ほとんどキルケゴール的な袋小路を、われわれはいったいどうすればよいのでしょうか?
他の方もレビューで書かれていますが、「嗚咽」という作品が圧倒的にすばらしいです。高度資本主義社会における存在への吐き気そのものであり、あるいはマーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』への叙景的応答とでも表現できる傑作です。
まあ何のこっちゃという感じですし、こうやって書くとどうしても観念的な紹介になってしまいますので、まずは作品そのものにふれていただけたらと思います。
そこから噴きこぼれる嗚咽は、どれだけ紙幅を費やしても語り尽くせない豊饒さに満ちています。