第5話 二回戦
ベタ問に強く、基礎は手広くカバーしているものの、時事や学術系は取りこぼしも多い。中でも難問にはめっぽう弱く、例会でペーパー落ちすることもある。一方、うちのクイズ研究会のメンバーでは珍しく、漫画アニメゲームに関するクイズ——いわゆる青問に強いという側面もあった。
……というのは、あくまで俺の知っている限りの岡嶋一人の情報ではある。
だが俺がクイ研を離れてから、こいつが急成長したという話も聞かない。
色々ひっくるめて、そこに紛れた不測の事態が起こるリスクを鑑みたとしても、それでも……
「それじゃあ準備はいいかな! 二回戦のルール説明を始めるね!」
聞き覚えのある声。
右に振り向くと、あの態度の悪いパンダがそこにいた。
「おっとその前に。ぼくは今日の司会進行アンド問読みをするミーミルくんだよ! え? 知ってるって? まあまあ、これはお約束の挨拶みたいなものなんで!」
相変わらずのむかつくテンションだ。
「魚乃木くん、そんな乱暴な目で睨まないでよ〜! ぼくを威圧したって、問題を易しくしたりなんてしないからね? 第一、そんなことしたら元中学生クイズ王の名が廃るよ〜?」
「……お前こそ、知恵と知識の巨人を名乗っておいて、そんなことするなよ」
「へー。ぼくの名前の語源をこ存じとは、やっぱり物知りだねー」
パンダは瞠目するように顔を近づけてきた。
ミーミルは北欧神話に登場する賢い巨人の名だ。知識を求めてきたオーディンから、その代価として片目を奪った。
「まあそんな無駄話はさておき! 二回戦の説明をするよ!」
俺は改めて岡嶋に向き直った。
岡嶋の方は、静かに目を伏せている。
「ルールは簡単! 早ボ、もとい早押しボードクイズだよ! 一回戦同様にぼくが問読みをするから、わかったらボタンを押してね! ただし、回答は手元のフリップボードに書いて提示。このとき、ボタンを押せなかった人にも回答権があるので注意だよ! 押して正解なら2○で、押さなくても正解すれば1○! 先に10○を取った方の勝利だよ! そしてそして、間違えたらもちろん、即死亡だから気をつけてね!」
やはり、基本のルールはそのままか。
「ミーミル。質問だ」
「なんだい? 魚乃木くん」
「回答のスルーはありということでいいか?」
「そうだね。ボタンを押してない方のプレイヤーに限るけど、ボードを上げずにそのままの姿勢でいてもらえれば、回答放棄、つまりスルー扱いにするよ!」
俺は心の中でガッツポーズをした。
よし。鹿屋から聞いていたとおりだ。このルールなら……。
「岡嶋。聞いてくれ」
俺はそこで、初めてちゃんと岡嶋に声をかけた。
最初にお互いの驚いた顔をつき合わせて以来、俺たちは目線すらまともに交わしていない。何を言っていいのか、どんな表情を見せたらいいのか、わからないままでいた。
だが、こうなったら話は別だ。
「なんだよ、魚乃木……」
その不安そうなツラは、俺の知る岡嶋に間違いなかった。
「お前は全問題スルーしていい。俺が10○するまで何もするな」
「え……」
「このステージは1○ごとに2000万円。勝てば10○で2億貰える。俺の言うとおりに全問題をスルーしてくれれば、俺が手にする2億の内、この後の三回戦出場に必要な5000万を除いた1億5000万をそっくりお前にやる」
岡嶋は少し、信じられないような顔をした。
「ちょっとちょっと魚乃木くん! ぼくが説明してないようなルールをぺらぺらと吹聴しないでよもう!」
「悪い。なんか間違ったこと言ってたなら訂正してくれ、ミーミル」
「えー……んーまあ、ぜんぶその通りなんだけどさぁ」
つまらなそうに口を尖らせるミーミルを無視して、俺は岡嶋に向き直った。
「詮索するつもりはないが、目的は金なんだろ? 俺は違う。ワケあって三回戦に行かなきゃいけないんだ。ここは協力してくれないか」
「……わ、わかった」
まだ何か、岡嶋は納得しかねる様子のまま、一応首を縦に振ってくれた。
「さあ、それじゃあそろそろ始めようかなー?」
パチン、とミーミルが手を打った。
こうした談合のようなやり取りはややもすると強制的に止められるかもしれないとも思ったが、存外ゆるいようで助かった。
「最初はこの問題からだ! いっくよー!」
ボタンに指をかける。
岡嶋はスルーを約束してくれた。もう早押しをする必要はない。どれだけ明確に答えがわかったとしても、全文を聞き、一呼吸置こう。
「問題。小倉百人一首では「きみがため」「わたのはら」「あさぼらけ」で始まる、決まり字が6字以上の札のことを特に何というでしょう?」
なるほど。確かに一回戦よりは少し難易度が上がったかもしれない。だが、大丈夫。知っている。
——ゆっくりと、ボタンを押す。
「はい。それではフリップに答えをどうぞ! あ。そうだ。一応釘を刺しておくけど、問題が始まったら答えが出るまで私語は禁止だからね!」
手元のフリップにペンを走らせる。
ボードクイズは“表記”が重要だ。漢字間違いはもちろん、読みにくい文字も×にされることがある。簡単な漢字であっても平仮名で、丁寧に、というのが基本だ。
「はーい、それではボードオープン!」
ボードを掲げる。岡嶋はそのまま、静かに座っている。
「魚乃木くんの回答は「おおやまふだ」、岡嶋くんはスルーということで。えー正解は「大山札」なので、魚乃木くん正解! 押して正解なので2○だね!」
直後、上空から何か落ちてきた。
コイン——いや、チップだ。4枚のチップ。
「今回は1○で2000万円の大金が動くからね。現ナマはやめてチップにしたよ! ゲーム終了後にそのチップ1枚につき1000万円に引き換えるから、床に落として無くしたりしないようにね!」
「なるほどな……受け取ってくれ。岡嶋」
岡嶋は少し訝るような目を俺に向けた。
「……いいのか?」
俺が頷くと、岡嶋はその大きい手で搔き集めるようにチップを引き寄せた。
これでいい。すぐに渡した方が信頼度も上がるだろう。
「問題。スポーツにおける1チームの同時出場人数で、フィールドホッケーは11人ですが、アイスホッケーは何人でしょう?」
また、ゆっくりとボタンを押す。
この手の単純な数字を問うタイプのものは、一見簡単そうに見えて、トッププレイヤーでもうっかり間違えることのある危険な問題だ。頭の中でしっかりと反復して、思い込みをしていないか、他のスポーツと混同していないかを確認する必要がある。
大丈夫。答えは6人だ。
「それじゃあ、ボードオープン!」
ボードを掲げる。
そして、思わず絶句した。
「……な……なにやってんだよっ! 岡嶋!」
正面を見ると、岡嶋までもがボードを掲げていた。
その答えは……
「答えは6人だよ! ということで、両者とも正解!」
岡嶋は静かにボードを下ろした。
「お、おい……」
二の句を継げないでいると、岡嶋は落ちてきたチップの内から自分の分だけを拾って、俺を睨んだ。もうお前のチップは要らないと、その目は言っていた。
「保証がないんだ」
「ほ……保証……?」
「魚乃木がさっき言ったように、俺に1億5000万円をくれるという保証はどこにある」
俺は面食らった。
「なに言ってんだ。保証も何も、こうして直接チップをお前にやってるだろ。これもやるよ」
「それはわかってる。わかってるが……」
制すように、チップの受け取りを拒否する。
頭の中がうまく整理できていないような、そんな様子が見て取れた。
「魚乃木のことはよく知ってる。お前は、知識があるだけじゃなくて頭もいい。俺を……俺をハメようとしてるんじゃないか? そうだろ!」
「バカを言え! そんなわけないだろ!」
「じゃあどうして、どうしてクイズをやめたお前がこんなとこにいる! どうして、ミーミルが話していないルールを既に知ってたんだ! 何を知ってる! 何を企んでるんだ!」
完全に取り乱していた。
これは危険だ。
「戯れ合いもいいけど、そろそろ次の問題いっちゃうよ〜?」
ミーミルが退屈そうな声をあげる。
「お、落ち着け岡嶋! この場が終わったらすべて正直に話すから! 冷静に考えろよ! これは間違えたら死ぬクイズだ。お前の今の精神状態で回答するのは危険だ」
「間違えたら死ぬ? 何言ってんだ魚乃木、お前こそ」
「……え?」
決定的なピースを嵌め間違えたような、そんな違和感が、悪寒となって体を伝った。
「問題。そのタイトルは桜の花びらが落ちる速度に由来する、新海——」
ピン、と跳ねるような音がして
「な」
見ると岡嶋のランプがついていた。
こちらに見向きもせず、ペンをボードに走らせ始める。
もしかして岡嶋は、誤答即死亡という『ですろっく』の原則ルールを理解していない? いや、そうか……信じていないんだ。恐らく一回戦では誰も犠牲者が出ずに終わり、俺が見たあの光景を、岡嶋はまだ知らないんだ。
……無理からないことだ。俺自身、平井さんが一言も発せずに闇に消えていったあの姿を見なければ、誤答即死亡なんてルールは信じなかった。
どうする。もう岡嶋をリスクから遠ざける方法が……。
「正解は『秒速5センチメートル』でした。両者とも正解。魚乃木くんはこれで5○、岡嶋くんはこれで3○だね〜」
もう一度、俺は信じるつもりで岡嶋の目を覗き込んだ。
そこには警戒と自信に漲る暗い光があるだけだった。
「得意ジャンルは前かがみで押せ。お前に教わったことだぜ、魚乃木」
わかった。
そういうことなら、俺も腹を括ろう。
「問題。農芸化学者の薮田貞治郎によって——」
押したのは俺の指だ。
「くっ……」
今度は岡嶋が驚いたような表情を見せる。俺はペンを走らせる。
「ボードオープン! 続きを読むと、藪田貞治郎によって単離・命名された種無しブドウの生産に使用される植物ホルモンは何? という問題でした。答えは「ジベレリン」。ということで、魚乃木くん正解で7○到達!」
正解のブザー音が鳴る。
「岡嶋くんはスルーだね。じゃあどんどんいくよ〜」
ボタンに指を置く。
岡嶋に静かにしてもらうのは無理でも、黙らせることはできる。
もうこの方法しかない。一切の隙を見せず、一切の暇を与えず、
「問題。面積は2766平方キロメートルで、淡水——」
さっさと終わらせるんだ。
「ボードオープン! 続きを読むと、淡水湖の中にある島としては世界最大の面積をもつ、北アメリカのヒューロン湖に浮かぶ島は何でしょう? 答えは「マニトゥーリン島」。ということで——今回も正解は魚乃木くん! 岡嶋くんはスルーだね!」
これで俺は9○。リーチだ。
押さずに正解でも1○ついて上がりだが、もうそんなリスク調整はしない。岡嶋の手が出ないよう、最速で押すだけだ。
「問題。若いころに身に着けた技量や腕前は——」
しまったと、思ったときにはもう遅かった。
「おー? 二人して同時にボタンに飛び込んだみたいだけど、ついたのは……魚乃木くんみたいだね〜。キャッキャッキャ」
ミーミルの邪悪な笑い声の意味が、痛いほどよくわかった。
失敗した。岡嶋が巨体を揺らしてダイブする姿が目に入った気がして、反射的に指が動いてしまった。この早すぎるポイントで。
まず間違いなくこれは言語……ことわざや慣用句の問題だ。この手の問題は類義があるから、何が答えになるかを確定させる要素が最後に必ずくる。だからこそ、最後まで聞かなければいけなかったのに……。
「ぐ……」
冷静になれ。導き出せるはずだ。
問題文は「若いころに身に着けた技量や腕前は——」。十中八九、ことわざを聞く問題だ。「雀百まで踊り忘れず」は少し違う。これは技量や腕前などではなく習慣が年を経ても直らないことを指す意味のことわざだからだ。同じ理由で「三つ子の魂百まで」や「漆剥げても生地は剥げぬ」といったあたりも違うと判断できる。
真っ先に思いつく有力な候補は「昔取った杵柄」だが、これにも「騏驎も老いては駑馬に劣る」や「昔千里も今一里」といった類語がある。杵柄の方は技量や腕前が年を取っても衰えないこと、後の二つは逆に衰えてしまうことを指す言葉だ。
「……」
最後に聞こえた助詞のイントネーション。ニュアンス。所詮は機械音声だが、ミーミルの問読みは気味が悪いくらいカチッとハマっているところがある。そこに疑いはない。
「さあさあ、魚乃木くんの勝利なるか! 運命のボードオープン!」
俺は、重大なことを見逃していた。
それはとても重大なことだ。
「続きを読むね。若いころに身に着けた技量や腕前は年を取っても衰えないという意味のことわざを、「昔取った何」というでしょう? 答えは杵柄! もちろん丸々書いてくれてもオッケー! ということで、魚乃木くん大正解でした!」
ピューという口笛が、虚しく俺の耳を通り抜けた。
「残念ながら、「雀百まで踊り忘れず」を書いた岡嶋くんはブッブーだね!」
岡嶋がボードを掲げていた。
なぜ気づけなかった。
なぜ止めてやれなかった。
俺は……またしても。
「クソ! 最後まで聞けばわかったのに!」
冷たい汗が滲んだ体の奥で、心臓を蹴り上げられたような衝撃が走った。
俺か? 俺が押したせいなのか?
お、俺が……
「あああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ————!」
平井さんとは異なり、岡嶋の最後は絶叫で彩られた。
吹き飛ぶ椅子と体は暗いどこかに吸い込まれて、瞬く間に見えなくなる。
岡嶋は消えた。
クイズに間違えたら即死亡 ほげーた @migihiza
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