第4話 再会
「——はい。それでは、Bブロックの勝ち上がりは六峰学院の西条くん、日ノ山高校の横澤くん、泉台高校の魚乃木くんの三名ということで、お疲れさまでした。すぐにCブロックの試合を始めるので参加者は前に出てきてくださーい」
司会の言葉が終わると、会場は少しガヤつき始めた。
俺は一つ息をついて、手についた汗と水性ペンをハンカチで拭う。A4ボードに書いた回答を消していると、横からぽんと肩を叩かれた。
「お疲れ。完全復活だな!」
「……浦口か。今回だけだって言ったろ。それに復活なんかしてない。ブランクも長いし、たぶん次あたりでコロッと負けるさ」
「またまた〜。ちょっと飲みもん買いにいかね? 自販コッチらしい」
「ああ」
自動扉を出て廊下へ出る。
私立陽明館高校の例会会場は高校の一教室とは思えないほど豪奢だった。
例会は各校のクイズ研究会が持ち回りで月1開催するクイズ大会だが、俺が参加するのはかれこれ丸2年ぶりになる。中等部だった当時の記憶は、正直言ってもうあまりない。久しぶりというより、もっと新鮮な気持ちだった。
廊下を少し歩くとカフェスペースのような区画が見えてくる。
自販機で適当なお茶を買って、俺たちは空いている席に座った。
「どうよ。楽しめてる?」
「ああ。思ってた以上に」
少なくとも、あの大会よりは。
「そうかそりゃよかった! なんか真一、急に戻ってきたと思ったらずっと辛気臭い顔してるからさ、ちょっと気がかりだったんだよ」
「あ。悪い」
「いや、いいんだけどさ。それより……さっきの早ボはなんなんだ?」
「? なんか変なトコあったか?」
早ボというのは早押しボードクイズのことだ。
通常の早押しクイズの要領でボタンを押して、答えるときはボードに書いて答える。大抵の早ボのルールではボタンを押せなかったプレイヤーにも解答権があり、そこが口頭で答えるタイプの早押しとは違うところだ。
「なんで一度も押さなかったんだ? お前なら押せる問題あったろ」
「……なんでと言われても、それで勝てると思ったからだよ」
今日の早押しボードは押して正解なら2P、押して不正解ならマイナス1P、押せずに正解でも1P、押せずに不正解はペナルティ無しというルールだった。
「押さなくても着実に正解できれば、勝ち抜け枠の三人は入れる計算だった」
「はぁ……んーまあそうか。実際その通りになったんだからまあいいんだけど。いや、昔のお前だったらもっと前のめりに押してたんじゃないかって思ってさ」
「昔って中等部の頃だろ。俺も少しは大人びた冷静さを身につけたってことだな」
「なんだそりゃ」
浦口はふっと安堵したように笑った。
「まーでも、そういうことなのね。俺はてっきり、お前が誤答にビビって押せなくなっちまったのかと思って心配したよ」
「……」
「そんじゃ、その老獪なクイズで第三ラウンドも勝ってくれよな〜。もううちの部はお前以外みーんな負けちったんだから」
「情けねーな。吉岡も伊藤もダメとは……あれ? そういや今日、あの大男はどうしたんだよ」
「岡嶋か。あいつなー……」
長くクイ研を支えているムードメーカー岡嶋。俺がいた頃からバリバリ活動していた古参なのだが、実力は中の下。それでも、勝負の前から逃げ出すようなやつではなかったはずだが。
「なんか別の用事があるんだと。ということで、泉台のエース様! 頼むぜ!」
「勝手にエースにするな。やれるだけやるけど」
席を立つ。
お茶を半分くらい一気にあおった。
あの日から一ヶ月ほどの時が経った。
未だに平井さんが闇に吸い込まれていく姿を夢に見る。
忌まわしいクソクイズの記憶。
もう認めよう。
俺はそれを払拭したくて、クイズ研究会に戻ってきた。
「それでは第三ラウンドのアップダウンコンボを始めまーす。Aグループの参加者は前のステージに出てください」
まさか誤答にビビって押せなくなってるなんて、浦口に言われるとは思わなかった。
それはもしかすると、本当にそうだったのかもしれない。
「……よし」
このラウンドは紛れもない早押しクイズだ。
ちょうどいい。この場ですべて忘れて、自分を取り戻そう。
「行ってくる」
「おう。勝てよ」
一つ、心の中だけで大きく深呼吸をした。
前に出て、早押しボタンの並べられた三つの長机の端の方に立つ。俺のボタンのランプは緑色だった。あのとき平井さんが使っていたものと同じだ。
「……」
だからどうした。関係ない。
この場は自分のクイズを楽しむだけだ——
「よろしくお願いします」
「あ……どうも」
突然の至近距離での挨拶に、少したじろいでしまった。
「どうして二回戦に出なかったんですか?」
「え? いや、出てましたよさっき。……っっ!」
な……
まさか……
「今日の話ではありません。『ですろっく』のことです」
すらりと伸びた黒髪。凍りつきそうな冷たい目。凛とした口先。
こいつ……
「か、鹿屋舞……?」
「はい」
胃の腑をゆっくりと持ち上げられたような感覚。
吐き気だ。俺はこんなにも弱い人間だったのか。
「どうしました?」
「……なぜここにいる」
「あなたと同じですよ。私は六峰学院のクイズ研究会に所属しています」
むかつくくらい冷ややかな顔だ。
「お前は二回戦に出たのか」
「はい。勝ちましたよ」
「あいつはどうした。あのおかっぱ野郎は」
「遠西さんのことですか? 私にはわかりません。違う対戦相手だったんでしょう」
「に、二回戦はどういう……その……誰か……」
「犠牲者が出たのかを知りたいんですか? 私の質問には答えないくせに、あなたの方は不躾な質問をどんどんしますね」
「……」
マイクのハウリングが、俺を責め立てるように耳を刺した。
その正論と気持ち悪さで俺が口ごもっている間に、ステージ上には参加者が揃ってしまったようだった。司会の声がする。
「それでは第三ラウンドの細かいルール説明を——」
鹿屋が俺の方へ顔を寄せてきた。
ふわりと、香りの届く距離。
「お願いがあります。このラウンド、私が勝ったら話を聞いてください」
****
実戦にブランクがあるからとか、横の女のせいでまともな心理状態じゃなかったからとか、そんな言い訳が通用しないくらい普通に歯が立たなかった。
三度ボタンを押して、すべて誤答。見事なボロ負けだ。
ただ、もともと勝てると思って参加したわけではないし、それはいいとして、久しぶりのクイズを楽しむことができなかったのは遺憾だった。
「どうしてカラオケボックスなんですか?」
鹿屋舞はかばんを置いて、ソファに腰掛けた。
「どうせあの怪しい大会の話をするんだろ。そりゃできるだけ密室の方がいい」
「そうですか」
もちろん曲を入れたりはしない。モニターに映るカラオケチャンネルも煩わしいので切る。
注文したドリンクが届くのを待ってから、口を開く。
「で。お願いってなに?」
「それよりまず、最初の私の質問に答えください」
なぜ二回戦に出なかったのか——というやつか。
「愚問だ。出る理由がないから出なかった」
「大金が手に入りますよ?」
「殺されるリスクを取ってまで欲しいものなんてない。それに、1000万も貰えた。十分だ」
そう。賞金の1000万円は紛れもなく本物だった。
だからこそ、間違えたときのペナルティルールも、嘘だったとは考えにくい。
「でも、そのお金は使わずに取ってありますよね」
「……カマをかけてるつもりか? その通りだが、それがどうした」
「汚い金には手をつけないタイプですか?」
「そうかもな」
「であればどうして、一回戦に出場したのですか?」
真っ直ぐな視線だった。
目が合うと、引き込まれて逸らすことができない。
「あなたはかつて伝説的な成績を残しておきながら、二年ものあいだ競技クイズの世界から離れていた。そして突然、『ですろっく』に姿を見せた。最初はよっぽどお金が必要なのかと思いましたが、そうではなさそうです。当日のプレイングを見ても、あなたにお金への執着はない。あなたの目的は何だったのでしょうか?」
まるで、コメンテーターに疑問を投げかけるアナウンサーのような言い回しだった。
「クイズが好きだからだ」
そのとき、一瞬だけ、鹿屋がきょとんとした気がした。
「……答えになってません。目的を訊いてるんです」
「目的はクイズに勝って、1億貰うことだった。金への執着はあったよ」
「嘘ですね」
「いや事実だ。俺がクイズをやめたのは、クイズに勝っても何も得るものがなかったからだしな。大した賞金や賞品もなく、名誉もないようなもんだった」
「……」
「昔はテレビ番組でクイズプレイヤーが鎬を削って、優勝すれば日本中から賞賛を受け、クイズ王が少年たちに憧れられるような時代もあったらしい。ニューヨークに行くやつとかな。……だが今は違う。どんな答えを出しても、劇的な優勝を飾ろうと、それが世間に認められることはない」
なぜか、心の内から堰を切ったように言葉が出る。
俺はこんなことが言いたかったのだろうか。
「そういうわけで、俺はクイズに勝って1億円を手にしたかっただけだ。まあ、蓋を開けてみたらとんでもないクソ運営だったわけだが」
見間違いでなければ、鹿屋が薄く笑っていた。よくわからない女だ。
「……なるほど。あなたのことが少しわかった気がします」
「そりゃどうも。そんなことよりお前のお願いってのは何なんだ」
「はい。単刀直入に言いますと、私と一緒に三回戦に出てほしいんです」
耳を疑う言葉だった。
「いやいや、何言ってんだ。俺は二回戦に出てないんだから不戦敗だ」
「二回戦はまだ開催中です。ウェブから参加表明をすれば今なら出られますよ。そういうメールが何度か届いてるのではないでしょうか」
確かに何度かメールが来ていた。全部読まずに捨てているが。
「そうかもしれないが、そもそも出る気はない。というか、まず“一緒に出る”ってなんだ。俺が一緒に出て何になる」
「三回戦はチーム戦なんです。出場者はその場でチームを組んで戦います。あなたが一緒に戦ってくれれば勝てると、そう見込んで、お願いしているんです」
「……バカバカしい。出るわけないだろ」
命を賭けてまでやるものじゃない。ましてや1×でアウトのルールだ。
「もしかして自信がないんですか?」
挑発するわけではなく、本当にただ、疑問を口にしているだけのようだ。
「ああ。ないね」
「……私は以前、その三回戦で負けています。誤答しなかったので死は逃れましたが、私一人の力ではどうしようもないことを思い知りました」
そういえばリピーターと言っていたな。
「私はあなたなら、あなたさえいれば、この三回戦は余裕の突破ができると思っています」
「おいおい。どんだけ買い被られてんだ俺は」
今日の例会の結果だけ見ても、俺は無様な三回戦誤答失格。それも1○もできずに終わった。かたや鹿屋舞。この女は……鮮やかな優勝を決めたのだ。
とんでもない女王がいたもんだ。
「お前一人で十分やれるだろ。どう考えても実力はお前の方がある」
「まあ、恐らく早押しの技術や勝負勘は私の方が上でしょう。ですが、問題ありません。私はあなたの知識量と集中力を買ってるんです」
どうやらこの女は俺の二年前を多少知っているらしい。だが、
「集中力?」
それを人に評価されたのは初めてだった。自分でも、特に集中力のある方だと思ったことはない。それにクイズにおいて決定的に必要なものだとも思わない。
「はい。あなたの強みです」
「……まあいい。そんなことはどうでも。俺は出ない。出るわけがない」
「お願いします。三回戦だけでいいんです」
「……」
「それが終われば、四回戦は辞退してもらって構いません。必要であれば私の浮いた獲得賞金もすべてあなたに差し上げます」
さも、それくらい当然であるかのような口ぶりだった。
「鹿屋。お前の目的こそ何なんだ。金じゃないのか」
「はい。私の目的は、『ですろっく』を終わらせることです。優勝者が出ればこの大会は終わります。つまり、私が優勝します」
力強い答えだった。
隠す気など毛頭無いという、覚悟と自信が伝わってくる。
「優勝して、終わらせて、それでお前に一体何のメリットがあるんだ」
「あなたと同じですよ」
これまですべてに真正面から答えていた鹿屋が、初めて含みのある言い方をした。
「どういうことだよ」
「……私も、クイズ界の盛り上がりのなさには辟易していたところなんです」
転じて、唾棄するような口先で、鹿屋は続けた。
「—————」
****
三日後。
俺はあの洋館に再び足を踏み入れていた。
——三回戦に出るために、まずは二回戦を勝ち上がってもらう必要があります——
——あなたなら問題なく勝ち進めるはずです——
鹿屋の言葉は何の励みにもならないが、誤答をしないことを最優先に考えてプレイをすれば、もう一度生きて帰れる自信はあった。
これも鹿屋のセリフだが、二回戦は一回戦よりも問題が難化するという。落ち着いて、わかる問題だけを、確実にとればいける。
心配があるとすれば俺の精神力の方だ。
「魚乃木様。こちらへどうぞ」
あのときと同じように宮森さんに案内され、あのときとは違う部屋に辿り着く。扉を開けてすぐに感じた部屋の広さや暗さ、気持ち悪さは、不気味なぐらい前と同じだった。
既に対戦相手と思しき男が卓についている。
鹿屋の話どおり、この二回戦は一対一で行われるようだ。
深呼吸。
——
一度ゆっくりと目を伏せ、開ける。
大丈夫だ。この男が仮に闇に吸い込まれ死んだところで、それはこの男が自分で決めた覚悟の先にある結末だ。俺には関係ない。情などない。助ける義理も、当然ない。
着席する。
正面に座る男の顔を、そこで俺はようやく認識した。
「魚乃木!」
「……え……お、岡嶋……」
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