僕らの立ち位置――玖


 生ぬるい湯に体の自由を奪われた気分だ。

 潮の香に紛れて誰かの声が響いた。人間に戻る時に聞いた声とは似ても似つかない、潮に枯れた声だ。

 声は僕に問う。


『何を持って我に立ち向かうのか?』

「人間の魂を食らう事は許さない。守りたいという想いを持って」

 僕はそう答えた。声はさらに言う。


『だとしても我らは魔法を得た。知ってしまった物を手放す事などできはしない』

 人間もそんなものだよな、と思いながら聞いていた。

 僕はふと気になって問いかける。

「こんな風に話せるなら会話をすればいいじゃない。きっと上手くいくよ」

『お前が私の体内に入っている今だから聞かせられるだけだ』

「体内にいなきゃ聞こえないの?」

『お前たちには私たちの声を聞きとる術がない』

「なにで話してるの?」

『空にも水があり、石の壁にも水がある。草木にも水が流れる』

 声はそれしか言わなかった。


「そろそろ殺さなきゃ」

『我が死んでも次が現れるぞ。忘れるな』

「うん。忘れないよ」


 声は最後に「殺されてやる」と笑った。

 僕はありったけの魔力を集めて雷を思い浮かべる。空をも割る閃光だ。触れる者を例外なく焼き、音さえ置き去りにする。


 僕から雷は放たれた。ビリビリとした振動が僕にも伝わる。肉の焼ける臭い。潮の香りが生臭い魚の臭いに変わる瞬間。体内にいる僕は今度、しっかりと悲鳴を聞いた。

 動けない僕の足を誰かが掴んだ。

 光の中に引きずり出された僕は、雷に触れて呆けているのだと思う。あるいは初めて作戦に参加したかのような達成感に震えているのかもしれなかった。


 水の中にいるみたいに耳が音を拾わない。

 どこかに横たえられた僕の視線の先で王が倒れている。

 その体に縋りつき女王様が泣き狂う。

 大きさの違いすぎる夫の頬を揺さぶり、胸をドンドンと叩く。

 夫の体は電気を帯びているのだろう。女王様の髪がキラキラと光って逆立つ。

 痛いだろうに、女王様は夫の顔から離れない。

 夫の体が海の色になっていく。

 口付けて、縋りついて、引っ張って、叩いて、死に物狂いで愛を訴える。

 夫はもう指の先さえ動かない。

 女王様がキリキリと放たれる寸前の矢のような目で僕を睨む。


 僕は悪だ。今、彼女にとって確実に僕は悪だ。

 それでも守りたいものがある。きっと誰にだってあるだろう。悪と呼ばれてでも守りたいものが。

 けれど動く前にしっかりと自分に問うてほしい。悪になってでも守る覚悟はあるかと。

 仲間たちが僕を覗き込む。


 女王様が天に向かって両手を伸ばした。たぶん何かを叫んでいるのだ。

 それに応じて彼女の仲間たちが彼女を取り囲む。

 彼らは彼女に食らいついた。僕の見ている前で彼女は食われていく。

 何を思ってそうするのかは分からないけれど、とてもただの弔いには見えない。

 食われていく彼女がまた僕を睨み付ける。

 このままでは終わらないと言っているのだ。

 それでも今日は終わった。

 僕の革命の日は終わった。


 成功したのかもしれないけれど、それを確認したいけれど疲れてしまって、体が重くて起き上がれない。

 急に戦いが始まっちゃって、魔物たちにも人間たちにも話せていない事がたくさんあるし、この先の生活の事なんかも相談しなければいけないのに。


 心配しないでほしいのだけれど、僕は決して死ぬわけじゃない。

 誰も僕を死なせないから。

 ただ少し、全力で雷を放ったので防御にまで力を回せなかった事は失敗だったと思う。

 僕はまた間違えた。けれど、たまには間違えてもいいのかもしれない。

 魔力が空気中の水分を頼りにゆったりと流れるのを感じる。

 海豚が空中を泳ぐ気持ちが少し分かった。こうして力を抜いて魔力に身を委ねるのはとても気持ちがいいのだ。

 温かい訳ではなく、もちろん冷たくもない。冷めたお風呂のようなのに、じわじわと体が熱を生み出そうとする感覚が気持ちいい。

 だから少しだけ、そのまま眠る事にした。

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