魔物の石薬――肆

 医者たちが乱闘を始めた部屋を出て、今度は調剤室へ入る。

 乾燥させた草花や実が大きな瓶に入れられて幾つも並んでいる。その隣の棚には、それらを粉々にした瓶詰めの薬が並ぶ。

 僕は粉の棚へ近づき、行李から石薬を取り出す。

 白衣を着た尾人たちが行き交うけれど、もちろん誰も僕を見咎めたりはしない。


 真っ黒な羽の尾をピンと立てた女性が僕の隣に立ち、お喋りをしている三人を叱る。

「あなたたち、人の命を預かっているという自覚はあるの? いつもいつも隙を見てはお喋りするんだから。お喋りしに来ているのなら辞めてしまいなさい!」

 表面上は「すみません」と謝る三人は、黒い彼女の背中にベーっと舌を出す。

「その怒りは正しいよ。そういう人に診てもらいたいけどね」

 すっかり忘れて声に出して言ってしまった。

 四人は目をまん丸にして辺りを見回し、悲鳴をあげて走って部屋を出て行ってしまった。


「悪い事をしてしまったね」

 僕は呟いてそれぞれの薬瓶に石薬を混ぜていく。

 根本的な解決にはならないけれど、少しでも誰かが笑えるかもしれない。だからこれは僕の自己満足だと知っている。知っていてもやってしまうのだ。

 彼らが彼らを認める日まで、きっと。

 彼女たちが人を連れて戻って来る前に、僕は調剤室を出る。次に向かったのは地下だ。隠したいものはだいたい地下に隠すから。


 向かう途中の一階で頑丈な石の扉を見た。何も書かれていない、鎖と南京錠で閉じられた扉だ。

 そこから出てきた医者の顔が酷くやつれていた。その手には空の注射器がある。

 僕が魔法で中に入ると更に扉があった。越えた扉は全部で三つ。

 その先には鎖が体に絡みついて身動きの取れない、尾人の死体があった。白目をむいて涎を垂らし、尾を糞尿でぐちゃぐちゃにした男の尾人だ。

 これは救いとしての死。どうしても救えない尾人たちが最後に辿り着く結論。

 僕は手を合わせ、静かに部屋を出る。


 地下室への階段を見つけた。

 どうしても地下が見つからなくて外に出ると『関係者以外立ち入り禁止』の札が目についたのだ。

 背の高い木に太い縄を張って柵の代わりにしている場所だ。その先には、どれだけ探しても小さな蔵しかなかった。

 だから僕は蔵の中に入る。誰かがいてはいけないので、念のため足音が鳴らないように足を浮かせて歩く。

 蔵の中には地下への階段があるだけで、他には一つの荷物もない。


 ぐぉぉ、うぉぉと唸り声が聞こえる。それは一段降りるごとに大きく響いた。

 カツン、カツンと足音が聞こえる。靴の音ではなかった。爪が石段に当たる音だ。

 長い階段を底まで降りると横にも縦にも檻が並んでいる場所に出た。

 檻の中には角の生えた赤い鳥やら、鋭い爪で檻を殴り続ける猿なんかがいる。他にもたくさん、角のある彼らが入れられている。


 魔物たちだ。


 先ほどの足音は僕の後ろから今も聞こえており、その主は「ひぃ!」と声を上げた。

 蔵の扉を開けてきてしまったのか、外で騒ぐ人たちの声がここまで聞こえる。

 足音が誰かという事には心当たりがあったけれど、それでも用心して顔が見えるのを待った。

 やがて灯りの中に見えたのはフサフサの白い尾だ。窓のないこの空間に置かれた、朱く揺れる燈篭。自分の体より大きなそれにしがみ付き震えている、白狼に変わり始めている少年。

 手にも足にも鋭い爪があり、肘から下は毛に覆われている。

 それなのに入院着から見える顔は先ほどまで熱を出して寝込んでいた少年の、人によく似た顔だ。


「来ちゃったんだね」

「あ、灯屋さん⁉ いるの⁉ どこ?」

「ここにいるよ」

 僕は魔法を解いて姿を現す。

 姿が見えた途端にケンくんは怒鳴るけれど、その声は震えている。


「僕に何を飲ませたの? おかげで獣病になっちゃっただろう! どうしてくれるんだよ! これじゃ熱が下がっても何の意味もないじゃないか!」

「具合はどう?」

「もう……なんともない」

「それは良かった。ついておいで」


 ケンくんは素直に僕について来る。少し距離を取って、しゃくり上げながら。

「どうやって追って来たの?」

「ニオイがしたから……」

 僕は、ここにいると思われる白い雌の狼魔を探す。そうしながらケンくんに聞いてみた。


「ここはどんなところだと思う?」

「え? そ、それは……獣病の……」

「うん。そうだね。じゃあ獣病ってなんだと思う?」

「獣になっちゃうんだ! もう二度と人には戻れない怖い病気だよ!」

 叫んで泣き出すケンくんの声を聞き、檻の中の魔物たちが黙る。


「ケン?」

 陰の奥から透き通る声が聞こえた。

「母さん?」

 ケンくんがその檻に走り寄るのを、僕は止めなかった。檻の中の母、白い狼魔に縋り泣く背中に僕は告げる。


「本当は獣病なんて病気はないんだよ」

「え?」

 ケンくんが声を漏らす。檻の中の魔物たちは物音一つ立てないで聞いている。


「どういう事?」

 ケンくんが促すので、僕は少年の母である狼魔の顔が見える場所まで行って口を開く。

「自分の本当の姿を思い出しただけなんだよ」

 何も言えないケンくんの代わりに、母の狼魔が言う。

「そうかも知れないと、思っておりました」


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