魔物の石薬――伍
「どういう事⁉」
狼になってしまった手足で、ケンくんが僕に詰め寄る。
「そのままの意味だよ。魔物って知ってる?」
「学校で習ったよ。昔、僕たちの敵だった奴らでしょ? でも人が力を合わせて倒したんだよ。だからもう魔物はいないんだ」
「それは間違いだよ。魔物はここにいる」
「母さんは魔物じゃない! 酷いこと言うと許さないぞ!」
本能のままに飛びかかって来たケンくんを、魔法で押し留める。
これには事情を飲み込み切れていない魔物たちも驚いた。
「人間は魔法を使う、僕みたいな種族のことを言うんだよ」
「ま、魔法……虫の天災じゃないの?」
ケンくんは宙に浮いたまま目を見開く。
「人間は人付き合いに絶望して虫の生を選んだ。だから絶滅したって言われているんだよ。でも僕は人間に戻った。一万と千年ぶりにね。そうしたら魔物たちは見当たらなくて、見覚えのない尾人という種族がいた」
「おかしいよ! 僕たちは人だもん! 僕たちが魔物を倒したんだ!」
「魔物は人間の敵だった。どちらが悪という事はない。ただ、どちらも生きていただけ。魔物たちは魔法を使えないけれど強く、気高くて、いい敵だったと思っているよ。でも人間がいなくなってしまって、魔物は敵を失った」
ケンくんを床に降ろし、魔法を見せるためにも蔵の扉を閉めた。
燈篭の朱い光だけが空間を照らし、魔物たちの陰が揺れる。
「何故かというのは想像になってしまうけれどね、おそらく張り合いがなくなったんじゃないかな。それで闘争心を失い、長い年月をかけて姿が変わっていった」
それは人間が使わなくなって余ってしまった魔力のせいかもしれないと思う。それらが世界の釣り合いを取ったのだ。
何も言えずに聞いている彼らに、僕は一つも隠さず伝える。
「尾人は魔物だったんだ。魔物は尾人になったんだよ」
「そんな⁉」
声を上げたのはケンくんだけだ。
魔物の姿になってから長いこと閉じ込められているであろう彼らは気付いている。この姿が誤魔化しようもなく自分自身であると。
「でも、そんなの……みんな絶対に認めないよ。認めないから僕たちの方がおかしいって言われるんじゃないか。やっぱり、僕も檻に入れられるんだ……」
「ケン……」
泣き出したケンくんを連れて、僕は母狼魔の檻の中に入る。怯えたのは二人の方で、ケンくんはフサフサのその体に飛びついていく。
僕は段々と首元まで狼魔になりつつあるケンくんのために御守りを作ることにした。
落ちている小石を一つ拾い、それに魔力を集める。小石はすぐに真っ黒になった。そこに姿を固定する魔法をかける。
その様子を、親子は呆然と見ている。
「これを握って」
「う、うん」
握った指先から肌色を取り戻していく。
僕の予想は当たっていたようだった。魔力が彼らを尾人にしているのだ。しかし何かのきっかけで彼らは本能を思い出す。
「もどった……戻ったよ!」
喜ぶ親子を見ながら僕は今までよりも大きな声で言う。
「この場の全員に聞いていただきたい! 僕はそう遠くないうちに世界へ向けて革命を起こします! 今この場で全員を尾人の姿に戻す事は可能ですが、必ず本来の姿で暮らせる世界にします。それまで今のまま待っていてはもらえないでしょうか?」
待ってやるさと、誰かが言った。
そして母狼魔が僕を見つめる。
「またこの子と暮らせるのですね?」
「はい。必ず」
「約束を守って頂けなければ、私はあなたを噛み殺してしまうかもしれません」
「それで構いませんよ」
「分かりました。あなたを信じて待ちます」
魔物とこんな話ができるとは、一万年の昔には思いもしなかった。
僕はケンくんの前にしゃがんで聞く。
「今度も敵でいてくれるかな?」
「僕、灯屋さんのこと嫌いじゃないよ?」
「それでもさ」
「敵は嫌だな。お友達がいい」
「そうか。それでもいいのかもしれないね」
いつまでも一緒にいたいだろうけれど、僕は親子を引き離す。そしてケンくんを部屋に戻す前に約束をした。
「世界がひっくり返るその日まで、絶対にその御守りを離さないでね。良い尾人の振りをして、何も変わらない生活をするんだよ」
「うん。約束する」
答えながらも母親から離れられないケンくんに「お母さんに会いたくなったら灯屋へおいで」と伝えるとようやく笑顔が溢れた。
「魔法で連れて来てくれるの?」
「そうだよ。だから自分でここへ入ろうとしちゃ駄目だよ」
そうして僕はケンくんと二人で姿を消して、重症患者が行方不明になったと大騒ぎをしている尾人たちの間を走る。
石薬ですっかり治ってしまっているケンくんは、それが自分の事だと分かっていないみたいだ。
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