魔物の石薬――参

 病院に入るのは初めてだ。僕は人間で、尾人には治せないから来なかった。

 階段下に見えるのは『魔病科』の大きな待合。

 頭に花が咲き乱れる者、泣きえずく口からマグマを吐く者など様々な患者がいる。それは全て、虫の起こす天災で何らかの異常をきたした者たちだ。

 はっきり言って魔法以外では治せない。

 怪我やちょっとした不調くらいなら尾人にも薬草は多少の効果を発揮するけれど、それ以外のほとんどは石薬か魔法でなければ治せないのだ。

 そして魔法は人間にしか使えない。今のところは、だけれど。

 五階に着くと子供の声がそこら中から聞こえる。笑っているならまだ良いけれど、喉が擦り切れたような泣き声が重なるのは苦しくなる。


 二号室『ケン』と書かれた部屋の扉を叩く。

「灯屋です。商品をお届けに参りました」

 パタパタと足音がして「商品て?」という話し声がする。

「はい」

 扉を開けたのは、あのお婆さんの孫の青年だ。

「先ほどご購入いただいた灯りをお届けに。今よろしいでしょうか?」

「あぁ、はい、どうぞ。婆ちゃんですか?」

「えぇ。病気のお孫さんにと」


 中に入ると、そのお婆さんが照れ臭そうに笑っている。

 僕はお婆さんの前に行き、行李を下ろす。

「お待たせして申し訳ありません。先に商品の確認を」

「いいのよ。そこに飾ってあげて。ちょうど起きてるから」

 熱で焦点の定まらない目で僕を見る白狼の少年。見たところ九つくらいだろう。

 枕元の机に飲みかけの水が置いてある。「そこにお願い」と言うので、僕は布に包んだ灯りを行李から出す。


 そこは窓から陽が差し込むいい位置だ。

 布を解くと、こちらを見る少年の目が輝いた気がした。

 多面体の硝子の中で深い青色の灯り石が海を思わせ、水晶の鯨や魚たちが陽の光さえ受けて今にも泳ぎ出しそうだ。

 本当に泳がせる事もできるのだけれど、魔法を使えないのでお預けだ。


「素敵ねぇ。ありがとう、灯屋さん」

 お婆さんが言うと、青年が灯りを覗き込む。

「これ、どうなってるんですか? どこにも切れ目がありませんけど」

「えぇ、水は変えなくても大丈夫なんです。作る時に完全に塞いでしまっているので。何か壊れたりした場合には修理しますので、いつでも言って下さい」

 僕は布を行李にしまうふりをして、例の石薬を取り出す。


「婆ちゃん。こういうのは俺が買うのに」

「いいのよ。私が何かしたかったんだから」

 二人の目がしっかり合った瞬間を見計らって魔法を放った。数分だけ意識を奪う魔法だ。効果が切れるまで目の前の物にしか意識を向けられなくなるので、隣で爆発が起きても立ち尽くしたままになる。


 僕は石薬を素早く飲みかけの水に混ぜた。

「ケンくん、僕のした事を誰にも言ってはいけないよ。さぁ、飲んで」

 何か言う力も無いのか、ケンくんはじっと僕を見るだけ。抱き上げた体は作り立ての湯たんぽのように熱かった。

 水を飲み干したのを確認して、僕はもう一度言う。

「いいかい? お前が飲んだのはただの水だよ」

 ケンくんは小さく頷いた。

 行李を背負うと、魔法の切れた二人が何事もなかったかのように礼を言う。

「それでは失礼します」



 病室を出て廊下をうろつくと、絶望した顔の尾人たちが溜息を吐いている。

 薬草では治らないのだろう。

 当然だ。石薬でなければ。石薬を飲めば一日とかからずに治るというのに。石薬が尾人に効くと認めたくないばかりに多くの命が失われていく。

 ここらで革命を起こさなけばと、僕は声には出さずに誓う。



 僕は姿を消して病院の中を歩き回る。

 札のない部屋の中に五人の医者がいた。紙の上に顔を突き合わせて深刻な声で話す。


「もう打つ手がない。薬草では駄目なのだ」

「しかし、我らは先人たちの書物の通りにやっているのだぞ」

「処方を変えてみますか?」

「いっそ安楽死を……」


 話を聞いていると、どうやら尾人たちは僕たち人間が生きていた時代に書いた書物を参考にしているようだった。

「投与量が足りぬのではないか?」

「生活改善が一番だろう」

「やはり石薬を試して……」

 そう発言した若い医者は、最後まで言えずに胸ぐらを掴まれる。


 体力が桁違いにあり、細かい作業は苦手。

 感情を抑える事ができなくて一人で行動したがる。

 しかし敵を前にすれば協力する事も可能。

 仲間を守って死ぬ事は彼らにとっての栄誉だ。


 それが彼らだったと言うのに、僕が一万と千年ほど人間を辞めている間にすっかり忘れて自分を見失ってしまった。

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