海豚の着物――伍

 僕らは歩いた。先頭は僕だ。ノウミは海豚と遊びたいヤマトと一緒に一番後ろを、少し離れて歩いている。

 地面はずぶりと足を取られそうになる腐葉土だ。木の根に引っかかり、何も落していないのにガシャンと音がした。

 湯気の立つ実が生っている。掌ほどもある大きな黒い実だ。触れると熱い汁が溢れた。


「飲めるのか?」

 猫男が聞く。僕が答える前に猫女が「不味そうだ」と言ったのでそれで話は終わり。

 そのまま歩いているとドカンと壁にぶつかった。

 景色は森のままだ。目の前に見えているのは前後左右、同じ森。しかし手で触れると、確かに冷たい壁の感触があった。


「す、進めないですかね」

 震える声で狐男が問う。

「そうですね。別の道を行きましょう」

「ふん! 先頭がまごつくと後が困るんだぞ!」


 僕の言葉にすかさず噛みつくのは、もちろん猫男だ。そろそろ僕たちの誰もそれを相手にしなくなっていた。

 狐のカップル二人はさっき男の顔が猫になった事に怯えているようで、猫男の後ろを静かに付いて歩く。

 同じ景色ばかりで方向感覚もなく歩いていると、森に似つかわしくない大岩を見つけた。

「これを目印にしましょうか」

 僕は大岩に背を向けて皆にそう言った。


「アメノ! 後ろ!」


 ノウミが叫ぶので肝を冷やしたが、振り返ってさらに冷えた。

 大岩からたくさんの口が生え、ニタッと笑っているのだ。生えているのは口だけ。犬や鳥、人間たちの口だ。呆気に取られていると、それらが一斉に笑い出す。

 僕たちは絡まる足を引き摺ってその場から大慌てで離れる。我先にと、自分の女を置いて走る男が二人。鬼にも負けない顔で怒り狂う女が二人。

 それを見た僕は、もう大岩の粘っこい笑いが恐ろしくなくなっていた。


「その辺にしませんか」

 ヤマトが怒りを抑えない二組に言う。

「私を置いて逃げたのよ! 許せなぁい」

 中年の猫女が女を前面に押し出した雰囲気で訴える。一方、若い白狐の女は尾の毛を逆立てて怒っている。

 僕は尾人の四人に見咎められないよう注意して、眠りの魔法で四人を包む。魔法というものを知らない尾人だから隠せるのだ。

 四人はフラフラと木の根元に寝転がり、すぐに寝息を立てはじめる。


「すごく厄介な客だよな」

 疲れ切った顔でヤマトが愚痴る。

「で、これからどうする?」

 ノウミが僕に聞く。僕はもう一度、四人が眠っている事を確認して話す。

「誰か一人がここに残って、二人で調査に出よう。ここが何処か知らないとね」

「俺は残りたくないからな!」

 そう叫ぶヤマトのために、ノウミが四人の護衛として残る事になった。

「気を付けてね。特にあの猫男には」

「あぁ。出来る限り助けたいと思っている」

「そう」


 ノウミを残し、僕たちは魔法を使ってバッタのように森を移動する。

 辺りに生き物の気配はなかった。虫も尾人もいない。獣たちもだ。妙なことに、快晴の空には太陽の姿さえも見えないのだ。

 墨絵の鳥が葉にぶつかって墨になる。ポタポタと滴り落ちる。

「おかしいぞ、アメノ。あれは魔法で作られた鳥だ」

「そうだね。もしかすると虫は一匹じゃないのかも」

「まじかよ……」


 僕はあの時、店内で見た三か所の光について話した。光がそれぞれ虫だったのなら、三匹いる。

「一匹は僕たちを転送した虫だろうね。もう一匹は墨の鳥? 天災がそれだけって事はないから、ここに他の生き物がいない事の何かなんだろうね」

 僕の話を聞くと、ヤマトは大きな溜息を吐く。

「姿が見えない、どんな天災を起こしたのか分からない、三匹いるかもしれないって、もうやる気なくなる要素しかないじゃないか。こんな厄介な虫は捕まえるの止めないか?」

「きっと、やめたら帰れないよ」

 ヤマトが二度目の溜め息を漏らす。


 元蝉の幼虫のヤマトは面倒ごとが大嫌いだ。好きな物は女性と海豚。

 僕は彼が人間に戻った時の話を思い出していた。ヤマトは先代が戻した人間だ。首筋から伸びる蔦の病に悩んでいた彼が起こした天災も蔦だった。入る者をことごとく締め上げる蔦の森をつくったのだ。

「地面の中にいないかな?」

 僕が聞くとヤマトは首を振った。

「どっちかって言うと上だな。こういう時は変なところを探すんだよ。そこに虫がいる。鳥も太陽も上だろ? 例えば……」


 ヤマトの言葉を聞いて何気なく向けた枝先で、緑の光が反射した。

 そこへ手を伸ばすと視界が揺れる。

 ごぼごぼと肺から息が漏れ出して苦しさに不安が押し寄せる。けれど首に手をやって藻掻く仕草は少しの救いももたらさない。


 何かが見えた。ひしゃげた表情をした人間の女だ。誰かがそれを見上げている。

 綺麗なのか丸っこいのか、どうしても顔の分からない女がひしゃげた顔のまま狂ったように叫ぶ。その声は聞こえない。

 喉元で、目の横あたりで……感情が破裂するのを感じた。

 すると、それらの映像は泡に包まれてすぐに見えなくなっていく。


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