夢の袖――拾壱
川底は剣を構える渦巻きで埋め尽くされている。それらが水面の近くで列を成し始める。
「一体、何人の虫を食ったんだろうね?」
僕はまず川を凍らせて牢獄を作る。
最後の抵抗で人ツムリたちが上げた水飛沫は、落ちることなく凍り付く。
「一体ずつ渦巻きを狙えばいいんだな?」
「本来ならね」
「本来ならってどういう事だよ!」
ノウミは、自らを砲弾のようにして飛び出して来た人ツムリたちを振り払う。
魔法で網を作ってそこに投げ入れているようだけれど、攻撃をしないのはやはり同情心があるからだろう。
僕はその網の中にいる全ての人ツムリの渦巻きに、次第に全身が凍り付く氷毒の針を突き刺した。殻には穴が開き、ひび割れた所から赤い肉が見える。
「さっき僕たちが殺した奴が群れの長だったのだろうね。僕らは大事な長の仇なんだよ」
ノウミから返事の声はなかった。どういう意味の沈黙にせよ、群れを全滅させるまでは帰れない。
ノウミは水ごとやつらを空中に放り出し、横向きに並べて見せた。
しかし奴らも黙ってはいなくて、一斉に人ツムリの殻が紫色に光り始める。もう一度と飛ばした氷毒の針は、風の壁に弾き返された。
「どうする?」
ノウミが僕に聞く。その言葉が遥か遠い過去と重なって聞こえ、心臓が跳ねた。
「ちょっと待ってて」
「え? おい!」
僕はノウミをその場に残し、来た時と同じ魔法で灯屋へ戻った。
何をするか分かっているのだろう。女王様が僕を睨み付ける。
それを気にもせず、僕は水槽の下から塩の五キロ袋を担ぐ。そうして立ち上がらないうちに、また転送魔法であの川に戻った。時間にしてほんの数秒。
僕は持って来た塩の袋を乱暴に破り、丸ごと川へ溶かし込む。氷の牢獄の中で濃い塩水ができあがる。
「チャンスは一回だ。そうでなければ殻の奥へ逃げてしまうからね。そこへ石か何かで蓋をされたら何の意味もない。ノウミ。その人ツムリたちの殻口を下に向けて、全員を頭から叩き落して」
「分かった」
僕は茶色の渦巻き全てに魔力封じを施す。
茶色の渦巻きは上げる悲鳴もなく、ボトボトと塩水の中へ落ちていく。目玉くらいの者や椿の実くらいの者たちが、紫色の涙を流して落ちていく。
二人いればこういう戦い方も出来るんだ。今回はだいぶ小さいのばかりの、できて数日程度の群れだったから成功したとも言えるけれど。
「僕だってね、罪悪感がない訳じゃないんだよ。でも僕らを食うと言うのだから」
「分かってる。俺もどこかで鳴いてる師匠を食われちゃ堪らんからな」
ゆらゆらと渦巻きが川面に浮かび始める。
僕たちはそれを土に埋める。その時に、先に氷毒でやった方の殻だけは行李の引き出しに入れた。
「それ持ち帰るのか?」
石を積みながらノウミが聞く。
「うん。ちょっとやる事があってね」
ふぅんと気のない返事をする目は、山の斜面に向けられている。
「仕方がないよ。それに尾人たちは楽しそうだったじゃないか」
「仕事ができなかったのも私のせいだ。なぁ、やはり私はここに残って……」
「残って彼らの仕事をやっちゃうの? 止めときなよ」
「あぁ……それもそうだな」
なおも落ち込むノウミに僕は今までに出会った虫たちの天災の話をした。話をしながら、足元からそぉっと二人で灯屋に戻る。
大勢の男たちの足音と鬨の声を聞きながら、足元が灯屋の石の床を捉える。
鼻をくすぐる風はまだザラザラと土の香りを孕んでいる。
これから僕たちを探して走り回るだろう雀男を思うと、申し訳なさが込み上げた。
やがて風が止み、ほんの少し生臭い水槽の臭いを感じた。
目を開けると、もうそこは灯屋だ。
昔ならこんな大移動を、陣に頼らない魔法では行う事なんかできなかった。使わなければ溜まって淀んでしまいそうな程の魔力が溢れている今だからこそできる魔法だ。
ノウミがすぐさま水槽の人ツムリを見つける。
「なんだ。殺さないのもいるんだな」
「殺さないよ。すぐにはね」
僕が答えると表情に不安を滲ませた。完全な悪ではないただの敵。だから迷うのだろう。
「何故こいつ一匹だけ?」
「人ツムリはね、すぐに増えるんだよ。さっきの川の群れみたいにね。だから一匹じゃないと駄目なんだ。生まれた奴らは初め砂粒ほどしかないから完全な駆除は無理。見つけられる大きさになった頃には百はいるだろう」
「すごいな。でも大丈夫なのか? 魔法使うんだろ?」
「あぁ。今は水槽の内側に魔法を跳ね返すよう細工したから問題ないけどね、初めは酷い目に遭ったよ。僕は魔力を残らず抜き取ってから入れたのに、また溜めるんだ」
行李を下ろしながら、はたと塩が無い事に気付く。会計机の下から新しい五キロ袋を取り出して水槽の隣の塩壺に移す。
ノウミが聞く。
「なぁ、教えてくれよ。なんでこの一匹だけ飼ってるんだ?」
塩壺から一つまみを水槽へ溶かす。
女王様は岩の隙間へ入って隠れたつもりらしいけれど、水に蔓延する毒からは、水から出る以外に逃げる方法はない。
ノウミは恐らく、僕が何をしているのか分かっている。分かっていて黙って見ている。女王様が咽てボコボコと泡が上がった。彼女は薄っすらと血が流れ出る程、喉を掻きむしる。
「僕が悪人に見える?」
「い、いいや」
僕に何か聞こうと言葉を発しては飲み込むノウミ。
「人ツムリたちにとっては悪人でしかないだろうね。でも僕は虫を、人間を守りたいだけなんだ。そうしたら諦めが悪いから捕まえて拷問するしかなくなったんだ」
話しながら、行李から持ち帰った人ツムリたちの殻を取り出す。それを苦しむ彼女の元に落とす。殻は十三あった。
「さぁ、女王様。絶望の時間だよ」
彼女の周りの水が薄紫に染まっていく。
それは涙。人ツムリの涙だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます