夢の袖――玖
魔法で作った物なら魔法で消せばいい。僕はこれ以上ここが崩れないように、慎重に角を選んで消していく。
やっとの思いで外に出ると見覚えのある川原だった。あの尾人の親子と会った場所だ。
僕たちは昔に潰された鉱山の出入り口から這い出て来たようだった。
外に放り出した魔物の子は見当たらない。どこか遠くへ逃げたのかもしれなかった。
地面のあちこちが崩れて角が飛び出し、穴が開いて岩土が剥き出しになっている山。
広げられたままの茣蓙の上にお弁当箱が転がっている。靴も三足。
尾人の親子はいない。
辺りに血の跡はなく、肉片もない。
「アメノ?」
ノウミが不安そうに僕を覗き込む。
「お前は一人も殺してないよ」
「そうだといいが」
耳を澄ませると遠くで尾人たちの騒ぐ声が聞こえる。騒ぐのも無理はないだろうと、半分ほども崩れた紅葉山を見て思う。
土煙が景色を霞ませる。度重なる爆発と人間に戻す時の魔法で山に溜まる魔力をだいぶ使ったらしく、もう近くに海豚は見当たらない。
「どこまで覚えてる?」
「今どんどん薄れて消えている所だ。暴れた事はよく覚えている。それから……あの時の光景だけは消えない。師匠はあの後どうしただろうか?」
魔力の海で見た革の鎧姿のノウミがうな垂れる。
「あれから一万と千年ほど経ってるからね。生きてはいないと思うよ」
「そんなに⁉」
ノウミが壊れた笛のような声を出す。
人に戻ってからこれを説明するのがなかなか大変なのだ。
僕たちは虫の時間を生きていた。それは幾億の儚い生を生きていた事を意味する。
連続しない時間を推し量る事などできないのだ。過ぎ去った膨大な年月は、変わってしまった世界を見て納得するしかない。
「人間は絶滅したんだよ。お前みたいに虫になる奴が増えてね。ちゃんと死んだ人間もいるけど、全体の二割くらいじゃないかな」
「八割……虫……」
ノウミは目玉が口から落ちそうなほど、どちらも開けっぱなしになっている。
「大丈夫?」
「あ、あぁ……ん? それなら師匠も虫になっているかもしれないんだな!」
「そうだね。虫になった人間は百億ほどいるけどね」
またノウミがうな垂れる。
「僕もね、生前と言うのかな。とにかく知り合いには会ってないんだ。今この世界には人間も魔物もいない。尾人がたくさんいるから、取りあえず尻尾を生やしてくれない? 何でもいいから見つかる前に」
「尻尾? 人間のままじゃ駄目なのか?」
「今、人間は絶滅したって言ったばかりだろう? 僕たちは生きた化石なんだよ。見つかると面倒だからね」
僕はそう言って尻から生える鶏の尾を揺らして見せた。
ノウミは少し考えてから、ひょろっとした紐のような尾で、先が筆のようになっているのを生やした。茶色い色の尾が所在なさげに股に張り付く。
「それ何の尻尾?」
「猪」
こうして元魔槍士で蝶々の、猪突猛進な猪の尾を生やした仲間ができた。
「私に用があったのか?」
ノウミはそう聞いた。なぜ人間に戻したのか、と聞いているのだろう。
「僕は灯屋の十七代目店主、アメノだ。仲間を探していたらお前の話を聞いたんだよ。夢を叶えるために強い仲間が必要なんだ。手伝ってもらうよ」
ノウミは少し笑って答える。
「どうせ頼りはお前だけなんだ。悪いこと以外なら手伝おう。住む場所もないしな。それで、アメノの夢というのは何なんだ?」
言葉も彼の性格と同じで、真っ直ぐ回り道をしない言葉だ。
「全ての人間を復活させる事だよ」
止めてくれとでも言いたいのか、一斉に虫たちが鳴きだした。
それらを捕まえてしまおうと両手を掲げ、掌に魔力を集める。そこに「誰かいないか!」と叫ぶ声が聞こえた。
「尾人が来た。いいね? お前は猪の尾人で、別行動をしていたうちの従業員」
「あぁ。なるべく喋らないでおく」
崩れる山を駆け上がって来たのは鉱山の作業員らしい男たち七人。僕が聞き込みをして回った男たちだ。
その中には、絶対に泉から下には行くなと教えてくれた雀男もいる。
「あぁ! いたいた! 兄ちゃん無事か⁉」
「えぇ。お陰様でこの通りです。しかし山が崩れてしまっては困りましたねぇ」
男たちは生き生きとした顔で崩れた所から中へ入って行く。
雀男は尾を絶えずパタパタと動かしながら答える。
「いや、仕事があるだけ今朝までよりマシだよ。岩を退かして土を運んで、これから忙しくなるぞ。これで人死にさえ出てなきゃいいが」
雀男は言いながら広げられた茣蓙を見つけた。
「あぁ、驚いて逃げたようですよ」
そりゃあ驚くよなぁ、と雀男は頭を掻く。
「まぁ怪我がないとはいえ、今日は町で休んで行きなよな。そっちの人も」
雀男に話を振られ、ノウミは丁寧に頭を下げる。
「初めまして。私はノウミと申します。別行動をしていた灯屋の従業員です」
まるで台本でも読むかのように、ノウミは挨拶をする。その様子に溜息が出る。ノウミは本当に真っ直ぐにしか生きられない男なのだ。
話の流れを変えようと、僕が口を挟む。
「もう一泊していきたい所なんですがね、仕事があって帰らなければならないんですよ。少しばかり遠いものですから」
「へぇ。どこから来たんだ?」
「桐花の都から」
「桐花? 大河の向こうじゃねぇか。走っても三日はかかるだろう」
「えぇ」
尾人の体力や筋力は人間の比じゃない。魔法に頼って移動をする人間では考えられないほど速く、長く走っていられるのだ。
ある尾人は高く跳び過ぎて屋根を壊したし、ちょっと買い物が山二つ向こうと言うこともある。
満月の夜に遠吠えが我慢できなくてご近所問題に発展した、なんていう尾人もいた。
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