第二話 アステリオスⅠ(12)
アステリオス計画の被験者のひとりである『相馬和弘』と接触した史人は、施設本部に足を踏み入れ、そのまま臨時で宛がわれた部屋に入った。
「どうだった?」
入るなり、声をかけてきたソファーに座る男に目をやった。
「なんのことですか?」
しらばっくれてみせるも、そう訊かれている時点で見られていたのだろうから、これもひとつの社交辞令のようなものだ。
「どうして被験体に接触した」
史人はローテーブルを挟んだ対面に座り、男を見据えた。
先進技術研究所(Institute of Advanced Techonology)――IATの所長、田崎を前に、史人は臆することなく言葉を発した。
「Lシステムは私のすべてです。その一端を担う若者がどんな訓練を受けているのか。知るのは当然の権利だと思いますが」
「なるほど。Aのほうは問題ない。ここには経験豊富な人材がいる。被験体の教育は、彼らに任せればいい。それよりも、Mはどうなっている?」
「完成済みです。LシステムをSIAのメインフレームに導入後、稼働させます」
「その前にテストはしないのか?」
「自分で言うのもあれですが、不用意に稼働させないほうがいい。もし手違いで目覚めさせでもしたら、すべてを破壊し尽くすまで止まりません」
「ふっ、恐ろしいな」
口ではそう言いながらも、鼻で嗤うその様子は、どこか楽しんでいるようにも見える。
「AとM――このふたつを持って、Lシステムは完成する。だから、そのAの方を視察に来たんです」
「わざわざ付いてきたいと言ってきたときには驚いたが、まぁそういう理由なら仕方がない。このシステムは、キミがいなければ完成しないからな」
「しかし、彼らは本当に志願者なのですか?」
訝しむ視線を向けると、田崎は嘲るように言った。
「あいつらは、いわゆる社会負適合者だ。十代で犯罪に手を染めたクズだ。殺人罪で警察に手配されていた奴もいるくらいだ。そんなどうしようもない奴らを、国のために役立てようとしているんだ。そんな奴らがどうなろうと、知ったことではないだろ?」
「だが、私が話した彼は、とてもそんな風には見えなかった」
「それは、いま残っている被験体はほとんどが矯正済みだからだ。あいつらはすでに言われたことに対し、なんの疑問を持つこともなく、毎日の訓練に励んでいる。どれだけ死ぬ思いをしても、投げ出すこともない。そういう風に教育したからな」
「……」
直前に話していた彼のことを思い出す。
確かに、彼にはまるで意思というものが感じられなかった。
それがここでの訓練による賜物なのだと言われればそれまでだが、それでも史人には、しこりのようなものが残っているのだ。
娘のために、二度と国内でテロが起きないよう、絶対的な防衛システムを開発した。
娘だけじゃなく、日本に住む人々のためを思って。
だけど、そのシステムのために犠牲になっている国民がいる。
それは、本当に正しいことなのだろうか。
あのときは、むしろ自分も肯定側だったが、こうやって考えれば考えるほど、思ってしまうのだ。
このシステムが完成して、それで娘に胸を張って堂々と接することができるのか。
あのテロで命を失った妻に対し、墓前で報告できるのだろうか。
「なにも気にすることはない。あんなやつらがどうなろうが、気にする人間など誰ひとりとしていない。すでに最終試験までに何人も落とされている。そいつらがどうなったかは、今さら言うまい」
田崎が立ち上がり、部屋を出て行こうとする。
「システムを完成させたいのならば、非道になれ。キミも私も、すでにもう戻れないところまで足を踏み入れているんだ。ひとりだけ後戻りなどできん。すれば、全員が道連れになる。間違っても、変な気は起こすなよ」
そう言って、田崎は部屋を出て行った。
「はぁ……」
ひとりになった史人は、ソファーに埋もれるようにして背中を預けた。
思むろにスマホを取り出し、ロック画面を表示する。
そこに映っているのは、妻の秋乃と、八歳になった娘の春花。
秋乃をテロで失う前の、唯一のツーショットだ。
珍しく秋乃が春花と一緒に撮ってくれと言うので撮った写真だったが、それがまさか、こんな形で遺されるとは思ってもみなかった。
ロックを解除し、ホーム画面になると、そこには一年前の春花の写真が映っていた。
史人は毎年、春花を連れて、テロで爆破されたビルの跡地に献花をしに行っていた。
今では複合商業施設が建っており、毎日賑わいを見せている。
そのビルの裏にひっそりと慰霊碑があり、この写真はそこで撮ったものだ。
献花する花を手にカメラに写る春花は、どこか憂いて見える。
場所が場所なだけに、心からの笑顔を浮かべることなんてできるはずがない。
それでも、ここが秋乃が命を失ったところだから。
春花の成長を見せたい思いもあり、ここで写真を撮ることにしたのだ。
春花も嫌がることなく、史人に撮らせてくれる。
今年も、もうその日が近づいている。
アステリオス計画は明日で最終試験を迎え、それに伴い、Mの方もLシステムの完成に合わせてお披露目となる。
もっとも、Mは田崎にも言った通り、実際に稼働させることはできない。
Mはいわば眠れる子。
それを起こす存在に対し、攻撃を仕掛け、徹底的に破壊する。
だからMは、たとえ試験だとしても、目覚めさせてはならない。
創った自分でも、恐ろしいと思う。
しかし、いまやテロと言えば、単なる物理的なものだけでなく、インターネットによる攻撃――つまりサイバーテロも脅威となっている。
サイバーテロともなると、攻撃は国内だけでなく国外からも仕掛けられる。
そのためにMがある。
日本は、平和な国だ。
それは恒久的に維持しなければならない。
だが、その反面、脅威にさらされたことのない日本は、それに対する技術の発展に疎い。
SIAという組織でさえ、他の国の情報機関からすれば赤子にも等しい。
それに、他国では公になっているが、日本ではまだSIAを公にするわけにはいかない。
日本国は決めたのだ。
日本の平和は、けっして公にはできない存在によって維持するのだと。
国民には知られることもなく、知らせることもない。
その存在を知ることなく、国民は日本を平和な国だと思い、一生を終える。
それでいい。
それこそが、世界が認める日本の平和の在り方なのだ。
そのためには、脅威に芽をいかに早く摘むかが重要となる。
そのためのLシステム。
そのためのAとM。
そのための――犠牲。
「仕方がない。仕方ないんだ」
自分に言い聞かせるようにして、史人は画面と消し、スマホを胸に当てた。
今日知ったばかりの彼と、娘を天秤にかけることなどできるはずがない。
どちらかを選べと言われれば、娘に決まっている。
決まっているのだ。
決まっているのに、
「はぁ……」
どうしてこんなにも、彼のことを考えてしまうのか。
そうして結局、史人は翌日の最終試験の日に立ち会うのだった。
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