第一話 アリアドネ(15)
和弘は顔を背け、右へ跳んだ。
一方の亮介は病室へと顔を戻す。
右壁に体を寄せた和弘は、見えやすくなった病室のドアに照準を合わせた。
ゆっくりと自動で閉まるドア。
その隙間に向かって威嚇射撃で一発放つと、和弘は銃口を向けつつ、後ずさった。
そのまま春花の傍まで移動する。
「エレベーターに乗るんだ」
「え……」
「合図をしたら、ストッパーにしているコートを外してくれ」
「……でも」
「いいな」
肩越しに振り返ったのは一瞬。
「行け」
そう言って、春花を隠すようにして前方に移動した和弘は、少しして足音が遠ざかって行くのを聴覚で捉えた。
「しかし……まさか本当に生きていたとはな、和弘」
わずかにドアを開いているのであろう、亮介の声が廊下に響く。
「亮介――お前、誰の命令で動いている」
時間を稼ぐため、和弘は口を開いた。
「誰だろうと俺たちには関係ない。俺たちはただ、与えられた命令に従うだけだ」
「それでいいのか?」
「いいも悪いもない。俺たちは、『そういう存在』なんだからな。まぁ、出来損ないのお前には分からんだろうがな」
「ああ、そうだな」
「和弘――お前はなぜ甦った」
「……」
その問いに、和弘はすぐには答えられなかった。
「たとえ致命傷でなかったとしても、そのままでいれば死ねたはずだ。にも関わらず、お前は埋められた土の中から這い出てきた。何がお前をそうさせた」
あの時の感情を思い出す。
「……生きたい」
「なんだって?」
「……死にたくない」
「死を恐れたと?」
「違う。死を恐れてはいない。ただ、生きたいと思っただけだ」
「……まさか、それだけか?」
「ああ」
「これは、傑作だな」
鼻で嗤うような声が廊下に響く。
そんな亮介に、和弘は時間稼ぎのためではなく、思ったことを口にした。
「俺たちは、なんのために計画に参加したんだ。誰にも認められず、必要とされず、ただ刑務所で暮らすか、誰かに殺されるかを待つだけの惨めな末路しかなかった俺たちが、どうして計画の申し出を受けた」
「……」
亮介が口を閉ざす。
その先の和弘の言葉を待つように。
「そこで、少しでもまっとうな生を享受できると思ったからだ。新しく生まれ変わって、やり直せるかもしれないと思ったからだ。だが、違った。だから、俺は否定した」
「それが、あの時のお前の行動か」
「ああ」
「信じた者の末路。実に滑稽だった」
「そうだな」
「だが、俺がお前を仕留め損ねた。お前をこの手で殺し、俺こそが『相馬和弘』になる」
「お前の名前も、俺の名前も、所詮は与えられたものだ」
「それでも……いや、だからこそだ」
「そうか」
亮介から感じていた気配が変わる。
「そろそろ終わらせよう。小畑史人から預かったものを渡せ。そうすれば、
「断る」
「そう言うと思ったさ。だったら、お前の死体から奪うまでだ」
エレベーターのドアが閉じては開いてを繰り返す音を聞いていた和弘は、ドアがコートを挟み、開いた音を聞いた瞬間、
「引け!」
叫び、後ずさるようにしてエレベーターに向かった。
その声を引金に、亮介が顔を出し、オートマチックを構える。
和弘は照準を定めるよりも早くトリガーを何度も引いた。
セミオートで連射し、亮介に射撃の機会を与えないようにする。
今の和弘は遮蔽物がないために身を隠すことができない。
だから、ここで弾を使い切ってでもこの場を乗り切らなければならないのだ。
相手は亮介だ。
狙いを定めさせる時間を与えてはならない。
だが、フロアに出たところでトリガーを引くと同時、スライドが後退したまま止まった。
スライド・ストップ――それはマガジンに装填されていた弾丸を使い切った合図。
和弘は焦る様子を見せることなく、P230を手放した。
それと同時に、まるで弾切れを予期――いや、発砲数を数えていた亮介が廊下に出て銃口を向けてきた。
だが、和弘は右手からオートマチックを手放すよりも前――最後の一発と分かっていた弾丸を撃つと同時、ズボンの腰に差しておいたもう一丁のオートマチックを抜いていた。
そこで亮介はおびき出されたことを悟った。
左手だが、それでも和弘の射撃能力が劣ることはない。
利き手とは逆の手でも、利き手と同じ射撃精度になるまで強いられた訓練が、ここで役に立った。
病室から出た亮介は、そこから留まらずに横へと移動した。
お互いの射撃はしっかりと狙いを定めていないために当たらず、壁を穿つ。
病室の反対側にあった受付に身を隠した亮介がすかさず反撃に出る。
和弘は顔を覗かせる亮介に対し、発砲した。
亮介はすぐに顔を引いて弾を避け、その合間を縫うようにして反撃してくる。
エレベーターのドアが開ききり、閉まっていく。
和弘は後ずさる動きから踵を返して全速力でエレベーターへと走った。
それを見た亮介が、ここぞとばかりに身をさらけ出し、発砲を繰り返す。
和弘は、ヘッドスライディングの要領で跳び込んだ。
ドアが閉まる寸前で箱の中に入り込むと、床を前転、起き上がりざまに振り返り、箱の奥の壁に背中をぶつけると同時、オートマチックを構えた。
向かって左、廊下の壁に体を密着させた亮介もオートマチックを構える。
そんな二人の視界を遮断するかのように、エレベーターのドアが閉まりきる。
その直前に見た亮介は――笑っていた。
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