40. 金環の檻

 不意の自動車事故で生死を彷徨さまよった阿東の娘は、深い影を帯びる。

 病室へ来たロクを、阿東は縫わないでくれと懇願した。今縫われたら体が持たない、少しだけ待って欲しい、と。


 通常ならそんな願いを聞き入れる彼ではないが、この時は阿東の懸命さに負けて条件を出す。

 影縫いに成れるなら待つ、自我を少しでも失った時点で縫う――この約束を阿東は守った。


 彼女は局が管理する縫い具を渡されて、影縫いとなる。

 ロクの予想に反し、その後の彼女は阪神方面で順調に影落ちを縫っていった。


「事故の時の傷痕が、大きく顔に残ってる」

のこ傷の影縫い、西陣にしじんが娘か」


 彼女は今夜、桂川で目撃されたらしい。

 よりによって、詠月側の尖兵として影縫いを三人縫ったそうだ。

 これを報告する阿東の声は、苦渋に満ちていた。


「西陣を正気に戻してやってくれ。烏丸なら可能だろう?」

「それは約束出来ない。縫ってどうなるかは、本人の状態に依る」


 独鈷杵は握りながらも夷川はその手を下ろし、話くらいは聞くということでまとまる。

 ロクは局への要求を簡潔に伝えた。

 真っ先に、上七軒を局の車で病院へと搬送させる。阿東の指示で担架が用意され、昏倒する影縫いは運ばれていった。

 彼に付き添う八坂と鷹峯を見送ったロクは、次の問題へと移る。


 御所周辺と加茂大橋で倒した連中を確保、特に嵐山が死亡しているようなら千手鈎を回収しないといけない。

 陽鏡の発動を説明すると、阿東は額に手を当てて嘆息を漏らした。

 調査にせよ、移動するにせよ、陽鏡を掘り起こす必要がある。清涼殿の基礎深くに埋められたとされる鏡は、そう簡単に取り出せないと言う。

 今夜の騒乱は大規模で、死人も多数出ている。事の重大さを訴えて関係省庁に要請はするものの、時間が掛かるというのが阿東の予想だ。


「なんなら俺たちが清涼殿を燃やしてやろうか? 仕事がやりやすくなるだろ」

「いや、それは……最後の手段にしてくれ。せめて伏せてる資料だけでも吐き出させよう」

「それなら、鬼門と月輪についても尋ねろ。この領域を解除したい」

「領域というのは、月輪が作った影のことか」

「どれくらいの広さか分かるか?」


 阿東は専用端末から副長を呼び出し、現在の市街状況を報告させた。

 式紙が真っ黒になり、使い物にならなくなった時点で、局も異変を認識する。

 ロクたちはいつも以上に目視で捉えづらく、詠月戦後の隠形を解いた彼らでなければ、包囲もままならなかった。


 街に散った局員によると、領域の北端は御所のすぐ上、上立売かみだちうり通の辺り。東は鴨川が境界になるらしい。

 南と西は調査中で、かなり遠方まで広がっているのは確かだ。

 旧内裏内を超えて、桂川の両岸にも深い影が落ちていた。


「鴨川が境界線なのは、間違いないんだな?」

「東岸の川端かわばた通では式紙の反応が無い」


 陽鏡、または猿が辻を中心にして円形に領域が形成されたというロクの考えは、当てが外れた。

 鴨川に沿っているなら、かつて都を守ったという方形の結界とも似ていない。

 地形に逆らわず、南へ影を垂れ流したような――。


「錦、真南へ矢を射てみろ。軽く、真っ直ぐに」

「えっ、うん」


 阿東が片手を挙げて、部下に待機を伝える。

 南にいた警官を退避したところで、錦は水平射撃で矢を放った。


「曲がったな」

「ほんのちょっと西へ引っ張られたみたい」

「微かだが、影が流れてるんだ」


 まだ陽鏡が吸っているのか、他に要因があるのかは、この場所からは判断しづらい。

 ともかく行動を開始しようと、ロクたちは局の車へ向かった。


 サイドウインドウに金網が嵌まるグレーの輸送車は、逮捕者の移送を連想させ、夷川の顔付きがまたもや険しくなる。

 奈良でも会った山岸がドライバーで、車の外で彼らを出迎えた。

 ロクは車の種別よりも、山岸の隣に立つ男に呆れる。


「病院へ行ってないのか。さっさと傷を縫ってもらえ」

「行ったよ、もう。その後、急いで戻って来たんだ」


 月輪の影が広がったのを見た吉田は、病室を飛び出して各所に電話を掛けた。

 集めた情報をロクへ伝えようとしたが通じなかったため、直接御所へ来たそうだ。

 水没したロクのスマホは、電源すら入らない状態だった。


「桂川周辺じゃ、まだ戦闘が続いてる。敵の縫い具持ちが強いみたいなんだ」

「詠月の居場所が分からんと、動きにくいな。領域内にいるのは確実だろうが」

「それ、その領域だけどよ。影縫いじゃ、境界線を越えられないらしい」


 街の南東にいた影縫いは、宇治川を越えようとして体を焼かれかける。

 境界の外縁には、影の乾き切った帯が出来ていた。

 極狭い幅ではあるが、一瞬で自分の影が蒸発する勢いに、橋の途中で引き返すしかなかった。


 “この街は狩場となろう”


 詠月の言葉が思い出される。

 詠月の領域を皆既日食に喩えるなら、境界には明暗逆転した金環が生じていた。影縫いを閉じ込める、金環の檻だ。


「詠月は影縫いを狩ると言った。他に当てが無いなら、お前も八坂たちと合流した方がいい」

「……俺、詠月を間近で見て、ビビっちまってさ」


 視線を伏せた吉田が、自嘲気味に告白する。

 詠月の前には立てそうにないと言う彼へ、ロクは手厳しく返す。


「気にするな。最初から期待していない」

「それもひでえな。鴨川じゃ頑張っただろ」

「お前は戦闘向きじゃないからな。他で活躍すればいい」


 吉田へ錦の電話番号を教え、以降の連絡は彼女を通すようにした。

 言われた通り病院へ舞い戻ろうとする吉田に、ロクはもう一つアドバイスする。


「日焼けサロンは止めとけ。寿命を縮めるぞ」

「これは俺のアイデンティティーだ。日に焼けるなって掟はえ」


 吉田が立ち去ると、ロクを待っていた錦が傍らに並んだ。

 何か言いたげな彼女へ、ぶっきらぼうにロクが乗車を促す。


「先に乗れ」

「ロクって表情のバリエーションが少ないけど」

「けど、なんだ」

「結構、他人に甘いよね」

「お前までよしてくれ」


 元来は楽天的で明るい錦が、この夜はずっと緊張に体を強張らせていた。

 ロクをからかうのは、単なる強がりかもしれない。

 それでも彼と話せた彼女は、少しだけ普段の調子を取り戻せたようだった。

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